表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
75/107

This cruel world 16

挿絵(By みてみん)


16、

 アスタロトは惑星リギニアの女神の腹から生まれ、五歳になるまで終始、惑星クナーアンを統治する神になるのだと教えられ、育てられてきた。

 もうひとりの半身であるイールという神と、仲良く愛し合い、クナーアンを良い星に導く為に、心身を尽くせと…

「天の皇尊により、同じ日に生まれた我が半身、イールとはどんな姿でどんな声をしているの?髪の色は?目の色は?肌の色は?性格は、優しい?おとなしい?おこりんぼ?泣き虫?いたずらっこ?…早く会ってみたいなあ~」

「まあまあ、アーシュは何度も同じ事をお聞きになるのね。そんなにイールが気になるの?」

 母神であるエーリスの膝に座り、小さなアスタロトは毎日のように半身であるイールの事を聞く。

「だって、僕の恋人になるんでしょ?僕の好きなタイプだといいなあ~そしたら僕はうんとかわいがって、いっぱい喜ばせてあげるの」

「まあ、おませさんだこと。でもね、話によるとイールはとっても礼儀正しくお利口で、誰にでも親切で我儘など言わない素晴らしい神様らしいわ。アーシュも笑われないように良い子にならなくちゃね」

「え~っ。僕、良い子だよお~母上~」

「そうかしら?アーシュの無鉄砲は良い子とは言えないわよ。あまりやんちゃをして、マサキを困らせてばかりだと、イールに嫌われてしまいますよ」

「やだやだ~。嫌われたくないもん。僕、ちゃんと良い子になるう~」

 無邪気に泣きつく小さなアスタロトを、女神エーリスは祈りを込め、優しく抱きしめる。

(この小さなクナーアンの神が、未来永劫その光を見失うことが無きように…天の皇尊よ、お見守りくださいませ)

 

 運命づけられたふたりであったが、彼らは互いに幸福な恋をした。

 分かち合える未来を喜びとした。

 最初に出会った時から、アスタロトは自分の一番大事なものを、この愛しき恋人に贈り続けようと自身に誓った。

 そして小川で見つけたばかりの鉱石を、イールに差し出した。

 その鉱石ラリマーと同じ青さを持ったイールの薄青の瞳の輝きで、いつまでもアスタロトを見つめて欲しいと願った。

 その瞳の輝きは一千年経っても少しも翳る事無く、アスタロトへ向けられているのだった。

 


