人面魚
今からざっと20年ほど前、『人面魚ブーム』が起きたことをご存知だろうか。
そもそも人面魚とは、人の顔面に似た特徴を持った魚のことである。魚と言っても、人面魚と呼ばれた魚の大半はコイであった。
それから数年、人面魚ブームも下火になっていた頃、通っていた中学校付近の寺の池で人面魚が発見された。その大発見に町中が再び熱気を取り戻し、地元テレビ局も取材に来るほどの騒ぎになった。
しかし、校内では別の理由で盛り上がっていた。
発見された人面魚とそっくりな顔を持つ男子学生がいたのだ。
その男子学生Tは元から明るく目立ちたがりな性格だったため、大人たちが危惧するようなイジメには発展することは終始なかった。むしろTは自身の顔をネタにして喜んでいる節さえあった。
まあ、このTの話だけなら、ただの青春の楽しい1ページで終わりそうなものだが、事態が動いたのは人面魚の発見から半年後のことだった。
ある日の早朝、人面魚が死んで浮いているのを、通りがかった寺の住職が見つけたそうだ。
人面魚の死を俺が知ったのは、それから数時間後の朝のホームルームだった。中学生と言えば、生物の死すらネタにする年頃だ。皆がTをからかうのも自明の理というものだった。
「Tもやばいんじゃないの」「T、死ぬのかよ」。けれどそんな悪口を言いもするも、人の好いTの死を願う生徒は誰一人としていないことは分かっていた。
だからTが自殺したとき、涙を流し悲痛そうに語る担任の表情を何度見ても俺たちは中々受け入れることができなかったのだ。人面魚の死からちょうど一週間後のことだった。
あのコイと同じように、冷たい寺の池に浮かんでいたそうだ。その死に方といい、時期といい、彼の死の裏には人面魚の影があったことは間違いない。
ここからはただの推察になるが、俺たちが人面魚をネタにしてからかっているうちに、Tは自分と人面魚を重ね合わせてしまっていたんじゃないだろうか。そのため人面魚が死んだ時も、どこにでもあるただの生物の死として割り切ることができず、自らの死として引きずってしまった・・・。
ともあれ、遺書も発見されなかったため、死の真相は本人の知るところでしかない。しかし、もしも俺の推察が真実の一端でも捉えていたのなら、Tという一人の少年は、あの突如人々の前に現れた人面魚によって殺されたも同然だ。
だって、元々あの寺の池には、魚なんていなかったのだから。