12 『完敗』と『仲間』
ズドドッドドドドドッドドオド!!
〝魔王〟の周りに禁呪の重力場が発生する。
それは先の第七階級魔法でできた球状クレーターを、すっぽり飲み込んだ。ドラゴンジュニア戦よりも魔法効果範囲が大きくなっている。
夜の闇で闇精霊の量が多かったことが要因か、もしくは私との特訓で詠唱練度が上がったのか。理由は分からないがこれだけは言える。
今の禁呪は、竜を撃退したあの時よりも――強い!
「ぐ……! 重力負荷……だと。なるほど……これは……高ランクの闇魔法か!」
〝魔王〟は両膝に両の手を付け、圧し潰されないように抵抗をしている。その表情は歪んでいた。初めて見せた余裕のない顔だ。
いける――!
「やっちゃえぇぇ! ジオォォ!!」
頑張れ! アンタの凄さを魔族の王に見せつけてやりなさいよ!
「たああああああ!」
ジオも必死だった。ここで圧し切れなければ勝ち目がないと分かっているから。
「ぐぬぬぬぬ……!」
――始めは見間違いだと思った。でも……何度目を凝らしても片目の視界が〝魔王〟の変化を捉えてしまう。
ゆっくり、でも確実に、止まらずに……少しずつ少女の腕が上っていく。信じられない……強大な重力負荷がかかっている状態で、褐色少女の両手は天に届いた。
「【第八階級闇魔法:縮退崩漆黒穴】!」
宙空に小さな黒い球が出現した。直感で分かる……アレはやばい! その球は重力場を――ううん……禁呪の魔法自体を吸い込んでいく。
猛烈な速さで黒球は膨張していき――あっという間に消滅した。
ズドドオオオォォォ-ン!
黒球の破裂から一瞬遅れて、凄まじい衝突音が大気を襲う。
まさか……【禁呪:涅重圧天落伏】の闇精霊を利用して、最上位魔法を発動させたっていうの!? 常識的に考えてそんなのできるワケない!
でも……禁呪が相殺されたことは、誰の目にも明らかだった。
「はあ……はあ……はあ……、そんな……!」
ジオは深く腰を落としている。かなり消耗しているようだ。
「うっそだろ……! ドラゴンすら沈めた魔法を……!」
タイガも驚きの声を上げる。
「きゃきゃきゃ……きゃーきゃきゃきゃ!」
対象的に、高らかに笑い声を上げる褐色の少女がいた。だけどそれは敵の『とっておき』を完封してみせた喜びの声じゃない。
「面白い! 面白いぞ小僧! さすがの儂も肝を冷やした! さあ次は何を見せてくれるのだ!」
ジオを指差し笑みを浮かべる彼女は、自身が少しでも追い詰められた状況を心底楽しんでいるようだった。お互いが死力を尽くした死闘なんかじゃない。〝魔王〟にはまだ闘いを楽しむ余力があった。
〝魔王〟の問いかけに対し、万能人種の少年はしばしの沈黙のあと吹っ切れたような笑顔でお手上げのポーズをする。
「……参った! 僕の負けだ」
完敗だった。
私とタイガに悲壮感が漂う。そして、『死』を否が応にも想起させる。
「でも次闘るときは……僕が勝つ!」
は? 次?
この状況下で何言ってるのアイツ……次なんてもうないのよ!
「儂を相手にして、次があるとな? きゃきゃきゃ! とんだ小僧だ」
少女はひとしきり笑ったあと少し考えこむ仕草を見せた。
……私達への賊害が確定したこの状況で一体何を考えているの?
「ルーグル! どうせお前のことだ、居るのだろう? 姿を見せよ!」
〝魔王〟がどこかに向かって叫ぶと、自身の影の中から黒い『何か』が出現した。
それは徐々に人の形を成していく。現れたのは、銀色の長い髪を後ろで括り、露出の多い紫色のドレスを身にまとっている美しい女性だった。褐色の肌と尖った耳。〝魔王〟と身体的特徴が一致している。
あれも……魔族なの?
