Brilliant Crown 2
2.
合わせた手に、しっかりと指を絡ませた。
少し前を歩く君の後姿が、なんだか嬉しくて…
嬉しくて、声を出して笑う。
君は少し顔を傾け、僕を振り返り、
「甘ったれ」と、叱って笑うんだ。
「さあ、遠慮せずにどうぞ。取れたてだよ」
畑に続く縁側のテーブルについたふたりに、待ちかねた女房が早速中央の大皿に盛られたジャガイモと青豆の煮物を勧めた。
「今年は去年よりはちっとばかしマシでさ。まあ、味は保障する」
先に座っていたこの家の主人であろう男が、イールとアーシュの皿に料理を注ぎ分ける。
「ありがたく頂きます」と、先にイールがパクパクと食べ始め、煮物の味を褒めた。
(なんだ、普通に食べられるじゃん)
アーシュは人間と違和感のないイールの様子に感心しながら、当たり障りのない目の前の人間たちとのやりとりに、変な気分になってしまう。
(この人たちも平和だな~。目の前の俺たちが何者かも知らないで、もてなしているんだもん)
にぎやかしいのがうれしいのだと笑う中年の夫婦は、決して裕福なわけではない。精一杯働ける喜びと、餓えずに生活できる幸せを、神に感謝しながら生きているという。
「そういや、あんたたちは神殿のお祭りには参加したかね?噂によると今年の謁見の儀は、最近になくすばらしいと聞いたんだが」
「そうなんですって。なにしろイールさまとアスタロトさまが手を取り合ってダンスをされて、終いには参拝した人たちと輪になって踊られたらしいって、夢みたいな話がそこいら中で溢れかえっているんだよ」
「いくらなんでも神さまがおれらと一緒に踊られるなんてさ、そうそう信じられるかい。しゃべくり女のデマさ」
「そんなこと言ったって、町中の騒ぎになっているんだよ。まあ、噂でもおおげさでもいいさ。お祭りにはこの上もなく幸な話だよ。ねえ、そう思わないかい?あんたたち」
「そうですね」
イールがにこりと笑ってシラを切るので、アーシュもあいまいに笑ってぼかすしかない。
(昨日の事なのに、もうここまで話が広まってるのか…。さすがに神さまって破格の影響力なんだなあ~)
アーシュは柔らかく煮た豆をほおばり、自分の行動の責任を改めて考えさせられた。
「あんたたち、新婚さんだろ?」
「え?」
「見りゃわかるさ。ふたりとも初々しいしねえ~」
「はあ…」
「せっかくだから神殿へお行きよ。ここから二日ほど歩けば着くよ。イールさまとアスタロトさまには会えないけれど、まだ収穫祭は続いているから、きっと楽しめるよ」
「じゃあ…行ってみようか?」と、イールはアーシュを見る。アーシュは笑いをこらえながら、コクリと頷いた。
農家の夫婦に見送られ、イールとアーシュは歩き始めた。
「新婚さんなんだって」
アーシュはニヤニヤしながらイールを見た。
「うれしのか?」
「うん」
アーシュは先を行くイールの腕を取って絡ませた。イールは少しも嫌がらず、アーシュの頭を撫でた。
「クナーアンにおいての婚姻の価値はどれくらいなの?」
指を絡ませたまま歩きながら、アーシュは問う。
「お互いが認め合えば、夫婦となる。面倒な届はいらないが、神の恩恵を受けたいと願う者が多いから、自然と神殿や各地の教会へ参拝する者は多い」
「セキレイから聞いたけど、クナーアンは一度愛を誓い合った相手と一生涯添い遂げるのが一般的なんだってね。それってすごいことよ」
「クナーアンだけではなく、ハーラル系の星々の決まり事みたいなものだ。アスタロトは他の星と比べても誇れる風土と言っていたよ」
「それはやっぱり神さまが浮気をせずに、お互いだけを求め合っているからだよね。神さまの行いが星の住民に反映されるのだから」
「私たちの行いと言うより…ひとりの種子と結びつくことを選ぶ遺伝子なのだろうね」
「つまり一生にひとりの相手としかセックスを求めないってことだ」
「そうだね」
「俺は…そうじゃないけど…」
