彼女が決して後悔しない所以
長時間フライト中に書いた1話! 笑
今回時雨さんはお休みですね。
雨足がどんどん強くなっていく。
バラバラというような轟音に変わりつつある雨音の中、私はぐんぐん足を進めていく。
地面を足が離れると同時に、小さな水しぶきが私の後ろに流れていく。
…思ったより冷静だったな。
普通とは言えない特殊な環境。
そこで育ったものの定め。
ただ記憶を取り戻すだけ、そのはずなのにこんなにも突拍子もなくなってしまうのは、やはり『旧藤原家』であることの宿命だろうか。
狼狽え、戸惑った様子を見せながらも、どこか納得していた。
たぶん、彼自身どこかで普通じゃないこの家柄を察していたのであろう。
本当に…
失ったものがあるとはいえ、そういうところは聡いというか、なんというか…
一人暮らしのマンションの前。
その人を見つけたのは偶然ではないだろう。
今の時代珍しい和装姿に、和傘、足元の下駄は水でびしょ濡れになっているが、そんなのもお構いなしに雨の中突っ立っている。
男は私がこちらに歩いてくるのを見て取ると、ゆっくりとこっちへ体を向けた。
残り数メートルという距離。
どんどん激しさを増す雨の中、私と彼は向き合っている。
「お久しぶりですね、楓さん。」
先に口を開いたのは私だった。
男はなんとも言えない、感情の読めない顔をして私をじっと見つめている。
「雹、ここはあの忌々しい門の中ではない。普通に接したっていいんだよ。」
そう淡々と告げる彼に私はくすりと笑ってみる。
「じゃあ、お兄様とお呼びするのが正しいでしょうか?」
「…呼びたければ呼べばいいさ。でも、残念ながら私は今日、真面目な話をしに来たんだ。」
そう言って目の前の兄は私から目を背けるように、瞳を閉じる。
和風美人というべきか、男にしてはとても美しいこの人にはやはり和服がよく似合っている。
髪、瞳、顔のつくり、ちょっとした仕草、何をとってもそっくりな私の兄は、表情は変えずとても悲しそうに笑っている。
「…儀式をまた執り行うつもりなのだろう?」
「…星を読んだのですか?」
「…あぁ、そうだ。」
やかましいほどにアスファルトを打ち付ける雨音も、今は背景のようにこの空間に溶け込んでいる。
「……後悔しないかい?」
そこで、ようやく男は私の目をしっかりと捉えた。
伏せられていた瞼はきちんと持ち上がり、何もかもを受け入れようとする真摯な光を宿した瞳でこちらを見据えている。
多分、これが彼にとっての…今、彼にできる最大限の思いやりなのだ。
「…しませんよ。なにもかも、元に戻るだけなんですから。」
「………なにもかも元どおりではないだろう。確かに形は元に戻るだろう。だが、その心は、本人たちは、変わらざるを得なくなる。わかっているだろう?」
そんな切実な悲鳴を聞きながら、私はそっと顔を緩める。
あぁ、私はなんて幸せなんだろう。
私のためになにもすることができないと思い悩み、それでもこうして私のために力になろうと必死に思いの丈を語ろうとしてくれている。
…言葉にすることは許されないことがありすぎるのに。
兄はここまでも私のために必死になってくれているのだ。
「なぁ…雹、本当にいいのか?…時雨は、こんなことを望んでいない。むしろ本当の結末を知れば悲しむと思うぞ?」
ズキリと、心臓に突き刺さるような言葉が刻まれる。
時雨…そう、きっと私は彼を傷つけるだろう。
彼は後悔にさいなまれ、深い悲しみに落ちるだろう。
だけど…彼のそばには六花がいる。
それに、彼にはどんな苦境をも乗り越える強さがある。
だから…大丈夫。
私は、時雨を残酷なまでに信じている。
「兄さん、もう限界なんですよ…外聞的に他家を退け、欺くことは。今はなんとか男としてなんとかまかり通せていますが、これから先、私はどんどん女として成長していってしまうんです。それに…」
普段なら完璧な仮面を被れるのに、今日はどうもうまくいかないらしい。
私は今、とても不恰好で中途半端な笑みを顔に浮かべていることだろう。
「何より、時雨は記憶のない中で六花を選びました。そして、今、この状態で全てを戻さなければ彼らが結ばれることは一生ない…なにもかも私が壊してしまったシナリオです。私が戻すのが筋というものでしょう?」
歪んでしまった物は何かを代償にしなければ元に戻らない。
でも、それで元に戻せると言うなら私は、喜んでその糧となろう。
「…お前にこんなことをさせることになるなら、いっそあの時2人で逃げるべきだった。」
普段表情を作らない兄が、顔をくしゃりと歪めている。
…私もあなたにこんな表情をさせるつもりはなかった。
……なにもかも、あの日。
いや、それよりもずっと前から狂い出していたのかもしれない。
「…兄さん、お元気で。」
「…あぁ。最後に『自分の妹』に会えて良かったよ。」
どちらともなく、互いに視線を交えることなくすれ違う。
さらに激しさを増した雨が、まるで私たちの感情を代弁しているかのようだった。
…私たち兄妹は、何をするにしても囚われ過ぎた。
それは時雨も、六花も同じ…
『旧藤原家の宿命』そんな言葉で片付けるにはあまりにも残酷すぎた。
全ては人間の浅はかな欲のため…
それに振り回された若者たちは今度は悲劇を繰り返す加害者と姿を変えないといけなくなる。
「時雨が悲しむ…かぁ…」
密かに立ち止まり呟いた言葉はけたたましい水音の中へと消えていく。
「…どちらかというと恨まれる方がマシなんだけど……」
そんな嘲笑的な顔は、もうすでにいつもの鷹司雹だった。
そう、私は最後まで完璧に鷹司家嫡男として最善の道を成し遂げてみせる。
運命の日まであと5日。
最後に最高の誕生日プレゼントを貰えた。
だから私は…
もう、何も思い残すことはない。
そう、全てはその最高の舞台のために…