第一章
岡崎城は秋を深めている。そこかしこで黄色い彩りを添え始めた銀杏の木に椋鳥や四十雀が集い、綺麗な旋律を奏でている。穏やかであることには間違いない。が、しかしながら、どこか、長い冬の到来を暗示している、そんな悲しげな旋律に聞こえた。
天正六年九月。
「ほうき、ほうき!」
甲高い透き通る声が上機嫌な欣喜と共に木魂している。そのまま声は岡崎城の一室、書斎に駆け込む。呼ばれたであろう人物は算盤を弾きながら溜息を吐いていた。後ろからぺしぺし、拳とも平手ともいえない手で殴られて、初めてその声の主に反応した。
「これは、於義丸様、どうされました」
「兄様にならった!“間合い”というらしいのだが、ためしてやる」
振り返った時の表情に曇りはなかった。むしろ救われたような表情をして、石川伯耆守数正はその声の主、於義丸に顔を向けた。
「ほほぉ、では」
そういうと立ち上がる。自身は文官であるが、武道に秀でていないと三河では侍扱いされなかった。家康お付きの時代から鍛えてきた腕は鈍ってきてはいたものの、御年五歳になったかの子供をあやすにはちょうどいいだろう。
「来なされ」
「お願いします!」
於義丸はきちんと兄仕込みの礼儀をわきまえた挨拶をすると、身構えた。だんだん様になってきている。右足を前にだし、相手との距離を測る。右手を前に構え、まだ少し前に覚えたばかりの正拳を繰り出す気らしい。本当に覚えたてなのだな。ならば。
数正は敢えて、その相手の間合いに入る。明らかに誘いである。しかし、五歳の子にわかろうはずもなく、相手の間合いに入ったふりをしている数正に拳を繰り出す。
「はぁあああ!」
石川数正は足を前に出していただけなので、重心を利用し、下げる。見事につんのめった於義丸は背中を数正に差し出し、その背中の中央に掌が覆いかぶさり、床に組み伏せられた。あとは腕を持たれ、関節を取られ、終了、のはずだった。
「はぅ。」
「足だけ出されて、飛びつくとは。そんなことでは兄上を護れませぬぞ。もっと精進成され」
「ふふふふっ・・・・」
わざとらしい笑いと共に、空いている片方の腕から、口を使い器用に紙を取り出す。
「これがなにか分かるかな、ほうき」
「なにを・・・あっ!」
先程まで確かに机の上に有った書類の一部が確かに口にくわえられている。というか既に唾液まみれだ。もうくしゃくしゃで読めるかわからない。墨は滲んでしまっているし、あとで解読するのに難儀するだろうことは間違いなかった。
「あっ・・・あーあー、なんということを、於義丸様」
「これがほしくば、負けをみとめろ。」
「それまで!」
快活な声が突き抜けた。小さな於義丸とは打って変わった筋骨隆々の大男がずかずかと歩んできた。周りを平伏させるには十分な威圧感、そして、意志の強そうな太い眉を蓄えた二重の輝ける瞳を、組み合っている二人に投げかける。先ほどまで、稽古をしていたようで、上半身裸だった。その引き締まった体が、徳川家次期当主に相応しい外見を見事に創り上げている。岡崎三郎信康。徳川家康の長男。武勇ほまれ高く、名実ともに徳川家の跡取りである。家康が浜松城に遷ったのち岡崎城に入り、主に徳川家の兵站を取り仕切っている。その後見に石川数正、平岩親吉が就任していた。とはいえ、親吉は家康の意を受ける監視役も兼ねており、実質の業務は数正がになっている。
「しかし伯耆、こんな子供相手に何しておる」
「ゆ、油断しました・・・申し訳これなく。」
「どうじゃ!ほうき!」
「主も卑怯。これが敵なら殺されて終わりじゃ、拳闘のみで勝たねばならぬ」
「そんなぁ、兄様ぁ・・・」
「兄上じゃ!もう、兄様はやめいと何度も・・・」
そう言って、於義丸の頭を撫でて、にっこりほほ笑んだ。
「しかし、勝ちは勝ちじゃな。」
「であるぞ、ほうき!」
「ははははっ、よかったな!大物になるぞ、於義丸!」
