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Phantom Pain 9


挿絵(By みてみん)


 9、

「これは…この写真は誰のものだ?」

 目の前のヨキに尋ねながらも、イールは写真のアスタロトの姿から目を外せなかった。

「神殿の美術画廊で熱心に鑑賞していた少年です。アースという惑星に長い間、住んでいたそうです。アスタロトさまの友人…と、言っていました。…ああ、この子です」

 ヨキはイールが手にしていた写真を覗き込み、アスタロトの隣に写る白金色の髪をした少年を指差した。

 イールはその少年、ルシファーを食い入るように見つめた。

「…一体、どういうことなのでしょうか?何故、アスタロトさまがこんな御姿で、いらっしゃるのでしょうか?」

「…」

 ヨキの疑問は尤もであった。

 だが、イールは、写真に写るアスタロトを見て、逆に今までのすべての疑問の答えを得た気持ちでいた。


 イールは長い間、アスタロトが居なくなった仮定を何通りも考えていた。そのひとつに当てはまっただけのことだ。

(大方、アーシュは人間になる魔法を自らにかけたのだろう…)

 あれほどまでに、人間として死ぬことを請い、そのための魔術論を日々延々とイールに語って聞かせていたのだから、そのチャンスをアスタロトは心の内ではひたすらに待っていた。

 クナーアンの神、また惑星の統治者として、民衆の手前もありアスタロト自身、この地で人間になることはさすがに気が引けたのだろう。それに比べれば、アスタロトにとって惑星アースは、何の責任も負わない、人間として自由に生きていくことができる理想の地だったはずだ。

(だが、人間になる魔法術にはいくつかの難題があった)

 神である自身の身体をそのまま人間の形にするには、魔力をもってしても成り難い形成術だっだ。遺伝子レベルからの組み換えが必要になるからだ。

 だからもし人間になる魔術を執り行うことになれば、一度受精卵まで戻し、人間の遺伝子に組み替えて育てなければならない。しかし、その場合、脳に蓄積された情報を書き込んだまま、人間として成長できるかどうかはアスタロトにさえわからなかった。

(もし、アーシュが自らを人間の赤子として生まれ変わらせたのなら…その瞬間に記憶は消え去ってしまったのかもしれない)

 写真を見る限り、アスタロトの姿は13,4歳に見えた。

 あの日を境にアスタロトが人間の赤子として生まれ変わり、人間として育っているのなら、ちょうど良い塩梅だし、クナーアンに戻らない理由も合点がいく。

 

 イールはクナーアンでは見慣れぬ服を着た少年姿のアスタロトが、楽しそうに友人らと戯れている写真を見ているうちに段々と腹が立っていた。

(…あのバカ、一体こんなところで何をしているんだ。それともこれがおまえの夢に描いた世界だったわけか?)

 写真に写っている少年アーシュは多分アスタロトとしての記憶を持ってはいないだろう。よって、彼に罪はない。そんなことは百も承知の上でも、腹が立って仕方がない。

 しかもそれを誰にぶつけようもない有様で、そんな自身さえも腹立たしく、イールは傍らにいるヨキに気づかれないように口唇を噛んだ。


「イールさま、どういたしましょうか?」

「…アーシュの友人とかいう少年はまだ居るのか?」

「はい、神殿に待たせております」

「では会ってみよう。このままほっておくわけにもいくまい」

「わかりました。ではすぐに…」

「ヨキ、相手は少年だ。緊張もしていようから、十分に配慮をしておあげなさい」

「承知いたしました」


 部屋を出るヨキを確認したイールは、深いため息を吐いた。

(緊張しているのはこっちの方だ。…どう見えてもこの写真のアーシュとこの金髪の少年はただの友人関係ではない。…アーシュの奴、人間になって、己の煩悩に忠実になったのか。あの好奇心の強い、好き者の男の事だ。誰彼ともなく気に入った人間に欲情し、存分に楽しんでいるに違いない。…こうなると、こちらも相当な覚悟を強いられるな。何も知らない今までの方が、よっぽどマシだったのかもしれない。この少年から繰り出される話がどんなものなのか…私は恐ろしくてたまらないよ、アーシュ…)


 

 かくしてイールはルシファーとの会見に応じた。

 ルシファーの話によると、ルシファーはクナーアンで生まれ、4歳の時、突然アースの地へワープしてしまった。そこで出会ったのがアーシュという同い年の魔力を持つ少年だった。

 彼はアーシュと共に、サマシティの「天の王」という学園で成長した。

 サマシティは魔力を持った人間たちが多く集まり、その中でも「天の王」には未来の魔術師になるべく選りすぐりの子供たちがいた。

 アーシュは他の者とは比べ物にならない程、異常なまでに魔力が強く、その魔力によりルシファーを故郷から「天の王」へ連れ去ったことを知ったアーシュは、14歳の誕生日にルシファーを元の場所へ還らせる為に魔方陣を使い、ルシファーを無事このクナーアンへ戻らせたのだと説明した。


