03:婚約者
この話のコンセプトですが「キャラ設定がおかしいのに、何故か普通に進んで普通にまとまる話」です。
「ジュリウス様、お久しぶりです」
壁際でマクシアンと談笑していたジュリウスに、一人の少女が近付いて来て可愛らしくドレスの裾を軽く摘まんでお辞儀をする。
彼女の名はエミリーヌ=ヴェルジュ。ヴェルジュ子爵家の令嬢であり、ジュリウスの婚約者でもある。
エミリーヌはジュリウスよりも二つ年下の、まだあどけない少女だ。綺麗よりは可愛らしいという形容が似合う彼女は、薄桃色の髪を背中まで伸ばしており、ワンポイントとして紅い薔薇の花飾りを着けている。
彼女が纏っているのは菫色のシンプルなノースリーブのドレスで、スレンダーな彼女に良く似合っていた。
露わになっている首元を飾る、彼女の髪の色に合わせたピンクダイヤモンドをあしらったネックレスは、過去にジュリウスが贈ったものだ。
声を掛けられてエミリーヌの姿に気付いたジュリウスは一瞬笑顔になるが、すぐに表情を取り繕い優雅に一礼をした上で、彼女の手を取って甲にそっと口付けを落とした。
その行動に、エミリーヌの頬が薄っすらと赤く染まった。
「エミリーヌ嬢、お久しぶりですね。
貴女の美しいお顔を見られぬ間、一日千秋の思いで耐え忍んでおりました」
「そ、そのようなことを仰られると恥ずかしいです」
先程までのマクシアンとのやり取りとは打って変わって、芝居掛かった口上を述べるジュリウス。それは、女性に対する態度を母親から徹底的に仕込まれたが故の半ば条件反射に近い言動だ。ちなみに、彼としては、紳士的で男らしい態度を示しているつもりである。
もっとも、他の者が言えば鼻に付きそうな気障な台詞ではあるものの、ジュリウスが言うと様になっているのもまた事実。周囲で聞き耳を立てていた令嬢達からも、熱の籠ったほぅっという溜息が零れた。
そして、直撃を受けたエミリーヌはその比ではなく、耳まで真っ赤になりながらも何とか言葉を返すことが出来るという有様だった。
しかし、婚約者としてそれなりに長い付き合いを経ているエミリーヌだから、この程度で済んだとも言える。これがもし他の少女であれば、きっと興奮のあまり失神してしまっていたことだろう。
彼の容姿や雰囲気、声にはそれだけの攻撃力が備わっている。
「せっかくの舞踏会です。
お嬢様、よろしければ一曲お付き合い頂けますか」
「ええ、喜んで」
左手を差し出しながら誘うジュリウスに、エミリーヌは微笑みを浮かべ頷いた。
ジュリウスのエスコートにより、二人は壁際から中央の方へと躍り出て舞い始めた。
† † †
ローゼンベルク伯爵家とヴェルジュ子爵家はその納める領地が隣り合っていることもあり、古くから家同士で深い付き合いのある関係である。
そんな二家の間で婚姻を結ぶ流れになったことは自然なことだが、当時十四歳だったエミリーヌがジュリウスとの婚約の報せを聞いた時は、まさに天からの恵みを得たような心地となった。
彼女もまた、ジュリウスの熱烈なファンであったからだ。
エミリーヌはその打診に一も二も無く頷き、その後とんとん拍子に話は纏まっていって彼女とジュリウスは婚約者となった。
彼女の熱意の前に、相手が女性であるという認識は大きな壁にはなり得なかった。
そう、女性だ。
ジュリウスが本当は男性であるという事実を知るのは、彼の家族と彼が生まれた時から仕えている古参の使用人のみであり、それ以外の者達は彼のことを男装している女性であると信じている。
それはもちろんエミリーヌも例外ではなく、彼女もまたジュリウスのことを女性だと思い込んでいる。その上で、婚約を受け入れたのだ。
貴族というのは家の存続を何よりも優先とするものだ。
女性同士では子を為すことが出来ないため、貴族の家に生まれた者であればそのような婚姻は通常であれば望むものではない筈だ。
それを敢えて受けるところに、彼女の熱狂ぶりが窺える。
同時に、ローゼンベルク伯爵家の側でもそのような婚姻は望むものではないという発想に到ってもおかしくない筈なのだが、凝り固まった固定観念によりエミリーヌは今回の婚姻が「ジュリウスが女性であることを隠すためのカモフラージュである」と解釈していた。
婚姻を結べば性別を偽り続けることは難しいが、その結婚相手が隠蔽に協力するのであれば話は別であり、丁度良い隠れ蓑となるだろう。
自身は表向きの結婚生活を送り、ジュリウスは密かに遠縁の親戚と子を為して後継者を作る……そんな不遇な暮らしを送ることを覚悟しながらも、彼女はジュリウスとの婚約を受けた。
