1 女子小学生、妖精国へ行く ②
無意識のうちに剣をかばい、背中から落ちて悲鳴をあげた。
「痛ッ! ……くない?」
背中が硬い地面にぶつかったと思ったが、痛みはなかった。
うすぼんやりと光る剣のさやを左手で押さえて立ち上がり、用心深く周囲を見回す。
うす紫のかすみは消え、真っ暗闇がただ広がって、何も見えない。
足裏からしんしんと冷たさがのぼって来て、寒さと恐怖に体をふるわせた。
あたりは不気味に静まり返り、聞こえるのは自分の荒い呼吸音と、かすかに耳をかすめる唸り声。
(何か出たら、ぶった切る! 幽霊だろうが妖怪だろうが、ぶった切る! それしかない)
勇気をふりしぼって剣を抜き、あ然とした。
「持ち上がらないよー」
剣は鉛でできているかのように重く、両手を使ってようやく腰の高さまで持ち上げ、力つきて切っ先を地面に落とした。
重すぎて使えない……。
顔から、血の気が引いていくのがわかる。
あざわらうかのように一対の赤い眼が現れ、彼女は身がまえた。
敵意に満ちた無数の赤い眼が、彼女を取りかこむ。
剣のさやが放つ光にぼんやりと照らし出された眼の持ち主は、動物とも人間とも言えない奇怪な姿をして、じりじりと近づいて来る。
一匹が大きく口を開け、黒ずんだ牙を見せて彼女に飛びかかった。
夢中で剣を横ざまに振ると、化け物は胴体を真っ二つに切り裂かれて消えた。
(使える――――!)
振り上げることは出来ないし、横に振るのが精一杯だけど。
小学1年生から3年間、剣道教室に通った彼女は竹刀と剣の違いはあっても、柄を握ることに抵抗はない。
剣の重さにふらつきながら、懸命に正眼の構えをとった。
ふいにまぶしい光が現れ、目がくらんだ。
銀色の蝶が光を放ちながら頭上から降りて来て、ひらひらと飛びながら去ろうとしては止まり、止まっては動き出す。
(ついて来いと言ってるの?)
一瞬だけ迷い、留衣は重い剣を抱えてそろそろと歩き出した。
化け物たちは光を怖れるかのように闇の中で息をひそめ、なりゆきを見守っている。
蝶の光に照らされ、化け物の背後にそびえ立つ大きな白い樹木が映し出された。
根らしきものが枝分かれし、闇のかなたに消えて行く。
中央にあいた穴から一匹の小さな獣が現れたとたん、化け物たちの赤い眼は留衣からそれ、獣に向けられた。
小さな獣は小猫に似ているが、背中に羽がはえている。
化け物たちが、小さな獣におそいかかった。
かみつかれ爪で引き裂かれた悲痛な鳴き声が、闇の中にひびき渡る。
「やめなさいよ!」
夢中で剣を振り上げ、留衣は駆け寄った。
「ここ、弱肉強食なの?」
剣を振り回し、化け物を追い払う。
蝶が舞い戻って来て照らすなり、化け物たちは素早く闇の中に逃げ込んだ。
「今のうちよ。早くお帰り」
小さな獣に「しっし」と声をかけたけれど、ケガをしているせいか動こうともせず、金色の澄んだ目で彼女を見上げている。
何となく放っておけなくて、片手で獣をつかみ、巣穴まで運んだ。
銀の蝶に照らし出された穴は、中も外も白い固形状のものにびっしりとおおわれている。
祖父が苦労して取り除いたオークの白カビに似ているなと思いながら、おそるおそる触れてみた。
冷たい――――。
木に寄生するカビではなく、真っ白な氷らしい。
小さな獣を巣穴の前におろそうとしたが、手にしがみついて離れない。
引きはがそうとしても、離れまいと必死な様子だ。
「そっか。もう少し安全な場所で暮らしたいんだね。気持ちは分かるよ」
巣穴の周囲では、無数のよどんだ赤い眼が光っている。
「住みやすそうな所でおろしてあげる」
留衣はそう言って小さな獣を肩に乗せ、歩き出した。
振り返ると蝶の放つ光が円を作り、周囲に赤い眼がびっしり張りついている。
(化け物が、ついて来てる――――)
背筋がぞっとして、さやに収めた剣の柄を握りしめた。
おそって来たら、返り討ちにしてやる。
女の子だからって、なめないでよ。
やる時はやるんだから!
木の根に沿って飛ぶ蝶について行き、どのくらい歩いただろう。
細い根が複雑にからみ合っている場所で、銀の蝶は上昇を始めた。
上方に光が見え、風が吹き下ろして来る。
「木登りか。おまえはどうする? 光が苦手なら、ここでお別れよ」
剣のひもをしっかりと肩に掛け直し、肩にしがみつく小さな獣を優しくなでた。
全身が真っ黒な獣はなめらかな手触りで、猫に似た金色の目をまたたかせている。
長い尻尾が風に吹かれてふさふさとなびき、背中の羽は小さく丸まって、この羽じゃ飛べないだろうなと思う。
獣がTシャツに爪を立てたままなので、留衣はため息をついた。
「つらくなったら言ってよ。途中でおろしてあげるから」
木の根はデコボコが多くて登りやすく、あっと言う間に蝶に追いついた彼女は、まぶしさに目を閉じた。
何度かまたたきして視線を上げると白い手が伸びていて、手の持ち主が上からのぞき込んでいる。
うす桃色の髪と灰色の瞳を持つ、留衣と同い年くらいの少女がいた。




