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Phantom Pain 20

挿絵(By みてみん)


  美しきものを知る者は、美しき魂を持つ者だ。

  何故なら…美しいと認める心こそが本当の美しさの意味を知るからだ。

  しかし、魂の彩りは、四季のように移ろいやすい。

  普遍の美は、各々の移ろう魂にこそ、映し出されるのであろう。

  

 

 人々の熱狂は壇上のイールとアーシュに届いていた。

 ふたりの神を讃える割れんばかりの歓声が神殿の大広間にこだまする。

 それが民衆の本心であるかどうかを知ろうと思えば、ふたりの神はその魔力により容易く彼らの感情を見通すことができた。

 怪しい者や、危害を加える者が居れば、行動を起こす以前に確実に予見できる。

 だが、感情とはおもしろいもので、愛情と憎しみは裏表に存在する。殺意もしかり。殺したい相手は実は一番殺したくない相手でもある。

 アーシュを偽物だと叫ぶ者を、この広間に足を踏み入れた時から気づかないふたりではなかった。だがその者を責める気などは毛頭ない。

 男は真贋の能力を持つ者だ。それは男の実直さなのだ。

 作物が実らぬことも、目の前のアーシュが二十年前に見たアスタロトとは違うことも、彼の見極める目の確かさだった。


 十八年前、アスタロトは収穫祭を終えた後、自分に出来うる限りの魔力でもって、この惑星ほしの隅々にまで豊穣の恵みを与えた。その後、すぐに消えてしまう自分の未来を予感していたのかもしれないが、アスタロトはクナーアンの大地に精一杯の愛情を注ぎ込んだ。

 そしてその恩恵は確かに一年後、二年後の大豊作となり得たのだった。

 だが、魔力は永遠ではない。

 アスタロトがクナーアンから消えて、十年ほど経った頃から、作物だけではなく、木々の緑や土壌が少しずつ涸れ始めた。

 イールはアスタロトが与えられぬ分の恵みを補おうと懸命に力を尽くしたのだが、豊穣の天意を受け継いでいないイールには、アスタロトほどの力は無かった。

 イールが持ち得た智慧と癒しの恩恵で、地上は餓えることはなかったが、アスタロトが居た時代とはやはり大幅な違いがあった。

 影響はそれだけではない。

 アスタロトがいないこの十八年間に生まれた赤子は、それまでと比べても少なかった。

 アスタロトを失ったイールの悲痛な心と、交わらぬ愛が、クナーアンに生きる者すべての魂になんらかの影を落としていたのだ。

 豊穣と性愛を失ないつつある地上に、人々は神々への一層の信心を高めようとした。

 クナーアンに生きる者はイールとアスタロトへの敬虔な愛を徳としていたのだ。

 

 突然の男の言葉は、周りの人々を驚かせた。

 異を唱えることは神への冒涜であり、恐怖である。どのような災いが降りかかるかわからない。

 人々は男から距離を取った。

 蔑む者、知らぬふりを決め込む者、愚か者だと小声で罵る者…

 人々の険しい眼差しが、男を責めたてた。

 今更ながらに男の両足は恐れに震え、かろうじて身体を支えるに過ぎなかった。

 

 アーシュは玉座からすっくと立ちあがり、足早に階段を降り、床に積まれた貢物の中のイネの穂の茎を一掴み手に取ると、まっすぐにアスタロトへ意見した男へと近づいた。

 人々はアスタロトの歩を遮らないように道を開け、愚行にしか思えぬ男の有様を見つめていた。

 民衆の大方がこの成り行きを楽しんでいるのがアーシュにはわかる。

 別に楽しませる為のものではないが、一興もやむを得ない。


 周りの期待を背負った当人は、近づくアスタロトに動揺を隠せず、二歩、三歩と後退さった。

 アーシュは男の前に立ち、その目を見つめ、口を開いた。

  

「…ウルト。君の心に応えよう」

「あ…わ…わたしは…」

 男は告げた覚えがない自分の名を呼ぶアスタロトの声に驚き、怯え、そして畏れた。

 男は…ウルトはその場で両膝を折り、両手を床につき、ただただ平伏した。

 アーシュはウルトの前に屈み込み、大柄の身体を小さく折って、震えながら低頭するウルトの肩に優しく手を置いた。

「…年老いた両親と、妻と子供、そして弟の家族を支える為に、田畑を懸命に耕し、精魂を傾け、懸命に作物を育ててきた。毎朝、君は天と神に感謝の祈りを捧げ、今日もまた平穏な日が続くようにと空を仰ぐ。そして自身の運命を詰ることなく受け入れ、日々豊かな実りを育て上げる事を一心に、今日までを尽くしてきた。…この何年、不作が続いても君は神への恨み言など一切口にはしなかった。そして、たとえ自分がひもじい思いをしても、家族には決して同じ思いをさせなかった。今も君は俺を畏れながらも、心の底から信じてくれるのだね。…君は、尊敬すべきクナーアンの民だ。さあ、顔を見せてくれないか?」

