Phantom Pain 12
12、
神殿へ向かう回廊を先導するルシファーの後ろ姿を眺めながら、アーシュは付いて歩く。
「セキレイ」
「なに?」
ルシファーはアーシュを振り返った。言い方もアーシュに振り返る仕草も昔のままのルシファーに、アーシュは頬を緩めた。
「さっきは、君に老けたって言ったけど…言い方を間違えたね。君は俺が理想したとおりの18歳に成長したんだね。見惚れちゃったよ」
「…」
アーシュのこういう攻め方には慣れていたつもりのルシファーだったが、一気に耳たぶが赤くなっていくのを感じた。だがアーシュの次の言葉には熱くなる方向を切り替えなければならなくなった。
「ね、君は俺と別れて、誰かと付き合ったりしなかったの?別に怒りゃしないよ。ヨキなんかさ、いい感じの男じゃん」
「あ…あ、アーシュっ!失礼じゃないかっ!き、君みたいな好色な奴はこのクナーアンには居ないよっ!」
「別にそんなに目くじら立てなくてもいいじゃん。好色っていったって、青少年の性欲を抑圧することこそが悪であり、セックスはコミュニケーションのひとつっていうのが『天の王』の常識だろ?」
「ここはサマシティとは違う。クナーアンの人々は、好きな人を一生かけて愛しぬくのが当然だし、美徳とされている。だから夫婦の離婚も滅多にないし、色恋沙汰の争いも少ない。決めた相手がいるのに他の奴とセックスなんかしないよ。これはね、神であるイールさまとアスタロトさまが、永遠の恋人でいらっしゃるからなんだよ。クナーアンの住民はふたりの神々に倣って、お互いを思いやり愛し続けることが、最大の幸福だと思っているんだ」
「そうなの?」
「ヨキも僕も神殿に勤めているから、恋人は作らないし、セックスをしたくて誰かと遊んだりすることもない。性欲は誰かと交らなくても片づけられるし、僕はイールさまにお仕えすることで、身も心も清浄でいられることを喜びとしているからね」
「ふ~ん。そういうもんかね」
「君は、アスタロトなんだぞ!クナーアンの神さまなんだぞっ!少しは自重したらどうなんだ」
「…あのさ、セキレイは俺をクナーアンの神だから自重しろっていうけど、神だからってなんで自重しなきゃならないわけ?って思っちゃうね。俺はベルやメルや他の好きになった生徒とセックスしたけど、それを悪びれる気なんてさらさらない。好きな奴とセックスすることが淫売なのか?お互いの身体に触れ合って、一緒に快感を味わうことの何処が悪事なんだ?それとも君は、クナーアンの清教徒になったからって、俺にも禁欲になれと強要する気か?セキレイが他の奴とセックスしないのは勝手だが、その信仰を俺に押し付けるなよ」
「…君は…イールさまの事を考えたことがあるのか?」
「は?なんでここでイールが出てくるんだよ。俺が誰かとセックスすることがイールに何か問題あるわけ?」
「ふたりともおやめなさい。一応ここは神聖なる神の住まいですよ。色々と言葉も慎んででくださらないと…」
次第に張り合っていくふたりの声に、遅れてきたヨキがあわてて二人の間に入った。
「ヨキ…すみません」
「セキレイの道徳観もこちらに来て随分変わったみたいだな。まあ、おまえは昔から、俺以外とセックスはしたがらなかったけどね」
「アーシュっ!」
「大体アスタロトのセックスの相手がイールだけだとは限らないだろ?もし、俺がアスタロトであるなら、千年以上生きて、イールひとりだけを相手にしていたなんてありえるかよ」
「…アーシュさま。クナーアンの神は…いいえ、このハーラル系12の星のそれぞれの神は、天の皇尊により産みだされた神聖な存在なのです。ですから星の統治者として生まれたふたりは永遠の命を持ち、そして永遠に愛し合う恋人として星の繁栄を支え続けるのです。よって神はお互いの他は求め合うことはしません。いくら人間たちが神を敬い、その愛を得たいと願っても、神は人間に欲望を求めないのです」
