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This cruel world 17

17.

(バカな…セラノは一千年も昔に死んだ。私とイールで彼を弔ったのだから。まさか…人間たちが良く言う、他人の空似なのか、はたまた輪廻転生でもしたのかな。まあ、本人の魂ではないことは確かだ。でも見れば見るほど良く似てるなあ~。しかもこの人間の精神は実に美しい。この魔法陣を感じれば本性はわかる。ふ~ん、セラノに良く似た学者肌の人間か…このままこの男をクナーアンに連れて、イールを驚かせてやろうかな~)

 アスタロトは我が身に見惚れ呆然と佇む男を凝視し、そして懐かしさに思わず微笑んだ。


 そんなアスタロトの心中など知らぬ、魔法使いの人間、天の王学園の学長トゥエ・イェタルは、自ら召喚した精霊、魔者、いやそれ以上の力を持った存在をひたすら畏れた。

 自分の望むものを、この召喚した者が聞き届けてくれる保証などない。だが、この世界の秩序と平和を保証できるのなら、我が身を捧げても構わないと、トゥエは覚悟をしていた。

 だが、その覚悟を一時忘れる程に、目の前に現れた存在の煌きは現世のしがらみを忘れさせた。

 外見の麗しさだけではない。この者の根源に魅了されるのだ。

 それは闇の中で震える者が、心から欲するものを与えられたような喜びと興奮と驚愕が連動した感動だ。

 そして絶対に触れることができない聖域のような…。

(私の汚れた手でこの神々しい光に触れることなど、畏れ多い。しかし…私が召喚してしまった者は、この世の覇者、魔王、いや神なのだろうか…)

 トゥエは金色に輝く魔法陣に優雅に立つアスタロトの姿に、ただ見惚れて続けていた。


 その容姿に見合う清清しい声で、その者は言葉を発した。

「我が名はアスタロト。力ある者だ。古き魔法の縁により、汝の召喚におれは応じた。望むところを申してみるがいい」

 アスタロトの名を聞いたトゥエは、心底震えた。

 「アスタロト」…この世界では偉大なる魔術師であり、闇を制する魔王として君臨していた者と言い伝えられている。

 それは過去にそれぞれの次元でのアスタロトの数々の気ままな行いから、人々が伝えてきた話だった。それが事実と異なって伝わったものであるにしても、アスタロトという存在を怖ろしくも興味深い魔者として世に知れ渡っていることは確かだった。

 トゥエは思った。

 今更本性を隠せるわけでもない。むしろ自分の胸の内すべてを曝け出し、この魔性の者に己を捧げなければ、志は受け取ってもらえまいと感じたトゥエは、自らの心を解放させた。

「私の望む物はただひとつ。この世の安寧でございます。人類が皆それぞれに豊かに暮していける世の中をこの目で見たいのです」

 

 アスタロトはトゥエの言葉を愚かだとは思わなかった。自身もまたその未来を求めてきた過去もあったのだから。

 答えは簡単だ。この人間に「下らぬ夢を見ぬことだ」と、言えば済む話だった。 

 誰かを救うことは誰かを貶めることであり、その選択は力のある者により決定される。しかし力のある者が善で、無き者が悪ではない。その逆もありえる。

 すべてを救うなど絶対にできないのだ。

 アスタロトはこの先二、三十年ほどの時間しか生きられぬ男に、絶望を与えることを躊躇った。セラノに良く似たこの人間を、アスタロトは無碍にはできなかった。

 彼はトゥエに幾つかの質問をした。

 この魔法陣が描かれた聖堂は、この街の古いインデペンデントスクールで「天の王学園」の中心にあり、トゥエ・イェタルは、この学園の学長だった。

「おまえは教師なのか?」

「そうです」

「なるほど…」と、アスタロトはまた嬉しそうに笑った。


「人を教育するのは面白いか?」

「面白いというより…やり甲斐を感じます。同時に大いなる悩みも生じます。子供たちに正しき道を示しているのだろうかと…不安に思わぬ日はございません」

「ふ~ん」

 トゥエは目の前の人ではない魔者が、何故このようなことを聞くのか、さっぱりわからなかったが、悪意は感じられなかった為、素直に答えた。もっともこの者に対して嘘を口にしたとしても、全く意味が無いことはわかっていた。