アーシュは初めて多くの恋人たちと関係を持ったことに、少なからず罪悪感と言うものを感じた。
「イールは大丈夫?」
「え?」
「俺、この十八年間、男女構わず好きになった奴と寝てるけど…。遺伝子学的にどうなの?」
「…私に聞くな。私はクナーアンの神だ。それ以外の者になれない。他の者に快楽を求める意識を持たない者に、おまえの育った星の倫理観が理解できるわけがない。それに…アー…アスタロトが…そうなりたいと望んだのだろう」
恨めしそうなイールに、アーシュは同情した。
(イールを傷つけたいとは、アスタロトも思っていなかっただろうに…)
「怒ってる?」
「…怒っても仕方ない。仕返しを望んでも、私にはできぬことだ」
「…ゴメン」
「おまえが謝ることでもない。アーシュが育った環境はそれが当たり前だろうし、それが罪と限定できるわけでもない。文明が違えば観念や意識が変わるのは当然だ」
「…」
イールはアーシュを傷つかせまいとして、自分を納得させているだけじゃないだろうか…と、アーシュは感じた。
「じゃあさ…クナーアンでさ…もし、本当に好きな人に別の相手がいた時はどうなるの?」
「それが真の愛であるなら…相手の意志を尊重するべきだろう。自分が選ばれた相手でなくても、愛する人の幸せを願うことが真の愛であるべきだ」
「愛は理性を失わせない?理想どおりにはいかないよ」
「…どんなに自分が幸せにしたいと思っても、相手が望まないことをして幸福を得られるだろうか」
「自分の想いを打ち明けることによって、相手の気持ちを動かすことだって可能だよ」
「打ち明けて相手が負担に思えば、その時点で純愛とは言えまい」
「…妥協のない恋愛って存在するの?」
「真の愛とは、恋愛ではない。私のアーシュへの想いは宿命だ。私にはそれが必要だった…」
「それは…俺ではないアーシュへの宿命だよ、イール」
「…」
イールはアーシュを見た。
西に翳った陽光が、アーシュの顔をオレンジに照らした。
繋いだ手から伝わる温もりや純然たる愛、お互いを求める想いは少しも変わらないというのに、目の前のアーシュはイールと共に生きたアーシュではない。
それが辛く、胸の奥に秘めた傷跡が痛むのだ。
「日が暮れてきたね。帰ろうか?」
「ああ、そうしよう」
イールは胸にそっと寄り添うアーシュの身体を抱きしめた。
(おかしなものだ。誰にも渡したくない、どこにも行かせたくない、それが真実の想いであるのに、言葉に出せば、真の愛とは言えなくなる…)
イールとアーシュが張りぼての竜に乗り、神殿に戻る頃、すでに辺りは暗く、部屋に灯る微かなランタンを目指し、ゆっくりと飛び立った部屋へ降り立った。
出迎えたヨキたちの前に、イールは眠ってしまったアーシュを抱きかかえて現れた。
「どうされました?」ヨキが慌てて近づいた。
「竜の背がゆりかご代わりになったのだろう。帰る途中で眠ってしまったんだ。悪いがアーシュを部屋で寝かせてやってくれないか」
「わかりました。イールさまもお疲れになったでしょう。ゆっくりとお休みください」
「ありがとう」
イールから眠ったアーシュの身体を受け取ったヨキは、足早にアーシュの部屋へと向かった。心配そうにアーシュを見守っていたルシファーは、イールに深くお辞儀をし、ヨキの後を追いかける。
イールはルシファーの後姿を見つめ、そして部屋に残ったベルへと視線を移した。
ベルはイールを見つめていた。
イールはアーシュの親友と言うこの男が苦手だった。
理由は簡単だ。
ベルのアーシュへの想いが、イールの認識する「真の愛」を具象しているからだ。それは自分自身を見るようで、胸糞が悪くなる。
「ベル…だったね。アーシュなら心配いらないよ。初めての大仕事で疲れただけだ。じき慣れれば疲労も少なくて済むだろうから」
「それはどれくらい…かかります?」
「それは…すべてを終らす時期を指すのか?」
