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Phantom Pain 11

挿絵(By みてみん)


11、

 扉の格子の長い影が真っ白な天井に映る様がぼんやり見えた。

「あ…」

 辺りは朝の光に満ちていた。

 目を覚ましたアーシュは、見慣れない周りの風景に一瞬戸惑いを感じた。

 そして何度か瞬きをするうちに、「天の王」学園の聖堂の魔方陣からトゥエ・イェタルに見送られ、ベルたち三人と次元を渡り、アーシュの求めた場所へたどり着いたことを思い出した。

 目的の地はサマシティと異なる次元の惑星クナーアン。魔力を使い果たし、クナーアンに着いた途端、疲れ果てそのまま意識を失った。

「だけど変だな…セキレイが大きくなって俺を呼んだ気がするんだが…まさかここにあいつが居るなんて、ありえないよな~」

 ゴソゴソと脚の長い天蓋付きのベッドから這い出したアーシュは、見たこともない洗練された瀟洒な部屋を呆気に取られながら、ぐるりと歩き回ってみた。

「しかし…すげえ部屋だな。エドワードも伯爵の城もやたら気取ってすごかったけど…なんかここはあったかくて、それでいて澄みきった空間だな。あ、もしかしたらこの部屋って、アスタロトの部屋なのかな?…うん、アスタロトはこの星の神さまって言ってたから、神さまの部屋ならこれくらい上品でもいいのか…ああ、でもサマシティとは空気が全然違うわ。すげえカラッとして気持ちいい~」

 バルコニーへの扉を開け、朝の空気を胸いっぱい吸い込んだアーシュは、遥かに霞む空を眺めた。

(なんだか昨晩、めちゃきれいな人が俺を見つめていた気がしたんだけど…あれ誰だろ?銀色の巻き毛に真っ青な空の瞳。なんとなく寂し気に見えたんだけど…もしかしたら…あれがイールなのだろうか?…だったら起こしてくれれば良かったのにさ)


「アーシュ?起きたの?」

「セ、セキレイっ!」

 後ろからアーシュを呼ぶ声を懐かしいと感じる前に、アーシュはルシファーの名を叫んでいた。

「あ、昨日のアレは夢じゃなかったのか?本当に君だったのか?」

「おはよう、アーシュ」

 アーシュは部屋のドアを閉めるルシファーに駆け寄り、その目で頭からつま先までを何度も往復させた。

「ちょっと、本物がどうか触っていい?」

「…ほんものですけど…」

 アーシュはルシファーの両肩を掴み、両腕を確かめ、そのまま両手まで降ろし、ぎゅっと握りしめた。

「ああ、本物らしいけど…だけどさ…君、老けたね」

「はあ?三年、いや四年ぶりに再会した第一声がそれか?呆れた!相変わらずアーシュはデリカシーに欠ける奴だ。大体人間の成長が著しく変わるのがこの時期なんだから、老けるのは当然だ!君だって、年相応に老けてるしっ!」

「…セキレイだ。その怒り方は昔と変わんないじゃないかっ!君、元気にしてた?なんでここにいるの?え?もしかしたら俺が来ること知ってたの?…つうか、君、ご両親とは会えたのか?便りのひとつぐらい送れよ。テレパシーだって夢ん中だって連絡ぐらいできるだろ?すげえ心配したし、寂しかったし…」

「…僕だって寂しかったさ」

「君、まだ俺のことを好きでいてくれてる?」

「…アーシュはバカだ。君に誓った愛は、一生涯僕を縛るものだ。それ以外の何物でもない。尻軽な君の方こそ、信用ならないね。だからと言ってそれを責めるほど、僕も狭い料簡ではなくなったよ。大人になったからね」

「そりゃ感心だね。俺なんか、『天の王』じゃモテモテで、身体がいくつあっても持ちやしない。男も女も攻めも受けもなんでもござれってもんだ…いっててぇ~!」

 思い切りアーシュの腕を抓るルシファーに、アーシュは大げさに叫んだ。

「バカバカバカ!もう、君は反省って言葉を知らないのか!大体なんでここに来たんだよっ!」

「痛ってなあ~…なんだよ、大人になったんじゃなかったのかよ。相変わらず妬き餅焼きなんだから。それにここに来たのは俺が何者かを知る為だよ。どうやら俺が生まれ変わる以前のアスタロトは、このクナーアンの神だそうだからね。それを知った俺が何の責も負わず、今までどおりに『天の王』に守られて生きていけるはずもないだろ?…俺はここで知るべきことを知って、為すべきことをやろうと思うんだ」