 アスタロトはトゥエのひととなりを知ると、益々興味が沸き、こういう人間が自分の側に居たら、クナーアンで過ごす平凡な日常も少しは面白くなるかもしれないと思った。

 しかし、彼はこの地の人間である。無理矢理連れ去るわけにもいかない。

(何よりこの男はこの星を愛している。我がクナーアンへ来いと言っても、無理だろうな。…そうだ。…人間になる魔法を試すには丁度良い機会だ。良い具合にこの魔法陣の魔力は我の魔力を何倍も増幅させるほどに強い。それにこの男の魂に寄り添えば、人間としてのコピー回路は難しくない。魔術師としても人間としても、これほどマトモな精神を持った者はザラにはいまい。条件は揃っている…試してみる価値はある…)


「トゥエ」

「はい」

「おまえの願望はおまえが手を下さぬという点に置いて、懲罰に値するものがある」

「…」

「平和も戦争もおまえ達人類に必要不可欠であることは、長い歴史を振り返っても知らぬ者などおらんだろう。おれはおまえの理想は咎めん。おまえの望みを与える魔力もおれは持っている。だが、もし、おまえの望みをここで示せば、おまえの精神は粉々に崩れ去る…この論旨がわかるか?」

「…わかります」

 トゥエはアスタロトの言葉に心から震えた。その本意を知り、己の愚かさを知り、それ以上に自分を哀れむアスタロトの心に触れた。

「だが、おまえの想いはわかる気がするよ。おれも統治者だからね。人々の安寧を慮るのは当たり前だ。…犯罪者と征服者の流す血の量はどちらが多い?幸せをもたらす数はどちらが多い?天秤はどちらへ傾く?それを決めるのは神でも魔王でもなく、人間であるべきだと、おれは考えている。もっともな話、神や魔王が善や悪を取り除き、人間の思考を統一しても、何がおもしろかろうか。そう思わないか?」

「…はい」

「だから…そうだな。神であり、魔王であり、恐るべき力をもった魔術師でもあるこのおれが…人間になろうではないか」

「…え?」

「我の魔法で、自身を生まれたばかりの無垢な赤子に産まれさせ、人間として育つのだよ。おまえの手でな」

「わ、たしが?私が育てるのですか?神である、魔王であるあなたさまを?」

「そうだよ。トゥエ、おまえは私の古き良き友人に良く似ているんだ。彼は信頼する人間だった。我は不死であり、とても長く生きているけれど、好きな人間の事は忘れないものさ。とりわけ我は今機嫌が良い。おまえの力になってもいいとさえ考えている。…宇宙の摂理に反してでもな。そして、無になった我をどう育てるのか、それをおまえに委ねても面白いと思うのだよ」

「…無理です。無理です。めっそうもございません。どうぞ、ご勘弁ください。この愚かな人間にあなた様を育てるなど…できるわけもありません。私にはそんな大それた…」

「トゥエ。私はもう決めたのだよ。おまえに不毛な願望があるように、私は人間になることが積年の夢でもあったのだ。それは…とても、とても重い夢だったんだ」

「…」

「弱い人間ではあるまいよ。おまえたち人間を震撼とさせる力を持つ者に生まれ変わるかもしれない。その力を持った人間の私に、おまえの望みを託すが良い。それを叶えるかどうかは…生まれ変わった私の意志だろうが…」

「ま、待ってください」

「…きっと私に良く似た見目だろうねえ…」

 アスタロトにはすでに生まれ変わる自分の姿が見えていた。まだ小さい…リギニアの父神と母神に抱かれた自分と同じ姿で、このトゥエに抱かれている自分が見えた。


「『レヴィ(尊き者)』と、呼んだ友人もいる。けれど、私は親しい者には『アーシュ』と呼ばれるのが好きなんだ」

「アスタロトさま…」

「よろしく頼んだぞ、トゥエ」


(イールはきっと怒るだろうけれど、もし、この魔法が上手くいけば、イールに教えてやれる。そしてふたりで生きて、死んでいくことができる。神としてではなく、人間として。…間違いだとしても、天の皇尊の怒りに触れようとも、僕はこの道を選択するよ。ねえ、イール。僕には『不死』という未来は虚しいばかりなのだよ…イール、ごめん。必ず迎えに行くからね。少しだけ待っててくれ)