「セルピ様。ルーグル、ここに参りました」
ルーグルと名乗った女性は〝魔王〟に向かって片膝を地面に付け跪いた。端から見れば、年端もいかない少女に母親が頭を下げているようにも見える。
「うむ、儂は決めたぞ! こやつらと暫く行動を共にする」
行動を共にするって……私達、魔王軍の捕虜にされるってこと?
「畏まりました」
「先ずは、この者たちの傷を治してやれ」
「は! 御意のままに」
ルーグルは立ち上がりその場で詠唱を始める。10日前の私だったらその詠唱難度に驚いていただろうが、すごいモノを見過ぎた今は慣れてしまった。
魔族の女の魔法が発動する――と、私の半分になった視界が一瞬で変化する。私とジオ、タイガの3人は2人の魔族の前に転移させられていた。
間違いない……強制転移魔法だ。でも魔法陣もなしにどうやって!?
突然の転移体験を受け、ジオはもの珍しそうに、タイガは驚き慌てふためいている中、ルーグルは次の詠唱を始める。この詠唱は知っていた。これも……禁呪だ。禁呪の一部は、その精霊構成情報が一般開示されている。魔法学校修学時、私はその魔法に興味があって、必死に調べ上げた記憶を思い出す。
結局、『超』が付くほどの高難易度にすぐ挫折しちゃったけどね。
「【時空魔法:刻遡及全回復】」
ルーグルが静かに魔法を発動させると、私達のパーティは虹色の光に包まれた。傷が、ボロボロになった衣装が、みるみる内に治っていく、直っていく。狭くなっていた左の視界が開け、そっと左目に触れてみた。信じられない……潰れていた左目も元通りになっている。ケガが治った喜びよりも驚きの方が上だった。でも治せるケガの範囲に限界があるのかしら? 不思議と、ドラゴンジュニア戦での私の傷は治っていなかった。
「傷があっという間に……魔法ってやっぱりすごい!」
ジオは両手でガッツポーズをしながら喜んでいる。
「んだよ、オレだけ何の変化もねーぞ?」
タイガ……そりゃアンタは無傷だったからね!
それにしても、転移魔法と回復魔法、2つの禁呪をあっさり使うこの女……
魔族にはこんなバケモノがごろごろ居るの……?
「うむ、ご苦労! 時空魔法は疲れてかなわん。さて話をしようか」
〝魔王〟が仕切り直しと言わんばかりに話しだす。
「これは一体どういう状況なの!? 私達を助けて何を企んでいるの?」
「なに、儂は貴様ら人間の観察を、この側近であるルーグルに進言されていてな。たまにこうして人間社会を勉強しておるのだ」
「魔族が……人間観察ですって?」
私は困惑する。目的が分からない。
「敵対する対象について、滅ぼす対象について知っておけと、そういうことだろうルーグル?」
「は! 正しくはセルピ様に見極めていただきたいのです。人間が、本当に滅ぼすべき種族かどうか、を」
ちょっとそれって……人間と魔族には和平を実現させられる可能性が残っているってことなの? そんなこと考えもしなかった……。
「まあつまりそういうことだ。そこで、儂は貴様らに興味がある。特に貴様、そこの小僧にだ」
〝魔王〟は再びジオを指差す。
「僕?」
「お前のような人間は初めて見る。人間にしては高い肉体の強度、上位魔法を擁する魔力……興味深い。貴様を観察させろ」
〝魔王〟も万能人種の異質さに興味津々のようだった。少女からすれば、空を飛んでいる鳥が突然海に潜り出し、自由自在に泳ぎ回っている光景を見せつけられたような感覚なのだろうか。
「嫌だね。観察なんて気味が悪い」
「人間、まさか汝らに選択権があるとでも思っているのか?」
当たり前のように〝魔王〟の申し入れを断るジオへ、ルーグルが凄味を出す。
「待ってよ! そんな言い方じゃなくてさ、仲間になりたいって言うんなら歓迎するよ! 僕たち3人のパーティに〝魔王〟を入れてあげる!」
アンタってば、また上から目線の物言いを……。
でも〝魔王〟の反応は先ほどとは打って変わっていた。きょとん、とした表情を見せたあと、すぐに甲高い笑い声を上げ始める。
「きゃーきゃきゃきゃ! 儂が貴様らの仲間だと!? おいルーグル」
「は!」
「決めたぞ、儂はこいつらのパーティとやらに加入する。アレの準備をせい」
「畏まりました」
は? マジ!?
