視認できる神様
それからずっと、女の子は無言だった。私が何を聞いても、返事をしようとしない。下を向いて、私があげたロリポップを両手で握り締めている。彼女にあげたロリポップは偶然にもオレンジ味で、オレンジ色の彼女の服と妙に合っていた。
立ちあがった彼女の身長は、一メートルあるかないかだ。やはり五歳くらいだろうか。大きな目と低い鼻が特徴的だけれど、特別可愛いわけでもない、嫌な言い方をすればどこにでもいそうな女の子だった。
彼女と一緒に歩いていると、道行く人にじろじろと見られた。私が知らないだけで、彼女はここら辺では有名な子供なのかもしれない。誰かに尋ねてみようと思ったものの、その好奇な目を見て思いとどまった。その目は明らかに彼女のことを心配しているのではなく、ただ面白がっているだけのようだったから。
私の住んでいるワンルームマンションは、一人暮らしにしては少し広く、けれど家賃が安いお手頃物件だった。駅から多少離れていても文句のない私は、この物件を見て即決した。地元では『幽霊マンション』なんてあだ名があるくらい、老朽化の進んでいるマンションではあったけれど。
自分はさっさと部屋に上がってから、彼女が玄関から動いていないことに気付く。見ると、彼女はロリポップを強く握りしめたまま俯いていた。わずかに肩が震えていて、けれど彼女は何も言わない。
「……お家に帰りたくなった?」
思い当ることを聞いてみたものの、彼女はわずかに首を振るだけで、口は固く結んだままだ。もしかしたらこの子は話せないのかもしれないと、私はここでようやく気付いた。
「お姉ちゃんの家、入るの嫌?」
訊いてみると、彼女は逡巡してから首を振った。
「じゃあ、遠慮なくどうぞー。一緒にお菓子食べよ?」
私はなるべく彼女が喋らなくても答えられるような言葉を選んで、口にした。彼女は少しだけ顔をあげて、上目遣いに私の顔を見ると、ゆっくりと靴を脱ぎはじめた。その靴もオレンジ色で、ハロウィンみたいだなと私は笑った。
彼女が話せない(文字も書けなかった)ので、彼女の名前は分からなかったし、どこから来たのかも、どうしてあそこにしゃがみこんでいたのかも分からなかった。年齢なら指で表せるだろうと思って訊いてみたものの、彼女は首を傾げるだけで、それすら分からない。
私は彼女にお菓子を食べさせながら、携帯でこっそりと『貧乏神』を検索してみた。彼女に話しかけていた時に聞こえてきた、「貧乏神」という言葉が気になったからだ。普段、新聞どころかテレビすらろくに見ない私は、世間にひどく疎かった。
貧乏神で検索してみると、相当数がヒットした。その内の一つのサイト名を見て、私はギョッとする。
『オレンジ色の貧乏神』
……都市伝説の類ではなかろうか。内心で疑いつつも、私はそのサイトを開いた。
『神様、という存在は日本各地に存在する。その中でも異質なのがこの、「オレンジ色の貧乏神」である。一般的な神様は、人間には姿が見えない。なのにこの貧乏神だけは、人間にも視認できる唯一の神様なのである。落ちこぼれの神様と言っても過言ではないだろう』
落ちこぼれ……。嫌いな単語を見て、私は眉間にしわを寄せながらも続きを黙読する。
『考えてもみてほしい。幸福の神様ならば、人間は喜んでその手を取るだろう。けれどもそれが貧乏神だったなら、どうだろうか。貧乏(不幸)になると分かっているのに、その手を取るだろうか。――そう、貧乏神は、本来ならば一番姿を見られてはいけない神様なのである。
視認できる存在故、その姿を収めた写真がある。次のページに載せておく。彼女と会った際は気をつけてほしい。付きまとわれたら、あなたは確実に不幸になる』
私は目の前でマカダミアチョコを食べている彼女を一瞥してから、次のページを開いた。そして、凝り固まった。
そこに載っていたのは間違いなく、いま私の目の前にいる彼女の姿だった。
『オレンジ色の貧乏神は、容姿は五歳ほどの子供である。いつでもオレンジ色のワンピースに、同色のスリッポンを履いている。見た目こそ可愛いが、絶対に家にあげてはならない。万が一あなたの家にこの貧乏神が居座ったら、あなたの家はたちまち不幸になるだろう』
私はそこまで読むと携帯を閉じて、彼女に目をやった。彼女は口の端にチョコレートをつけながら、マカダミアチョコをぽりぽりと食べ続けている。私があげたオレンジのロリポップは、大切そうに左手に握ったままだった。
今見たサイトの信憑性は分からない。けれど、帰る場所のなさそうな彼女の様子を見る限り、これは本当のことなのかもしれない、と思った。