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3  妖精国の王子とヤーフェンの船  ②

「ラエンギルの使いごこちは、いかがです?」

「少し慣れました。あなたに返さなければと思ってるんです」

「ラエンギルは、王の剣と言われています。病人の僕は、王にふさわしくありません」


 ティリアンはティー・カップを置き、衣の袖をめくった。

 ひじから肩にかけて絵の具を塗ったように真っ白で、色白というよりアシュタリエンの幹に似た白さである。


「皮ふ病……?」


 オークの幹についた白カビに似ていると思いながら留衣が言うと、彼は首を横に振る。


「皮ふの病ではないのです。白くなった部分は、痛くもかゆくもありません。白呪はくじゅ――――。大昔はオークの病気だったのに、いつの間にか妖精の間で大流行してしまいました。かかると気力も体力も失い、眠りに入ってしまう。リッシアの多くの民が、この病に苦しんでいます」


 彼は袖を戻し、視線を遠くに向けた。


「治療法は、ただ一つ。妖精郷への移住です。妖精郷は病も死もない世界ですから。すでに多くの民がかの地に移り、兵士の数は父が存命の頃に比べると百分の一以下です」


 ティリアンの声が、悲しい調べとなって心にしみ入ってくる。

 病――――想像することしか出来ないけれど、苦しいに違いない。

 すっかり食欲をなくし、留衣は彼のさびしそうな顔を見つめた。


「僕もいずれ妖精郷に渡るつもりですが、その前にできるだけの事をしようと、アシュタリエンの宣託をあおいだのです。そしてあなたを見つけ、持てる力のすべてを使って呼んだ。来てくれて感謝しています、留衣。会えてうれしい」

「わたしも、王子様に会えてうれしいです」


 言ってしまった後で恥ずかしくなって体をちぢめ、アシュタリエンのセンタクとは何だろうと考えた。洗うの?


 よくわからないけど、リッシアを観光して家に帰れるような、のんびりした状況ではなさそうだ。


「わたしは、何をすればいいんでしょうか」


 ティリアンが静かに首を振り、絹糸のような金髪がさらさらと揺れる。


「それがわかるのは、あなただけだ。僕にわかるのは、あなたにはリッシアを救う力があるという事だけです。オークが――――アシュタリエンがそう告げています。せっかく来て頂いたのに、もうあまり時間がないことをお伝えしなければなりません。辺境の蛮族はルトガーという魔術師に率いられ、リッシアを攻めようとしています。僕は最後まであきらめずに戦うつもりですが、いつ眠りに入るか分からない。一度眠ってしまったら、妖精郷に着くまで目覚めることはないのです」


「戦争を避ける方法はないんですか?」

「手をつくしましたが。父が去った後、彼らはリッシアを武力で攻め取る方針に変え、和平交渉に応じなくなりました」

「勝てる見込みはありますか?」


 留衣の問いかけに、ティリアンは哀しく首を振った。


「兵士の数が違い過ぎます。病人から先に、民を少しずつ妖精郷に移住させているところで、時間かせぎくらいは出来るでしょうが……」

「何とか……戦争を避けられないものでしょうか」


 留衣が悲壮な顔つきで繰り返すと、ティリアンはテーブルに手を乗せ、指を固く組み合わせた。


「妖精界のオークは、すっかり数が減ってしまいました。現存するのは、わずか百余り。それぞれのオークを中心として小さな国が散らばり、オークの根の及ばない地は荒地です。アシュタリエンは実の生る最後のオークですが、百年以上も種を収穫できていません。アシュタリエンに実が生らなくなれば、妖精界は滅びる。アシュタリエンの病が癒え、種がとれるようになれば、平和が訪れる。僕は、そう信じています」


 妖精界が滅びようとしている――――。

 ティリアンの言葉を、留衣はけんめいに理解しようとした。


 あらゆる植物は、オークのある地で育つ。

 アシュタリエンの病が癒え、種が取れるようになれば、苗木を作ることができる。

 苗木を植えれば、荒れた辺境を緑豊かな大地に変えられる。


 辺境が豊かになれば、蛮族がリッシアを攻める理由はなくなる。

 アシュタリエンの病を治せば、戦争は避けられる。


「オークの病気を治す方法は、ないんでしょう?」

「今のところは。あなたが奇跡を起こさない限りは」


 ティリアンの目が、静かに彼女に注がれた。


(わたしが奇跡を起こす――――?)


 留衣は目を丸め、くちびるを噛んだ。

 そんな事ができるとは、とても思えない。


 食事が終わり、彼女はティリアンと一緒に王の間に戻った。

 通り過ぎた時は気づかなかったけれど、玉座の背後の壁一面にレリーフが彫られ、妖精や植物や戦いの模様が描かれている。


「これは、リッシアの歴史です。サフォイラス王がオークの実をこの地に植え、リッシアがどのような困難を乗り越え発展したか、その歴史が描かれています。オークの森の歴史については、聞いていますか?」


 ティリアンに問われ、留衣はうなずいた。


「『白呪』のせいで、失くなってしまったと」


「そう、森は消えた。時がたち、各国のオークは寿命をむかえ、オークを失った国は次々と滅びて行きました。緑豊かだった妖精界は、砂漠のオアシスのような小さな国が点々とする荒地と化し、そんな時サフォイラスという一人の青年が現れたのです」


 彼は話しながら、レリーフに白い手を添えた。

 ティリアンによく似た細身で長身の若者の姿が、浮き彫りになっている。


「サフォイラスは小さな国の王族でしたが、霊剣ラエンギルを持って旅をし、かつてオークの森のあった場所で夢を見たのです。夢のお告げに従って土の下から種を掘り出し、現在の場所に植えるとオークはすくすくと育ち、実をつけました。実の生る最後のオークであるがゆえに、アシュタリエンは全妖精の羨望の的となり、サフォイラス王はあまたの争いと国難を戦い抜く宿命を負うことになったのです」


 振り返り、彼は深い薄紫の目を留衣に向けた。


「コハク鏡の前でアシュタリエンの宣託をあおいだ時、一人の少女が見えました。奇妙な剣を振り、頭上にオークの枝があった」

「そういえば……」


 留衣は、記憶をさぐった。


「剣道を習っていた時、おじいちゃんの家の庭で素振りの練習をしたことがあります。オークの木の下で」

「そうでしたか。あなたはラエンギルを使い、リッシアを救う。それがオークの宣託です」


「どうやって救うんですか?」


 ティリアンは、首を横に振る。


「僕にわかるのは、オークがあなたを選んだという事実だけです。方法は、あなたに見つけてもらうしかない。そしてアシュタリエンは、あなたならそれができると告げています」


 そんなこと言われても……。

 何が何だかわからなくて、どうすればいいのかもわからず、困惑するばかりだった。



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