「…つまり、神は人間とセックスしないってこと?」
「そうです。アスタロトさまもイールさまも神として統治者として、クナーアンの住民たちを愛し恵みを与え、より良い世界へと導きますが、個人の人間を愛することはないのです」
「そうかい…じゃあ、多くの人間とセックスを楽しむ俺は神ではないってことだね。それは結構なことだ。アスタロトは懸命な選択をしたのかもしれないね」
アーシュはそう言い残して、神殿の画廊に向かって歩き出した。
何も知らないアーシュには、神としての規律など知った事ではなかったし、18年間生きた人生を貶めるような考え方もできなかった。
神殿の左の別棟の美術画廊にはベルとメルの姿があった。
「ベル!メル!ほったらかしにしてゴメン。ふたりとも大丈夫だった?」
アーシュは絵画を巡っているふたりに駆け寄った。
「アーシュ、君こそもういいのか?突然倒れるから心配したんだよ」
いつものようにベルは両手を広げて、アーシュを歓迎した。
「魔力を使い過ぎた所為の疲労だから、眠るのが一番だよ。でも…顔を見る限り、すっかり回復したみたいだね」
メルも変わらぬ笑みを浮かべ、長い灰金色の前髪を邪魔くさそうに掻きあげた。
「うん、もう心配ないよ。それはそうと…ふたりとも俺が居ない間、何してた?」
「別に…このデカぶつと言い争ったり、君の元恋人をからかってたりしてたよ」
フフンと皮肉っぽく笑うメルを、ベルは睨みつけた。
「メル、君は学園を卒業しても性格の悪さは治らないんだな。いい加減ルゥに嫉妬するのは止めろよ」
「アーシュと寝た相手に嫉妬するのは、僕のアーシュへの愛だよ。独占欲は神聖なる愛情の有り方だ。それともベルにはそういう感情はないのかい?…あ、そうか。君のアーシュへの愛は諦めることから始まっている。だから不純物だらけなんだよ」
「五月蠅いっ!いちいち喧嘩を売るな。それもアーシュの前で」
ベルは本気でメルを殴りたくなった。身体も腕力も見た目からしてベルの方が上等だ。その気になればメルの片腕をひとひねりで降参させてみせる。
「あ~、皆にモテるのは俺の罪なのかもしれないけどさ。俺の中で、メルとベルへの愛情は違う。もちろんセキレイに対してもだよ。セックスだってそれぞれに快楽の味も違うしさ。だけど寝たら俺のものになったという解釈は好きじゃない。独占欲は神聖ではあるが、押し付けは美しくないね。君らの俺への独占欲は自分の中で解決してくれよ」
「わかっていますとも、我が王、アスタロト・レヴィ・クレメント。僕のあなたへの愛は不変であり、僕自身のものでしかない。強要など一切しないつもりだよ」
「ありがとう、メル。それよりこの画廊はどんな風?クナーアンの歴史って言っても…」
アーシュはざーっと壁に飾られた絵画を眺めた。
「…モデルのふたり以外は目立つものがない」
「そりゃ、クナーアンの歴史はイールとアスタロトの姿でしかないもの。ほら、見てごらん。これなんか二人の神々が最初に出会った時を描いたものなんだって」
メルは優雅な仕草でアーシュの手を取り、最初の絵画の前へと導いた。
「へえ~。かわいいね」
五歳のイールとアスタロトが仲よく手を繋いで顔を見合している様は、見ているだけで微笑んでしまう。
勿論当のアーシュには記憶もないから、自分によく似た子供が知らない子供と仲よくしている絵に見えてしまう。
そうして年月の順に飾られた絵画を、アーシュはゆっくり眺めることにした。
わからないことはヨキが教えてくれた。
ヨキは家庭教師のセラノのことも、アスタロトが甘えていた世話人のマサキのことも語り継がれたままをアーシュに話していく。
