3 妖精国の王子とヤーフェンの船 ③
留衣は召使いの青年に案内され、王宮の廊下を歩いた。
魔獣が寄り添い、腰にはラエンギルがある。
「王子様は大丈夫でしょうか」
ティリアンは急に体調が悪くなり、居室に引き上げてしまったのである。
「疲れやすいのは、『白呪』の初期症状よ。少し横になれば、良くなると思うわ」
青年に尋ねたつもりだったのに、答えたのはいつの間にか後ろを歩いていたエルメリアだった。
「着替えのお手伝いをしますわ。あ、ここでいいですわよ」
にっこりして召使いを追い払い、エルメリアは部屋に入るなり両手で頬を叩いた。
「笑顔になり過ぎて、顔がつって来たわ」
「だろうね。愛想が良くて、別人みたいだったよ」
「聞かなかったことにしてあげる。そうそう、例の蛮族ね。逃げ帰ったそうよ。どこから侵入したのかしら。黒の森に、秘密の地下通路でもあるのかしら」
エルメリアは、そう言いながら部屋に置かれた大きな箱に歩み寄った。
ふたを開くと、中には衣裳がぎっしり詰め込まれている。
柔らかい日ざしの差し込む部屋は、白い漆喰を塗った壁に囲まれ、四すみに照明代わりのツリガネ草が置かれている。
木のテーブル。草で編んだ椅子。
壁に飾られたタペストリーと床に敷かれた絨毯には、花や葉が織り込まれている。
今や大型犬ほどの大きさに成長した魔獣は、日当たりのいい窓の下を選んでごろりと横たわった。
「名前を決めないとね。ゼウスはどう? 神様の名前よ。強そうでいいと思うんだけど。ゼウス?」
留衣が膝をついて頭を撫でると、黒い魔獣はきゅううんと鳴いた。
白ゆりの花びらで織られたという白いタイツをはき、紅薔薇で織られた暗紅色のひざまであるチュニックを着て、留衣は鏡の前に立った。
花の妖精になった気分だ。
編み上げサンダルは柔らかいつるで出来ていて、足裏が当たる部分にはスミレの花びらが縫いつけられ、軽くて履き心地がいい。
どれも肌ざわりが柔らかくなめらかで、それでいて耐久性がありそうだ。
花びらや草でどうやってこんなに丈夫な物を作るんだろうと、首をかしげた。
「人間界の花は、もろいそうね。こちらの花はしなやかで、簡単には破れないのよ」
エルメリアが、誇らしげに答える。
「昔は人間がやって来ると、それはもう華やかな舞踏会が開かれたんですって。今では舞踏会どころじゃないけど。貴族の方々が、そろって病気なんだもの」
話しながら、留衣のチュニックの上に袖のない皮よろいを着せた。
ニレの樹皮で織られた布地を何層にも重ねた薄茶色の皮よろいは、軽くて硬い。
「『白呪』のこと?」
「ええ。やっかいな病気よ。サフォイラス様が妖精郷に渡る時、病にかかった者たちを連れて行かれたんだけど、今でも病人があとを絶たなくて。とうとうティリアン様まで倒れてしまわれて、この先どうなるかと思っていたら――――」
妖精の少女は、目をきらきらさせて両こぶしを握った。
「わたし達、頑張りましょうね! この国では、手柄を立てると貴族になれるのよ」
「誰が貴族になるの?」
「もちろん、わたし達よ」
「わたし、家に帰らないと。両親やおばあちゃんが心配してると思う」
「今すぐ帰りたい?」
「そうじゃないけど……」
ティリアン王子のかなしそうな顔を思い出すと、今すぐ帰りますなんて言えない。
自分にできることをすべてやりとげてからでないと、気になって帰れない。
「帰る前に、わたしを大貴族にしてね。公爵とか」
「公爵って偉いの?」
「もちろん。貴族の中で一番上よ」
「タンポポは何爵?」
「爵位なんてないわよ。平民です」
「平民……」
ということは一番下?
それで、いきなり一番上に?
向上心と呼ぶべきか、厚かましいと言うべきか。
「爵位については後回しにして、まずは何をどうやって頑張るかを考えましょう」
大貴族になる気まんまんのエルメリアを、留衣はしげしげと見つめた。
何をどうやっての前に、「誰が」じゃないの?
わたしだけにやらせる気じゃないよね?
グリンをやっつけろと言われたことを思い出すと、嫌な予感がするんだけど。
「聞きたいことが色々あるんだけど。わたしは死んだらどうなるの? 人間だから、妖精みたいに妖精郷には行けないよね?」
「この世界で重傷を負ったら、あなたは消えてしまうの。それを食い止めるには、人間界に戻るしかないわ。妖精が、妖精郷に移住するしかないように。そして二度とこちらの世界には来れなくなるの」
「人間界では生きられるってこと?」
「そういうこと。こちらの世界で大ケガをして、人間界で残りの寿命をまっとうしたアーモンが過去にいるわ」
「そうなんだ」
とりあえず人間界では生きられると分かり、留衣は胸を撫で下ろした。
「できるだけケガをしないよう、気をつけます。リッシアに長くいたいから」
「あなたに頑張ってもらえるよう、わたしも気をつけるわ」
「エルメリアにも、頑張ってもらわないとね」
「もちろんよ。わたしは付き人なんだから」
「わたしの隣で戦ってくれるよね?」
「謙虚に一歩下がって戦うわ。付き人だもの」
えっ……。
腰のベルトにラエンギルを吊るしながら、留衣はエルメリアをにらんだ。
安全な場所で見ている気だな。
「さて。着替えも終わったし、わたし、そろそろ神官長のお見送りに行かないと。素晴らしい方だったんだけど、『白呪』にかかられて、眠りについてしまわれたの。ご家族と一緒に妖精郷に渡られるのよ。よかったら、一緒に行かない?」
留衣はため息をつき、一緒に出かけることにした。