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Brilliant Crown 1

挿絵(By みてみん)


1.


  夜露に濡れる頬を「泣いているのか?」と、憂う君に、僕は首を振る。

  拭う指に接吻をし、笑おうとしたけれど、上手く笑えない。

  きっと…

  今の確かな幸せと、それ以外の不確かさに怯えているのだろうね。

  


 ドラゴンの背に乗って空を疾走する爽快さに、アーシュは瞬きもできない。

 生まれてこの方、サマシティの一角「天の王」学園の構内だけで十八年間を過ごしてきたアーシュは、まさしく籠の鳥だったのだ。

 籠から飛び立った鳥は、外の世界に飛び立つけれど、慣れた籠に戻ってくるという。

 しかし、飛ぶことを覚えたアーシュの翼は、未知の未来を知る為にどこまでも羽ばたいていくのだ。


 ふたりが降り立った最初の場所は、神殿から遠くない田舎町だった。

 イールはアーシュにクナーアンの人々の生活を見せる事から始めた。

 フードを深めにかぶり、ふたりは賑わう市場へ足を踏み入れた。

 アーシュにはすべてが目新しくもあり、今までの現実には見かけない不思議な世界が目の前で繰り広げられていることに驚嘆の声を上げるのだった。


 クナーアンには貨幣制度は整ってはいるが、田舎では等価交換の方が好まれる。

 誰もが働き、何かを生産、製品する世界では、都合が良いらしい。

 産業の進化と、利便性から見れば、文明は遅れたものかもしれないが、価値観というものは、そこに住む者が計るものである。

 アーシュは「名物饅頭」と書かれた店先に立った。なるほど出来立ての湯気が立った饅頭が売られている。

 イールは立ち止まったアーシュの視線に気がついた。

「腹が減ったのか?」

「うん。でも…等価交換するものを持っていないんじゃ、買えないね」

「こういうこともあろうかと、氷糖を忍ばせてきた。貴重なものだから価値があるよ」

「さすがはイール。じゃあ、すみませんが、コレ下さい」

 アーシュはイールから受け取った袋から氷糖を店子に見せた。

 店子は氷糖を手に取り、舐めて確かめ、三本の指を立て、氷糖と饅頭を交換した。


「へえ~、氷砂糖三個が饅頭二個分か…え?…なんで二個もくれたんだろ?」

「私が傍にいたから連れだと思ったのだよ。相場は氷糖二個で饅頭一個だから、まけてくれたんだろうな」

「…なんでイールがそんなこと知ってるの?」

 アーシュはイールが神殿から外へはあまり出歩かないと、ヨキに聞いていたから、庶民の生活など、詳しくは知らないものだと思っていた。

「…色々と勉強したんだよ」

 短く言い放ち、イールはすました顔でアーシュの手を引き、前を向いて歩いた。


(俺にクナーアンの世界を見せる為に、イールなりに気を使ってくれているんだな)

 アーシュは少し照れて赤くなったイールを見つめ、その気持ちを知って嬉しくなった。


 市場を出て、木の陰に腰かけて買った饅頭をイールに分けようとするが、イールは欲しがらない。

「イールって少食なの?」

「私たちは人間とは身体の作りが違うらしい。あまり腹が減ったりしないんだ。水と少しの食べ物は口にするけれどね」

「ふ~ん」

 アーシュは手にした饅頭をじっと見つめた。

 食べる楽しみが味わえないイールに、少し同情しそうになるが、必要ないのも便利なのかも…と、思った。

「アーシュの身体は人間と同じで、食べ盛りの年齢なのだから沢山食べて構わないんだよ」

 イールはアーシュが遠慮したのかと思い、笑って勧めてくれる。

 アツアツの饅頭も今はちょうど良い塩梅に冷めている。

 思い切りかぶりついた。饅頭の皮は思ったより柔らかく、中には炒めた野菜と煮た青豆がぎっしり詰めてある。名物だけあって、アーシュの口にも合う。

 どちらかというと塩味ばかりが効いているサマシティの食事よりも、クナーアンで味わう食べ物の方が、味付けは薄いが食材の味がしっかりと感じられ、アーシュには美味く感じる。

