09:茶会
「ようこそお出で頂きました、ジュリウス様」
ヴェルジュ子爵家の街屋敷の前に停まった馬車から降りたジュリウスに、待っていた初老の男性がお辞儀をする。
「ああ、邪魔をさせて貰うよ。エドワード」
ジュリウスを出迎えたのは、ヴェルジュ子爵家の家令のエドワードだ。
既に何度かこの家を訪れているジュリウスにとっては、顔見知りの間柄である。
「既に、皆様いらっしゃってますよ」
「最後になってしまったか。
少々出るのが遅くなってしまったからな」
「はい、それではご案内致します」
「ああ、よろしく頼む」
扉を開けて招き入れるエドワードに続いて、ジュリウスは屋敷の中へと足を進めた。
「ヴェルジュ子爵はご在宅かな?」
エドワードに案内されて廊下を歩きながら、ジュリウスは前を歩く彼に問い掛けた。
朝食の席で父親であるローゼンベルク伯爵から子爵によろしく伝えてほしいと言われたことを思い出したためだ。
「いえ、閣下は本日取引先の方と会合を持たれてまして、おそらく御戻りは夜になるものと思われます」
「そうか、それでは仕方ない。
父がよろしく伝えておいてくれと言っていたので、それだけ伝えてもらえるかな」
元々、ローゼンベルク伯爵も「会えたら」と言っていたので、子爵が不在ならば仕方ないと割り切ったジュリウスは、エドワードに伝言だけ頼むことにした。
「かしこまりました、お伝え致します」
話すうちに、二人はサロンへの入口に着いた。
「ジュリウス様! ようこそ、御出で頂きました」
「ごきげんよう、エミリーヌ嬢。
本日はお招きに預かり、光栄です」
エドワードに案内されてジュリウスがサロンへと入ると、その姿を見たエミリーヌが席を立って駆け寄ってきた。
互いに笑顔で挨拶を交わすと、エミリーヌはジュリウスの手を引いてテーブルの方へと案内した。
そこには既に、他の参加者が席に着いて待っていた。
「やぁ、ジュリウス」
「こんにちは、ジュリウス様」
「こんにちは、二人とも」
先に座っていたのは、マクシアンとリリーシアの二人だ。
マクシアンの左にリリーシアが座っており、右の席に先程までエミリーヌが座っていたため、ジュリウスはエミリーヌの右、マクシアンの向かいの席に着いた。
ジュリウスが席に着くと、控えていた侍女が彼の前にカップを用意し紅茶を注いだ。
「遅かったじゃないか、ジュリウス」
「すまない、朝から予定外の来客があって」
責める口調ではないものの問い掛けてきたマクシアンに対して、ジュリウスは鍛錬の時間に押し掛けて来た来客のことを話す。
王太子のデュドリックがそのようなことをするのは初めてではなく、ここに居る者達にとってはいつものことであるため、マクシアン達はすぐに理解を示すと苦笑した。
「殿下も本当に飽きないな」
「あの熱意については、少し感心したくなってしまいました」
「お疲れ様でした、ジュリウス様」
ジュリウスの方も、そんな三人の様子に苦笑して返すしかなかった。
彼はその苦笑いを誤魔化すように、テーブルの上の焼き菓子を手袋を着けた右手で摘まむと、口に放り込んだ。
甘さは控えめながら濃厚な味わいの柔らかな生地が、口の中で解れるのを楽しみながら、紅茶のカップを持ち上げる。
口元まで運ぶとほのかに薔薇の香りがジュリウスの鼻腔をくすぐる。
その香りをしばし堪能したジュリウスは、カップに口を付けると濃い紅色の液体を軽く啜った。
香りから想像した通りの軽く甘みの付いた紅茶は、甘さを控えた菓子と程良く合わさって、彼の舌を楽しませる。
ジュリウスは、ほぅっと軽く嘆息を漏らした。
「………………」
「………………」
「………………」
が、ふと見ると他の三人が自分を直視していることに気付いた。
「どうしたんだ、マクシアン?