「おかげで今、僕は両親の元で幸せに暮らしています」

「何故、おまえは友人であるアーシュが、このクナーアンの神だと思ったのかね?」

「アーシュはアスタロト・レヴィ・クレメントという名前をもっていました。この名前はアースでは稀代の魔術師や魔王の伝説を持っているのです。だから、このクナーアンの神の名前がアスタロトと知っても、僕はアーシュがアスタロトとは思わなかった。でも両親が写真を見て、アスタロトさまに間違いないと言うんです。それで僕はそれを確かめる為にこの神殿に来ました。そして色々なアスタロト…さまの描かれた絵を見て…間違いないと思ったんです」

「アーシュがおまえを『セキレイ』と呼んだことも?」

「はい。長年おふたりに可愛がられていた神獣の名前を、アーシュが無意識に僕に付けたのだと感じました。それに…似ているんです。セラノというおふたりの家庭教師は、アーシュの育ての親のトゥエ・イェタルにそっくりなんです」

「セラノに似ている人間が、アースに居たのか?」

「トゥエは『天の王』学園の学長で、強い魔力を持った魔術師でもあります。そして赤子のアーシュを見つけ、拾ったのはトゥエだと、自らアーシュに聞かせていました。アーシュは…自分の生い立ちを気にしていました。自分の親が誰なのか、どうやって捨てられたのか…とても知りたがっていた。僕を両親の元へ還してくれたのも、本当は自分が両親に会いたいからだった。それなのに…アーシュがこのクナーアンの神だったなんて…」

「…アーシュを気の毒に思うか?幼かったおまえが両親と離れ離れになったのが彼の所為だとしても?」

「それは…」

 ルシファーは言葉に詰まった。


 どこまで細かくイールに喋っていいのか、戸惑ってしまったのだ。

 もし、この理由を素直に喋れば、イールは自分とアーシュとの関係を知ることになりはしないか…ルシファーはそれを怖れていた。

 このクナーアンではイールとアスタロトのふたりの神は、永遠の恋人でなければならない。

 その半身と(人間に生まれ変わり、記憶を失ったとはいえ)愛し合っていた…などと、イールを目の前にして、どうして言えよう。

 ルシファーはイールを目の当たりにした時から、その神々しい姿と明晰な認識力、慈悲深い精神に触れ、クナーアンの住民同様に傾倒しつつあった。イールを傷つけることは、アーシュを傷つけることより罪深く思えるのだ。

 アーシュを軽く扱うのではなく、その想いは逆であり、ルシファーにとってアーシュが何者であろうと、一番の気の置けない幼馴染みだったからであろう。

 

 イールはルシファーの心をすべて読んでいた。

 自分を神と崇め、他の民衆と同じように平伏すことを素直に受け入れていること。

 そのイールを傷つけまいと、アーシュとの関係を口にしないと心掛けていること。

 そしてアーシュに対する想いが本当の愛であること…


(いっそ毛嫌いできる憎らしい性格であれば、こちらもそれなりの仕返しができそうなものを。この子には、あどけなさと理知さが嫌味なく成立している。陽光に透ける薄い金の髪も穏やかな容貌もこの少年の美徳であろう。無垢であり、素直に育った可憐な人間だ。確かにアーシュが好みそうな子ではあるが…。…ったく、嫉妬の怒りに任せてこの少年をひと思いに殺してしまったら、いくらかは清々するだろうに。慈悲の神である私が手を下すことも適わない)

 ひとしきり呪われた心でそう呟いてみた後、イールはルシファーを憐れんでもみた。


(この子の身になれば、いささか気の毒にも思う。すべてはアーシュの身勝手によって運命を弄ばれているようなものだ。魔力を持たない人間の住むクナーアンで、なまじ魔力を持ったために、アーシュによって召喚され、彼の思惑通りに愛欲を享受されている。あの男はこの子の意志さえどうにでもできる魔力を司っている。己を好きになれと思い込ませることも簡単なことだ…ああ、だが、なんてうっとおしい話だ。アーシュの意志によって、この人間だけではなく、私までもがあの男の好きなように振り回され…それをすべて知ってのこの身の上…悔しいばかりか情けなさに心が張り裂けそうだ。ばかアーシュ、ばかアーシュ、ばかアーシュ、全部おまえの所為だ!)


