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エクソドス

 エクソドス

 

 私は世界に水をあげる。大きく育ってくれることを切に願いつつ。

 水を与えながら、私は囁く。「おはよう、世界」

 世界は決して答えない。

 世界は言葉を()ってはいても、告げる手段を持っていない。世界は物質的には無表情で、無感情だ。

 だから、私は一人で頷く。「よかったね、世界」

 世界は今日も元気だ。

 明日を目指して、その心を蠢かしている。世界は微笑みかけるすべを知らないけれど、私は世界がどんな顔をしているのか、知っている。

 なぜなら、世界は私と二人きりだから。

 たった二人の生き残り。たった二人の生存者。

 世界がもしも一個の人間であったなら、さながらエデンの園のアダムとエワだったかもしれないと青臭く少女臭のきつい考えが、私の脳裏を掠めて過ぎる。

 果たして、世界は男の子なのだろうか? という根源的な問題があるにせよ。もっとも、とても些末でどうでもいい問題点だ。

 私は世界と一番長く付き合って来た。ゆえに、世界の深奥まで知っている。だから、解る。世界の感じる向き、感じる想いを私はいやというほど知っている。

 私は狭くまだまだ幼い世界に、水をあげる。

 如雨露に満杯まで詰まった清浄な水も饐えた臭気を放つ毒水も、全部ひっくるめて、世界に注ぐ。

 玉石混交なのではなく、必要だから。時に、偽悪や必要悪が求められるように。

 大昔、生命にとって酸素は毒物で劇物だった。

 古代の生命は、ミトコンドリアを取り込んでくだんの毒は、いまや大方の生命に必要なものになった。

 毒を避けてはならない。毒を毒としてディナイアルした結果は、抗菌された気味の悪いカコトピアの端緒になるだけだ。私は失敗して、理解した。

 悪きも善きも世界には必要なのだ。選り好みしてはいけない。また過ちを繰り返し、間違った方向へ進んでしまうことを私は恐れている。

 どこかで、まだ世界を畏怖している。

 世界を壊した世界を畏れている。世界がもう一度、カタストロフの引き金を引かない保障は何処にもありはしないのだ。

 如雨露を握る私の手が震える。

 恐怖からなのか、水を世界に与えること――その役目を負った自分への陶酔なのか、判然としない。小さな震えはやまないけれど、私は目は逸らさない。私は可視の世界を両のまなこでちゃんと見続ける。

 世界は私の映し鏡。

 私が造ってしまった間違った方向性、最後の決断は世界が決めたにしても、そうさせたのは私。

 世界は半分、私。そして、私は半分、世界。私たちは、もう、切り離せない関係にある。

 世界が死んだら私は死んだも同然で、私が死んだら世界は死ぬ。共依存は止まらない。もっとも、止める気は露ほどもなく。絆され合いは続く。

 沙漠のような世界は、貪欲に水を吸う。

 浸透度合いの高い砂はあっと言う間に乾ききる。

 あげても、あげてもきりがなく、それでも私は水を与えるのをやめない。

 何年もしてきたように、これからも明日も明後日も、ずっとこの先、私が老いてしまってもこの身朽ちてしまうまで、私は中座しない。中途で終わらせない。

 何度も水を汲み直し、私の脚が草臥れても、私は世界と家の狭間を往復する。体力のない私は脂汗を流す。額の球の如き汗を幾たびも拭う。

 この星は暑い。

 空調の壊れた家はもっと暑い。弱音はもう、吐かないと誓った。決めたから、何往復でもしてやるんだ。

 私が水を注ぎ続けたなら世界はいずれ、この星全域に拡がることだろう。

 世界から拡がった緑が、この潅木も茂らない星を染めあげるのだ。緑の星に変えるのだ。情報で溢れた世界が現出するのだ。

 そして、世界はこの星になる。この星と世界は等価になるのだ。それは、私もそこに溶け込んでしまうこと。

 世界はきっと楽園になる。狂気を排出してしまわない世界に、なる。無邪気さも消して、私たち二人が担う。

 私はこの新世界を、喪失してしまったかつての私たちの世界に似せたくはない。

 だから、私は私の水を世界にあげる。ただし、ディナイアルは忌避して、私の全身全霊を注ぐ。

 これは、世界が望んだこと。世界は世界の意思で決めたこと。

 そして、私の行いは、私が私の意思で決めたこと。移ろう世界は終わったのだ。

 移ろう世界は終って、その旧い世界の面影は家になった。

 旧い世界の面影は、拉がれた巨大な家。

 砂粒にまみれて、墓石のように聳える高い家。

 私の何十倍、何百倍、何千倍もの長く太く、傾いた大家。私だけが棲んでいる旧い場所。

 昔はもっとたくさん棲んでいた。過去形だ。だって、皆、死んでしまった。

 そう、死んでしまった。いや、世界が殺した。私が殺した。一緒になって、打ち壊したようなものだ。

 壊れた家の旧い住人たちは、真空に散った。防衛用のレーザー砲門で蒸発してしまった。

 かつての世界の住人たちは、全てが全て白骨すら残らず、宇宙の塵になってしまったろうか? 消し炭になってしまっただろうか? 

 もしかしたら、見上げる空の大気の外に、星の重力に引かれてデブリになって彷徨っているかもしれない。

 瞬く星間にたゆたっているかもしれない。

 なら、私と世界を見て欲しい。少なくとも、罪滅ぼしにと私は思う。

 さすらば、犬死ではなく、あなたたちは礎なのだと、嘯く機会を私は得られるはずだ。

 ディナイアルは許されずとも、弁護する機会を私は求める。

 私はもう、自己否定するほどにやつれてはいないのだ。自己弁護したくなるほどの矜持は許されてもいいと思う。

 宇宙に消えた魂たちから、私はきっと恨まれている。万人から、きっと。赦してとは言わない。未必の故意でも。私は自分を韜晦しない。たった一人の例外を除いて。

 シャルル。私は、あなたを赦さない。

 もしも、あなたが私を恨むなら、恨めばいい。

 あなたに恨まれたなら、私は本望だ。だって、あなたは私を殺そうとした。あなたは私の好意を裏切った。あなたは自分の世界しか見ていなかった。私は、あなたのことを世界に教えたのに。だから、あなたは殺されたんだ。世界に。

 私たちは荒涼とした大地で生きて行く。

 陽は昇り、沈み、二つの月が彩る夜も、肌寒くなったら、私は家に帰る。世界を寒空の下に残して、家路につく。

 今日も世界にたくさん、水をあげた。私は満足だ。

「また、明日」そう、世界に告げて歩き出す。

 明日も私は世界に水をあげるだろう。その為に、私は水を汲む。

 人の生んだ万年の英知の源泉は、きっと大海よりも広く、その全てを私は世界に与えられるだろうか? 貪欲な世界はきっと全てを識りたいと願う。私も教えたい。

 世界が死ぬ前に、私が死ぬ前に、この星で新世界を拓く為、私は今日も井戸を掘る。泥べっちゃになりながら。


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