2 蝶使いの少女と少年戦士 ④
シェーラは草原に着地し、留衣はエルメリアに続いて降り立った。
正面から見ると男はまだ若く、妖精の年齢は見た目ではわからないものの、14、5歳の少年に見えた。
赤い長髪を三つ編みにして背中にたらし、もえ出た樹木のような明るい緑の瞳は生命力にあふれている。
片ほおを上げ、ニヤリと笑った表情が小悪党っぽい。
敏しょうそうな抜け目のない足取りで数歩歩き、少年は立ち止った。
「出むかえごくろう。帰っていいぞ」
「ふさけるんじゃないわよ。ひっつかまえて牢獄に放り込んでやる。留衣、やっちゃって」
「は?」
「ラエンギルで、この蛮族をやっつけちゃって」
留衣は、穴があくほどエルメリアを見つめた。
(なに勝手に決めてんのよっ――――! ひっつかまえるだの牢獄に放り込むだの勇ましいこと言って、わたしにやらせる気だったの?!)
蛮族よりも、エルメリアの首を絞めたくなった。
「ラエンギル……?」
少年の顔から、すっと笑みが消える。
「王を選ぶ剣。王たる資格の無い者が持つと重くなり、振り上げることすら出来なくなるという、あのラエンギルか」
「そうなの?」
「聞いてるのは、こっちだぜ」
振り上げられるようにはなったけど、王とは縁もゆかりもないんですけど。
心の中でつぶやく留衣に、少年はにっこり笑いかけた。
「妙な格好してるな。おまえ、もしかして人間か?」
「だったら何」
「俺の名は、グリン。妖精王の剣は妖精が持つべきだ。悪いことは言わない。俺に剣をよこしな」
「悪いこと以外に、蛮族が何を言うっていうのよ?」
エルメリアが言葉をはさみ、少年はぎろりと彼女をにらんだ。
「これは、剣を持つ者同士の交渉だ。下っぱ神官は黙ってろ」
エルメリアが、鼻で笑う。
「ふん。ゴミが何かしゃべってますけど。あいにくわたくし、ゴミの言葉はわかりませんの」
「神殿には、役立たずで掃除しかさせて貰えないタンポポの小娘がいるらしいな。おまえか? ああ、悪かった。神官じゃなかったな。ソ・ウ・ジ・ヤ」
「……殺す」
ぎょっとする留衣のとなりで、エルメリアは皮袋に手を突っ込み、中をかき回している。
何が出て来るのか。ナイフ? 拳銃?
「ち、ちょっと待って……」
「止めないで。これは神官の名誉に関わる問題よ。――報復せよ、ギガリオン!」
エルメリアは、何かをつかんで放り投げた。
赤く丸まった物が空を飛び、地面に落ちるなりふくらんでいく。
現れたのは巨大な蝶の羽化前状態――――青虫のはずだが、パステルカラーの淡い紅色である。
全身がふわふわしていて、巨大な風船人形みたいだ。
顔がまん丸で、人なつこそうで、まったく迫力がない。
「ギガリオン、その男を丸呑みにするのよ!」
巨大な青虫――――いやパステルカラー虫は、満面の笑顔でグリンを見おろし、大きな口を開けた。
「ガオ――――っ」
ものすごく幼稚だ。
蝶の幼児だから仕方ないなと思う留衣の前で、ギガリオンは大口をグリンに近づけ、ぴたりと止まった。
グリンは腕組みをして立ったまま、不敵に笑っている。
「おまえ、妖精を食ったことある?」
「ないよ」
ギガリオンは、素直に答えた。
「だって僕、葉っぱしか食べられないもん」
「それを言っちゃ、おしまいじゃないの……」
しぶい顔のエルメリアに、ギガリオンの幸せそうな丸顔が向けられる。
「ママー。上手だったでしょ~。ごほうびに、おやつちょうだい~」
「はいはい。後で桜の林に連れて行ってあげます」
「やったー!」
ほのぼのとした空気がただよい、留衣はつめていた息を吐き出した。
ギガリオンはみるみる縮んで小さな姿に戻り、エルメリアの手のひらにぴょんと飛び乗る。
「殺し合いはおしまいか? そんなチビじゃ脅しにもならないぜ。下っぱ女に用はない。用があるのは、ラエンギルのみ」
「留衣、この野蛮人を切りきざんじゃって」
「……はあ?」
何言ってるのよ。留衣は、くちびるを引き結んだ。
剣道の試合ではそこそこの戦績を残せたけど、本物の剣で切り合ったことなど一度もない。
目の前の少年は武器の扱いに慣れているかのように弓と斧を地面に落とし、長剣をすらりと抜いた。
少年らしい明るい表情が、獲物を見つけた狼を思わせる獰猛な顔つきへと変わっていく。
片足で大地をけり、剣を振り上げ、グリンはすさまじい速さで留衣に切りかかった。
「いきなり?!」
叫び声を呑み込み、留衣はラエンギルを抜いた。
迷うひまもエルメリアを呪う余裕もなく、グリンの一打を受ける。
激しい振動が手首から腕をつたい、剣を落としそうになって、必死に柄を握りしめた。
「チビちゃん、離れて。危ないから」
肩にしがみ付いたままの魔獣に声を掛けると、魔獣は言葉を理解したかのように羽を広げ、空中に飛び出した。
「ラエンギルをわたせ。そうすれば、命だけは助けてやる」
「こっちのセリフよ。剣を地面におろし、降伏しなさい!」
とエルメリア。
何であんたが答えるのよっと口にするゆとりもなく、留衣はグリンを突き放し、正眼に構えた。