信康は於義丸を、その大きな両手で抱え上げるとそのまま胡坐をかいた。於義丸は信康の抱擁の下、胡坐の足にちょこんと座る。そして、得意気に数正の方を向いた。石川数正は於義丸の小さな口から取り出した書類を恨めしそうな顔で於義丸を見ながら広げる。やはり、いままで計算した部分を、墨のにじみ散らかした蚯蚓文字から抽出するのは、至難そうである。
「あーあー、これでは武田攻めの兵糧と、焔硝の計算が…」
「まぁ、いいではないか、ぬしも油断禁物ということだ。」
「いいではないかぁ!」
数正は無邪気に騒ぐ於義丸を睨む。於義丸はさすがにその眼光の怖さに気づき、怯えながら、兄の足もとに逃げる。数正は一刻(二時間)以上かかって計算したものが台無しになったのに陰鬱な気分になりそうだったが、やはりなんとも無邪気な子供を見ていると、どこか心が和らいでくる。
「はぁ・・・今後は気を付けまする。於義丸様に負けるとは、私が愚かでした。」
「そうだ、どんなものが相手でも気を抜いた方の負け。これもぬしから教わったのこと。」
「そうじゃ!そうじゃ!於義様をなめたのがわるいのじゃ!」
もはや怒る気にもならなくなった数正は優しい眼で於義丸を見つめ、語りかける。
「今日は殿とどこへ行かれるのです、於義丸様?」
「しらぬ!でも、兄様がたんれんしてくれるらしい!」
「ははは、今日は水練でもしようかと、な。」
「はぁ、さようでございますか。」
「ああ、少し遠出してくる。於義丸が馬に乗りたいとうるさい。」
「あ、なら、それがしも参ります。吉田に集積された物資の情報が回ってこぬので。」
「またか…父上は、兵站をなんだと思っているのか…」
「なに?なに!」
「えーとですね、米とか、火薬とかがいっぱい集まってるか見に行くのですよ。」
「それがしも、いく!」
「そうか、伯耆、ついでに遠江(浜名湖)を見せるなんてのはどうだろうか?」
「はぁ。それは、しかしかなりの遠出でござるが…」
「まぁ、こいつの里帰りじゃ。それもよかろう。何年も帰っていないわけだしな。」
「とおとうみ?」
「大きな湖だぞ。」
「みずうみ!」
「決定だな。伯耆、準備せよ。」
「ははっ。」
石川数正は三奉行の高力清長、本多作左をよび、留守を天野康景に任せると、早速吉田城に向かう準備をする。三奉行は民から「仏高力、鬼作左、どちへんなきは天野三郎兵衛」と言われる程、浸透していた。行政能力に長け算盤を扱える高力、敵にも味方にも一切の妥協を許さず管理できる本多、常に慎重な、しかし適切な判断をこなす天野の三人は兵站を司る上で、誰が欠けても務まらない。武芸偏重の徳川家の中で、行政を司る数正には地獄の中で仏に会ったような人材である。当主たる家康ですら兵站・行政の考え方が薄いのだ。ほとんど今川家の先進的な経営に頼ってきたつけを、独立の時に思い知ったはずであるのに。それを知ってからは、徳川家の跡取りである信康に英才教育を施し、戦国大名の先進的な経営術を施してきたが、信康は予想を遥かに超えた名君になりつつある。もはや自分がいなくても、岡崎の行政が滞ることは考えられない。信康がいる限り、徳川家の兵站が脅かされることはないだろう。今川家から施された、松平家の一統と、言語の統一、そして道の整備から、国人衆の徹底的な弾圧による権力の集中などを経たので、三河一向一揆以外では松平家は順調な発展を続けている。三河一向一揆の折、百姓管理を司っていた奉行の大量出奔によって深刻な兵站奉行の不足に陥ったが、石川数正の不断の努力により、現在は岡崎に一大物資集積の基地としての機能を持たせることに成功していた。それからは、大きな問題は一度もない。もしも、信康の代になったら、強大な織田家との同盟を背景に、更なる石高を得ることも、いや、従属同盟ではなく、織田家の中枢に入り込むことも可能になるかもしれない。そう考えると、数正には、徳川家の歩みは順風満帆に見えていたはずだった。確かに、この日までは。