「ちょちょちょっと! 待ってよ! 〝魔王〟が仲間? 人類の敵なのよ!?」
なんなのこの超展開は……
「たまげたなコイツはよ……」
タイガも驚いている。そうよね……さすがにそんなこと許されないわよ。
「いいんじゃないかな? さっきからもう敵意はなさそうだし」
信じられない! ジオの思考は、私の想像の遥か斜め上をいく。
「私達冒険者の絶対任務は〝魔王〟討伐なのよ……! なのになんで逆に仲間にしちゃうのよ!」
「人間ども。言っておくが、これはセルピ様のご意向。従えぬ場合は屍にするだけだ」
ルーグルの、私達を完全に見下す視線にタイガが反応した。
「けっ、エラそうにしやがって! マフォ、どう足掻いても無駄だぜこれ。それに……」
「それに?」
「面白そうじゃねえかよ。〝魔王〟が居るパーティなんてよ」
しまった! コイツもバカだった。
「もう! コイツの強さ見たでしょ!? ちょっと気が変わったら私達皆殺しよ!」
「その件なら問題ない。儂に【呪】をかける」
「【呪】って禁呪の!? どーいうことよ?」
この禁呪のオンパレード……今までの私の常識が崩れていく。達人級の魔法使いでさえ、そうそう使える魔法使いは居ないってのに……この異常なシチュエーションにはほんと呆れるわ……。
「儂の力を強制的に抑える、貴様ら人間並みにな。そうでもしないと目立って敵わんであろう? ルーグル、準備はできたか?」
「はい。ですが今回はどのような枷にいたしますか?」
「そうだな……儂の膂力を半分に。それと……そうだな、第六階級以上の魔法使用に制限をかけるがよい」
第五と第六階級の魔法には大きな隔たりがある。行使難易度がハネ上がるからだ。その為、冒険者組合は第六階級以上の魔法行使を、達人級へのクラスアップの条件としている。そんな制度は魔族にとって関係のない話だが、『第六の壁』の見解は魔法を扱う者として共通の筈だ。おそらく、第五階級までの魔法ならば人間社会でも目立つことはないという目論見からきているんだろう。
「失礼ですが、魔法もですか? そうすると自身での解呪もできなくなりますが?」
「問題ない。火急の際はお前に任せる」
「御意。罰はいかがいたしましょう? 王たるセルピ様への枷、見返りもそれ相応のものでないといけません」
「うむ、簡単だ。儂の命でよい」
コイツ……どういう神経してるのよ!
平然と、【呪】の罰に自身の命を差し出す少女に私はゾッとした。側近の女が慌てる。彼女も同意見のようだ。
「セルピ様! なりません! それならば私の命で……」
「ルーグル! 何度も言わすな! 問題ない、ただの戯れだ」
「ぐ……! 畏まりました。それでは失礼いたします」
王の命令は絶対なのだろうか、ルーグルは押し切られる。
皮肉な話ね……アンタ達のやってることは、正にアンタが知りたい人間社会そのものよ。
ルーグルは目を閉じて【呪】の詠唱を始める。今回の媒介は、複数の魔法石を使うようだった。きっとどれも希少な魔法石なんだろうと予測する。
【呪】に必要なモノは全部で3つある。術者と被術者を結ぶ媒介、枷、罰の3つだ。被術者の『存在の大きさ』に比例して必要な媒介の量も変わり、『存在の大きさ』と『枷の困難さ』に比例して必要な罰の重さが変わる。魔族の王の力を抑制する、という今回の【呪】には膨大な対価が必要だろう。
「【呪術:呪苦枷罰痛授】」
ルーグルが静かに呟くと、禍々しい闇が術者と少女を包み込んだ。闇が両者の手の甲に収束すると、そこに【呪】の魔法印が刻まれる。
その手を開いては握り、と繰り返して、少女は自身の変化を確認していた。
「ふむ……こんなものか」
「なあ? なんだよ【呪】って」
タイガがこっそり聞いてくる。
「禁呪よ。とびっきりやばいやつ」
