3 妖精国の王子とヤーフェンの船 ⑥
リッシアの夜は白夜なんだろうかと空を見上げ、蒼い部分はエルクの髪と瞳に似ているなとヤーフェンの船頭を想った。
「ずっと夕焼けのままなんですね」
留衣がつぶやくと、背後から伯爵の声が流れて来た。
「一両日中に、辺境軍との戦闘が始まる気配がある。聞いておかねばならん。戦う覚悟はあるのか」
「それは……」
彼女は、言葉につまった。
正直に言うなら、覚悟なんてまったくない。
真剣を使ったのも今日が初めてで、うまく扱えるとはおせじにも言えない。
何よりも、戦争が始まるという実感がない。
まるで夢の中にいるようで、目がさめると亜門邸の庭園にいるのではないかという気さえする。
「覚悟がないなら、やめておけ。人間界で生き続けられるとはいえ、傷を負う痛みは本物だ。苦しむことになるぞ。それに……」
留衣の腰のラエンギルに視線を落とし、ジークリートは表情に厳しさを加えた。
「敵にラエンギルを奪われるような事があってはならん」
ラエンギルをよこせと言った時のグリンを思い出し、誰もがあんな風に王の剣を欲しがるのだろうかと思った。
戦闘になり、多くの兵士がラエンギル欲しさに殺到したら、ラエンギルを守りきれるだろうか。
でも、何もせずに逃げ出すのはくやしい。
留衣は振り返り、背後にすわる伯爵を見上げた。
「チャンスをください。もしかすると……戦えるかも」
「『かも』では困る」
銀色の髪をふわりとなびかせ、彼は銀の瞳で彼女を見下ろした。
「ラエンギルを使えるのは、おまえだけではない。ティリアンも私も、剣の重みを感じることなくラエンギルを扱うことができる。重臣たちは、私にラエンギルを持たせたい意向だ。私にラエンギルをゆずるつもりはないか」
ラエンギルをゆずる――――。
妖精王の剣は妖精が持つべきだという、グリンの声がよみがえる。
(でも――――ティリアンは、わたしに剣をゆだねた。ジークリートではなく)
自ら剣を取りたいだろうに、その気持ちをおさえて。
辛くて悲しい気持ちを口にすることなく。
来てくれてありがとうと言った時の彼の哀しい顔を思い出し、留衣はラエンギルを強く握った。
わたしは、まだ何一つ彼の期待に応えていない。
せめて、期待のかけらぐらいは応えたい。
「わたしには決められません。決めるのは、ティリアン王子です」
「わかった」
王宮に戻り、ガーデンテラスの奥まで進むと、ニレの大木に囲まれた広場に出た。
背の高いツリガネ草が光を投げかけ、ティリアン王子を中心として、十人ばかりの妖精が椅子を並べ腰かけている。
「リッシアの重臣の方々です。留衣様のごあいさつをお待ちです」
すみに立っていたエルメリアがにこやかに言い、留衣は口をすぼめた。
(あいさつ――――自己紹介みたいなもの?)
緊張した顔で、妖精たちの前に立つ。
「亜門留衣です。十二歳、城北小学校6年生です。祖父からリッシアの話は聞いてましたけど、本当にある国だとは思ってなくて、びっくりしています。来ることができて嬉しいです。わたしにできる事は、何でもやりたいと思っています」
一気に言い切った。
重臣と呼ばれる妖精たちには静かな落ち着きがあり、見た目は若く美しいけれど、かなりの年月を生きているのだろうと感じさせる。
どの顔も病的に白いのは、白呪におかされているせいだろうか。
「ジークリートと剣を交えよ。ラエンギルの持ち手を、ラエンギル自身に選ばせよ」
重臣の一人が言い、留衣はぎょっとした。闘えと言ってるの?
ティリアンが憂い顔で留衣にうなずきかけ、勝った方がラエンギルの持ち手になるのだろうと彼女は解釈した。
仕方がない。
負けたら、いさぎよく剣をジークリートに渡し、魔術の勉強やオークの治療に専念しよう。
そう決めて深呼吸し、ラエンギルを正眼に構え、ジークリートと対決した。
ひゅん。
風を切る音が聞こえ、彼の剣が情け容赦なく襲いかかって来る。
彼女は難なく受け止め、驚いた。
(剣が軽い――――!)
ラエンギルは羽のように軽く、自らの意志でジークリートに切り込んでいく。
あらけずりな蛮族のグリンとは違い、ジークリートの剣術は鋭くありながら優雅で、決して足げりを使うような事はしない。
留衣はラエンギルの動きに従い、剣を落とさないことだけを心がけ、激しく彼を攻め立てた。
わずかなスキを突いてジークリートの剣をはねのけ、鼻先に剣を突きつける。
――勝った!!
「一本取ったよ、デイジー」
剣を突き出したままにっこりすると、ジークリートの目が一瞬だけ細められ、すぐに元の冷然とした表情に戻る。
「いいことを教えてやろう。幸福な明日を迎えたければ、二度と私をデイジーと呼ぶな」
「だってデイジー族でしょ?」
「つべこべ言わず、ジークリート伯爵と呼べ」
「終了だ」
重臣の声が低く響き、留衣は剣を下ろして一歩下がった。
ジークリートの視線が針のように留衣に突き刺さり、ティリアンが彼女に歩み寄る。
「ラエンギルを、あなたにゆだねます。この国を頼みます、留衣」
薄紫の瞳が哀しくまたたいて、留衣の胸を突いた。