「それにしても…こんなに沢山良く集めたね。ひとりの画家が描いたわけでもないでしょ?」
「昔、イールさまとアスタロトさまの御姿を描いた模造絵が民衆の間に蔓延ったらしく、それがあまりに似ていないのでアスタロトさまがお怒りになって、一流の画家に自分たちを写実的に描かした絵を民衆にばらまいたそうですよ」
「アスタロトってすげえナルシストじゃない?」
「そうですね、許せない程に…相当似てなかったんでしょうねえ~」
「アーシュにそっくりだ」
「なんだよ、セキレイ。俺のどこがナルシストだよ」
「全部だよ」
「やめろってふたりとも」
慌ててふたりを止めにかかるベルの様子に、アーシュとルシファー、そしてベルは昔のままの三人に戻った気がして、同時に笑い出した。
「これはおふたりが天の皇尊に願われ、頂いた神獣です。セキレイと名付けられ、一千年近くおふたりのお傍で過ごしたそうです」
「セキレイ…って言うんだ」
「アーシュは無意識にこの名前を僕に付けたのかもしれないね」
「違う…俺は…あの時エヴァから聞いた話のセキレイが好きで…それで河原でセキレイを見つけようとして…」
「僕を呼んだんだね。セキレイの名の由来がこの神獣であろうとエヴァから聞いた物語であろうと、僕はちっても構わない。アーシュが僕を呼んでくれたことがすべてだ」
「セキレイ…」
「間違わないでくれ。君に呼ばれたことを僕は後悔したことはない。君と一緒に過ごせた日々が僕の最良の時だった」
「セキレイ、これからもずっと一緒にいてくれるんだろ?」
「…うん、そうだね…」
アーシュの言葉を疑うわけではない。だが、イールのことを思えば、自分がアーシュと共にいられる日々など、もう来ないのではないかと、ルシファーは痛む胸を無意識に抑えた。
画廊の入り口あたりから何人かの神官の姿を認めたヨキは、ルシファーに近づいた。
「ルシファー、ご友人の案内を頼んでもいいかい?」
「え?」
「神官たちが見ています。あまりアーシュさまと仲よくしているところを見せない方がいいでしょう」
ヨキは小声でルシファーに知らせた。アーシュとルシファーの事情を知っている神官たちからの嫉妬を避ける為だった。
「わかりました」
ルシファーはベルとメルを連れて、アーシュから離れた位置で見守ることにした。
「セキレイも結構大変なんだね」
アーシュは神官たちに気を使うセキレイに同情した。
「アスタロトさまとイールさまに仕える私たちは、住民よりもずっと近くに接していますからね。神官のほとんどが親の無い子供で、神殿で育ったのです。すなわちイールさまとアスタロトさまに拾われたようなものですから、御ふたりへの崇拝は上限を知りません。それに誰でも特別な慈悲を頂きたいと望むものですからね」
「でもヨキは…俺にはフランクじゃない」
「私は…問題児だったんです」
「え?」
「私は七つの時にアスタロトさまに拾われたのです。私は犯罪者の子供で忌み嫌われていました。そして誰にも心を開かない捻くれた子供でした。イールさまとアスタロトさまはそんな私を可愛がってくださいました。家族のように…神官は神に仕える聖職者なので、ふたりの神を尊厳しなければならないのですが、おふたりは私が気取るのを嫌うので、ひとりくらいは気軽に声を掛けられる従者も必要かと思って、仕えているのですよ」
「ふ~ん。アスタロトはよっぽど君を気に入っていたんだね」
「何故、そうお思いなのですか?」
「だって、俺もきっと捻くれた子供を育ててみるのって面白いだろうなって思うからね。特にヨキみたいな綺麗な子供ならね」
アーシュはそう言って微笑み、自分よりずっと背の高いヨキを見つめ、その伸びた赤い巻き毛を指に巻きつけた。
ヨキはアーシュの黒曜石に輝く瞳に見つめられ、一瞬身体が膠着し、アーシュの目線を逸らせない自分に焦った。
