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麗人の秘密  作者: 北瀬野ゆなき
【第一章:麗人と人々】
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02:誕生秘話

「赤薔薇の貴公子」


 それは、オルレーヌ王国において一昔前に爆発的に流行した一冊の書籍のタイトルである。


 家を継ぐために幼少より男性として育てられた子爵令嬢が主人公であり、性の狭間で苦悩しながらも懸命に生きる姿を描いた創作小説だった。主人公の令嬢の本名はアリスだが、男性として育てられたために作中ではアリオスという名で語られる。

 作者については明かされておらず、様々な憶測を生んでいる作品だ。

 これまでの創作が禁忌として触れて来なかった男女の性差の在り方に踏み込んだその作品はとてもセンセーショナルなものであり、特に貴族婦人や貴族令嬢の間で好まれて多くの熱狂的なファンを得ていた。


 熱狂的なファン達は主人公を「アリオス様」と呼び、他のファン達と「彼」に対する想いを熱く語り合った。勿論、彼女達の前で様付けを怠れば恐ろしい目に遭うことは言うまでもない。


 エリザベート=ローゼンベルクもそんな「赤薔薇の貴公子」の熱狂的なファンの一人だった。


 侯爵家の次女として生まれ育った彼女は、金髪のやんわりとしたウェーブが特徴的な、穏やかな性格でふんわりとした笑顔が魅力的な女性だ。

 小柄な外見も相まって年齢のわりにかなり若く……と言うより、幼く見られることが多い。既に一児の母となった彼女であるが、未だに十代と言っても疑う者は殆ど居ないだろう。

 穏やかで少し天然気質なところもある彼女だが、その一方で一度思い込んだら一直線な部分があり、度々周囲の者達を混乱に巻き込んでいた。

 当時、ローゼンベルク伯爵家に嫁いだばかりの十代の頃にこの本を初めて読んだ彼女は完全に嵌まってしまい、その熱狂ぶりは何処に行くにも本を持って歩く程だった。


 そんな彼女が夫であるエルネスト=ローゼンベルクとの間に一人の男の子を産んだ時、彼女は思った──




 ──あれ、この子アリオス様に似てるかも、と。



 勿論、錯覚だ。そうでなければ、妄想だ。

 全体的にエリザベートに似た雰囲気で将来が楽しみな容姿の子ではあるが、生まれたばかりの赤ん坊に無茶を言うなというものである。

 そもそもの話として、「赤薔薇の貴公子」という本は小説であり絵本ではないため、主人公アリオスの姿を絵として見ることは出来ない。

 エリザベートが似ていると思ったアリオスは、小説の描写を元にした彼女の妄想の産物だ。


 しかし、エリザベートはその妄想と錯覚を信じて突き進んでしまう。思い込んだら一直線の彼女の性格が、ここぞとばかりに悪い方へと働いていた。

 そう、彼女は生まれたばかりの子──ジュリウスを男性として育てようと心に決めたのだ。


 もしもこの時、彼女の頭の中を覗ける者が居れば突っ込んだことだろう──その子は元から男の子だ、と。


 無論、人の頭の中を覗くようなことは誰にも出来ないため、残念ながら彼女に突っ込みを入れる者は居なかった。そして、彼女を止められる者も……。


 なお、赤ん坊の名前を「アリオス」にしようとしたエリザベートの企みを、すんでのところで阻止したローゼンベルク伯爵のファインプレーは称えられて然るべきだろう。



 男の子であるジュリウスを、エリザベートは男性として育てようとしている。

 これが仮に、女の子を男性として育てようとしたり、あるいは逆に男の子を女性として育てようとしたのであれば、それは咎められるべきことであろう。

 もしも彼女がそのようなことをしようとすれば、ローゼンベルク伯爵も流石に止めた筈だ。

 倫理的な点で考えてもはばかられることである上に、性別を偽って育てることに何のメリットも無いのだから当然だろう。

 確かにこの国では一部の例外を除いて後継ぎは男子と定められているが、仮に男子が居らず娘しか居なかったとしても、婿養子を取れば直系の存続は出来る。

 加えてそもそもの話として、ジュリウスは男子であるのだから父親であり当主である伯爵にとってはそのまま彼を後継ぎにすれば良く、余計なことをする必要は一切ない。

 伯爵であっても他の者であっても、仮にエリザベートが生まれてきた子の性別を偽って育てるようなことをしようとしても、それに賛同するものは居なかったことだろう。


 しかしその点、彼女は男の子を男性として育てようと目論んでいるのだから、その事自体には問題があるようには思えない。ごく当たり前のことだ。

 それが一体何故あのような結果に繋がるのか。

 真実を知る身内の者達が後から振り返っても、その原因と結果の間に繋がる糸が見えずに首を傾げるしかなかった。

 げに恐るべしは、狂信者の域まで昇華された熱狂的なファンの執念か。




 † † †




 エリザベートがジュリウスに施した教育は多岐に渡る。

 剣術、馬術、文学、歴史、算術、美術、音楽、マナー等々、実技から座学まで幅広い範囲での英才教育が彼に施された。

 勿論、普通の貴族婦人であるエリザベートがそれらの専門知識全てに精通しているなどということはなく、彼女自身が直接ジュリウスに指導したというわけではない。実際には各教科にはそれぞれの教師が付き、担当していた。