そんなに顔を赤くして……」
「え? あ、いや、なんでもないんだ!」
「それなら良いんだが」
ジュリウスが取り敢えず正面のマクシアンに問い掛けると、彼は慌てて手を顔の前で振りながらなんでもないと否定した。
ジュリウスは首を傾げながらも、左側に座る未だ自分の顔を直視したままの婚約者に優しく問い掛けた。
「エミリーヌ嬢、私の顔に何か付いているのかい?」
「いえ、いつも通りお美しいです!」
「そ、そうか」
顔を真っ赤にしてそう力説するエミリーヌに、ジュリウスは釈然としない表情で頷いた。
「リリーシア嬢? 君もかい?」
「ジュリウス様があまりにも美味しそうに召し上がるので、思わず見惚れただけです」
「む、それは恥ずかしいところを見られてしまったな」
「いえいえ、眼福でした」
「は?」
ジュリウスが紅茶を飲む姿に妙な色気を感じて中てられてしまった三人は、誤魔化すように自分達もカップを口元へと運んだ。
よく分かっていなかったジュリウスだが、それも良くあることであると流すことにした。
† † †
つい先日の舞踏会でも顔を合わせた四人だが、あの時には会の終了間際になって初めて集まったため、殆ど話す時間は無かった。
そのため話題は尽きることなく、お茶会は和やかに進行した。
そんな中、ふと思い出したようにジュリウスが声を上げた。
「ああ、いけない。
忘れないうちに渡しておこう」
「ジュリウス様?」
突然立ち上がったジュリウスに、エミリーヌが不思議そうに問い掛ける。
しかし、彼はそれに答えずに彼女のすぐそばまで歩み寄ると軽く跪き、懐から取り出した小さな箱を掌の上に載せてエミリーヌへと差し出した。
それは、ジュリウスがパーラに頼んでいた品だ。
「貴女のその美しい瞳の輝きには劣りますが、私の手で貴女の全てを包めるように、これを贈らせてください」
「え? え? あ、ありがとうございます!」
唐突な贈り物に目を白黒させるエミリーヌだったが、反射的にジュリウスが渡した小箱を受け取った。
「あの、開けても良いですか?」
「勿論です、貴女の喜ぶ顔を私も見たい」
ジュリウスの承諾を貰ってエミリーヌが箱を開けると、そこには彼女の瞳の色に合わせた翠色の宝石をあしらった一組のイヤリングが入っていた。
「まあ、素敵です!」
「ここで着けさせて貰っても?」
「ジュ、ジュリウス様がですか!?
お、お願いします!」
そう言うと、エミリーヌは一度受け取った箱をジュリウスに渡すと、彼がイヤリングを自分の耳に着けられるように横を向いた。
その表情は、まるで戦地に向かう騎士のようだ。尤も、顔が真っ赤に染まっていなければの話だが。
ジュリウスはイヤリングの片割れを手に取ると、エミリーヌの小さく可愛らしい耳たぶにそっと左手で触れた。
「──────ッ!?」
思わずビクッと反応する彼女だが、ジュリウスは「くすぐったかったのかな?」と気にせずにイヤリングの金具を器用に右手だけで操作すると、彼女の右耳に着けた。
「反対側も」
「は、はい!」
椅子の上で座りなおして身を捩り、左耳が彼の方を向くようにするエミリーヌ。
ジュリウスは先程と同じように彼女の左耳にも翠色の宝石のイヤリングを嵌めた。
「ああ、よく似合っていますよ。エミリーヌ嬢」
「あ、あ、ありがとうございます!」
ジュリウスに優しく微笑みながらその姿を称賛され、エミリーヌは既に頭から蒸気が噴き出しそうになっている。
しかし、真のトドメはその更に後だった。
「次は指輪を贈らせてください」
「そ、それって……」
過去にペンダントを贈り、今こうしてイヤリングを贈り、そして指輪を贈る約束をする。
それは古式に則った婚姻の申し入れだ。オルレーヌ王国の風習として、それら三つの装飾品を男性から女性に贈り相手が身に着けることで婚姻の成立とする文化があった。
勿論、エミリーヌはジュリウスの婚約者であって何れ結婚する予定になっているのだが、いざそういう話が飛び出せば彼女が緊張するのも無理はないだろう。
しかし、それは当然厭うべき類いのものではない。
「はい! お待ちしてます!」
ジュリウスが思わず見惚れるような華やかな笑顔を浮かべながら、エミリーヌはそう答える。
いよいよ婚礼を挙げることを考え始めた仲睦まじい婚約者達の姿がそこにはあった。
……エミリーヌが未だジュリウスのことを男装した女性であると認識しているという大問題に目を向けなければ、だが。
尤も、一向に真実に気付いてくれないエミリーヌに焦れたジュリウスが強硬策に出たからこそ、このような状態になっていることを考えれば、それは考えても仕方の無いことなのかも知れない。
なお、唐突に始まった恋人達の睦言に置いてけぼりになったマクシアンとリリーシアは、二人の放つ雰囲気によって口の中が甘ったるくなって悶えていた。
「甘くないお茶が欲しいです」
「同感だよ」
二人が試しに紅茶を口に含むも、その甘みから逆効果になってしまった。
「それにしても、宜しいのですか?」
「ジュリウスとエミリーヌ嬢の婚姻のことかい?
少なくともこの雰囲気で口を挟むような無粋な真似はしたくないよ」
「そうですね」
エミリーヌと同様にジュリウスの性別を誤認している二人は、先行きに頭を抱えていた。