「…そうです」
イールは少し離れたままのベルに身体を向け、それなりの威厳をもって、十八になる少年を見下した。
「…豊穣の神としての仕事は、短期間なものではない。特にこの十八年間、恩恵を失った大地も森も海も枯渇しきっている。天の皇尊から頂いたアーシュの使命は重くきついものだが、十八年前の状態に戻す為にはアーシュの力が必要なのだ。君がアーシュを心配する気持ちもわかるが、理解して欲しい」
「…アーシュはこの惑星の為に生まれ変わったのでしょうか。…あなたと生きたアスタロトはクナーアンに縛られるのが嫌で、生まれ変わる運命を選んだのではないのでしょうか…。アーシュはクナーアンの神に産まれたかったわけではない。違いますか?」
「君の言いたいことはわかるつもりだ。私もアーシュをクナーアンに縛り付けようとは思わない。彼の望むままにしてやりたいだけだ」
「だけど、アーシュはあなたの想いに応えたいと願う。あなたが望むことはアーシュを束縛することではないのか?」
「…」
イールはベルという人間のすべてを見た。
裕福な家庭に生まれ、親の愛情を見失い、「天の王」学園でアーシュやルシファーと出会い、本当の友情と愛し合う意味を知った。
アーシュを愛しながらも、アーシュの恋人であるルシファーを思い、打ち明ける事もせず、心に秘めたまま生きてきた。
ルシファーを失い気落ちしたアーシュを今日まで支えてきたのも、ベルの決して束縛しない包み込むような愛情だったのだ。そしてベルはルシファーと再会し、またクナーアンの神として生きるアーシュを、いつまでも愛し続けようと己に誓い、聖人の如く日々を生きている。
(自分を偽り続けることで、この少年のアーシュへの純愛は崇高となり得るのだろう。だが選ぶことと願望が違うのもまた煩悩の種でもある。…人間も私も同じだ)
「…すみません。失礼なことを言いました」
沈黙したイールの反応に、ベルは我に返り心から謝罪した。
「いや、謝る必要はない。己が愛する者を独り占めしたいと思わぬ者はいないだろうからね。私も君も…同じだ。アーシュへの愛に縛られている…それを本望としている。違うかね?」
「…いえ、正しいと思います。ただ、俺には…なにもないことが惨めで情けなくて…身の置き所が無いのです。あなたのように運命で結ばれているわけでも、ルゥのようにアーシュに選ばれたわけでもない。ましてやメルみたいに他人事でいられないのだから…すみません、単なる愚痴ですね。わずらわしいだけの戯言でした」
「ベル、君の存在がアーシュや…私にとって…」
イールは言葉を止めた。
ぼやけた未来を口にしても、現実がその通りに進むとは限らないのだから。
「これからもアーシュの支えになってくれることを、望んでいるよ。では、失礼する」
(十数年をアーシュと共に生きたおまえが妬ましい。私だけのアーシュを寝取ったおまえ達が…)
癒しの神である自分に、どれほどの力があろうとも、結局は愛が産む嫉妬の感情には勝てないのだと、イールは自分を嗤うしかなかった。
それからも、アーシュのクナーアンに恵みを与える旅は休みなく続いた。
アーシュの傍らには常にその半身であるイールがアーシュを見守っていた。
山や海、砂漠や峡谷、村や街、アーシュはすべての存在するものへ豊穣の種子を蒔いていく。
時折アーシュは大地に身を任せた。
耕したばかりの土にうつぶせるアーシュに、イールは声を掛ける。
「嬉しそうだな」
「ふふ、土に抱かれているんだ。あったかくて、俺を守ってくれているみたいだ。これがクナーアンのエナジィの源なんだね」
「…アーシュ」
イールは土くれに汚れたアーシュの身体を抱きしめる。
(いつまでもこのままでいたいと望むのは、愚かな愛でしかないのだろうか…)
イールとアーシュを抱いた辺り一面には、季節外れの可憐な白い花が一斉に芽吹く。
人々はその花を「喜びの花」と名付けた。