4 黒の森とはがねの魔術師 ①
洞穴は、赤茶けた山の中ほどにあった。
窓代わりにしている横長の裂け目から、起伏の激しい大地が見える。
地面から盛り上がった奇岩が視界の下方に並び、白っぽく乾燥した土地には一本の草すら生えていない。
砂まじりの強い風が吹きつけるため、住民は家を建てることなく洞穴に住み、年中厚い衣をまとう。
視界の上方は灰色の雲におおわれた空に占められて、全体的にうす暗く寒々しい。
奇岩平原――――。
辺境で最も貧しいと言われるこの荒地で、グリンは生まれ育った。
えんえんと続く雲の彼方に、ぽっかりと丸い穴があいたように水色の空が見える。
空の下にあるのは、神聖なうす紫のかすみに包まれた豊かな土地――――リッシアだ。
幼い頃からいつかはあの地へ行くのだと自分をふるい立たせ、ようやく願いがかなう時が来た。
この男の力によって。
グリンは、裂け目に立つ一人の男に目をやった。
名は、ルトガー。不思議な人物である。
ある日ふらりとやって来て、またたく間に辺境の部族をまとめ上げた魔術師だ。
彼の全身は、はがねのよろいでおおわれている。
はがねのかぶと。はがねの甲冑。指先から足先まで金属で包まれているのは、彼が人間の死者だからだ。
『果ての海』に流れついた彼に、魂の漁師が大昔のよろいを貸し与えたという。
大昔の魔術――――『魂の合金』で出来たよろいを。
かぶとで隠されているため、彼の素顔を見た者はいない。
外の景色を眺めていたルトガーが振り返り、金属板のこすれ合う乾いた音がひびいた。
「お呼びですか」
グリンは厚い外套のボタンをはずし、前に進み出た。
樹皮と草のせんいで織られた衣服は硬くごわごわして、花びらを用いた物より粗末だが、花の咲かない辺境では一般的である。
腰につるしているのは数年前、サフォイラス軍と戦った時、王の騎士から取り上げた剣だ。
リッシアの騎士を妖精郷送りにした事で、グリンの名は勇猛で野蛮な奇岩平原族の悪名とともに、一気に辺境に広まった。
「リッシアに行ったそうだな」
ルトガーの言葉に、グリンの赤い眉が上がる。
髪も眉も赤いことから、彼は「血のグリン」と呼ばれていた。
「黒の森が、門を開くかどうか確かめに行ったんですよ。ああ、誤解なさらないよう。あなたの言葉を疑ったんじゃない。念のためです。あなたの言っていた通り、黒の森は開かれた。アシュタリエンまではたどり着けなかったが、ラエンギルを持った奴に出会いました」
「どんな男だ」
「女ですよ。女の子かな。人間で、留衣という名らしい。妙な服を着て、妙な魔獣を従えてた」
ルトガーはわずかに身じろぎし、グリンを見つめた。
「ティリアンが、人間を召喚したのかもしれん」
「あんな子供を? と言いたいところだが、あいつ、ラエンギルを振り上げていたな」
「ラエンギルを使える者が、みな妖精王になれるわけではない。ラエンギルに気に入られた、というだけのこと」
「それなら俺たちにもチャンスはあるんですね? ラエンギルを他の部族に渡したくない。俺にあの子を殺らせてくれ。痛めつけて、人間界に送り返す。あいつを殺ったら、ラエンギルはあなたのものだ」
ラエンギルを持つ者が、リッシアをふくむ全妖精界の王となるというのが、昔からのしきたりだ。
誰がラエンギルを持つか、辺境の諸部族が騒ぐだろう。
だがルトガーなら抑えられると、グリンは考えた。
ルトガーをかつぎ上げ、奇岩平原族がリッシアを支配する。
一族の誰もが望む筋書きである。
「私のもの――――なぜだ?」
かぶとの奥で、乾いた笑い声がひびいた。
「それが、誰もが納得する解決方法だからですよ。辺境にはもう樹木を従えられる魔術師はいない。樹木自体がないんだから。俺はあなたにラエンギルをささげ、あなたを守る」
「オークを守れ。それが、おまえのためになる」
「分かってますよ」
グリンは、肩をすくめた。
「しかし、アシュタリエンはこの百年余り実をつけていない。あのオークから苗木が作れなくなったら、妖精界は滅びる。だからこそ、ティリアン達にまかせてはおけない。連中のせいで、オークは病気になっちまったんだから」
沈黙が落ちた。
はがねのかぶとにじゃまされ、ルトガーの表情は見えないが、黙っている時の彼は考えをめぐらしているのだとグリンにはわかっていた。
「出発は明日の朝だ。準備しておけ」
静かなルトガーの言葉に、グリンは頭を軽く下げ、承知の合図を送る。
今度の戦いで何が手に入るか――――。
子供であれ女であれ情けようしゃなく排除し、食糧と剣と地位と名誉、欲しい物すべてを手に入れ、長年の不満を解消する絶好の機会。
彼にとって戦いとは、そういうものだった。
(女の子を痛めつけるのは気がすすまないが、ラエンギルを持ったあいつが馬鹿なんだ。ルトガーが何と言おうと、俺のために殺られてもらうぜ。留衣)
グリンは牙をむいた狼のような表情で、笑った。