「…」

「で、君は何でここに居るの?」

「『senso』の力を使って、君と一緒に見た僕の故郷を覚えている?」

「勿論だよ」

「あの場所はこのクナーアンだったんだよ。君は僕を両親の元へ届けてくれたんだ。両親は僕を喜んで受け入れてくれた。僕は幸せだよ、アーシュ。心から感謝するよ」

「そう…そうか!良かった!…本当に…良かったよ、セキレイ!」

 アーシュは嬉しさの余り、ルシファーを力一杯抱きしめ、「本当に良かった」と、何度も繰り返した。

 こんなにもアーシュが喜んでくれるとはルシファーは思ってもいなかった。アーシュに抱きしめられたルシファーは胸が熱くなり言葉に詰まってしまう。


「で、君はここで何をしてるの?」

「…アーシュはここがクナーアンの神殿だってことはわかっているの?」

「うん、俺がそのクナーアンの神だってこともね」

「僕はイールさまとアスタロト…さまに仕える神官になろうと思って、ここで修行しているんだよ」

「…え?君、神官になりたかったの?『天の王』での勉強は?俺たちと一緒に卒業しないつもりなの?」

「アーシュ、状況が変わったんだよ。僕はここの住民だし、今更両親を置いて、サマシティに戻るわけにもいかないよ」

「…それが君の希望なのか?」

「…希望っていうか…まあ、色々話は長くなるからさ。取り敢えず、服を着替えてよ、アーシュ」

「うん…」

 アーシュはルシファーの腰に回していた手を外し、寝着を脱ぎ始めた。

 その様子をちらりと見たルシファーは、小さく呟いた。

「アーシュ…さっき君に老けたって言ったけど、あまり身体の変化が見られないね」

「え?そうかな~…確かにね、他の奴と比べたら髭も生えないし、腋毛も脛毛も薄いんだ。ベルなんか毎日髭剃りしているのにさ。だからって性欲は人並み以上にあるし、別に女性的でもないんだぜ。まあ、男らしい面構えとはいかないけどさ」

「…眼鏡はどうしたのさ」

「こっちへ来るときに、トゥエから必要ないだろうから預かっておくって言われたんだ。もともと度が入っていたわけじゃないから、どうでも良かったんだけどね」

「そう…」

 艶やかに笑いかけるアーシュを、ルシファーは直視できないでいた。


(僕たちはもうすぐ18になる。大人になる為に成熟せざる得ない変化が大きい時期だ。僕だって童顔だって言われてきたけれど、骨格も男っぽくなってきているし、髭だって生えている。だけどアーシュは…僕とは違う成長をしている気がする…身長も高くなったし身体つきもしっかりしているけれど…同じ年頃の男とは明らかに違う成長をしている。…性を超越したもの。…そうだ、イールさまに出会った時の印象と同じなんだ。ふたりとも普遍的な美を具象したものとして存在する…そんな感じがする…やはりアーシュは僕らとは違う。人間から生まれた者ではないのだな…)

 ルシファーは慣れないクナーアンの衣装に悪戦苦闘しているアーシュを眺めながら、何も知らなかった昔のふたりではいられないのだと、沸き起こる憂鬱な思いを振り払えずにいた。


 アーシュの着る衣装は、特別に誂えた神だけが許される着物だ。

 肌触りの良い綿の下着に、上等な絹のチュニックとズボン。袖の無い綸子の上着には細かい千花模様が散りばめられている。 

「この帯どうすりゃいいのさ」

 アーシュは真っ青な絹と金の綴織の帯を手に、ルシファーに問う。

 ルシファーはアーシュから帯を受け取り、慣れた手つきでアーシュの腰に巻いた。

「これはね、クナーアンの神さましか纏うことができない帯なんだ。ほら、模様が薄荷草を形どっている。…いつだって君からは薄荷草の香りがしていたね。それはクナーアンの神である証拠だったんだよ」

「…そう…なんだ。なんか変な感じだよ。神さまって言われてもね~。どこがどう変わるもんでもないし…」

「…」

(アーシュはまだ何もわかっていないんだ。クナーアンの神の重要性も、イールさまとのことも…だがそれを知ったら、アーシュは…僕とアーシュとの関係は今のままではいられないだろう…僕はただの人間で、アーシュは神なのだから…)


