さすがの悪役令嬢も心折れるので泣いてもいいですか?
部屋は静寂に包まれたまま。
これって、私が何か言わなければいけないの?
アルは下を向いてうなだれている。
ブライは非常に気まずそうに、居心地悪そうに、でも部屋を出るわけにもいかずに立ち尽くしている。
「私も行きますわね…。
婚約破棄の話は、すべてアル…ノート様が方々に説明なさってください」
仕方なく言葉をかけると、アルはうつろな目で私を見た。
「さよなら…」
もぬけの殻になったアルを見ているのが辛くて、私も部屋を後にした。
私はどこに行けばいいのだろう。
これから卒業パーティーが始まる。
ウルティナ学園はその名の通りウルティナ国の王族や貴族が通う学園で、卒業パーティーには国王を始め、たくさんの来賓が呼ばれている。
何事もなければ、私はアルにエスコートされて会場に入り、多くの人に祝福されながら楽しい時間を過ごすはずだった。
「あれ…?やだ…ウソでしょ…」
私、泣いてるみたい…。
泣きたくないのに。
こんなことで泣くなんて、私もまだまだ未熟だわ…。
醜態を見られたら大変。
とりあえず人気のない場所に避難しよう。
パーティー会場とは逆の方向に歩き出す。
しばらく歩いて建物の外に出ると、影に隠れるようにして私はしゃがみこんだ。
疲れた…。
歩いている内に、涙は止まったみたい。
今日これからどうすれば良いのか考えなければ…。
アルはもう私と結婚する気はないだろう。
私だって、あんなふうに言われたら無理。
『それってまるっきりの受け身ですよね?』
『それとも、能動的な努力をしたんですか?』
『そもそも、ジェリーナ様はアルノート様を愛しているんですか?』
『そもそも、本当にこの国の上に立つ使命を持っているなら、なんとしてもこの危機を乗り越えるべきですよね?』
リリアに言われた言葉が蘇る。
同時に、アルのうつろな目を思い出す。
悔しさに、また涙がにじんできた。
卒業パーティーは欠席しよう…。
体調不良を理由にすればいい。
だけど…。
私は自分が着ているドレスを見た。
国王から贈られたドレスだ。
あの時、アルも一緒にいて、「早く着ている姿を見たい」と言っていたっけ…。
アルの婚約者として、将来の王妃として、今日の卒業パーティーはなんとしても出席しなければならないものだ。
ウルティナ国の重鎮や他国からの来賓を呼ぶのは、私とアルのお披露目の意味も含んでいるのだから、欠席するのは国王の顔に泥を塗ることになる。
婚約破棄は決定事項だけど、どう考えても、アルが即座にその話を周囲にするとは思えない。
さっきのアルは抜け殻だったもの。
とりあえず、何事もなかったように卒業パーティーに出席して、その後をアルに任せるのが最も穏便な方法だろう。
理性では自分がどうするべきかをわかっているのに、心がそれを拒否していた。
嫌だ。
もうアルの顔なんて見たくない。
平常心を保って卒業パーティーに出席する自信もない。
私はうずくまって泣いた。
もう、何もしたくない…。
「大丈夫ですか?」
「!」
突然声をかけられて、ものすごく驚いた。
誰もこないと思っていたから、安心して泣いていたのに。
反射的に顔をあげると、ルイザ=フェルナンドがいた。
ルイザは私の一族と同じく、古くから王族の側近として仕えている位の高い貴族だ。
ユーヴィス家が参謀で、フェルナンドは将軍の役割を担っている。
今日のルイザはラベンダー色のドレスを着ている。
彼女にしては珍しくプリンセスラインで、小さな宝石がドレス全体にあしらわれていて、キラキラと輝いていた。
下ろされたストレートの黒髪とドレスが対照的で、それが華やかさを演出している。
「ジェリーナ様…どうされたんですか?」
私の顔は当然涙でぐちゃぐちゃで、ルイザは動揺しているみたい。
いけない。
こんな顔を人に見られるなんて。
慌てて涙をぬぐって立ち上がる。
「なんでもございませんわ。少し気分が悪くて休んでいただけです」
人前ではいつでも冷静で穏やかに…。
カチッと私の中でスイッチがONになる。
「そんな、なんでもないわけないじゃないですか。
ジェリーナ様が泣かれるなんて、相当お辛いのでしょう?
私がつきそいますから、どうか部屋で休まれてください。
医務室にいきましょう」
ルイザとは家を通しての付き合いはあるものの、特別親しいわけではない。
だけど、思いのほか優しい言葉をかけられて、また涙が溢れそうになった。
ダメ。しっかりしなきゃ!
「ご心配おかけして申し訳ありません。
少し休めば大丈夫ですわ。
卒業パーティーがありますから、私に構わずルイザ様は先に行ってください」
無理して笑顔を作る。
「でも…そのようには見えません。
放っておくことなんてできませんわ」
ルイザはいつも控えめで、自分から私に話しかけることは少なかったけど、こんなに優しい人だったのね…。
弱った心にルイザの優しさが染みた。
でも、やっぱり迷惑はかけられない。
「ありがとうございます。
でも、本当に大丈夫ですから」
「もしかして、アルノート様となにかありましたか…?」
「え?」
「あ、ごめんなさい…。あの、いろいろな噂を聞いていたので。
でも、あんなものは単なる噂で、ジェリーナ様とアルノート様は強い絆で結ばれていることは知っているのですが…。
それでも、あんな心無い噂は聞くだけで辛いと思いまして…」
やっぱりダメ…。
再び涙が溢れた。
「ジェリーナ様…」
「いえ…本当に心配なさらないでください。
少し休んだら行きますから、ルイザ様は先に行ってください」
そうか…。
私は卒業パーティーに出席するつもりなのね…。
こんな状態でも、行かなければならないという義務感に負けてしまうんだ…。
ふわっ。
え?何?
