いっしょ
「お名前、言える?」
女の人にそう言われたものの、わたしはこたえることができません。わたしには名前がないし、話すのはどうしてもこわかったからです。
わたしは女の人にもらったオレンジ味のあめを、落とさないようにしっかりと持ちました。
ただのあめでも、わたしにとってはタカラモノでした。
女の人と歩いていると、とおりすぎていく人たちにじろじろと見られてしまいました。きっとみんな、わたしがびんぼうがみだということを知っているんだと思います。この女の人はまだ知らないみたいだけど、わたしのしょうたいを知ったらきっと、さよならって言われるだろうなと思いました。
女の人のお家は、おばけのでそうなマンションでした。神さまが「おばけがでそう」というのは変かも知れませんが、ひびわれているカベや、よごれている階段の手すりは、「おばけがでそう」という言葉がぴったりでした。
女の人は自分の家のドアをあけると、さっさと中にはいってしまいました。わたしは、どうすればいいのか分からなくて、困りました。わたしがこの人の家にはいっただけで、この人は不幸になるかもしれません。――いいえ、わたしに話しかけてしまったこの人は、もう不幸なのかもしれません。わたしはあめをにぎりしめたまま、げんかんに立ちつくしました。
女の人がこちらをみて、「……お家に帰りたくなった?」ときいてきました。首をふったものの、どうすればいいのかわかりません。
「お姉ちゃんの家、入るの嫌?」
わたしは首をよこにふりました。
ほんとうは、一日だけでもいいからこの人に、そばにいてほしいと思っていました。
一日だけでも、だれかに優しくしてほしかった。
「じゃあ、遠慮なくどうぞー。一緒にお菓子食べよ?」
女の人はにっこりと笑うと、右手で「おいでおいで」をしました。わたしはオレンジ色のくつをぬぐと、家の中にはいりました。
だれかの家にいれてもらえるなんて、もう二どとないんだと思っていました。
女の人の家は、きれいに片づいていました。本だなには、本がたくさんならんでいます。ベッドは水玉もようで、うすい青色でした。小さなテレビがへやのすみにポツンと座っていて、四角くて黒い顔がこちらをじっと見ているようでした。
女の人はわたしをいすに座らせると、スーパーの袋からお菓子をとりだして、お皿にならべました。それから、そのお皿をわたしの前におきました。
お皿には、チョコレートや、クッキーや、キャラメルがのっていました。
わたしがお菓子をたべている間、女の人はずっと下を向いていました。きっと、ケイタイでわたしのことをしらべているんだろうなと思いながら、わたしはチョコレートをたべました。
女の人がすこしだけこわい顔をしたので、もうすぐサヨナラしなきゃいけないんだとわかりました。わたしのしょうたいがバレてしまったんだ、と。
わたしはチョコレートをたべながら、女の人にもらったあめを見つめました。わたしの好きなオレンジ色で、食べるのがもったいないなと思いました。
だけどもう、出ていかなくちゃ。
このオレンジ色のあめを見ているだけで、わたしは泣いてしまいそうなくらいしあわせでした。
声をかけてくれて、頭をなでてくれた。
それだけで、十分でした。
この人をまきこんでしまう前に、はやく出ていった方がいい。
わたしはせめて、だしてくれたお菓子だけでもたべていこうと、チョコレートを口いっぱいにほおばりました。
なのに、女の人はふんわりと笑って、こういいました。
「私の家に一緒に住む?」
わたしといたら、お姉ちゃんは不幸になるよ。
それがどうしても言えなくて、黙ってしまった私に、女の人はいいました。
「一緒にいてくれる?」
だれかといっしょにいたかったのは、わたしの方でした。