 アーシュの身支度が終わる頃、部屋をノックする音がした。

「目が覚められましたか?アスタロトさま」

 両手で盆を持ったヨキが、アーシュを見て頭を下げた。

「あ…と、そうだ。君、ヨキって言ってたね」

「そうです。お腹が空かれたんじゃないかと思って、朝食をお持ちしましたが、どうなさいますか?」

「ああ、そう言われたらすげえ腹減ってる。良かった~ありがたく頂きます」

 アーシュは急いでテーブルに近寄り、椅子に腰かけるとコップにたっぷり注がれたピンク色のジュースを飲み干した。

「これ美味しいね。変わった味だけど、すっきりした甘みがあって」

「神殿の近くの果樹園に生った『イチジク』のジュースです。朝、ルシファーが捥いできたのですよ」

「へえ~、セキレイは農家の仕事もやるのか?」

「一応ね。ここでは『天の王』の学生のように授業さえ受けてればいいなんてことはないんだ。なんでもできるように色々な経験をさせてもらっている」

「…なんか、大人になっちゃったなあ~。かなり差をつけられたって感じ。俺なんかお山の大将ごっこだもんなあ~」

「イルミナティ・バビロンは君が引き継いでいるんだろう?」

「まあね。組織としては小規模だが、世情がどうも怪しくてね。地域によっては魔女アルト狩りも伝説ではなくなっているらしい」

「本当に?」

「まあ、あくまで噂なんだけどね。何かが起きて必要とあれば俺は本気で『魔王』の役をやる気でいるよ」

「魔王…とはなんですか?」

 傍らで給仕をするヨキが、不思議な顔でアーシュを見る。


「魔王って…う~んと、まあ、クナーアンでいう神みたいなもん?」

「…なんか違う気がするけど…」

「へえ~それは凄いですね。アスタロトさまはクナーアンの神であり、アースという惑星の魔王なんですね」

「…そうなるのかな…それが凄いのかどうかはわかりかねるけど…俺は自分がやるべきことをやっていきたいと思っているだけで、まだ何も実行してないって状態だよ。だから、ヨキ」

「はい」

「アスタロトさまってのはやめてくんない?確かに俺はアスタロトの生まれ変わりらしいけれど、アスタロトと同じ者ではないし、アーシュと呼ばれる方が好きなんだ」

「…」

 アスタロトと同じ顔で、同じ声で自分に語りかけるアーシュに、ヨキは喜びに溢れて言葉が出なかった。しかも外見だけではなく、感じられるアーシュの魂はアスタロトと少しも違和感がなかったのだ。


「承知いたしました。これからはアーシュさまとお呼びいたします」

「さまもいらないけど…」

「あなたさまはこのクナーアンの神様ですからね。呼び捨てにはできませんよ」

「そうなんだ。でもセキレイはいいだろ?君にアーシュさまなんて呼ばれたら、俺、本気でゲロ吐くかもしれない」

「勿論ですよ。ルシファーはアーシュさまのご友人であり、幼馴染みなのですから、普通に呼んでも構いません。但し、他の神官の前では配慮するべきでしょうね」

「わかりました。気をつけます」

「ごちそうさま。パンもスープもこの煮物みたいなのも美味しかった」

「お口に合われて良かったです」

「それでさ、ベルとメルはどうしてる?」

「お友だちの皆さんはもう朝食を終えられて、たぶん神殿の美術画廊の方へいらしていると思います。クナーアンの歴史を見たいとおっしゃっていましたので」

「ああ、それなら俺も知りたい。神って呼ばれても、実際なにひとつ知らないんだもの」

「アーシュ、本当にアスタロトだった頃の記憶はないの?」

「…うん、全く感じることもない。それがアスタロトの意志だったのなら仕方ないんだろうけれど…」

(イールさまと同じことを言うのだな)と、ルシファーは思った。

「でも、俺がアスタロトだったら、神の役目を放り出してまで記憶を失うことはしないと思うんだよなあ~。だって記憶ってとても大事なものだろ?長い間生きてきたのだもの、忘れたくないものだって沢山あったはずだ。消し去るなんて簡単にできるわけないんだよ」

「じゃあ、どうして…」

「きっとさ、アスタロトは生まれ変わっても覚えていると思ったんじゃない?彼の思惑通りにいかなかっただけだと思うよ。まあ、誰だって失敗のひとつやふたつはあるもんだしね」

「…能天気のアーシュならあり得る気はするけれど…アスタロトさまが君と同じにドジで能天気だったとは思えない。ヨキはどう思いますか?」

「そうですね…アスタロトさまはクナーアンの世情や、民衆への思いで色々とお悩みもおありでしたが、自分のこととなると思ったことを後先考えないでおやりになるし…確かに軽はずみなところがありましたね…」

 アスタロトのいたずらっ子のような顔を思い出しながら、ヨキはあのアスタロトが本当にいなくなってしまったのだろうかと不思議な感覚に捉えられていた。目の前のアスタロトの生まれ変わりは、本当に自分の知っているアスタロトとは違うのだろうかと…


「まあ、覚えていないことをいくら悔やんでも仕方ないしさ。今から色々勉強して、アスタロトになれるように頑張ってみるよ」

「そうですね」

(なんとまあ、ポジティブなお方だ)と、ヨキは妙に感心してしまった。

「じゃあ、俺も歴史の勉強にその美術画廊ってところに行ってみる。セキレイ、案内してくれる?」

「うん…じゃなかった。はい、承知いたしました」

「ふたりの時は今までどうりでいいだろ?」

「でも一応、君は神さまだしねえ」

「全然思ってねえくせにさ」

 カラカラと笑いながら部屋を後にするアーシュの後姿に、ヨキはアスタロトが居なくなってから無くした鮮やかな眩い光が、久しぶりに輝き始めた気がしたのだった。





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