 アスタロトは身に繋がった長い詠唱を唱えた。

 長くはあるが、時間は次元を超えている。

 目の前にいるトゥエにはその詠唱は聞こえず、アスタロトの姿が炎のような黄金の光に包まれ、赤く染まり次第に縮まり熾き火のように燻りながらもその輪郭がはっきりしていく様は、ほんの数秒の事だった。


 トゥエが描いた魔法陣も光も消え、今まで目にしていたアスタロトの着ていた着物が黄玉の床に落ちていた。その着物の中には、小さな、黒髪の美しい赤子が裸のままうずくまり、目を閉じていた。

 右手の人差し指の薄青玉の指輪が静かに光りだした。

 赤子はそれに反応し、そっと目を開けた。

 そのまなこには永遠の闇に浮かぶまばゆい宇宙の綺羅星が、輝いていた。


 アスタロトの大いなる魔法は彼を望みどおりの人間として誕生させたかに思われた。

 アスタロトは自分が無になり、赤子に生まれ変わろうとも、イールやクナーアンの記憶を失うとは微塵も思っていなかった。

 だがそれは叶わなかった…

 アスタロトの記憶は赤子には受け継がれなかったのだ。

 遺伝子レベルではアスタロトの生きた過去は刻みついているはずだろう。

 だが赤子は無垢なままで、生まれ変わってしまったのだ。


 過去を知る赤子など、いない。


挿絵(By みてみん)




 自室のバルコニーで夜天を仰いでいた。ふたつの月は糸のような下弦を描いている。

 明日は新月だ。

 アスタロトが帰る日だ。

 

「イールさま、お茶を用意いたしました」

「ありがとう、ヨキ」

 ヨキと呼ばれた少年は、イールとアスタロトの身近な世話をする者で、将来神殿に従事する神官になる為に励んでいる。

 殺戮者であった父を持ち、それを憎んだ民衆は母子を呪い復讐鬼と化した。母は無残に殺され、七歳であったヨキも殺されかけていた。

 たまたま通りかがったアスタロトはヨキの悲鳴を聞き、それを助けた。

 偶然に他ならなかった。

 ヨキの運命を長らえさせたのは、神であるアスタロトが介入したからだ。

 人々は鬼子を助けたアスタロトを責めた。が、アスタロトは失笑した。

「これはおれが手にしたものだよ。おまえたち人間が、我から何かを奪い取る力があるのか?」

 そうしてヨキは、イールとアスタロトの神殿に身を置く事になった。

 傷つき闇に閉じ込められたヨキの心は、なかなか素直には開かなかった。

 イールもアスタロトもヨキを甘えさせはしなかった。彼らは何もせず、ただ共に日々を暮した。

 だが彼らの側にいるうちにヨキの荒んだ心は次第にろ過され、救われた運命に感謝するのだった。

 ヨキは自分の一生を、イールとアスタロトの為に尽くそうと誓っている。


「今夜は月がおとなしいから、絶好の星月夜ですね」

「そうだね。眩しいくらいに大数の星が瞬いている…あの中にアーシュが今居る星もあるのだよ」

 テーブルに用意されたお茶をひとりで飲むイールの姿が、ヨキには寂しげに見えた。

 アスタロトが居ない時はいつもそうだ。

「僕は時々アスタロトさまが嫌いになりそうになる」

「何故?」

「だって、アスタロトさまは、イールさまを寂しくさせるのだもの」

「…ヨキは幾つになった?」

「15です」

「若いね。私とアスタロトは今年で1160才だよ。1160…笑い話だが、五、六百年経った頃にはもう年を数える気など無くなっていたよ。でもアーシュは言うんだ。『ちゃんと一年ずつ年を数えていこう。今年、この日を僕達が生きた証として、言葉や文字や絵にして残すことには意義があると思いたいからね』とね。そして何もなくても毎日日記に期日だけは書き留めている。アーシュは間違いなく宇宙きってのロマンチストだね」

「ふふ…そうですね。それに明日には帰っておいでになりますから、またしばらくは土産話ににぎわいますね」

「騒がしくなるの間違いだろう?」

「アスタロトさまは、次元を超えてお出かけになられると、いつも僕にもお土産をくださるのですが…この間は、彼の地で流行っているとかで香水を頂きました。でもどう考えても女性が使うものだし、使うにしても僕はまだ子供だし、そもそも神官になる身なので、香水を使う機会など無いんです…戸棚に飾っていますけれど出番はありそうもないです」