ルイザが私を抱きしめている。
彼女は私より少し背が低いのに、まるで包み込まれているような包容力を感じた。
「何があったか存じませんが、無理なさらないでください。
私、何もできませんし、ジェリーナ様のお気持ちを理解するなんて恐れ多いこともできませんけど、同じ学園に通う友人として助けてあげたいと思っております。
ですから、どうか頼ってくださいませ」
もうダメ…。
私はルイザに縋るようにして泣いた。
ルイザは何も言わずに私の背を優しく撫でてくれる。
辛い…苦しい…。
王子の婚約者としてのスイッチは完全にOFFになり、私はひたすら泣いた。
こんなに泣くのは、一体いつぶりだろう。
子供のころから私はずっと泣いてはいけないと思っていたから、記憶の中に泣いている自分はいない。
しばらく泣くと、少し冷静さが戻ってきた。
すると、とたんに恥ずかしくなる。
私、いい年して人に縋って泣くなんて、なんて醜態をさらしてしまったんだろう。
本当に恥ずかしい…。
「ごめんなさい…。もう、大丈夫ですわ…」
私はパッとルイザから離れた。
彼女は優しい瞳で私を見ている。
「私でよろしければ、いくらでも胸を貸しますよ」
彼女は華奢な体形だけど、言葉と立ち姿に将軍の貫録を見たような気がした。
彼女にも代々将軍のフェルナンド家の血はしっかり受け継いでいるみたいね。
「愚痴とか、不満とか、泣き言とかあったら言ってください。
人に話すだけで、随分と気持ちが楽になるものです。
ジェリーナ様は少しがんばりすぎです」
どうしてだろう…。
普段なら「頑張るのは当たり前」と思うのに、ルイザの言葉から優しさが胸に染みる。
全てを吐き出してしまいたいという欲求に駆られる。
でも、さすがに言うわけにはいかないわ。
これは、私だけの問題ではないのですもの…。
「本当にありがとうございます。でも、大丈夫です。
泣かせていただいたら、スッキリしましたわ」
がんばって笑顔を作る。
「そうですか…。わかりました。
では、一緒に会場まで行きましょう。
あ、その前にお化粧を直した方が良さそうですわね」
ルイザはにっこりと笑った。
その後、私はルイザに付き添われて控室に戻り、化粧直しをした。
彼女が少し先を歩き、人と会わないように調整してくれたのはとても助かった。
「ルイザ様は、どなたにエスコートを頼まれたんですか?」
卒業パーティー会場までの道中、ルイザに聞いた。
これ以上彼女に迷惑をかけるわけにはいかない。
「今日はお兄様に来ていただいているんです」
ルイザは簡潔に答えただけだった。
私について何も聞いてこない気遣いが嬉しい。
「そうなんですね。では、ここで大丈夫ですわ。
カルシス様を待たせては申し訳ないですし、もう元気になりましたから」
カルシスはルイザの兄の名前だ。
「そう…ですか…。わかりました。
では、のちほどパーティー会場で」
ルイザは最後まで優しい笑顔で私を送り出してくれた。
彼女がいて良かった…。
1人だったら、あの後私はどうしていただろう…。
とりあえず、今日が終わればウルティナ学園に来ることもなくなり、アルと関わらずに済むのだからがんばろう。
私は卒業パーティー会場に向かった。
1人で会場に入る覚悟を決めて歩いていると…。
「ジェリーナ様!」
向かいからブライが駆け寄ってきた。
え?何…?
「お探ししておりました。アルノート様がお待ちです」
は?
「さあ、行きましょう」
「ちょ、ちょっと待ってください」
慌ててブライを制止する。
「なんでしょう?」
「なんでしょう?ではないでしょう?
どういうおつもりですか?
アルノート様とはもう他人のは…」
「ジェリーナ様」
言葉を途中で遮られた。
「アルノート様がジェリーナ様をエスコートするのは当然でございます。
時間も差し迫っておりますから急ぎましょう」
『頼むから逆らわずに来てくれ』というメッセージをブライの目からヒシヒシと感じる。
なるほど…。
どうやらアルは今日を何事もなかったかのように過ごして、後から婚約解消に動くことを決めたのね…。
「嫌ですわ」
私はキッパリと言い放つ。
「なぜ、私がそうしなければなりませんの?
そちらの都合にこれ以上合わせろとおっしゃるのですか?
あまりにも横暴ではありませんか?」
「ジェリーナ様…」
「私は1人で行きますから、どうぞアルノート様もご自由になさってくださいとお伝えください」
「そういうわけには…」
「リリア様はどうなさったんですの?」
「あのまま姿を消しました…」
「まさか、彼女の代わりを私にしろと?
バカにするのも大概にしていただきたいですわ。
さようなら」
私はくるりと回れ右をして、そのまま来た道をスタスタと歩き出した。
ブライは追ってこない。
ああ、本当に頭にくるわ!
でも、今は怒っていた方がいいのかもしれない。
その方が、涙が出てこないもの。
とは言え欠席というわけにもいかないし…。
遅刻するわけにもいかないし…。
とりあえず、アルを回避してどうにかして会場入りするしかないわ。
私はその後辺りを見回しながら、こそこそと会場に入るチャンスをうかがっていた。
ものすごく惨め。
これも全て、アルとリリアのせいだわ!
もう、二度と言葉をかわすものですか!!!
強い決意と怒りが今の私を支えていた。
ここまで読んでくださりありがとうございます!
第一章はこれで終わりです。
第二章も宜しくお願いします<(_ _)>