01:男装の麗人
【「邪神アベレージ」WEBの完結分まで刊行記念】連載です。
ただし、話自体は全然関係ない微勘違いの恋愛モノです。
ある人物が自分自身をどう思っているかと他者からその人物がどう思われているかの認識は、必ずしも一致するとは限らない。
いや、むしろその両者の認識は、程度の差はあったとしても乖離するのが当然と言うべきだろう。
その認識の差が微少であればあるほど、意志の疎通は比較的容易に出来る筈だ。
しかし逆に両者の間に大きな認識の相違があれば、たとえ百言を尽くしたところで真に心が通じ合うことは無いだろう。
† † †
「見て、ジュリウス様よ!」
「ジュリウス様!? 何処、何処ですの!?」
「あちらの壁際に立っておられるわ!」
「ああ、相変わらず麗しい御姿!」
舞踏会の会場となっている大広間の一角で壁を背にして立つ「青年」の姿を見掛けた、色彩鮮やかなドレスを纏った年頃の少女達が騒ぎ立てた。
彼女達が上げた黄色い歓声はそれが向けられた当人の耳にも届いたらしく、その「青年」は額に手を当てて嘆息する。
しかし、そんな悩む仕草さえもが非常に絵になっており、少女達は落ち着くどころか逆に更に興奮して騒ぎ始めた。
「ああ、頭に手を当てて溜息を吐かれてますわ!」
「憂いを秘めた表情も麗しいです!」
「素敵……っ!」
「何を悩まれているのかしら? 私にご相談頂ければ、幾らでも御力になりますのに!」
彼女達が注目している「青年」は、年頃の少女達が騒ぐだけのことはあり、非常に美しい容貌をしていた。
その顔立ちは男性的な魅力に溢れているというよりは、線の細い中性的な美貌と呼ぶのが相応しく、目鼻立ちはスッと整っている。
今は憂いの表情で細められているが、蒼い瞳はまるでサファイアのような輝きを放っていた。
長い金髪はゆるやかなウェーブを描きながら流されており、その顔立ちと相まって優美な雰囲気を醸し出している。
身長としては平均より少し高い程度だが、スラッとした体格のためか実際の身長以上の長身に見えた。
その体格は一見華奢に見えるものの、見る者が見れば鍛え上げられたしなやかな筋肉が秘められていることに気付くことだろう。
外見から見て取れる歳の頃は、おそらく二十歳前後といったところだった。
「彼」の名はジュリウス=ローゼンベルク。
オルレーヌ王国の貴族の家系、ローゼンベルク伯爵家の嫡男である。
しかし、「彼」のことを男性であると認識している者は、この国にはほとんどいない。
『他に跡取りが居ないローゼンベルク伯爵は、家を直系に継がせるために生まれたばかりの娘を男子として育てた』
それは、誰もが知る公然の秘密だった。
きっかけは「彼」がローゼンベルク伯爵家に生まれて少し経った頃、何処からともなく貴族社会へと広まった、根も葉もない噂だ。
その当時は単なるゴシップの一つとして僅かに話題になった程度でしかなく噂も直に自然と消えたのだが、その後に問題の人物が社交界に姿を見せた途端、噂は急速に現実味を帯びて再燃することとなった。
それほどまでに、姿を見せた「少年」は颯爽としていて美しく、とても男性には見えなかったのだ
「男装の麗人」──「彼」を知る者なら、これ以上に相応しいものはないと誰もが頷く言葉だろう。
男装の麗人とは、女性の身でありながらその豊満な胸を布できつく押さえ付け、ドレスの代わりにシャツとスラックスを纏い、あたかも男性であるかのように装う人物を指す。
しかし、たとえ身に付けた衣装が男性のものであっても、その立ち居振る舞いからは自然と女性特有の「しな」が表れる。
それは時として中性的な妖しい魅力となり、老若男女を問わずに魅了するのだ。
事実として、ジュリウスに対して憧れの気持ちを持つ者は数多い。
特に歳若い少女達からのジュリウスの人気は絶大であり、彼に憧れる者で構成された「親衛隊」と呼ばれる集団が密かに形成される程だった。
勿論、ジュリウスは貴族ではあっても王族ではないため、本来の意味での親衛隊が付くようなことはない。あくまでも本来の親衛隊を模したにすぎない有志による非公式かつ非公認の集団である。
もっとも、単なる有志の集まりの筈のその集団に、この国の王太子の親衛隊の倍近い人数が集まっている時点でとても笑い事には出来ない。
なお、「親衛隊」の構成員は歳若い少女達が中心であるため、当然ながら武力と呼べるようなものは保有していない。しかし、オルレーヌ王国の貴族令嬢の大半が所属しているという恐ろしい集団であるため、下手に敵に回すとあっと言う間に身の破滅を招く恐れがある。