憧れのジュリウスの役に立てるのであれば、本望だったのだ。
しかし、エミリーヌが同性愛者なのかと言えばそれは違う。
彼女はあくまでも「ジュリウス」に憧れているのであって、「女性」が好きというわけではないのだ。
「いつもながらダンスがお上手ですね、エミリーヌ嬢」
「ジュリウス様がエスコートしてくださっているからです」
「それは光栄です」
差し出された左手の上に右手をそっと載せながらステップを踏むエミリーヌに、ジュリウスが囁く。
腰に回された手に顔が紅潮するのを必死に抑えながら、エミリーヌは微笑みながら返す。
実際、彼らのダンスは完璧で、周囲の観衆達もいつの間にか踊るのを止めて彼らの方を嘆息しながら熱い視線で見つめていた。
「ペースは大丈夫ですか、エミリーヌ嬢?」
「ええ、大丈夫です。
ジュリウス様に、何処までも着いていきます」
エリザベートにより厳しく教育されてきたジュリウスがダンスが上手いのは当然だが、エミリーヌもそれに匹敵するレベルだった。
それは、ジュリウスの隣に立てるようにエミリーヌが懸命に努力を重ねてきた証だ。
ジュリウスが周囲からの人気が高い反面、その婚約者となったエミリーヌに厳しい目を向ける者も少なからず存在する。
彼に憧れる令嬢は数多いが、大まかに分ければその感情は二つに分けられる。
ジュリウスに対して本気の恋愛感情を抱いているか、それとも偶像としての憧れを抱いているかだ。
比率としては、前者よりも後者の方が圧倒的に多い。現実的な可能性を考えれば実際にジュリウスと恋愛関係になることには様々な壁があり、それを理解している者が殆どということだろう。
憧れを抱く者は更に、自身がジュリウスの隣に居ることを夢想する者と遠くから鑑賞する者などに分けられる。
エミリーヌを敵視しているのは、主にジュリウスに対して本気の恋愛感情を抱いている者や、自身がジュリウスの隣に居ることを夢想する令嬢達だ。
ジュリウスがエミリーヌのことを想い大切にしていることは広く知られているため、彼女達がエミリーヌに対して直接危害を加えるようなことはまずないと言っていい。そんなことをすれば、間違いなくジュリウスに嫌われるためだ。
しかし、もしもエミリーヌが無様な姿を晒せば、ここぞとばかりに彼女がジュリウスの婚約者として相応しくないと騒ぎ立てることだろう。
エミリーヌもそれを理解しているため、隙を見せることのないようにジュリウスの隣に立つのに相応しい完璧な淑女として振る舞うことを心掛け、ありとあらゆる分野で懸命に努力を重ねてきた。
尤も、周囲の者達全てがエミリーヌの敵と言うわけではない。
ジュリウスの家族や周囲の親しい友人達は概ねエミリーヌのことをジュリウスの婚約者として認めていたし、ジュリウスに憧れる令嬢達の中でも二人が並んで立つ姿を暖かく見守る者も多い。
そして何よりも、ジュリウス自身がエミリーヌのことを本当に想っている。
「貴女とこうして踊れるこの瞬間を私がどれだけ幸福に感じているか、伝っているでしょうか。
叶うならば、いつまでもこうしていたい」
「私もです、もしも許されるのなら永遠にこうしていたいです。
いずれお傍に居られない時が来るとしても、どうか今だけは隣に居させてください」
……エミリーヌがジュリウスのことを女性と思っている限り、その想いは本当には伝わっていないのだが。
ジュリウスが幾ら想いを伝えても、エミリーヌは婚約をカモフラージュと認識しているため、本気に受け取られていない。
「傍に居られない時が来るなどと、そのような恐ろしいことは仰らないでください。
貴女が傍に居てくださらなければ、私の胸は張り裂けてしまいます」
「ジュリウス様が私のことを不要と仰るまでは、そのようなことにはなりません」
「ならば、ずっと一緒に居て頂けるのですね。
私が貴女のことを不要などと言う時など、永遠に来ないのですから」
「もしもそのお言葉が真実であれば、どれだけ幸福でしょう」
交わされる噛み合わない会話とは裏腹に、二人のステップは完璧な息の合い方を見せている。
踊るのを止めた観衆の中心で、ただ二人だけが優雅に舞っている。その様子は、彼らがこの舞踏会の主役であるかのようだ。
エミリーヌのことを気に喰わないと考える令嬢達ですら、悔しげにしながらも認めざるを得ない程だった。
「それでは、私の言葉が真実であると信じて頂けるよう、努めて参りましょう」
「ええ、どうか私に信じさせてくださいませ」
周囲から向けられる称賛の眼差しを全身に受けながら、若い恋人達は舞い続ける。
彼らは互いに想い合っていながら、未だ真に心が通じ合ってはいない……。