19:遠乗り
ジュリウスがエミリーヌと遠乗りに出かける約束をした日、エミリーヌは朝から落ち着かない時間を過ごしていた。
戦地に赴いた彼のことを心配して眠れぬ日々を過ごしていた彼女は、オルレーヌ王国の勝利とジュリウスの上げた功績の報せを聞いて歓喜と安堵に包まれた。
しかし、凱旋するジュリウスの様子を見ようと思ってもあまりに人が多過ぎて近付けず、遠目に見ることしか出来なかった上に、その後数日間彼に会うことが出来なかったため、焦れていたのだ。
想いを募らせるあまり、はしたないことを承知の上でローゼンベルク伯爵家の屋敷に押し掛けようかと思い始めていた頃、ジュリウスからの誘いの手紙が届いた。
勿論、エミリーヌはその誘いに一も二もなく了承の返事を書き、ジュリウスとエミリーヌが遠乗りに出掛ける日取りが決まったのだ。
屋敷まで迎えに行くというジュリウスの言葉を受け、エミリーヌは屋敷の門の前に立って彼を待っていた。
通常、貴族令嬢が屋敷の前で待つなどと言うのはまずしないことなのだが、待ちきれなくなってしまった今の彼女を責める者は居ないだろう。
そして、屋敷の前で待っていたからこそ、エミリーヌは素晴らしい光景を目にする機会を得られた。
「エミリーヌ嬢! お久し振りです。
わざわざ屋敷の前で待っていて下さったのですか?」
馬に乗って屋敷の前に乗り付け、横向きになった馬上からエミリーヌの姿に気付いて声を上げるジュリウス。
しかし、エミリーヌはそれに言葉を返すことが出来ずに、ただただ茫然として彼の姿を眺めていた。
「………………」
眩いばかりの純白の毛並みを持った美しい白馬、その上に軽いウェーブの掛かった金髪を風に流して跨る美貌の麗人。
軽装だが仕立ての良いシャツに、護身用でありながら装飾を施された剣。
凱旋の時に馬に乗っていたジュリウスの姿を見て、荘厳な一枚絵のようだと思ったものは多い。
だがもしも、その者達が今の彼の姿を見れば、先の光景など吹き飛んでしまっていたことだろう。
それ程までに、白馬に跨ったジュリウスの姿は完成されていた。
エミリーヌのような少女にとって、白馬に乗る男性というのは憧れであり理想だ。
生産が少なく白馬が希少なオルレーヌ王国においては、御伽噺の中の描写にしか存在しない半ば伝説の存在でもある。
ましてや、それに乗るのが憧れの人であるジュリウスだと言うのだから、これ以上は存在しない。
親衛隊を始めとする令嬢達であれば、今のジュリウスの姿を見るためであればどんな代償も支払ったであろうし、吟遊詩人であれば謡い、芸術家であれば絵や彫刻の題材とすることを切望しただろう。もしも絵や彫刻が創られれば、同量の金を支払ってでも手に入れたいと思うものも居たかもしれない。
「エミリーヌ嬢?」
「!? あ、申し訳ありません。ジュリウス様。
あまりに立派だったので、思わず見惚れてしまいました」
白馬から飛び降りてエミリーヌの前に立ったジュリウスが、顔を赤くしてぼーっとしたままの彼女に問い掛けると、エミリーヌはハッと我に返った。とはいえ、思わず本音をそのまま口に出してしまうくらいには、内心は落ち着いていない。
「ああ、この白馬ですか。
今回の戦争の功績で、陛下より賜ったものです。
私には過ぎたものかとも思ったのですが、折角なので有り難く乗らせてもらうことにしました」
エミリーヌは白馬にまたがったジュリウスの姿を指して立派な姿と言ったのだが、ジュリウスは乗っていた白馬について言われたものと受け取り、謙遜して返した。
「過ぎたものなどと、とんでもありません!
この素晴らしい白馬はジュリウス様にこそ相応しいです!」
「そうですか?
それなら、嬉しいですね」
仮にこの場に他の令嬢達が居たならば、エミリーヌと同じ意見を持ったことは間違いないだろう。実際、ここまで見事に白馬を乗りこなすことが出来るのは、彼以外には存在しない。
「遅れましたが、ジュリウス様。
この度の戦勝と功績、おめでとうございます」
「ありがとうございます、エミリーヌ嬢」
「無事にお戻りになったこと、心から安堵しました」
「エミリーヌ嬢にまたお会いすることを心の支えにしておりました。
功績を上げて無事に戻れたことも、貴女のおかげです」
「まぁ、ジュリウス様ったら」
勝利と無事を寿ぐエミリーヌの言葉に、ジュリウスは微笑みながら答えた。
そこに軽く織り交ぜられた口説き文句に、エミリーヌは思わず顔を赤くする。
「さて、こうしてお話しするのも心が躍りますが、折角なのでもっと静かな場所で語り合うとしましょう。
王都の南に綺麗な湖畔がありますので、今日はそこまで足を延ばしたいと思います」
「楽しみですわ。
それでは、お願い致します」
会話を切り上げて遠乗りに出発しようというジュリウスの言葉に、エミリーヌも頷いた。
ジュリウスはひらりと飛び上がって馬上に身を移すと、そこから身を屈めてエミリーヌに手を差し伸べる。
エミリーヌが反射的に差し出された手に自らの手を載せると、ジュリウスはそっと手を引いて彼女の背に手を回して抱えると、馬上へと導いた。
「きゃ!?」
細身に見えるジュリウスの姿からは予想も付かない力強さで抱き上げられたエミリーヌは、思わず小さな悲鳴を上げた。
更に、彼女が乗せられたのは手綱を持つジュリウスの前で、横座りになるような形で抱えられている。
比較的小柄なエミリーヌだからこそ出来る乗り方だが、通常通りに後ろに乗るものだとばかり思っていた彼女は予想外の姿勢に硬直する。
この姿勢だと、ジュリウスに常時抱き抱えられて密着することになるため、エミリーヌが緊張するのも無理はなかった。
「あの、ジュリウス様?