 アーシュは床についたウルトの手を取り、顔を上げさせた。

 ウルトの顔は涙でぐしょぐしょに汚れ、目も当てられぬ程であった。

「君の涙と心は、誰よりも誠実で美しい」

「ああ…アスタロトさま」

「俺は君を誇りに思うよ、ウルト」

 アーシュは手にしたイネの穂をウルトの両手に渡した。そして、その穂に片手をかざす。

 アーシュの指の隙間から微かな光が漏れた。そして指の間からイネの芽が伸び、小さな双葉をつけた。

「これは…」

 ウルトは驚きの声を上げる。

「俺からの贈り物だよ。君の穢れない心により、産みだされた新しい実りの芽だ。受け取ってくれるかい?」

「あ、ありがとうございます…ああ、アスタロトさま、何と申し上げればよいのかわかりません。感謝いたします」

 静まった広間に、ウルトの号泣する声だけが響いていた。


「神の御業でも、何事も悠久不変だとはいかないものなんだ。憂鬱な時もある。心配させてしまったね。でももう大丈夫だ。俺はここに居る。君の不安は消え去るだろう」

 アーシュは立ち上がり、群がる人々を見回した。

「皆に約束する。豊穣の神としてクナーアンの端から端まで、すべての大地に祝福を与えよう。来年も再来年もその次も…。だが、田畑を耕し、作物を育て実らせるのは各々の努力と熱情だ。また、俺は戦いの神でもある。己の欲望や野心に負け、力で無力な敵を傷つける者がいれば、俺は必ずその敵の盾となるだろう。忘れずにいて欲しい。人は神に救いを求めるが、本当に自分を救えるのは己自身でしかないのだと。神は救いの種を心に植えるだけなのだ、と言うことを」


 人々はアーシュの言葉のひとつひとつを自身の心に刻み込ませるように、聞き入り、頷いた。

 しばらくの沈黙の後、突然アスタロトを讃える割れんばかりの歓声が大広間を包んだ。

 アーシュははたと我に返った。喜び沸き立つ人々に囲まれながら困惑したような顔を見せ、飛ぶように玉座まで戻ると、緊張した面差しのまま、黙り込んでしまった。

 隣のイールはそんなアーシュを穏やかに微笑みながら、見守っていた。



「あ~もう、なんであんなことしたんだろ~。イールも止めてくれればいいのにさあ~」

 その日の深夜、イールの部屋のベッドの上で、アーシュは駄々を捏ねるように喚いた。

「なにが?」

 イールはうつぶせになり足をバタつかせているアーシュを子供のようだと呆れながらも、可愛らしさに口元が緩むのを抑えきれない。

 アーシュに近づき、自らもアーシュの傍らに横になった。イールは肘を付き、空いた片手で枕に顔を伏せているアーシュの頭を撫でた。

 アーシュは子猫のように気持ち良さ気に目を瞑り、ふふと喉を鳴らした。


「…俺、あんな目立つことをしてしまってさ…」

「別に自分を責めることでもないだろう」

「だって…さ」

 アーシュは枕からちらりと目を上げイールを見つめた。

「なに?」

 イールは微笑みを湛えながら、アーシュの次の言葉を促した。

 アーシュは身体を仰向けにひねりながら、身体を落ち着かせると、頭を撫でているイールの手を両手で握りしめ、自分の胸に置いた。そうすると安心したのか、ほうと一息つく。

「無我夢中だったとはいえ、俺の取った行動は、アスタロトが示した『神の概念』を裏切るようなものだ。アスタロトはクナーアンの民に神の干渉を受けずに、自分たちで切り開いていく未来を望んだんだろう?…俺にはそれが正しいのかどうかはわからない。けれど千年以上もの間、神の役割を果たしたアスタロトが求めた指標が間違っているとは思えない。だから…アスタロトの思いに応えるべきじゃないのかと、それが正しい選択なのだと、理解していたんだ。なのにさ…」

