作者の性別
前置きして言うと、作者すーは女である。ただし、いろんな作品を読みすぎ、かつ至上の作品を夏目漱石御大の「我輩は猫である」に定めていたり、詩としての師匠をドイツ・イギリスの詩人(リルケ、ワーズワースなど)に定めていたりいなかったり、ラノベネタにするとキャラクターのリアリティを重んじたりするため「小生」や「私」や女っぽくない言葉を好んで使うことがある。
以前、あるところ(現実)で作者すーは男なのか、女なのかどっちだ? と言われたこともある。リアルでもあまり女らしくはない。
このため作品を読むと、作者を想像して困惑する方もおられるかもしれないが、作者として気にしてほしいのは作品であって作者ではない。
小説は老若男女あらゆるひとびとが描ける夢想のセカイだから、誰かの顔を創造、違った・・・・・・想像して楽しむものでは無いと思うのだ。
90歳のおばあちゃんが主人公だからといって、作者が90歳のおばあちゃんである必要性はないのではないだろうか。
ただし、年輪を経たおばあちゃん詩人(柴田トヨさんなど)の言葉はそれこそ「玉石」の「玉」なのでかないっこない文章(生き様)の戦いをしている気がするけれども。
最近良いな・・・・・・と思う言葉は「みんな同じことを経験しているの」だ。
私は小説の作品性が自分迷惑&ご近所迷惑にならない限り、著作権放棄をしてほかの方々の一助となれば、と思う人間だ。
「人間だ」と決意するときには性別は男でも女でもない。
コピーや盗作を推奨はしない。しかし自分自身の経験上、「玉」の言葉は著作権切れの青空文庫などに収められた名作へのオマージュとなることが多いので、「これがオリジナルだ!」というド根性と自信は、読めば読むほど、書けば書くほど無くなってくる。
これからも面白い小説を書ける一般人のひとりを目指して、夢は書いたことが一度もないスペオペ(スペース・オペラ)でもひとつ、と、今年にできそうなモノをひとつ置いておこう。
次の・・・・・・さ、3部? あ、ここが3部だから 4部からはスペースオペラ。簡単に始まり、終わる物語を思いついたので書いてみようと思う。