「ルシファー、もし良かったらおまえの気が向く時に、神殿に来るがよい。その折に、またこうして私に、アーシュの色々な話を聞かせてくれないか?」

「は、はいっ!イールさま。喜んで!」

 喜色満面に感動するルシファーを眺め、イールは自分に呆れ果てていた。

(二度と会いたくないと思っているにも関わらず、「また話が聞きたい」など…一体私は何を言っているのだ。きっとアーシュなら、「真正のマゾか」と、せせら笑うのだろうなあ…まったくもって愚かすぎる…)


 部屋に戻ったイールは、疲労を感じていた。

(たかが人間の子と話をするだけなのに、神である私がこんなにも気疲れするとはな…)

 イールは机の上に置かれた三枚の写真に気がついた。ルシファーに返さなければならないものだったにも関わらず、気が回らなかったのだ。

 ヨキを呼びつけ、ルシファーに返すように命じても、今からならば十分間に合っただろう。だがイールはそれをしなかった。

 写真を何度も見返し、自身の複雑な想いに自問自答しながらも、最後にはアーシュへの愛に囚われていることに否応なく導かれることを、暗鬱に思いつつ喜びと感じているのだ。

 この二律背反したイールの神経疾患は、生きていく理由の拠り所でもある為、新しいアーシュの姿を見つめることはイールの生き甲斐になっていた。


 そして、ルシファーはひと月に一度、神殿へ通い、その都度、イールとの談話を楽しんだ。

 内容はルシファーの一方的な話であった。

 「天の王」学園でアーシュと暮らした日々を思い巡らしながらイールに話し聞かせることは、ホームシックに罹ったルシファーにとっても、例えようもないほど満ち足りた感覚を味わうのだった。


「アーシュはいつから目が悪くなったのだ?」と、イールは眼鏡を掛けている理由をルシファーに聞いた。

「目が悪いわけではなく、アーシュの美貌が他の者の嫉みや恨みを買うし、またその美に魅了されてしまうだろうと、学長のトゥエ・イェタルが心配して、赤子の時からアーシュに掛けさせているのだと聞きました。確かに眼鏡を外したアーシュを見つめ続けることは、難しい行為でした」と、ルシファーは何とも困った風に笑った。

「…そうか」

(果たしてそうなのか?そのトゥエ・イェタルという魔術師は、誰かにアーシュを奪われることを怖れたのではないのだろうか。眼鏡に術を掛け、誰彼をも惑溺させるアーシュの内なる力を抑え込んだのではないのか。この人間の願望は、アーシュへの欲望と独占欲だ。…だが、それは軽蔑には値しない。私も同類なのだから)


「僕もアーシュも孤児として育ちましたが、沢山の良い友人に恵まれて楽しかったんです。特にベルは僕とアーシュの親友でした。彼は年齢は同じですが、精神的には僕らよりもずっと大人で…僕もアーシュも彼の鷹揚な心の広さに救われました」

「写真に写っていた背の高い金髪の少年だね」

「そうです」

 またもやイールは、そのベルとアーシュの関係を知ってしまうことになった。

 イールにはルシファーの心を読むことができ、しかもその本質を繋げれば、アーシュとの関係が自ずと見出せるのだった。

 だとしても、アーシュへの想いと、アーシュとルシファーとの関係で打ち明けられぬ悩みを抱えているベルの心情を知っても、イールは全く同情する気にはならなかったのだが…


「アーシュは、気前よく誰とでも快楽を味わう人間に成り下がったのだね」

 イールは皮肉を込めてルシファーに言った。

 この言葉はルシファーを驚かせ、またイールの深い怒りを感じるには有り余るものだった。

 彼は慌てて弁解したが、理路整然とはいかず、むしろしどろもどろになってしまったのは当のルシファーさえも、アーシュの身持ちの悪さには腹が立っていたからであろう。


 

 イールはルシファーと引見する度に、ルシファーの心根を微笑ましくも羨ましくも思った。

 ルシファーはイールに対して、実直に余すことなく心を解放している。

 彼のアーシュへの想いは純粋である。その心にイールへの嫉妬が見えようとも、それは当然の感情であり、アーシュへの愛の証でもある。

(立場は違っても、この少年と私は、アーシュに魅入られ、嫉妬心を持って相手を見ているという点で同格だ。…誠に下らん感情ではあるがな)

 

 イール自身の憂鬱な自己嫌悪を再認識させられるルシファーとの毎度の引見は、この平穏で神の役目を執拗としないクナーアンの生活に飽きていたイールにとって、沈殿した諦観の運命を巻き上がらせる突風の如き感情であった。

 イールはルシファーの到来を、心躍る思いで待ち焦がれた。


 危険と絶望と隣り合わせであり、その行く先が鬱屈した感情であっても、進む道を闊歩する心地良さをイールは見逃したりはしたくなかった。



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