08:鍛錬
「遅いぞ、ジュリウス=ローゼンベルク!」
ジュリウスがいつも鍛錬に使用している屋敷の裏手にある広場に行くと、そんな声が飛んできた。
聞き覚えのある声に、ジュリウスは思わず頭痛を堪えるように頭を押さえた。
「おはようございます。
いつものことながら、何故貴方がこんな時間に此処に居るのか聞いても無駄なのでしょうね……殿下」
「何故だと? 何度も言っているだろう。
私はお前に勝つために、お前の鍛錬の時間に合わせて城を抜け出してきたのだ」
鍛錬の場所でジュリウスを待ち構えていたのは、王太子であるデュドリックだった。
勿論、本来は城に居るべきであり、こんなところに居て良い人物ではない。
が、同時に時折この場所に来ている人物でもある。
ジュリウスに対抗心を燃やすデュドリックは、剣の腕前で負けていることを気にしている。
そのため、ジュリウスが毎日この場所で鍛錬していることを聞き付けた彼は、しばしば城を抜け出して挑戦を仕掛けてくるのだ。流石に毎日ではないが。
「……お疲れ様です」
ジュリウスは周囲を見回すと、少し離れたところにある一本の木に向かって軽く頭を下げながら労った。
それに対して直接的な答えは何も無かったが、代わりに木の向こうから苦笑するような気配が届く。
デュドリックは仮にも王族であり次期国王、そんな重要人物が護衛も無しで出歩ける筈がない。彼は城を抜け出して一人でここを訪れたつもりだが、その実は護衛の騎士によってしっかりと見守られている。
ジュリウスはそれを察して、王太子に振り回されている騎士達を労ったのだ。本音を言えば抜け出す前に止めてほしいという気持ちは伏せた上で。
「? 何をしているのだ?」
「いえ、何でもありません」
「変な奴だな、まぁよい。
それよりも、準備はまだか」
そう言うと、デュドリックは刃を潰した訓練用の剣をすらりと鞘から引き抜いた。
その動作は洗練されており、彼が口だけではなく相当な鍛錬を積んだことを物語っている。
「いえ、私は鍛錬をするために此処に来たのですが」
「うん? ならば問題あるまい。
単に剣を振るよりも、試合の方が身になるだろう」
「あくまで、試合をされるおつもりなのですね」
溜息を吐きながら、デュドリックに合わせて訓練用の剣を抜くと広場の中央へと進み出るジュリウス。
「フン、今日こそは負けんぞ!」
「仕方ないですね、お相手しましょう。
ただし、試合をするからには手は抜きません」
「無論だ、手加減されて勝っても何の意味もないからな」
ジュリウスとデュドリックの二人は、広場の中央で互いに向き合い、剣を構えた。
「相図は?」
「いつも通りだ」
「分かりました。それでは──」
自らの問いに応えるデュドリックの答えを聞き、ジュリウスは剣を構えたまま左手で懐から一枚のコインを取り出した。
そして、そのままピンっと指で弾いて上空へと飛ばす。
コインはクルクルと回転をしながら二人の立つ丁度中央付近目掛けて放物線を描く。
剣を構えた二人は、それを視界に収めながらも互いに相手の様子を注視して動かない。
時間が停止したかのような張り詰めた緊張感のなか、ただ一つだけ動きを見せるコイン。
そして、弾かれたコインが地面へと落ちたその瞬間──
二人は同時に滑るように前へと踏み込んだ。
「ハッ!」
先手を取ったのはジュリウスだった。
右手に持った剣をデュドリックの右肩目掛けて真っ直ぐに突き出す。剣を持つ腕を狙うことで、攻撃の機先を制することが目的だ。
「甘いぞ!」
デュドリックはジュリウスが放った突きを左前に跳ぶことで回避すると、その勢いのまま左薙ぎに剣を振るった。
ジュリウスは突きがかわされた瞬間に、デュドリックの次の攻撃を先読みして伸ばしていた剣を引き戻し縦に構えたため、デュドリックの放った左薙ぎはジュリウスが構えた剣へと当たった。しかし、その勢いは予想以上に強く、体重の軽いジュリウスは後ろへと飛ばされる。
「まだだ!」
後方へと飛ばされるジュリウスに、畳み掛けるようにデュドリックが接近しながら袈裟掛けに剣を振り下ろす。
ジュリウスは振り下ろされる剣を自身の剣で受け止める。
甲高い音を立てて交差すると、二人はその状態から押し切ろうと互いに力を籠めた。
「力で勝てると思ったか!」
「フフッ」
腕力においてはジュリウスよりもデュドリックの方が勝っている上に、上から体重を掛けて振り下ろすのと下からそれを持ち上げようとするのでは、後者の方が圧倒的に不利だ。
次第に押し込みつつある状況にデュドリックが半ば勝利を確信して吠えるが、ジュリウスはそれに対して薄く笑って……剣から力を抜いた。
