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「小町に婚約者が決まったんだ、今週末に会うことになってるけど……ほらそんな嫌そうな顔をしてはいけないよ。」
私としては可愛らしい顔で聞いていたつもりだが、心の底からの拒否が顔に出ていたらしい…直ぐに元に戻すと母が可笑しそうに笑っているが父は少し困ったような顔をしている。
「小町そんな事より美味しいチョコレート食べに行きたいな。」
「終わったら美味しいチョコを買ってもらいましょう、母も小町の好きなクッキーを焼いてあげますからね。」
「相手は緒川グループの次期社長の息子だね、小町とは同い年だよ。」
緒川グループとは秋津グループと並んで世界的な企業で、現社長は恒例のためそろそろ引退が決まっている筈だ。
「あら?緒川と言えば淳一さんね?もしかして小町の婚約者って…。」
「あぁ淳一の長男だよ、確かあの家は2人息子がいるんだけど婚約の相手は長男だと聞いているよ。」
「お父様とその人仲良いの?」
「小学校からの仲だね、今もたまに会ったりしてるよ。」
社長令嬢だから婚約者も決まることになるだろうと思っていたが早すぎて面倒くさい…。
「大丈夫よ小町、嫌なら嫌でいいのよ。母は貴方の味方ですもの。」
「ううん面倒くさいけど会ってみるわ、チョコレートのためだもの。」
「強制ではないからね、淳一から会ってみてはどうかとお誘いが来たから受けたけど気に食わないなら殴ってもいいんだよ?」
「暴力はダメだわお父様…。」
あっという間に日にちは過ぎてとうとうこの日がやってきた。
婚約者は我が家の屋敷に来るようだった、緊張とかは特にないが速やかに終えて遊びに行きたい。
扉をノックする音が聞こえて1人の男性が顔を出す…なかなかのイケメンだった、男性の後ろに整った顔立ちの少年が無表情で立っている。
「久しぶりだな淳一。」
「やぁ久しぶり宗一郎に優里、今日はありがとう…あぁ初めてまして小町ちゃん。」
「初めまして秋津小町です。」
立ち上がって挨拶をすると驚いたように男性は笑っている。
「礼儀正しいお嬢さんだな…ほら俊也も挨拶しなさい。」
「…初めてまして緒川俊也です。」
少年は少し暗い表情で挨拶をする。
「良かったら2人で遊んできなさい…小町、俊也君に屋敷を案内してあげなさい。」
突然の無茶ぶりのような提案に目玉をむき出して叫ぶのを必死に堪えただけでも褒めて欲しい。
「……はいお父様。」
立ち上がる時に父の足をわざと強めに踏んでおいたのでこれでおあいこである。
チョコレートに加えて本でも買ってもらおう。
俊也という少年は全くもって会話が無い…無口にも程がある。とりあえず言われた通りに屋敷を案内するがそれ以外は話すことが無い。
「後はお庭だけですけど、見ます?とても広いんですよ。」
「………。」
「じゃあ案内するのでついてきてください。」
なにか一言喋れやと内心は般若の顔をして怒り狂っているが、今世は優雅でお淑やかな令嬢なので必死に抑える。
「………今日は父が会ってみろと言ったから仕方なく来てやったが、別に俺はお前に会いたくて来た訳じゃないからな。」
………おいおい坊ちゃんよ、ようやくそのお口を開いたかと思えばそれか?こっちが気を使っていれば調子に乗りやがって…。
醤油皿のように広い器を持つ心とお箸の如く気の長い導火線を持ってしてもこの怒りは耐えきれなかった。
「当たり前でしょ?私も貴方みたいな面白くない人と婚約したい訳ないのよ…今頑張ってるのもチョコレートのため仕方なくよ、別に貴方が好きで案内してる訳じゃないから。」
ベーッと舌を出して揶揄うと少年は次第に顔を真っ赤にして怒りに顔を歪めた。
「なっ…!お前馬鹿にするのか!」
「馬鹿にされるお前が悪いんでしょ?ただのお坊ちゃまの癖に!」
「煩いぞ!ブス!!」
「性格ブスに言われたくないわ!!!」
気がつけば何故か私達はお互いに罵りあいながら追いかけっこをしていた。はらわたが煮えくり返りそうなほどの怒りに身を任せて普段は全然走らない体にムチを打つ。
「女の癖にそんな汚い言葉を使うのか!!」
「男の癖に弱っちぃ人!泣いてパパに言いつけてきなさいよ!」
「待て!ハァ…ゼェ……足早い過ぎるぞお前!」
「いやお前が止まりなさいよ!私も限界よ!!」
それから10分ほどして汗だくの2人が庭のど真ん中で倒れ込む、息は上がって吐きそうな程に体はしんどい。
「これで…父さんに怒られたらお前のせいだぞブス…。」
「か弱い5歳児に…ゲホッ…走らせないでこのクズ……。」
「お前と婚約なんて絶対にしないからな!絶対に嫌だ!」
「私もよ…お前の声聞くだけでも鳥肌がたちそう…黙ってくれる?」
ギャアキャアと2人で再び口喧嘩が始まると心配なった両親と俊也の父がやって来た。
「2人とも賑やかだけど仲良くなったのかい?」
「汗まみれじゃないか…珍しいね俊也。」
「2人ともお腹すいたでしょう?クッキーがあるわよ?」
内容までは聞かれていないらしいのでホッと安心した。
「聞いて!俊也君と仲良くなったのよ!」
「お前何言っtむごッ……」
「良かったなぁ俊也、仲のいい友達が少なかったから父さんは嬉しいよ。」
余程嬉しかったのか俊也の父は目に涙を浮かべている、友達が出来たくらいで泣くほど喜ぶとかどんだけ俊也の性格は酷いんだろう。
とりあえず汗を拭く為に屋敷に戻る。
「俊也君お友達少ないんだね~」
「黙れブス…気の合う奴がいないだけだ。」
「ごめんね、お友達が1人もいないの間違いだったわ。」
汗を吹いた後に皮肉を言い合いながらお茶を飲みクッキーを食べる。
「お母様のクッキーとっても美味しいわ!」
「あらありがとう、俊也君もいっぱい食べてね。」
「はいありがとうございます。」
再び2人きりになったのでいつ喧嘩が始まってもいいように構える。
警戒する私と裏腹に俊也は何故か泣きそうな顔をしてクッキーを食べる。
「どうしたの?そんなにクッキー嫌いだった??」
砂糖を塩を間違えてもいないしとても美味しいので味は問題ないはずである…いくらクッキーが美味しいからと言って感動で泣いているならそれはそれで気持ち悪い。
「弟を産んだ時に俺の母は亡くなったから…母が生きていたならこんな風にクッキーを焼いてくれたのかなと思っただけだ。」
半年以上母と会うことが出来ないだけでも辛かったのに、この世に母が居ないということはどれほど辛いことなのだろうかと想像すると涙が溢れてきてしまった。
「グスッ…おい?お前が泣く必要ないだろ?」
「うるさいのよ…クッキーが目に入ったのよ…。」
「それはそれでおかしいだろバカだろお前。」
反対側のソファーに座る俊也の隣に座り直して黙ってクッキーを口に運ぶ、俊也も何も言わずにクッキーを頬張る。
暫く無言でクッキーを食べ終わった後に疲れから眠たくなったのでそのまま眠りに落ちる。
ソファーで2人がもたれかかって眠る子供たちの姿を見つけた親達は微笑ましそうに見つめていた。