 その年の実りを祝う収穫祭は、クナーアンのふたりの神の降誕日から始まる。

 クナーアンの人々は、年に一度の収穫祭の三日間だけ、神殿でのイールとアスタロトの拝謁を許されるのだった。

 人々は二神への祝福と豊穣の喜びと、感謝の意を込め、それぞれに収穫した捧げ物をふたりの神に奉るのだ。

 この年のアスタロトは、何故か感慨深いものがあった。

 三日も続けば飽きてくるはずの謁見が、自分を仰ぎ見るひとりひとりの民の顔が、無性に愛おしく、胸がつまるほど感銘を覚えていた。

 何故だかわからないが、人々の安息な未来を祈らずにいられなかった。

 収穫祭が終われば冬が来る。

 アスタロトは地上の隅々までに気を配り、厳しい冬を乗り切れるように、森や海、すべての自然の霊根にありったけの恵みを授けた。


 神殿へ戻ったアスタロトを待ちわびたイールが出向かえた。

「予定では明日から彼の地に行くのだろ?あまり無理をして、精を出さなくても私が代わりにやっておくよ」

「うん。でも…なんだか、今日のうちに地上を見ておきたくなったんだ…冬が来るからセンチメンタルになっているのかもね」

「毎年、冬はやってくるよ。来年も再来年も…私達が生きている限り、この惑星の季節は狂ったりしない」

「そうだね。君と僕がいる限り…変わらないよね」


 疲れているのだろうか、少し元気のないアスタロトを気にかけたイールは、休むように勧めた。

「ありがと。でもねえ、イールも一緒にベッドに入ってくれない?ヴィッラへ行こうよ。ふたりだけで朝までずっと繋がっていたいの」

「…何かあったの?アーシュ」

「だから、センチメンタルな季節なんだって。…明日からしばらく出かけるから、イールから沢山エロスを貰っておかないと、餓えちゃうし」

「だったら、行かなきゃいいのに。私は君を喜んで送り出しているつもりはないんだからね」

「わかってる。でも、明日は伯爵の命日でもあるから、挨拶に行きたいんだ」

「…死んだ人間に挨拶?」

「そう、亡霊に。ああいう存在の在り方もあるんだねえ~…まあ、僕にしか見えないんだけどさ」

「君の人間への思慕は充分わかったから、睦言では聞かせないでくれ。白ける」

「はいはい、わかったよ。イールが気持ち良く僕を抱けるように甘いセレナーデでも歌うさ」


 惑星クナーアンには二つの衛星がある。

 今夜はそのふたつの月が満月の時。

 寄り添い並ぶ月夜の夜天そらには雲ひとつ無い。

 ふたつの満月の光は、開け放された窓から、ベッドに絡まるふたりの身体を浮かび上がらせる。

 アスタロトはいつもよりも扇情的にイールを誘った。

 イールの与える快楽は一方的ではなく、追い詰める事も逆に攻め立てることも楽しめたが、今夜はイールをより求めたのはアスタロトだった。

 「素敵だよ、イール。…もっと、もっと僕を解放して。そして僕を君のものにしておくれ…」

 

 いつだってアスタロトは一番大事なものをイールに贈りたがった。

 そして、今は自分のすべてをイールに奪って欲しいと強請った。

 そんなことができるはずもない。

 お互いがお互いの半身であっても、心も肉体も別個のものでしかない。

 だからこそ愛し合えるのだから。


挿絵(By みてみん)


 ぐったりとシーツに沈み込むアスタロトを、イールはそっと抱きしめた。

「どう?満足した?」

「ふふ…君からいっぱい愛を貰って、僕はこの上もなく幸せだ」

「アーシュ…」

「このまま君の腕の中で、死んでしまってもいいや」

「…死なないよ、アーシュ。私達は、ずっと一緒に生きていくんだ。こうやって身体を繋ぎあって、愛し合って…生き続ける」

「僕はもう…君の望むものすべてを君にあげて、終わらせたい気分だ」

「終わるなんて言わないでくれ。死に囚われないでくれ、アーシュ…」


 …終わりのない未来を恋しいと思うかい?


 アスタロトの言葉…いや、その心の声は「senso」の魔力を帯びていた。

 イールはアスタロトの「想い」に同調してしまう弱い己を知っていた。 

(それほどまでにアーシュが「死」を望むのなら…一緒に消えてしまえるのなら…それも悪くはあるまい。いや、私達のこの崇高な愛を成就させ、美しい「愛」の概念として、このクナーアンの人々に語り継がれることこそ…神として存在した意義があるのかもしれない…)


 月の光に照らされた澄んだおぼろげな青白いアスタロトの裸体は、精緻な硝子細工の儚さで存在し、イールは、壊さぬようにそっとその頬に触れた。

「…アーシュ。君の言うとおり、このまま終わりにしようか。この幸福な時を閉じ込めたまま、ふたりで心中しようか…」

 イールの言葉を聞いたアスタロトは星を散りばめた黒曜石の瞳を見開き、そして首を横に振った。

「君がそれを言うな。僕と同化するんじゃないよ。…なあ、イール。まだ僕はあきらめてはいないんだ。君に本当の幸福を与えたいからね」 

「私は…何も…何もいらないよ、アーシュ。君が傍にいてくれさえすれば、何も、望まない…」

「…そうかい…」

 くすりと笑うアスタロトの言葉は、ぼんやりと、輪郭を失っているように思えた。

 アスタロトは自分を見つめるイールの薄青色の輝きを確かめ、満足して微笑んだ。

「君を愛している。永遠に。僕の愛は、すべてイールのものだ…」

 ゆっくりと重なった口唇は、夜更けの所為なのか、ひんやりと冷たかった。

 

 


 彼の地、ソーラーレイの第三惑星アースは、ハーラル系のクナーアンと、丁度裏表の次元で存在していた。

 強大な魔力は必要とするが、重ねられた次元の層を、ただ落ちるか上がるかだけだから、迷わないし時間もかからない。

 その日のうちにアスタロトは伯爵と過ごした岬の城で出向き、亡霊となった伯爵へ挨拶をした。

 城はアスタロトのものであったが、アスタロトは城を大事に守ってくれる伯爵の血縁の者に譲りたいと思っていた。そのことを伯爵に告げると、彼は、曾孫のクリスティーナが嫁いだ先のスタンリー侯爵家に是非譲って欲しいと言う。

