Phantom Pain 16
16、
ためらう仕草でおまえは誘い、繋ぐ私を口で責め、身体は「もっと」と、欲張るのだ。
ああ、そうだな。
ただ…風になって舞い上がらないか。
疾風となり、星の空を駆け巡ろう。
ふたり、永遠に…
イールとアーシュは三日三晩、ヴィッラのベッドから離れようとはしなかった。
ここはふたりだけの世界であり、ふたりが隔てられた時間は長かった。
イールはアスタロトの身体に渇望していた。
求め合うセックスが貪欲であるのは当然であった。
ふたりは欲情に忠実に求め合い、お互いを与えた。
イールからすれば幼いアーシュを思うままに翻弄する楽しみは、今までとは違ったものではあったが、より上位に立てることで例えようもない優越感を味わっていた。
アーシュといえば思いもよらなかった奔放なイールに、すっかり魅了されていた。
そして、イールが求めていたものがアスタロトとのセックスであったように、アーシュもまたどんなに酷い仕打ちをされても、それが自分の望んだもののように思えて仕方なかったのだ。
「イールって…サディストなんだね」
ベッドに沈み込むアーシュは、見下ろすイールをチラリと睨み、また目線を目元のシーツへと移した。イールはアーシュの浮き出た脊椎を指でなぞり、丸い丘から窪みへとずらし愛撫した。
アーシュの眉間が歪む。
「…サディストは、己が苦痛を与え、それを真の苦痛と感じている者に対して、喜び、興奮を味わうことだ。私はおまえに快楽しか与えていないつもりだ。そして私は、私の与えるものにより喜ぶおまえの姿をもっと見たいと思う。これは嗜虐的感覚ではない」
「…そりゃ理屈ではそうだけど…さ」
「どうした?私の与える官能が不満か?」
「や…やめないでよ…」
勝てる見込みなどないアーシュは口唇を尖らせたまま、思うままに身体を凌駕するイールにしがみついた。
勝てないのなら、降参だけは絶対にしてやるものかと、負けん気を発揮するアーシュが、愛おしい。
何度も沸き起こる欲情に、アーシュは食事代わりにイールが与えるマナの実が、なんとなく媚薬であることを悟った。確かにマナの実は空腹を十分に埋めてくれる果実だが、あれを食べると身体が火照って仕方がないのだ。
「イールは俺を色情魔にする魂胆だな」と、イールに詰め寄ると、イールは「当然だ。私はおまえを許したわけではない。おまえが私に奉仕するのは罪の償いだと思え」と、居直られた。
半分は冗句だとしても、残りの半分がイールの本音である限り、アーシュには逆らいようもない。だが、その罰はなんとも言い難く甘い毒の果実であり、アーシュはわかっていても何度でも味わっていたいのだ。
格子を開けた途端、薄昏かった室内に眩しいほどの光が溢れた。
アーシュは思わず、両腕で目元を隠した。
「…朝?それとも…昼かな…。ここへきてどれくらい経ったの?」
「朝だ。おまえがここへ来て七日目の朝になる」
裸のままベッドから出たイールはテーブルの水差しから水を飲んでいる。
見慣れたとはいえ、イールの裸体が光に輝く様はまさに神の後光であり、さすがのアーシュもだらしない自分の姿を少し恥じていた。
「飲むか?」
アーシュが黙って頷くと、イールは水差しを手に持ったまま、ベッドに寝るアーシュに近づいた。
口うつしにアーシュに与えてやると、嬉しそうに「もっと」と、強請る。
お互いの口唇が冷たくなるまで、何度もそれを繰り返した。
「俺、少しは巧くなった?イールを気持ちよくさせてやれる?」
「十分とは言わないが…合格点はやろう」
「ふん…イールにはかなわないや」
甘えるようにイールの胸に頭を押し付けるアーシュを、イールは優しく抱きしめる。
黒髪を指に巻き付け、イールはアーシュの額に、口唇にキスを落とす。
イールの指が確かめるように、アーシュに頬骨に触れそのまま細い頤をなぞった。
緩く巻いた短い髪に指先を絡ませ、唇を寄せる。
耳の巻貝の形までアスタロトと同じだ。
「『senso』を感じる」
「『senso』…イールと味わいたいな」
「ああ、ゆっくり感じあおう…」
待ち焦がれたイールの口唇を、アーシュは薄く口を開けて受け入れた。合わさった口唇の熱さは、すぐにお互いの身体に同化する。
さわさわ…薄荷草が茂る草原が宇宙の海にぷかりと浮かぶ。
イールはその場所をすぐに理解した。
アスタロトと何度も来た次元の空間だ。
アーシュもまた懐かしさを感じていた。
「昔…セキレイと来た空間に似ている」
「セキレイ?…ああ、ルシファーのことか。…『senso』を得てここへ来たのか?」
イールは己の嫉妬を見抜かれぬように自制しながら、胸に抱いたアーシュに問う。
「うん、セキレイとセックスするときは、良くこんな場所へ飛んでいた。けれど、やっぱり少し違う。景色も…ああ、あの木も…セキレイの時は合歓の木だったけど…違うよね?」
アーシュは身体を起こし、薄荷草の草原に立つ一本の木に走り寄った。
「この木って…なに?」
「…サクラ…アスタロトはそう名付けたのだ。私の匂いがするからイールの木だと言ってた…」
「サクラ?…」
アーシュは幹に触れ、そっと抱きしめた。
「ホントだ。イールの匂いがする…」
サクラの木はアーシュとイールの帰還を祝福するように、枝の芽をほころばせ、ほんのりと淡い薄紅の花弁を一斉に咲かせるのだった。
「アスタロトはサクラは春を呼ぶ花だと言った。私にとってアーシュは…長かった冬から春へと目覚めさせる者だ。私は今、目覚めたのだよ」
「イール…」
「私へと還ってくれて…ありがとう、アーシュ…」
苦しみから解き放たれた時、苦しみは過去になった。
冬の厳しさはイールに傷を残しただけでない。強くしなやかに変容させたのだ。
傷から生まれた芽も、また新しい形態を為し、イールを美しくさせるのだろう。
…終わりのない未来を恋しいと思うかい?
