Phantom Pain 19
19.
祝福の宴は星に集う民の叙事詩となる。
ただ踊るが良い。
天を司る玲瓏のふたつの月は、形を変えようとも
永久に皆を照らし続ける…
その年の降誕祭と収穫祭は、その後、参詣した民衆によって、人々の耳に広がり、やがては端々まで届き、延々と語り継がれるほどの記憶に残るものになった。
クナーアンの二人の神が住む神殿は、見晴らしの良い小高い丘にある。
人が建てたものではなく、天の皇尊が惑星クナーアンに降り立った際に、七日で作り上げたものだと伝えられている。
山や森を抜け、果てない草原が続く向こう、なだらかな坂道を一刻ほど登り続けると、美しい白亜の神殿が現れる。
人々は感嘆の声を上げ、溜息をつき、その姿をしばらく眺め足を止める。そして、疲れた自らの足を奮い立たせ、また歩き始める。
やがて、もう一刻ほど歩き続けた後、やっと目的の門前に辿りつくのだ。
神殿は毎日決まった時間に開かれ、内を拝観することができるが、クナーアンの神、イールとアスタロトに拝謁を許される機会はあまりない。
神々を拝する日取りは、前もって決められているからだ。
四季の初日と、降誕日と重なる収穫祭の三日間が、その機会を得る。
神殿の扉は朝陽が昇るちょうどに開かれ、待ちかねた民衆たちが行儀良く列を整えながら、静かに足を進めていく。
聖なる神殿において騒いだり、愚かなことをしでかす者は、まず居ない。
神殿の入り口から広間に続く身廊の途中に左右に分かれた廊下が続き、別棟へ繋がる。
左の棟は、神々の歴史を語る美術品が並べられる宝物館である。人々はクナーアンの守護者を描いた絵画の一つ一つの足を止め、それぞれの愛を込めてそれを見つめ続ける。
右の棟は、普段は参詣者たちの休憩所となっているが、祭りの時は、近場の宿に泊まれなかった者の為の宿泊所を兼ねている。
身廊を抜け、大広間に足を踏み込むと、高い天井と何本もの円柱、そして放射状の梁に支えられた巨大なドーム型屋根の壮観さが人々の目を惹きつける。
広間の中央を陣取るものは、幅のある謁見用の十二段のシンプルな階段、その頂上にはクナーアンの神々が座するふたつのきらびやかな黄金の椅子が見える。
千年以上もの間、イールとアスタロトがクナーアンを支えるために座した歴史の宝物でもある。
椅子の背景の壁には太陽を形どった枠に変形のガラスがはめ込んである。広間から仰ぎ見る者の目には、見る場所、季節と時間により、ガラスの色は様々に変色して映るらしい。
クナーアンのすべての民衆は、神の姿を拝見することができるが、十二の階段の一段すら足を踏み入れることは許されない。
また、謁見においてそれぞれの祝福や祈り、願いの言葉などは発することは許されるが、神はこの場での要求に応えることは一切ない。
それ以外の規制は緩く、神々がお出ましにならない時間を人々は大広間のあちらこちらに陣取り、旅芸人たちの演奏や唄や舞踊、または余興を楽しみながら、年に一度の祝賀を楽しむのだった。
何の前触れの知らせも、緊張も、また護衛もつかないまま、ふたりの神々は神殿の広間に姿を見せた。
話し声や楽の音が止み、すべての人々の目は、輝く光を纏い現れた二神の姿へ一斉に向けられる。
清流のように滑らかに人々の中へ歩き始めるふたりの神々に、人々もまた、注ぐ流れを止めることはなく、階段までの道をそぞろに開け、その両脇に悉く跪くのだ。
だが、深く頭を垂れようとしても彼らは目の前を歩くふたりの神の姿を一目だけでも目に焼き付けたいと言う抗えぬ思いに、無礼と知りながらも、誰もがその姿を仰ぎ見ようとする。
そこにあるのは、人が心に描く憧憬だ。
先を行くイールは正装の金の縁取りも鮮やかな青いローブを羽織り、その下には肌の色と変わらぬ乳白色の薄い生地にサクラの花弁を織り込んだ紗を重ねた長めのチュニックを身に着けている。
腰に巻くのはわずかに色が異なり、複雑な編み込みを施した赤色帯。
歩く度に金の帯留めの飾りが微かに鳴る。
光に透けて輝く巻き毛の銀髪の美しさは言わずと知れ、優雅で落ち着いた身のこなし、雲一つない晴天の澄み渡った青空色の瞳に柔らかな微笑みを湛えた表情は、見る者すべてが慈しみの愛に救われるようだ。
すぐ後を歩く神は、アスタロト。
人々が肖像画で見慣れた髪型とは違い、緩やかなウェーヴの黒髪を短く切った見慣れぬ姿でイールの後に続く。
どことなく興奮した面持ちで、雪花石膏の肌に薄らと紅潮した頬も何とも言えず魅惑される。
だが、にわかになまめいて見える心を、拝顔する者は戒めなければならない。適わぬ恋を押しとどめる理性は身を守るには必要だ。
アスタロトの羽織る真っ赤なローブには、銀糸で刺繍された薄荷草の模様が幾重にも絡まり、爽やかな匂いが広間一面に広がっていくようだ。
完璧な鼻梁に紅玉色に艶めく口唇…なんにしてもその夜天のような深淵の闇色に煌く星々を集めた瞳の神秘さは計り知れない。その瞳でひとめでも見られてしまったら、多くの者は硬直したまま息を止めるのではないだろうか…