「悪いな、ヨキ。アーシュのクセだ。自分があげることで満足してしまって、贈った相手がどう思おうとお構いなしなんだ」

「それでも充分嬉しいですけどね。でも不思議なんです。どんなに心が晴れない時でも、アスタロトさまをお見かけするだけで、沈んだ心がポンと救い上げられた気になるのです」

「彼の精神は光輝いているからね」

「イールさまも同じです。見ているだけで、心が癒されます。穏やかに…誠実に生きる幸せを感じます」

「アスタロトに言わせれば、私達神は概念となる身だから、あまり実像を表す機会も無くなってしまうらしいが…」

「でも…御姿を拝見できなくても、人々はイールさまとアスタロトさまを忘れることなどないと思いますよ。空にあるふたつの月のように、必ずそこにいらっしゃるのです。満月になったり細くなったり、呼吸をしていらっしゃるように…」

「あのふたつの星は連星なんだ。お互いを抱きしめながら輪舞するように、惑星クナーアンを周回している」

「ほら、やっぱりおふたりなんですよ。おふたりが偉大な神であられるのは誰もが承知しています。…僕が年を取って死んでも、いつまでもおふたりがこのクナーアンを見守っておいでになるのだと思ったら、なんだか安心して死んでいくことができるような気がします。神様ってそういう存在なのかなあ~って、近頃そんな気もしているんです」

「ありがとう、ヨキ。アーシュが帰ってきたら、その話を聞かせてやっておくれ。あいつはそういう話に餓えているからね」

「はい、喜んで。では、イールさま、おやすみなさいませ」

「ああ、おやすみ」


 ヨキが去り、ひとり残されたイールは部屋の隅のチェストの抽斗を開けた。

 アスタロトがイールに贈った様々な宝石などを保管するチェストだ。

 その抽斗の奥に小さな箱がある。それを手にしてイールは、一番大切な宝物を取り出した。

 アスタロトがイールに初めてくれたラリマーの鉱石だった。

 あの日…ふたりが最初に出会った時、手の平に握り締めるほどの小石を、小さなアスタロトはイールに差し出したのだ。

 「あげる」と、言い、同じように小さなイールの手にその小石を握らせた。

 それはアスタロトの光そのものだった。その光にイールは一瞬のうちに焦がれてしまったのだ。

 そして今もイールはアスタロトの光に恋焦がれ続けている。


 イールはバルコニーにもたれ、今は傍にいないアスタロトを想った。

(本当に身が持たないなあ…アーシュがいなければ、私の生きる意味など一切ないのだと、つくづく思い知らされる。アーシュとだったらこの先どんなに長い時を生きようとも、私は苦しいとは思えないんだが…)

 

 …終わりのない未来を恋しいと思うかい?


 あれはアスタロトの心の叫びだったのだろうと、イールは思った。

(もしアーシュが、生きる事をあきらめ、死を選んだとしても、私はそれを止めはしない。喜んで一緒に死のう。アーシュがいない世界に私が生きる意味はないし、未来を見る必要もない。人を思いやる気持ちも優しさも消えてなくなるだろう。この世界を憎むかもしれない…もとより、私達はひとりが命を失ったら、同時に死ぬ運命にある。どちらかがひとり残される運命ではなかったのはありがたい)


 …君と共にあらば、私の世界は美しくあり続けるだろう。


 イールは握り締めたラリマーの小石を胸に寄せ、彼方のアスタロトに語りかける。

(早く帰っておいで、アーシュ。君と共にある喜びを、もっと…もっと君に聞かせてあげたいんだ)


挿絵(By みてみん)


 ハーラル系には十二の惑星がある。

 それぞれがそれぞれに特性を持ち、そこに生きる人々は、星を統治するふたりの神々を崇拝する。

 とりわけ第三惑星クナーアンは、秩序に則り、その繁栄を極め、平穏な人々の暮らしを約束された地である。

 彼らの崇めるふたりの神、イールとアスタロトは、世の法と地上の豊穣と普遍の愛を貫く比類なき美神であった。

 クナーアンに住む人々は、この地で生きる喜びに沸く。

 「永遠なれ!」と、イールとアスタロトの二神を讃えるのだった。



 しかし、神殿のふたつの玉座の一方に座る神は、今はこの星には存在しない。

 ひとり残された神は…片方の玉座に居る。

 そして、帰らない半身を、今も待ち続けていると言う。




       「This cruel world」終。


次章は「Phantom Pain」です。



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