 瞬く間にアーシュは二つ目の饅頭を口にした。

 その様子を楽しげに見つめていたイールが口を開く。


「そういや…アー…アスタロトも腹が減ったと時折愚痴を言うんだ。彼はグルメでね。色んな星を巡っては、珍しいものを持ち帰るのだが、その中には食べ物もあった。凝った菓子やら、日持ちのする加工肉やら…食べやしないのに、神官たちに味見させてびっくりする顔を見て喜ぶんだ…」

 イールはアスタロトを思い出して、微笑んだ。

 少し寂しげではあったけれど、綺麗な笑顔だとアーシュは思った。


「さあ、腹が膨れたら仕事を始めようか?アーシュ」

「うん、豊穣の恵みを大地に与えるんだね。だけど…どうやって?」

「アーシュが心から祈ればいいんだよ。私たちの魂はこの星のすべての有るものと繋がっている。おまえの意志が強ければ、あらゆる生命は応えるだろう」


 立ち上がったアーシュは、目の前に広がる刈り取られた田畑や、繋がる枯れた草原の地、その向こうの赤く紅葉する山々を眺めた。

 ゆったりと流れる空の雲に合わせ、その影と光が大地を交互に照らしていく。

 サマシティにも四季はある。だが、夏でも上着を着て過ごし、冬の寒さも僅かの積雪で済む。落葉樹は少なく、街並が赤く染まることはない。

 季節がこれほど景色を変えるのを目の当たりにするのは始めてだった。


 風が吹いた。

 はらはらと目の前に落ちてくる赤い葉を、アーシュは手の平で受け止めた。

「俺の街にも黄色いイチョウの葉は落ちるけれど…ここはすべてがため息が出るほど…綺麗だね」

「どの時を見ても、どの場所に居てもクナーアンは美しいのだろうね。私は他の星を知らないから比べようもないが…」

「俺は…この世界を総べる者なのか…」

「そうだ。アスタロトと私が、このクナーアンの大地を…この景色を守ってきた。そしてこれからも守らなければならないのだろう」

「俺が死んだら…この世界は…この自然はどうなる?」

「…わからない。だが…そう心配はしていない。私たちが居なくなった後の事は『天の皇尊』の意志だ。クナーアンを決して悪い形にはしないと思う」

「へえ~、イールにしてはやけに楽観的だね」

「悲観的に考えても何もならない。私たちは決めてしまった。それがこの地に住む者にとって災いか幸いかはわからないが、すべての住民は他の星に移住する権利がある。住み難いのなら好きな場所へ移ればいい。慣れた土地を捨てて他星へ移り住むのは覚悟がいるだろうが、荒れた土地なら諦めもつく」

「…それでいいの?俺がもし不死を選んだら…イールは死ななくていいし、このクナーアンだって荒れたりしないんでしょ?」

「アーシュ、前にも言ったはずだ。私たちは好きな未来を選べるのだ。誰に咎を受けるでもなく、私たちがこの星を未来を決めることができる。その私たちが死ぬことを許されぬはずはない。…受け入れるべきはこの星であろう」

「…」

 イールの言葉を胸におさめ、アーシュは目を閉じ、このクナーアンの未来を思った。


 永遠に続くものなどない。

 ただ自らの手で汚したくないだけだ。それは…弱さかもしれない。

 この星を傷つけることは、神自身が傷を負うことでもある。


 両手を広げ、アーシュは祈る。

 今の自分にできることは、課せられた義務、「豊穣の恵み」を与えること。


 来年の実りが豊かでありますように…

 人々が自ら掻いた汗が、努力が報われ、その喜びを多くの者と分かち合えるように…

 

 アーシュの身体中の血が激しく打ち震え、あらゆる血管を一気に巡っていく。

 きりきりと肉や骨が軋み出す。

 広げた両手の平から、目に見えぬエナジィが泉のように少しずつ湧き出し、そして迸り始めた。

 大気や踏みしめた大地へと流れ、乾いた土が水を欲しがるように、アーシュのエナジィが吸い込まれていった。

 アーシュを取り囲むものすべて…星の生命が喜んでアーシュを受け入れている気がした。


(ああ、これが、クナーアンの神としての使命なのか…星との共鳴…これも一種の『senso』なのかもしれない…)

 段々と身体の力が抜けていき、意識が遠くなるのを感じたアーシュはイールに寄り掛かるように倒れ、そのまま気を失った。


挿絵(By みてみん)



