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麗人の秘密  作者: 北瀬野ゆなき
【第二章:麗人と日々】
10/28

10:予兆

「ジュリウス様、そろそろお夕食のお時間です」


 夕刻、お茶会を終えて屋敷に帰ってきたジュリウスが自室で過ごしていると、侍女長のパーラが扉をノックし夕食の時間を告げた。


「ああ、分かった。今行く」


 ジュリウスは読んでいた本に栞を挟んで閉じ、読書机の上に置いて立ち上がる。

 彼が扉を開けて廊下に出ると、扉の前で待っていたパーラが一礼した。


「それでは、食堂にどうぞ。

 既に、旦那様も奥様もお待ちです」

「ん? 母上はともかくとして父上まで居るのか?

 この時間に珍しいな」


 パーラの言葉に、ジュリウスは疑問を抱いた。

 ローゼンベルク伯爵家の家族全員が夕食時に揃うことは、そう多くない。

 特に家族それぞれがとても忙しい社交のシーズンにおいては、ここ数年記憶に存在しない。

 これはローゼンベルク伯爵家が特別なわけではなく、他の貴族の家でも同じだろう。


「旦那様は本日王城の方に赴かれていたのですが、そこで何かおありであったようで急ぎ戻られたのです。

 何やらとても難しい表情をなさっておられました」

「ふむ、気になるな。

 ……まぁいい、とにかく急ぐとしよう」


 パーラとジュリウスは、いつになく足早で食堂へと向かった。




 † † †




 ジュリウスが食堂の席に着くと、ウェイターの手によって食前酒が注がれる。

 それに軽く口を付けると、ジュリウスは父であるローゼンベルク伯爵に気に掛かっていたことを問い掛けた。


「父上、今日はいつに無く戻りが早いようですが、何かありましたか?」

「ああ。今日は王城の方へと行っていたのだが、そこで気になる話を聞いてな。

 お前達にもこのことを話しておかなければならんと思い早目に切り上げてきたのだ」


 ジュリウスの問い掛けに、ローゼンベルク伯爵は鷹揚に頷くと前菜の皿にフォークを伸ばしながら、そう答えた。


「気になる話、ですか」

「一体何なのですか、貴方?」


 父親が予定を切り上げて屋敷に戻ってきた理由は分かったが、その内容までは今の話だけでは分からない。しかし、彼の口振りからかなり重大なことが起こっていると感じ取り、ジュリウスとエリザベートは姿勢を正した。

 実際、このようなことを彼が言い出すのは、今回が初めてのことだ。


「うむ、まだ確たる情報は得られてないのだが……戦争が始まるやも知れん」

「──────ッ!?」


 豆をこして作られたスープをスプーンで掬いながら、一段低い声で告げられたローゼンベルク伯爵の言葉に、エリザベートが思わず息を呑む。

 ジュリウスも声や表情には出さなかったものの、内心では激しく動揺していた。


「戦争……ラクシュルス大公国との、ですか」


 現在の情勢でオルレーヌ王国と戦争になる可能性があるのは、隣接する三国の中ではラクシュルス大公国だけだ。そのため、ジュリウスはそう推測して確認の声を上げる。

 果たしてジュリウスの言葉を受けたローゼンベルク伯爵は頷きで返した。


「元々ラクシュルス大公国と我が国は対立関係、小競り合い程度であれば珍しいことではない。

 しかし、今日私が聞いた話では、密偵の調べでラクシュルス大公国がこれまでとは規模の異なる軍備を整えつつあることが判明したそうだ。

 彼の国が軍備を整えて攻め込むとしたら、我が国しかあるまい」

「確かにそうですね」


 オルレーヌ王国がラクシュルス大公国、ディオアト―ル帝国、エイン王国と隣接しているように、ラクシュルス大公国を基点に考えれば、オルレーヌ王国、ディオアト―ル帝国、エイン王国の三国が隣接している国となる。

 ディオアトール帝国は内戦により他国に不干渉となっているが、四ヶ国の中では国土、軍事力共に頭一つ抜けており、敢えて攻め込む物好きは居ない。帝国からの手出しがない現状が最適の状態であり、下手に手を出せば火中の栗を拾う羽目になりかねないためだ。

 オルレーヌ王国と友好国であるエイン王国もまたラクシュルス大公国とはあまり友好的ではないが、ラクシュルス大公国は交易をエイン王国に頼っている部分があり、積極的に敵対関係を強めることは考え難かった。