その目の輝きはヨキの心を見通し、そしてそのままアーシュという実態に身体ごと浸食されてしまいそうに感じた。
「じゃあ、ヨキ、次の歴史を教えてくれる?」
「は、はい」
アーシュが声を掛けなかったら、いつまででもヨキは現実に戻れなかったかもしれない。
「アーシュさま、よろしかったら神官たちにお声をおかけになってくださいますか?皆、あなたが戻られるのを心よりお待ち申し上げていた者ばかりなのです」
「彼らは俺がアスタロトの生まれ変わりって知っているの?」
「いいえ。神官長と副神官長ふたりとルシファーの四人です。わたしは副神官長なので私以外はふたりということになります。」
「わかった。では適当に話を合わせておくよ」
アーシュは画廊の角で遠目に見ていても、畏まっている6人ほどの神官に近寄り、丁寧な挨拶をした。彼らはアスタロトの帰還を喜ぶあまり、アーシュの見つめては誰彼もが咽び泣く始末で、さすがのアーシュも気まずい思いになったが、彼らのアスタロトへの敬愛は本物だと知った。
「皆、心配かけて悪かったね。これからは居なかった時間を埋めるためにも、クナーアンの為に役目を果たさせてもらうよ。皆もクナーアンの生きる人々の為に、懸命に支えになってくれ」
アーシュの言葉に、神官たちは平伏し、額を床にこすりながら、彼を拝み続けた。
その姿に、アーシュは信仰の対象にされる嫌悪感を知った。
アーシュは泣き続ける神官から逃げるように、ヨキの待つ場所に舞い戻った。
「ありがとうございました。これで当分は彼らのルシファーへの対応も優しくなるでしょうから」
「神さまを演じるのも大変なんだね。まあ、ここも楽園ではないってことらしい」
アーシュはわざと大げさな溜息を付き、ヨキに舌を出した。
ヨキは絵画を鑑賞するアーシュの美麗な横顔と均整された肢体を終始飽きずに眺めていた。
ヨキは生まれ変わったアーシュに、アスタロトと似ているところを見つけては感慨深気に頷き、似ていないところを発見しては新しい喜びに興奮していた。
そして、アーシュをアスタロトとは違った新しい感情で愛する喜びに満ちている自身に驚きを禁じ得なかったのだ。
(こんなにも新鮮な気持ちでアスタロトさまを想うことができるなんて…)
その新鮮な想いは瞬く間に燃え上がるような恋へと変わっていく。だが、ヨキは知っている。ヨキの想いは彼の想いでしかならないのだ。
(イールさまを想えば、私のアーシュさまへの愛など塵のようなものなのだ…)
「これは…誰が描いたの?なんだかこの絵だけ、描かれているイールの表情が違う気がするのだけれど…」
アーシュは一枚の絵の前に立って、傍らのヨキに聞いた。
「それは…アスタロトさまが描かれたイールさまの肖像画です。私が12歳頃でしょうか。突然アスタロトさまがイールさまをモデルにすると言い出されて…アスタロトさまはアースから帰られたばかりで、有名な美術館で見た絵が素晴らしかったから、自分も真似してみるとかおっしゃって…アスタロトさまは言い出したら即実行の御方なので、それはもう夢中でお描きになっていましたよ」
「そう…俺が描いたってことになるんだね…記憶にないけどさ…」
アーシュはそう言ったきり描かれたイールの顔から目を離さなかった。
アスタロトが描いたというイールの表情は信頼と慈愛に満ち、アーシュに向かって「愛している。愛しているよ、アーシュ…」と、語りかけているようだった。
幻想でしかあり得ないイールの声がアーシュの心に満ちていく心地良さは、言葉にもならないほどだった。
アーシュはやっと気がついたのだ。イールがアスタロトに捧げた愛の重さに。
「イール…イール…会いたいよ、あなたに…」
零れ落ちる涙を拭うことさえ忘れてしまったアーシュは、イールという自分の半身を認識し、彼を愛し始めていた。




