開幕
初の連載ものです。
半ば私小説のようなものですが、読んでいただければ幸いです。
女性同性愛者の話です。苦手な方は読まないでおいてください。
*序章*
「手紙」
早苗へ
今でもあの窓から空を見ていますか?
冷たい淡い水色をしたあの空を。
北向きのあの窓にかかっているのは相変わらずそっけない白のカーテンですか?
…いつも、いつまでも私はあなたを思い、決して忘れることはないでしょう。
私の小さな部屋の出窓にはあなたからもらったテディベア。引き出しにはつげの櫛。
引っ越したときにずいぶんと思い出の品は処理したけど、これだけは捨てられませんでした。
私は今幸せです。このままだと一生ひとりで生きていくことになるだろうけど、幸せです。
そんな私がただひとつ願うこと、それは。
あなたが私をもう忘れていてほしいということ。
一緒におばあちゃんになろうって約束果たせなかったね。
でも、それでよかったんだと思います。
あなたを、あれ以上苦しめたくなかったから。
だから、どうか私の事は忘れていてほしいー
私はそこまで書くと署名をし、破って灰皿の中に入れてライターで火をつけ、燃やした。
決して渡されることのない手紙。私のエゴをさらけ出し葬り去る唯一の手段。
燃える手紙を見ながら早苗を思う。
手紙の半分は偽善だが、今では心から思っている。幸せになっていてほしいと。私のことは忘れていてほしいと。
けれども、あの北向きの部屋でひたすらお互いを求め合ったひと冬の恋だけは忘れていてほしくないという欲はあった。
灰になった手紙を捨てる。
燃え尽きてしまったものは元には戻らない。
灰皿を拭きながらため息をつくと、残っていた灰が少し、舞い散った。
*一章*
「不思議なひと」
私は都内のキャンパスに通うごく普通の女子大学生だった。
ただひとつ人と違うのはレズビアン、女性でありながら女性を愛するという性的指向を持っていたということだろう。
幸い、親をはじめとする周囲の理解もあり、私は堂々とセクシュアリティを隠さず生活していた。
レズビアンやバイセクシュアルの集まる場に何回か出ていたため、同じレズビアンやバイセクシュアルの友人もできた。
幸せではあったが、なかなか恋人が出来ないのが不満であり、友人がどんどん
「嫁をもらっていく」中で私は独り身であることを口には出さなかったが嘆いていた。
彼女と出会ったのはそんな時だった。
片思いしては振られ、という繰り返しに疲れていた私を友人の優子が女性のみ入れる、女性のセクシュアルマイノリティのイベントへ連れて行ってくれた。
ミラーボールの回るその空間はまさしく大人のためのクラブイベントであり、私は慣れない緊張感から、優子にすがりつくようにしてきょろきょろとあちらこちらを見回していた。
優子は私を丸い机を囲むようにして並べられた椅子に座らせ、飲み物を買ってくる、と言って離れたきりしばらく戻ってこなかった。
その間に、二人の女性が私のいるテーブルについた。
片方は、短い髪をした女性にしてはハンサムな人。もう片方は、ウェーブした髪が特徴的な大人びた女性らしい人。
仲の良さそうなふたりを見て、私は勝手にふたりはカップルだと思い込んでいた。
優子が帰ってくるまで、私と二人の女性は無言だった。
「お二方はカップルですか?」
口を開いたのは優子だった。
二人はびっくりしたように顔を見合わせ、笑いながら首を横に振った。
「いい相手がいないか探しに来たのよ」
ロングヘアの女性が言った。
聞くところによれば、二人はネットで知り合った友達。
あくまで友達でしかなく、それ以上進展はしていないという。
優子の買ってきてくれたお酒を飲みながら話を聞いていた私は酔ってしまい、名前すら聞かずにふたりに絡みだした。
まず、私はショートカットの女性に絡んだ。
「なんか、小動物っぽいから…シマリスさん!可愛いですよね?!」
呆然としている
「シマリスさん」をそっちのけに、私はロングヘアの女性を見やった。
「あなたは…何だか、大きなお花って感じがするから…ラフレシアさん!」
「ラフレシア」さんは私のネーミングセンスに爆笑していた。
「いや、あなた面白い子ね」
ラフレシアさんは笑いながら私の頭を撫でた。
その後、優子を身長が割と高いからという理由で
「キリンさん」と名付け、私自身を
「ネズミさん」とした上でいろいろと盛り上がった。
シマリスさんとラフレシアさんは先に帰らないといけないらしく、本格的なクラブタイムの前に帰る準備を始めた。
私はあわててラフレシアさんの袖を掴み、また会いたいからと理由をつけて連絡先を交換した。
キリンさんこと優子は、酔った私の暴挙にシマリスさん同様呆然としていた。
その日は出会いらしい出会いは特になく、昔の友人と再会し、挨拶をした程度で私と優子も終電で家に帰った。
数日後。
突然、ラフレシアさんからメールが届いた。
「今週、空いている日があったら私とデートしませんか?」
それまでデートに誘われたことのなかった私は夢中で空いている日を探し、ラフレシアさんとのデートを実行させることにした。
デート当日、私は学校帰りでラフレシアさんは仕事帰りだった。
「あの…もしかして暇だったのですか?」
私の問いに彼女は苦笑しつつ頷き、そんな野暮なことは聞かないものよ、と言った。
私達は夜の恵比寿の散策を楽しんだ。
疲れたら洒落た喫茶店で飲み物を飲み、疲れが取れたらまた手を繋いで歩く。
私はこのような経験は初めてだったので、のぼせている反面何かの宗教の勧誘か何かかと身構えてもいた。
「ね…ラフレシアさん、あそこ見て。綺麗ですよ」
デートの途中、綺麗な夜景を目にした私はそれを指差した。
ラフレシアさんは盛大に吹き出すと、お願いだから本名で呼んでほしいと言った。
「お名前…何でしたっけ?」
私の問いにラフレシアさんは苦笑しつつ教えてくれた。
その後数年、私を苦しめることになる名前を。
「早苗よ」
私は笑顔になって早苗さん、と言うとまた手を繋ぎ、恵比寿の街を歩いた。
私は不思議でならなかった。
なぜ、早苗さんは私を誘ったのだろう。容姿も人付き合いの良さもいい優子を誘わなかったのだろう。
不思議な人。
そう思いながら、私は手から伝わってくる柔らかな温もりにうっとりとしていた。
デートの終盤、早苗さんは私を駅の近くの暗がりに連れて行った。
何をされるのだろうと身構える私を早苗さんは突然抱きしめ、口付けをした。それも、深く強く。
「…!?」
もがく私をそっと離すと、早苗さんは自分の唇を舐め、
「美味しい」と呟いた。
私は恥ずかしさで真っ赤になり、また同時に早苗さんの舌によって与えられた体の疼きに戸惑った。
「またね」
手を振る早苗さんと離れたくない衝動にかられつつ、私は電車に乗った。
初めての女性とのキス。熱烈なハグ。
私はその晩眠れなかった。
数日後。
私はまた早苗さんに呼び出され、渋谷の喫茶店に行った。
早苗さんは、コーヒーをすすりながら、私の目を見据えると、決心したように頷いた。
「あんなことした後で言うのも図々しいけど…私と付き合ってください。」
…まったく、不思議な人だ。
そう思いながらも私は笑顔で頷いていたー