 それでも、エリザベートはジュリウスが受ける授業には必ず立ち会うようにしていた。これは、普通の貴族婦人としてはかなり異例な行動である。そうして彼女は、教育方針に横やりを入れて自分の望む方向に進むようにコントロールしていたのだ。


 ジュリウスが学んだ科目自体は貴族子息に相応しい教養を身に付けるためのものであり、それ自体は特別なものではない。貴族の家に生まれた男子であれば程度の差はあっても誰もが受ける類いのものだ。

 しかし、エリザベートの手が加わることで、その教育は微妙に斜めの方向へと進むことになる。



 例えば剣術においては……。


「貴族たるもの、常に流れるような動作で優雅に振舞うことを心掛けるの」

「はい、母上」

「はしたないので足を必要以上に広げないようにね」

「え? はしたない? ええと、分かりました」

「お、奥様……?」


 ジュリウスや教師が首を傾げるような指示も少々混ざったものの、貴族として優雅な立ち居振る舞いを求めることは基本姿勢としては決して間違っていない。

 それ故に、二人も内心で疑問符を浮かべながらも明確に反論することは出来なかった。


 尤も、時折は流石に対応出来ない無茶な要求が出てくることもあった。


「汗を掻くのも最小限にしましょうね」

「そ、それはかなり難しいのですが……」


 エリザベートの指示に、冷や汗を掻きながら返すジュリウス。教師の方もジュリウスと同じように冷や汗を掻き、どうして良いか分からずに曖昧な笑みを浮かべていた。


「他人に密着されては駄目。軽やかにかわすようにしてね。特に胸の辺りに触れられないように気を付けてね」

「何故胸をそんなに強調するのですか?」

「男性に触れられるなんて、もっての外だもの」

「それはまぁ、敢えて男に触られたいとは思いませんが……」



 例えばダンスにおいては……。


「優雅な動作はしなやかさの中に生まれるの。

 ステップは真っ直ぐではなく弧を描くように」

「はい、母上」

「女性側のステップについても実践で学びましょうね。

 それを知ることで、相手を思い遣るエスコートが出来るのよ」

「分かりました」



 エリザベートの教育は実技のみではなく座学においても手を抜くような手落ちはしない。


「あの、母上?

 登場人物の心情についての出題は分かるのですが、何故先程から出題が全て女性の心情に偏っているのでしょうか?」

「……女性の心情を知り抜いてこそ、真の紳士として振る舞えるの」

「な、なるほど……」


 そうした数々の教育の結果、ジュリウスは見事エリザベートの目論み通り、中性的な魅力溢れる青年に成長したのだった。

 当人や周囲の者達が何かがおかしいと気付いた時には、既に手遅れだった。

 彼女以外の全ての者達が頭を抱えたことは言うまでもない。




 † † †




 エリザベートの目論みは教育だけには留まらない。

 ジュリウスが生まれてしばらく経ってからの噂は、彼女が意図的に広めたものである。

 しかし、何も彼女が自分自身で女の子を男性として育てていると吹聴して回ったと言うわけではない。


 彼女はただジュリウスが生まれた直後に社交の場などで、彼のことを「可愛らしい」とか「綺麗」といった女の子によく使う表現をもって自慢しただけだ。

 その後、ローゼンベルク伯爵家の跡取りとして正式な告知が為された時には、既に彼女から先に話を聞いていた令嬢や婦人達には生まれたのは女の子だという先入観が形成されていた。

 もちろん、告知を聞いた彼女達はエリザベートに対して子供の性別について問い掛けたが、彼女は哀しげに俯いたまま答えなかった。

 その様子に想像力豊かな貴族女性達は様々なエピソードを妄想し、あっと言う間に噂を広めてしまったのだ。

 ……それが、エリザベートの掌の上であるとも知らず。


 噂のことを知ったローゼンベルク伯爵は当然ながらそれを否定する。元々が根も葉もない噂であり、その時はそれで収まったため、彼もその様子を見て油断してしまった。

 まさか、その噂が密かに燻っていて数年後に再燃するなどということは、誰もが予想していなかったのだ。

 たった一人、エリザベートを除いて。

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