4 黒の森とはがねの魔術師 ④
とつぜん風が強くなり、木々がざわめき、激しく葉が揺れた。
「来るぞ」
ジークリートが言い、腰の剣に手を置く。
「僕が命じるまで、剣を抜くな」
ティリアンが、鋭い声を放つ。
森の王の前に立つのは、ティリアン、ジークリート、留衣と10人の兵士たち。
野イバラがするすると動き、からみ合った木の枝が解かれ、ぽっかりと穴があいた。
穴は見る間に大きくなり、人が一人通れるほどに広がっていく。
(門が開かれた――――?!)
目を見開く留衣の前で、一人の大男が穴をくぐった。
全身をハガネでおおわれ、歩くごとに金属音がひびく。
よろいの男の背後から、ぞくぞくと武装した男たちが現れた。
よろいの男――――ルトガーは、ティリアンから森の王に視線を移し、巨木の前で胸に手を当て頭を垂れた。
他の蛮族たちも思い思いに森の王に礼をし、ひざをつく者もいる。
ティリアン達は、そこまでしなかったのに――――。蛮族の方が、樹木への崇拝心が強いのではないかと留衣は思った。
辺境の荒地に、樹木がないせいかもしれない。彼らはみな、木や植物をあがめている。
ルトガーの隣にグリンがいて、留衣と目が合うなり緑の目で射すくめた。30人ほどの蛮族が門をくぐったところで、イバラが勢いよく穴をふさぎ、くぐれなかった者たちの間から悲鳴があがる。
「人数を制限させて頂く。ルトガー」
ティリアンの声が静かに伝わり、ルトガーが低い抑揚のない声を放った。
「門はいつでも開くことができる。ティリアン王子」
「そしてそのつど、閉じられるだろう。交渉の余地は、あると考えていいのか」
「そちらの出方しだいだ」
ルトガーが言い、隣に立つ男が口を開いた。
「俺は、枯れ谷の族長だ。リッシアをわたせ。抵抗するなら力づくで奪い取る」
ティリアンは唇を引き結び、苦しい声をしぼり出した。
「……わたそう。ただし、リッシアのすべての民が妖精郷にわたり終えるまで、待ってもらいたい」
「時間は与えたぞ」
ルトガーの背後から、別の男が前に出る。
「アシ湿原の族長だ。ヤーフェンの大船に、つめ込めるだけつめ込めばいい。一家族ずつわたるなどという悠長なことをしているから、何年もかかるのだ。我々は、もう充分過ぎるほど待った」
「こちらから送った花蜜も、充分過ぎる量だったはず。恩知らずにも、ほどがあろう」
剣をちらつかせてジークリートが言い、ハガネのかぶとからルトガーの低い声がもれ出た。
「花蜜で恩を買ったと思うな。おまえ達が買ったのは、時間。その時間も切れようとしている。千の兵士がいれば、黒の森を焼き払うことも切り倒すことも出来る。どうする、ティリアン王子」
静寂がただよい、ルトガーとティリアンがにらみ合う。
森に魔力がひそんでいるとしても、木が動き回れるわけじゃない。
斧を持った敵兵にじわじわと切り倒され、燃やされてしまうだろう。
叫び声をあげる木々を想像し、留衣は唇をかんだ。
生きているのは、妖精だけじゃない。
木もまた生きている。
「……あと3日。妖精郷にわたるすべての民を、3日でヤーフェンの湖近くに移住させる。すべての希望者がわたり終えるまで、湖近辺を我々の自治区として認めてもらいたい」
どうして――――。
留衣は、哀しい目でティリアンの横顔を見つめた。
どうして一緒に暮らせないんだろう。
ともに仲良く暮らせば、戦争にならないのに。
文化が違い過ぎるんだろうかと蛮族に目をやった。
辺境の蛮族も植物の妖精のはずで、長身の体や整った顔立ちが、リッシアの妖精たちと共通の祖先を持つことを語っている。
だが長い間劣悪な環境に置かれたせいか、肌は荒れ日焼けしてしわが深く、族長ですらティリアンやジークリートのような優雅さを持ち合わせていない。