 そういった事情もあり、ラクシュルス大公国が目下標的として定めているのがオルレーヌ王国であることは、誰もが理解している。


「我が国も国境警備を増強しては居るものの、実際に戦争が始まれば時間稼ぎ以上にはならん。

 国境警備隊が時間を稼いでいる間に援軍を編成して、本格的な交戦に入ることになるだろう」

「徴兵が行われるのですか」


 オルレーヌ王国の軍は王都や国境を守る常設軍と、有事に際して各領地から徴兵を行い編成される特別編成軍に分けられる。

 王都を守る兵を別の場所に割くことには限度があるため、国境警備隊による対処が追い付かない場合には特別編成軍を編成して増援とするしかない。

 特別編成軍の母体は各領地の私兵や領民が大半となるため、必然的にその指揮系統には領主やその親族が組み込まれることが多くなる。

 そうなれば、現在社交のシーズンのために王都に集まってきている貴族達にとっても、最早安穏とはしていられなくなるのは間違いない。


「今は社交のシーズンではあるが、情勢によっては中止となるやもしれん。

 お前達もそのつもりで行動しておきなさい」

「分かりました、父上」

「分かったわ、貴方」


 メインディッシュの濃厚なソースが掛かったステーキを切り分けながら重々しい表情でそう告げるローゼンベルク伯爵に、ジュリウスとエリザベートは神妙な顔でそう答えた。


「それと、このことは現状では他言無用だ。決して誰にも告げてはならん。

 あくまで兆候があるというだけで、確定したわけではない話であることも忘れるな」

「承知しています」




 † † †




「戦争……か」


 食事を終えて私室に戻ったジュリウスだが、先程まで読んでいた本の続きを読む気にはならなかった。

 服を纏ったままでベッドの上に仰向けに寝転がり、天井を見上げる。

 脳裏には夕食時にローゼンベルク伯爵から告げられた、ラクシュルス大公国との戦争の話が自然と浮かんだ。

 伯爵はまだ確定したわけではないと言っていたが、ラクシュルス大公国が軍備を整えている事自体は事実である。

 軍備を整えるだけ整えて何も事を起こさないということは考え難く、戦争が勃発するのは時間の問題なのだろう。


 オルレーヌ王国とラクシュルス大公国は長らく敵対関係にあり、幾度となく小競り合いを繰り返してきたが、近年はその全てが国境警備隊のみで対処されて特別編成軍が編成されたことはない。

 当然、ジュリウスのような若い世代の貴族は、戦争に参加した経験など一度もない者ばかりだ。


 オルレーヌ王国の貴族は名誉を重視するが、あくまでも貴族の本分は家系の存続が第一である。

 戦争のような命の危険を伴う事態において、それらの二つの事項は相反するものとなる。

 名誉を考えれば積極的に戦争に参加して戦果を挙げるべきだが、もしもその戦いで当主や長子が死亡しては家系の存続が危ぶまれるからだ。


 しかし逆に考えれば、家系の存続を最低限確保出来れば名誉を得るために積極的に参戦するべきということになる。

 ローゼンベルク伯爵家で言えば、現当主であるローゼンベルク伯爵と後継者のジュリウスのどちらか一方が生存して居れば、取り敢えず家系の存続は可能だ。

 ローゼンベルク伯爵も壮年ではあるものの、未だ子を為すことが可能な範囲だ。

 徴兵免除税を支払えば家系から戦争に参加する者を全く出さないことも出来なくはないが、それは体面に差し障りが出る。


「父上か、私か」


 天井を見上げたまま考え込んでいたジュリウスが、ぽつりと一言漏らした。


 ローゼンベルク伯爵とジュリウスと、戦地に赴くのであればどちらであるべきか。ジュリウスはそれを考え込んだ。

 家系の存続だけを考えるのであれば、歳若いジュリウスが残るべきだろう。ローゼンベルク伯爵が未だ子を為すことが可能な年齢であるとは言え、新たに生まれた子が家を継げるような年齢になるまでには時間が掛かるため、相応にリスクがある。

 しかし、名誉ということで考えれば、既に一定以上の評価を得ている現当主ではなく、次期当主であるジュリウスが戦地に赴く方が意味がある。

 そして、ジュリウスにはそれ以上に名誉が欲しい理由があった。


「エミリーヌ嬢……」


 可憐な婚約者の顔が脳裏に浮かぶ。

 未だ彼女に性別を誤認されたままであるジュリウスとしては、何とか男らしさのアピールがしたかった。

 もしも箔を付けるだけの戦果が得られれば、胸を張って彼女に婚姻を申し入れることが出来るだろう。

 勿論、戦場に出れば命を落としてしまえば元も子もないのだが、同時にジュリウスにとっては命を懸けるだけの価値があることでもある。


 生存か、名誉か。

 二律背反の問題に答えが出ないまま横になっているうちに、ジュリウスの意識は遠退いていくのだった。

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