「うぉ!?」
全力で押し込もうとしていたところに急に力を抜かれ、デュドリックはつんのめるようにバランスを崩す。
その隙を突いて、彼の剣の下を滑らせるようにジュリウスの剣が走る。
「くっ!?」
腹の辺りを薙ぐように振るわれた剣を、デュドリックは何とかギリギリのところで後ろに跳んでかわした。
「終わりです」
「舐めるな!」
先程とは逆に、今度はジュリウスがデュドリックを追い掛ける。
それに対して、デュドリックは着地と同時に剣を振り下ろして合わせる。
しかし、それは追い込まれた状態での苦し紛れの対応だった。
「ッ!?」
デュドリックが接近するジュリウスに合わせて振り下ろした剣は、しかし空を切って地面を裂く。
接近して追い打ちを掛けるように見せ掛けて、ジュリウスが急に停まったためだ。
「しまっ!?」
デュドリックは慌てて剣を戻そうとするが時既に遅く、その首筋に軽く剣が当てられる。
これが実戦であれば、首を斬られていたことは明白だ。
「私の勝ちですね」
「チッ……私の負けだ」
淡々と勝利宣言をするジュリウスに、デュドリックも悔しげに表情を歪めながらも敗北を受け入れた。
† † †
「まだ届かぬか」
「いえ、今日はかなり危なかったですよ」
「抜かせ、まだ余裕があるように見えたぞ」
試合を終えた二人は、一旦剣を収めて近付いて話し合った。
敗北を悔しがるデュドリックをジュリウスが慰めるが、彼が素直にそれを受けることは無かった。
「少し休憩を取ったら、第二戦とゆくぞ」
「まだ続けるのですか?」
「当然だろう、負けっぱなしで居られるか。
今日はせめて一本取るまでは続けるぞ」
再戦に向けて気勢を上げるデュドリックだが、午後に予定があるジュリウスは困った表情となる。
しかし、彼がそれを口に出す前に横から声が掛かった。
「それは困りますわね、殿下」
突然の聞き覚えがある声に二人がそちらを向くと、そこには一人の少女が怒りの表情で立っていた。
それは、デュドリックの婚約者でもある公爵令嬢、ディアネットだ。
長い金髪と蒼いドレスが、太陽の光で輝くような彩を放っている。
「!? ディアネット嬢……何故ここに?」
「何故も何も、今日は街への視察に御同行させて頂くお約束でしょう。
お忘れですか?」
「あ……」
驚いたデュドリックが尋ねると、ディアネットからはデュドリックが本来本日予定していた件について言及される。
街への視察と言っても、公務というよりは散策の意味合いの方が強いのだろう。
勿論、次期国王であるデュドリックが、将来の王妃であるディアネットを伴って街を訪れる以上、公務としての側面が完全に無くなることはないのだろうが、彼女のすっぽかされ掛けて怒っている様を見る限りでは逢瀬として楽しみにしていた様子が見て取れる。
それを聞いたデュドリックは思い出したかのように声を上げ、彼女の目が更に釣り上がった。
「それにしても、どうして殿下が此処に居ると?」
「殿下の予定を把握している護衛の騎士の方が、気を利かせて連絡を寄越してくれたのですわ」
ジュリウスはディアネットの答えを聞いて、先程気配を感じた方向に目を向ける。そこには、相変わらずの苦笑した雰囲気が漂っていた。隠れている人物か、あるいはその同僚が彼女に連絡をしたのだと、ジュリウスは判断する。
そもそも、外出の予定があったからこそデュドリックが城を抜け出すことが大目に見られたのであり、そうでなければ途中で止められていたのかも知れない。
彼女が此処に来るまでの時間から考えても、おそらくディアネットとの逢瀬の約束を忘れてデュドリックが城から抜け出した時点で彼女に連絡を飛ばしていたのだろう。
そこまでするなら予定の事をデュドリックに伝えれば良いのではと思わなくもないが、ジュリウスへの対抗心に燃える彼は聞く耳を持たなかったのだろう。
「さ、殿下。行きますわよ」
「ま、待て。忘れていたことは悪かったから引っ張らないでくれ!
ディアネット嬢!」
表情は笑顔のまま、ディアネットはデュドリックの剣を持っていない方の腕を掴むと引っ張り始めた。
「それでは、ごきげんよう。ジュリウス様」
「ごきげんよう、ディアネット嬢」
「ぬぅ……今日はこれまでとするが、いずれ必ずお前に勝つからな!
ジュリウス=ローゼンベルク!」
「楽しみにしておきます。それではごきげんよう、殿下」
ディアネットに引っ張られてゆくデュドリックを苦笑しながら見送ると、ジュリウスは本来行うつもりだった鍛錬を果たすために素振りを始めた。