「了解した」と、言い、アスタロトは数日を伯爵と過ごし、別れた。

 街の役所へ行き、伯爵の遺言を完了させた。

 気まぐれに伯爵の子孫となるスタンリー侯爵家の一族でもみてやろうと、アスタロトは侯爵家の領地へ足を運んだ。

 サマシティの街は、アスタロトには初めてだったが、何故か親しみやすさを感じていた。

 どこからともなく薄荷草の香りが漂っていたからだろうか…

 街の看板に目を留め、その足で小さな映画館に入った。


 映画館はアースでもっとも有意義に楽しめる遊興のひとつだとアスタロトは確信している。

 恋愛や戦争もの…はたまた突飛な宇宙ものも楽しめた。

 アスタロトが感銘を受けるものはいつだって、人間の愛を語る物語だった。

 悲恋でもご都合主義のハッピーエンドでも、本物の情愛には心が癒された。

 その日、アスタロトが観た映画は平凡な男と女の恋物語だった。

 幼馴染みだったふたりが思春期に離れ離れになり、ふとしたきっかけで再び出会い結婚する。戦争から帰らない良人をひたすら待ち続け、十年後やっと帰ってきた良人を抱きしめる妻。そして、年老いたふたりは静かにお互いへの信頼と愛を語らいながら死んでいく。そんな平凡な物語だった。

 だが、アスタロトが思慕する情景のすべてが織り込まれていた。

 観終わった後も、アスタロトはしばらく席を立つことができず、声を殺しながら泣いていた。

 どんなに欲しても、自分とイールにはできない「恋の成就」だったからだ。

 羨ましさと口惜しさに心が切り裂かれる気がした。


(神が人間になる事が罪だとはどうしても思えない。大体、不死であることが宇宙的に考えても不自然極まりない事象だろう。自殺でしか終わらせることが出来ないという現実こそが、最も忌むべきことだ。自分自身に絶望して、ミセリコルデ(慈悲の剣)を突き刺すことなど、絶対に嫌だ。たとえイールがそれを望んでも嫌だ。自殺することと、人間としてその命を全うすることの意味は全く違うはずだ…)

 アスタロトは煉瓦の舗道を歩きながら、天を仰いだ。

(イールは人間なんかと言うけれど…愚かな人間になろうというわけではないんだ。ただあの映画のように、ふたり寄り添って年老いて添い遂げたいと願うだけなんだ。ずっとこのままで…ねえ、イール、「愛」は不変かもしれないけど、精神は流動するものだろう?…僕はもう…)

 

 その時、アスタロトは強い魔力を身体全体に感じた。

 東の空に一筋の金色の光の柱が聳えていた。勿論実体ではない。

 魔力の磁場が棚引いているのだ。


(誰かが強力な魔法陣を使い、召喚を試しているらしいな…しかし…これは相当な魔術師だな。綿密に組み立てられた魔術であり、その上邪気を感じない。…面白い。少し覗いてみるか…)

 アスタロトは姿を隠し、光柱の上からその光源を見下ろした。

 天の王学園の聖堂から放たれる光の奥に美しい魔法陣が見えた。

(稀なる召喚師であることは間違いない。その招きに応ずるのもまた一興…)

 アスタロトはゆっくりとその魔法陣の中で降り立った。

 魔法陣の光はアスタロトの身体を温かく包み込み、アスタロトは充分に満足した。

 

 円陣の外にひとり、壮年の男が跪いていた。

 ダークスーツに身を包み、魔王への儀礼を尽くした魔法陣を描いた魔術師だった。

 アスタロトはその男に顔を上げるように命じた。

 魔術師は畏れながらゆっくりと顔を上げた。

 その顔を見たアスタロトは思わず息を呑んだ。


(…セラノ…セラノなのか)

 その男は、昔、アスタロトとイールを導いた家庭教師のセラノにうりふたつの面差しをしていた。




評価をするにはログインしてください。
この作品をシェア
Twitter LINEで送る
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