悲惨な環境の下では、美や優雅さははかなく消え去るものなのかもしれない。
衣服は粗末で、明らかに花びらで織られた物ではなく、清潔そうにも見えない。
辺境では、水は貴重なのだろう。入浴の習慣は、あるんだろうか。
リッシアの民が逃げ出したくなるような、悪しき習慣もあるのかも――――。
グリンの強い視線に気づき、留衣はルトガーの隣に立つ彼をちらと見た。
彼はラエンギルに視線を落とし、目を上げ、うすく笑う。
剣を取り上げてやるぞと言っているかのようで、留衣の頭に怒りの血がのぼった。
「3日も待てん。ルトガー、力づくで攻め落とそう。その方が簡単だ」
「そうはしたくない理由を、昨日も説明したと思うが?」
ルトガーが枯れ谷の族長を振り返り見て、族長はウムムと言葉をつまらせた。
「他国の侵略に備え、兵力を温存しようというわけか」
ジークリートが、冷ややかに言う。
「リッシアを狙っているのは、おまえ達だけではないからな」
「口をつつしむがよかろう」
ルトガーの声は、さらに冷ややかだ。
「3日待つ代わりに、今すぐアシュタリエンをわたせ。我々は待つ間、アシュタリエンのそばで野営する」
「野営する兵士の数は、二百とする。おまえ達のことだ、薔薇から花蜜を手づかみで取ろうとするだろう。乱暴に扱えば、花は枯れる。薔薇の数から考えて、二百が限度。これは、おまえ達を思ってのことだ」
「親切なことよ」
ジークリートの言葉に、ルトガーは低く笑った。
「我々に指図できると思うな。兵をどう配置するかは、我々が決める」
「ここまで出向いて来たんだ。宴をやらせてもらうぞ」
「食糧を、すべてよこせ。おまえ達にはもう必要なかろう。花蜜も果物も木の実も全部食ってやる」
「記念すべき勝利の第一歩だ」
「――――決めるのは、わし――――」
蛮族が言葉を発する中で、最後の言葉がひびきわたり、誰が言ったのかとその場にいた誰もが顔を見合わせた。
枝葉がさわさわと揺れ、低く太い声が森の中を駆けていく。
「――――わしが、決める――――」
「誰だ!」
みなの視線が、おもむろに立ち上がったゼウスに向けられた。
「――――森の王――――」
「ゼウス、どうしたの?」
留衣は一歩前に出て、立ちすくんだ。
ゼウスの様子が、おかしい。
体をこわばらせ、口を不自由そうに開いたり閉じたりしている。
「――――獣の声を借りた。ようやく、話ができる――――」
「僕もあなたと話したいとずっと思っていました、森の王よ。聞かせてください。あなたの意見を」
ティリアンは森の王を見上げ、まぶしそうに目を細めた。
木もれ日が葉のすき間から差し込んで、翼を持つ巨大な黒獣を照らし出す。
「――――わしは、森を守る。子や孫を守る。森を傷つけぬと誓うならば、誰であろうと通す――――」
「それでは、門の役目は果たせまい。サフォイラス王との約束があるのではないか」
ジークリートが眉をひそめ、ゼウスは怒りの宿る金色の目で、突き刺すように妖精たちをにらんだ。
「――――忘れるな。ここは、オークの世界。おまえ達は、オークの優しさに甘え、暮らしている。サフォイラスの頼みを、わしは聞いた。約束ではない。わしの子孫を犠牲にするなら、頼みは聞かぬ――――」
ゼウスの口から発した言葉は刃となり、風に乗って森中を駆け抜けた。
木々は共鳴し合うかのように葉や枝を揺らし、うおおおおんと怒号にも似た森の声をとどろかせる。
「……わかりました。門を開いてください、森の王よ。我々は、誰もあなた方を傷つけない」
ティリアンの声に、ルトガーの声がおおいかぶさった。
「では行こうか。アシュタリエンのもとへ」
はがねの魔術師の背後で、歓声が上がった。