まさか、この格好のまま……」
「ええ、後ろだと揺れが激しいですから。
大丈夫、このくらいならずっと抱えていることも出来ますよ」
エミリーヌが案じたのはジュリウスの腕を心配していたわけではないのだが、真っ赤に染まった彼女の顔には気付かないジュリウスは勘違いしたまま問題ないと判断してしまう。
「さぁ、行きますよ」
そしてそのまま、手綱を引いて白馬を歩かせ始めた。
なお、エミリーヌが冷静であれば抱き抱えられて密着することでその感触からジュリウスが女性でないことに気付いたかも知れなかったが、羞恥と緊張で冷静さを失っていた彼女がそれに気付くことは無かった。
† † †
「うわあ」
目的の湖畔に着いたエミリーヌの第一声はそれだった。
澄み切った湖は暖かな太陽の日差しを受けて輝き、鳥の鳴き声が朗らかな陽気に彩を添える。
気温も程良く涼しい風が流れ、草花を軽く揺らしていた。
ジュリウスの手を借りて白馬から降りたエミリーヌは、その幻想的な光景に夢中になって水辺へと駆け寄った。
そんな彼女の姿を微笑ましく眺めながら、ジュリウスは白馬を近くの樹に繋いでから後を追い掛ける。
「見てください、ジュリウス様!
水がこんなに綺麗です」
「冷たくはないですか?」
「いいえ、温かいくらいです。
あ、あそこに魚が泳いでます!」
水際でしゃがみ込んで手で水を掬いながら嬉しそうにジュリウスに話し掛けるエミリーヌ。透明な湖の中で太陽の光を受けてきらりと光る魚の姿に喜色に満ちた声を上げていた。
「気に入って頂けましたか?」
「はい、とっても!」
問い掛けに振り返りながら満面の笑みを浮かべる
エミリーヌに、ジュリウスは思わず心臓が高鳴るのを感じた。
屈託のない彼女の笑顔は、それほどに魅力に溢れていた。
普段はジュリウスの傍に立つに相応しい淑女であろうと緊張していることの多いエミリーヌだが、今この時は感動のあまり素に戻っていた。
「それは良かったです。
今日という日は記念すべき日にしたいですから」
「え?」
意味深なジュリウスの言葉を聞き、ふとエミリーヌの脳裏に、彼が戦争に参加する直前の夜に屋敷の裏手で告げられた言葉が蘇ってきた。
『帰ってきたらリボンをお返しするのと一緒に、指輪を贈らせて頂こうと思います』
奇しくもちょうど今エミリーヌが身に付けている、過去にジュリウスから贈られたペンダントとイヤリング。それに加えて戦争から戻ったら指輪を贈る約束。
そこから導き出される答えは、ジュリウスが今彼女に婚姻の申し入れをしようとしているということに他ならない。
「え、あ、あの……」
エミリーヌも事前にそのことは聞いていたものの、久し振りにジュリウスに会えることで頭が一杯になってしまい、今日この場でそれが為されるとは想像していなかった。
しかし、彼女の方も申し込まれるそれを断るつもりなど毛頭無い。何故なら、エミリーヌもまたジュリウスと一緒になることをずっと夢見ていたからだ。たとえ相手を女性であると思い込んでいたとしても。
動揺を見せ掛けたエミリーヌだが、胸元に手を当ててから一度大きく息を吸って吐いて気持ちを落ち着かせた。
澄んだ湖畔のほとりで、一組の男女が向かい合って共に見つめ合う。
しばらくそうして無言でお互いを見ていたが、徐にジュリウスはエミリーヌの手を取って語り掛けた。
「あの時お預かりしたリボンと一緒に、指輪を贈らせてください。
そして願わくは、私の伴侶として隣に立って生きてください」
そう言いながら、ジュリウスは懐からエミリーヌのリボンと彼女に贈るための指輪の箱を取り出そうとする。
しかし、それが取り出されることは無かった。
<次話投稿予定>
2016年2月11日午前7時