コイツに細かく説明しても理解できないだろう。決める枷の内容によっては、世の理さえ覆せる禁断の魔法……魔法評議会が使用を禁じることに議論の余地はない。
「これで儂の力は貴様らと同等といったところか。小娘、これならば問題なかろう」
私への言葉に、それまで静観していたジオが横入りする。
「試してもいい?」
「ん?」
〝魔王〟に向かって突然殴りかかるジオ。
「きゃー!」
先ほどとはうって変わり、可愛い声を上げながら少女は吹っ飛んだ。
「あ、ほんとだ……さっきと全然違う……」
側近の女が見たこともない高位な魔法詠唱を始める。
「殺す!」
ルーグルは凄まじい形相でジオを睨みつけた。相当お怒りだ。
私はジオの頭頂をゲンコツで思いっきり殴る。
「いて!」
「アンタ! 早く謝りなさいよ!」
今のはどう考えてもジオが悪い。
「ルーグルよい! まあこれで無知な貴様らでも分かったであろう」
吹っ飛ばされた少女が戻ってきて、ルーグルの詠唱を中断させてくれた。夥しい量の精霊はその場に残る。
一体どれだけ強力な魔法を放とうとしていたんだろうか……血の気が引いていく。
「突然殴ってごめんなさい!」
少年は少女に頭を下げて謝った。
「うむ、許してやろう」
まさか、あの〝魔王〟がここまでするなんて。とりあえず危機的状況は回避できるみたいだし、ハラを括るしかないか。それにどうせなら、この状況を逆に利用してやる。
「分かったわ。〝魔王〟セルピ、仲間になりましょう……でも最後に3つの約束事をお願いするわ」
「1つ! 人間を殺さない」
「2つ! 今すぐ魔石獣を止めて」
「3つ! 他人に絶対正体がバレないように振舞って」
セルピは私の約束事に即座に反応する。
「2つ目の約束事は無理だな。魔石獣は儂の意志ではない。その他については善処する」
〝魔王〟ではない意志……なんなのそれ?
「はいはーい! 僕からもお願い!」
ジオは右手を上げて、まっすぐセルピを見つめた。
「僕が強くなったらもう1回闘ってほしい」
「きゃきゃ、よかろう。その時が人類存続の危機でないことを祈るがよい」
ジオったら負けず嫌いなのね。それにしてもほんと子供っぽいんだから。
「さーて、まずはどうする?」
タイガが尋ねてきた。
「そうね……これだけのことをしてるんだから、護衛依頼は破棄になるでしょうけど、まずはこのままマストーを目指しましょう。キャラバンのその後も気になるわ」
これだけの破壊……辺境の地と言えど、しばらくしたのちに冒険者組合調査隊が来るはず。この状況下で、それに出くわすのは好ましくない。下手したら罪人扱いで死刑になりかねないものね……。
「ではルーグル、留守は任せたぞ」
「御意! なにかありましたらすぐにお呼びください」
ルーグルは現れたときと同じように、セルピに対し跪いた。
「時に小僧、貴様はなんという名だ」
「ジオ、〝大魔導(仮)〟のジオだよ」
このふざけた二つ名は、もちろん本人の希望によるもの。
「〝大魔導(仮)〟のジオ……且の〝大魔導〟をなじるか……きゃきゃきゃ、どこまでも笑わせてくれるな貴様は。益々気に入ったぞ、よろしくなジオ」
そう言ってセルピは右手を差し出した。
「うん、こっちこそ! よろしくねセルピ」
2人の右手が結ばれる。魔族と人間の握手……人間側がどこかのお偉いさんだとしたら本当に和平が成っていたのかもしれない。ひょっとしたら、私達は歴史的瞬間に立ち会っているのかしらね。
ジオとセルピ、そしてタイガが歩き出す。目的地はマストー。でも3人の歩く方角は真逆だ。
ったく、誰か気付きなさいよ!
「そこのお前、ちょっといいか?」
駆けだそうとした私はルーグルに呼び止められる。
「お前がリーダーなのだろう? 少し話しておきたいことがある――」