「おまえは自分のしたことを後悔しているのか?」

「…後悔というか…あの場で見て見ぬふりをやり過ごしたら、そっちの方が後味が不味くなるのはわかっていた。あの人間の思いに応えてやりたかったのは俺の本心だもの。でも正しい選択だったのかは…わからない」

「アーシュ、我々の選択に正しいも間違いもない。それを決めるのは歴史でしかない。私たちは未来を選択する権利と責務を『天の皇尊』から与えられた存在なのだ。もしおまえが義の為に、人間を何万人と殺戮したとしても、おまえを責める資格を持つ者はいない。それがこのクナーアンを導く神としての選択だからだ」

「…」

「確かに…十八年前、私はアスタロトの目指す『概念としての神の姿』に同意した。この地上で何があろうと人間の世界に干渉せず、人の手の届かぬ神聖なる者として民に崇められるだけの存在になること。…アスタロトの指標はひとつの選択であり、我々はそれを選ぼうとした。だがそもそもこの提案の根底にあるのはアスタロトが『死』を求めたことによる。…私もまたこれに賛同した。だが私が『死』を願うのは、神の役目に飽きたからではない。私はアスタロトと共に生きる神であることを生きる糧にしていたからだ。…アスタロトは我々が死んだ後、クナーアンの民が混乱しない方法をあらゆる限りに考え、この答えを導いた。それが概念としての神の姿だ。だがアスタロトは消え、そして新しく生まれ変わったおまえがここに神として存在する。…アーシュの選択がアスタロトと違うものであっても、それが新しき『神』の意志であるのなら、構わないのだよ」

 イールの言葉は重く、「神の責務」がアーシュの心に重く圧し掛かっていた。

「俺は…」

 抑えきれない苦悶の涙が溢れ、アーシュは腕で目を覆い隠した。

 

 イールは声を堪えてすすり泣くアーシュを宥めようと背中を撫でた。だが撫でられたアーシュは身体を震わせ、今度は堰を切ったように嗚咽し始めた。

(アーシュは今初めて「神」の重さを知って、恐れているのだ。無理もない。たとえアスタロトの生まれ変わりであっても、アーシュはこのクナーアンとは無関係の異次元の世界で、人と同じように生まれ育った十八の少年なのだから。クナーアンの神と言われて十数日しか経っていないのに、星の未来を担えなど…)


 これほどまでに泣きじゃくる恋人を、イールはかつて見たことはなかった。

 イールは悲痛な声音で泣き続けるアーシュを哀れみ、募る愛しさに、必死で宥めようと試みた。

「ねえ、アーシュ。そんなに泣かないでくれ。私まで悲しくなるじゃないか」

「だってえ…えっ…」

 アーシュの泣きじゃくる声は収まらない。

「聞いてくれないか?ねえ…天の皇尊がひとつの星にふたりの神を置いたのは、ひとりで泣かない為なのだよ。私たちは半身なのだから、喜びは倍に、苦しみは半分に分かち合うものなのだ。…私がひとりで泣いていても、きっとどこかで生きているおまえを思い、死なずにいられた。そして、おまえが私の元へ還ってくれた時、私は何倍をも幸いをおまえと分かち合えたのだよ」

「…」

「…だからね、クナーアンの宿命はおまえひとりに負わせるでも決めるものでもないのだよ。私が居る。私はおまえを助け、おまえを護る為に、おまえの傍に居る…わかるね、アーシュはひとりではない…」

「…うん」

「だからそんなに怖がらないでくれ。ポジティブと能天気はおまえの長所だろう?」

「イール、それ褒めてない」

 泣きながらアーシュは笑った。

「やっと笑ったな、アーシュ」

「ふふ…」

 自分を懸命に勇気づけてくれるイールが、たまらなく愛おしく、アーシュは運命の相手がイールであった幸運に胸が奮えた。

「ありがとう、イール。大好きだ」

 頬にこぼれる涙を拭くイールの指先に口づけ、アーシュは半身を起こし、イールを抱きしめた。その首に両腕を絡ませ、イールが面食らうほどに何度もキスを繰り返した。

 

 つとアーシュは顔を天に向けた。

 すでに涙はなく、白く清冽な面を輝かせたアーシュは、厳かな神の声で夜天に光る月に吠えるように奏上する。


「イールと出会った喜びを…イールが俺の半身である幸いを…イールと愛し合える熱情を…今宵、天の皇尊に感謝いたします…」


挿絵(By みてみん)



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