古くから、多くの詩人は何度もこのアスタロトの宇宙の瞳を繰り返し謳い続けているのだから。
優美な動作で階段下にたどり着いたイールは、後ろを振り返り、アスタロトに手を差し出す。ニコリと笑い、アスタロトはその手を掴み、ふたり並んで、ゆっくりと十二の階段を昇って行く。
上がりきった座所のふたつの玉座にそれぞれ座り、軽く片手を挙げると、広間に集まった人々は声を合わせ、気が済むまでイールとアスタロトの名を連呼し、祝福の歓声を謳い続けるのだ。
祭りは始まった。
三日後の日没の時まで、はるばる参拝に来た者たちは、心に巣食うすべての邪念を、クナーアンの神々の姿を拝し、浄化させるのだ。
人々は神への祝福と、己の祈りをいっしょくたにして、ふたりの神に心を込めた貢物を献上する。
階下に置かれた数々の品物は、それぞれの土地の特色を帯びて華々しい。
鮮やかな花束は数知れず、穀物、野菜、果物、魚の干し物などの食料品、高級織物や金細工の装飾品、美術品に自作の書物まで積み上げられている。
神官たちは瞬く間に床に積み上がった貢物を、それぞれに分けながら、脇に据えた棚へ整えていく。
神官たちの一日の大方の仕事は、貢物の整理だと言っても過言ではない。
しばらくすると神への奏上は次第に止み、心地良い楽の音が耳に聞こえてくる。
神と共にいる平穏の安らぎは、例えようもなく、ここに居るすべての者は誰も見たこともない天上に立つ心もちであろう。
毎年の収穫祭に、何度も足を運ぶ者もいれば、初めての者、久しぶりの者もいよう。
初めての者ならふたりの神の姿は、肖像画でしか知らず、この場で見るイールとアスタロトを何も疑わず、ただ賛美するばかりだろうが、何度も、まして毎年のように参詣する者は、今年の神々の変化に気づかないわけはない。
確かに毎年、イールとアスタロトの姿は、あの十二階段の黄金の椅子にあったはずだ。この目で見た記憶はある。だが、その記憶は確かだろうか?
去年見た景色と今、この目で見ている景色はどこか違ってはいないだろうか?
イールさまはあのように穏やかに微笑んでおられただろうか?
アスタロトさまは…あのような御姿でいらしただろうか?
だがなんにせよ、この世に、この時に、言葉は邪魔だ。
あのような憧憬は、ただ黙って、このたったふたつの目で、持てる魂の隅々に、命終わる時まで、美しい光として宿していたいものなのだ。
「おれは知ってるぞ!その黄金の椅子に座る者は…本物のアスタロトさまではないっ!」
無粋な声を張り上げる者がいる。
大柄な中年の男で、生成りの綿の上着は袖がほころんでいる。粗末な身なりは農民か遊牧民あたりであろう。
全く品の無い者なら、それなりに縮こまっていればよかろうに。この優美な神殿には不釣り合いの恰好で大声を張り上げるとは、なんと愚かな者であろう。
続けざまにその男は、恐れおおくも階上の神々に罵声を浴びせる。
「おれが神殿へ来たのは二十年ぶりだ。その時に拝顔したイールさまとアスタロトさまの御姿は、昨日の事のように脳裏に焼き付いておる。だが、今日ここで見るアスタロトは…二十年前とは違う!神は永年の命を持つと言う。おかしいではないか?…それだけではない。ここ数年、土地は枯れ、作物は思ったように育たない。天候の異変は無いというのに。何故だ?アスタロトさまは豊穣の神ではなかったか?なぜ神の恵みが我らに与えられない?…その神の椅子に座る子供は本物のアスタロトなのか?もしアスタロトと言うのなら、その証拠を見せて頂きたいっ!」
無粋な物言いをする田舎者だ。
艶然たる微笑みを浮かべ、愚かな田舎者を見下ろしていられるアスタロトさまが偽物だと申すのか?
…はて、確かに…毎年参詣する己さえ、なんとなくだが、いつものアスタロトさまとはどこかが違うような…気がしてきたではないか…まさか…そんなはずは…あるまいよ、なあ…
アーシュはクナーアンで行われる祭りに終始高揚していた。
「ただじっとして、すましておればよい」と、イールはアーシュに申し付けたのだが、好奇心旺盛な十八の少年でしかないアーシュは、黄金の椅子に座するとしばらくは言いつけを守り、黙って気取っていたのだが、段々と我慢できなくなり、面白いことはないかとあたりをキョロキョロと見渡し、人々の様子を見ては面白がっていたのだ。
楽団の音色の心地良さに声を合わせたり、踊り子の踊りに見惚れていたり、クラウンのコミカルな演技に笑い転げたり…と。
隣に座る呆れ顔のイールも、終いには一緒に笑いあっていた。
(ずっと昔のアーシュが戻ってきたかのようだな…いや、あのアーシュでさえ、儀式のときぐらいは神らしくあったものだがな…)
イールはアーシュの無辜な素直さが、クナーアンに幸いを齎すことを願っていた。
見上げた者たちは茫然と、ふたりの神に見惚れていた。
笑い声を上げるふたりの神を見た者は、この時代には居なかったのだ。