実際、とある子爵の次男がジュリウスに対して無礼に振る舞った時など、国中の令嬢達から反発を受け、婚約者からは婚約破棄された上に、家は取引先から取引を打ち切られるなどの騒動に繋がったことがあった。
かように、ジュリウス=ローゼンベルクは、その「本来の性別」を公然の秘密として認識されながらも、「男装の麗人」として周囲の憧れの的となっている。
しかし、公然の秘密とは別にもう一つ、「彼」には極々限られた身内だけが知る秘密が存在する。
それは──
──「彼が本当に男性である」ということだ。
† † †
「はぁ……またこれか」
ドレスを着た少女達から向けられる黄色い歓声に、舞踏会の広間の一角で壁を背に立つジュリウスは頭に手を当てながら嘆息した。
「相変わらず凄い人気だね、ジュリウス」
「勘弁してくれないか、マクシアン」
隣に立つジュリウスの友人、マクシアン=エヴリヤックが称賛混じりの軽口を向けてくるが、脱力気味の答えしか返せなかった。
マクシアンはエヴリヤック侯爵家の次男であり、ジュリウスの幼い頃からの友人である。
薄い茶色の短い髪をした青年であり、彼もまた整った顔立ちをしているが中性的なジュリウスと比較するとこちらはまだ男性的な魅力を放っていた。
同い年ではあるが、ジュリウスよりも身長は少し高く、体格も大きい。
「照れなくてもいいじゃないか」
「いや、私は別に照れてるわけではないんだが……」
ジュリウスとしても、男として美しい少女達から好意的な目で見られることについては嬉しいことだと思っている。
……ただし、その視線が「男性としてのジュリウス」に対してのものであればの話である。
今少女達から彼に向けられているのは「男装の麗人ジュリウス」に対しての好意であり、現実の彼自身に向いているものとは少し違う。言ってみれば、存在しない架空の人物に向けられているようなものだ。
それ故に、どれだけ好意的な視線を向けられてもジュリウスとしては複雑な心境で、素直に喜べるものではなかった。
「はぁ……」
「?」
そして、これは何も昨日今日に始まった話ではない。
物心が付いてしばらくしてから、ジュリウスは自分が周囲から女性だと思われていることに気付いた。
いや、正確には「女性なのに男性として振る舞っている」ように思い違いをされているのだ。
勿論、彼自身は自分を男性であると正しく認識しているため、そのような思い違いについてはきっぱりと否定した。
否定したのだが──
『君達。なにやら誤解されているようですが、私は男ですよ』
『ああ、おいたわしやジュリウス様。
お家のためにご自分を犠牲にして、そのようなことを仰っているのですね』
『う、うん? 本当に分かっているのですか?
私は男だと言ってるんですが……』
『はい、勿論分かっておりますわ。
他の者にもそう接するように徹底させますので、ご安心ください』
『……分かってないな、これは』
『? どうされたのですか?
そのようなお顔をされて。
私達に何か出来ることがありましたら、どうぞ遠慮なく仰ってください』
『……いや、もういい』
ジュリウスが何度自身が男性であると告げても、周囲からは家を継ぐために自分を殺して男性として振る舞う健気な女性として受け取られてしまい、本気として受け止めてもらえない。逆に同情されてしまう始末だ。
一度定着してしまった人の思い込みというものは、かくも覆すことが難しい。そのことをジュリウスは常々痛感している。
身体は間違いなく男性なのだから、例えば服を脱いで裸になってみせれば周囲の誤解を解くことは出来るだろう。
しかし、幼少より貴族の子息として常に優雅に振る舞うことを厳しく躾けられているジュリウスに、人前で裸になって誰彼構わず身体を見せるというのは出来ない話だった。
同様の理由で、誰かに身体を触らせて分からせるというのも論外である。そもそも、かなり際どい部分を触らせなければ性別についての誤解を解くことは不可能だろう。
尤も、実際には彼が受けてきた教育というのは、とある事情により通常の貴族男性が受けるそれと比べると大分偏ったものであったりするのだが。
そんなわけで誤解を解くことは出来ず、結局ジュリウスが男性であることを知るのはごく一部の身内のみであり、大多数の人からは男装の麗人として見られることとなっていた。
「……やれやれ」
今日も周囲から黄色い歓声を浴びながら、「男装の麗人」ジュリウスは溜息を吐くのだった。