 目覚めたのはベッドの上だった。

 粗末な綿のシーツからは陽の匂いがした。

「気がついたかい?アーシュ」

 ベッドの端に座るイールが手を伸ばし、アーシュの頬を撫でた。

「ここは?」

「民家だよ。おまえが倒れたので、通りかかった者に助けてもらったのだ」

「俺…」

「人間でいうところの貧血ってやつだな。急激な疲労で身体がついていけなかったんだろう」

「…ごめん。初めての仕事なのに失敗しちゃったね」

「え?…失敗などしていないよ。アーシュはうまくやったさ」

「本当?」

「窓から外の景色を眺めてごらん。さっきとは大気も大地も違って見えないか?」

 アーシュは身体を起こし、ガラスも嵌めこんでいない木枠の窓から外を眺めた。

 先ほどと大して変わらぬ秋の景色だが、確かに色や匂いや輝きが違う。

 

「大地がおまえの与えた恵みにより潤ったのだ。来年の種蒔きを心待ちにしている」

「…うん」

「勿論、おまえが与えた恵みはこの辺りの土地であり、クナーアンからすればほんの僅かなものだが…最初にしては悪くない出来だ。良くやったな、アーシュ」

「でもさ…毎回こんなに疲労困憊になるんじゃ…クナーアンすべてを回るうちに一年経っちゃうよ」

「効率のいいやり方を覚えれば良い。大体…アーシュは無茶すぎる」

「そうなの?」

「自分の活力を与えるばかりでは、エナジィなどすぐに枯渇してしまう。自分が与えた分だけもらうんだよ」

「もらう?」

「そう。大地から大気からすべての自然に生きるものは、私たちと繋がっていると言っただろう?彼らに豊穣のエナジィを与え、彼らの余った源泉を吸収する。それはおまえの活力に還元する。エネルギー循環作用だな。これだったら疲れることもない」

「なるほど…理解。じゃあ、今からやってみる」

「待ちなさい。しばらくここで休憩しよう。民の暮らしを体験するのも今回の学習の一環だ」

「なんだか、学生に戻った気分だよ。神さまというより先生と一緒の課外授業みたい」

「良き指導者であればいいんだけど…」

「イールはステキな先生です。勉強だけじゃなくてセックスも最強だし」

「…それは誘っているとみなしていいのか?」

「うん。なんか、すげえしたくなったきた~」

 イールの胸に寄り添ったアーシュは、キスを求めた。それに応じようとした時、部屋のドアがギギギと音を立て開いた。


「相変わらず建てつけの悪いドアだよ。蝶番が錆びているんだろうけど…おや、目が覚めたかい?坊ちゃん」

 ふくよかな中年の女は、ふたりに憚ることなく近づき、アーシュの額に手を当て「良かった。熱はないようだね」と、言い、安堵した顔を見せた。

「食事の時間だよ。今日はお天気が良いから外で頂くんだよ。ほら、起きて。まあ、なんて痩せこけて頼りない身体つきなんだろう。これじゃ倒れもするさ。栄養のあるもん沢山食べて元気にならなきゃね。大事なお連れさんを心配させちゃ駄目だよ」

 女…ビネは呆気に取られているアーシュの身体をベッドから軽々と持ち上げ、床へ立たせた。

「さあさ、早くしないと特製スタミナスープが冷めちゃうよ」

 アーシュの背中を思い切り叩き、ビネは飛ぶように部屋から出て行った。


「すげえバイタリティオバサンだ。俺、あんなの初めて見た」

「そうか?クナーアンじゃ珍しくないぞ。あれは一般的な農家の女房だな」

 イールも立ち上がり、アーシュの肩に手を置き「行こうか」と、歩き出した。


「ね、あの人は俺たちを見て何も感じないの?」

 アーシュは横に並ぶイールの際立った美貌が、誰の目も惹かずにはいられないはずだと思った。

「暗示をかけたのだ。私たちに接する者は、私たちが何者か、どこからきたのか、美しいとか何かが違うとか…そういう疑問や関心を持たない…とね。人間には私たちが若い恋人同士にしか見えていない」

「ああ、そういうことね…じゃあ、恋人同士ってことは気取られてもいいんだね」

「まあね」

 アーシュはイールのこだわりが殊の外気に入った。


(つまり、人前でいちゃついても、構わないってことだな)

 アーシュはわざと元気がなさそうな頼りない仕草でイールの肩に凭れ、寄り掛かりながら部屋を後にした。



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