…君と共にあらば、私の世界は美しくあり続けるだろう。
言葉は祈りになる。
私はいつまでも祈り続けるのだ。
この胸におまえを抱いて…
「これは…何?とても美しいけど、鞘の無い剣なんて珍しいね」
アーシュは部屋の片隅の棚に絹布に巻かれ無造作に置かれた剣を手に持ち、イールに尋ねた。
イールは一瞬迷いはしたが、いつかは知るべきことだと思い直した。
「これはミセリコルデ…慈悲の剣と言うのだ。不死である神々の命を終わらせることが出来る唯一のものだよ。そしてアスタロトが心から欲しがっていたものだった…」
「アスタロトが?」
「アスタロトは寿命と言うものに憧れていた。この世界すべての有るものは、生まれ成長し、そして死を迎えるのが自然の摂理であるのに、何故、神だけがそれに逆らい『不死』であるのだろう…と。天の皇尊はそれに釣り合わぬ精神を与えたのだろう…と。彼が人間になりたがったのは、『死』に憧れたからだ。私には…アスタロトの言葉は理解できても、なぜ不死がいけないのか、わからなかった。神として生まれた以上、天の皇尊に与えられた運命なら、それを受け入れるのは当然であろうに…アーシュは、天の皇尊にも自分の運命にも悉く逆らっていたのだ。…天の皇尊はアーシュにこの剣を与えなかった。天の皇尊はアーシュを失うことが怖かったのだろう。誰よりも彼を愛していたのは天の皇尊かもしれない…」
「では、この剣はイールが?」
「そうだ。アスタロトが私の前から消え、どこへ行ったのかもわからぬまま、私は途方にくれていた。私はひとりで生きるのが辛かった。ふたりの神は一心同体だ。どちらかが死ねば、同時に片方の命も消える」
「え?…そうなの?」
「やはりおまえは知らなかったのだな…アスタロトが私の前から消えても、どこかで生きていることは、私が生きていることで証明できたのだよ。まさか生まれ変わっていたとは…ルシファーから聞かされるまで確信できなかったが…だが、アーシュは人間になりたがっていたから、なんとなくだが…そんな気はしていた。許せなかったのはアーシュが私をひとり置いて行ったことだった。死ぬ時は一緒に死のうとあれほど誓い合ったはずなのに…」
「…」
イールはアーシュから剣を受け取り、その銀色に輝く刃を絹布で撫でた。
「疲れ果てた私は天の皇尊に願い、この剣を賜り、己の胸を刺し、死のうと思った。私にはクナーアンの神であるよりも、アーシュの恋人であることが大切だったのだ。彼を失って生き続ける気力など無かった…。よく、死ななかったと思う」
「イール…ごめんなさい」
「私は…アーシュの私への愛を信じていた。だから辛かったのだ。だが今は理解している。アスタロトは私と共に人間として生まれ変わり、共に死にたかったのだと…記憶を無くしてしまったけれど、おまえがそれを私に示しているのだろう、と…」
「イール…」
「それ故…もうこの剣は必要ないのだよ。アーシュは人間の寿命を全うし、私と共に死ぬ…ミセリコルデを使わずにな」
「イールはそれでいいの?」
「かまわない。ただクナーアンの神としてこの星の未来を考えなくてはならないだろうけれど…。勿論アーシュにも知ってもらわなければならないことは多い」
「わかりました。イールを助けるために俺ができることなら何でもやるよ」
「三日後に収穫祭が始まる。クナーアンの人々が神殿に集まり、私たちを祝福する儀式が執り行われる。おまえもクナーアンの神として、私と共に、玉座に座って欲しい」
「ふ~ん。面白そうだな…是非やってみたい!」
十八の少年に神の役目など、まだ知るはずもない。
だが、アーシュに不安はなかった。
もともとアーシュは、生まれながらに怖れる気質を持たなかった。