This cruel world 8
8、
イールとアスタロトは不死の神であったが、その他の者はそうではなかった。
よって、時が経つにつれ、ふたりの親しき者は段々と彼等の側を離れていった。
彼等のほとんどが神殿で従事する者だったので、後を仕える者たちに仕事を学ばせ、委ねた後、イールとアスタロトに暇をもらいうける形で去っていくのだ。
それはふたりの若き神々に自分達の老いた姿や死を見せたくないという計らいであった。
ふたりの神々は幼い頃から一緒に過ごしてきた世話人達への別れの寂しさに泣きながら、彼等の心使いを止める手立てがないことを知っていた。
とりわけアスタロトの傍近く使えていたマサキとの別れは、格別に痛みを感じていた。
マサキはアスタロトにとって、親同然であり、彼を本気で叱る唯一の人間であった。
「マサキも僕を置いていくんだね」
言ってはいけない言葉だと知りつつ、アスタロトは泣きながらマサキを咎めた。
「神子さま…」
マサキもまた泣いていた。
「お泣きにならないで下さいませ。三十年もの間、神子さまの傍にいさせて頂き、私は幸せ者ですよ。神子さまもどうにか大人になられましたし、マサキもこんなに歳を取りましたしね。そろそろお暇を頂き、ゆっくり余生を過ごしてもバチは当たりませんでしょうから」
「いつまでもここにいればいいじゃないか。マサキは僕が看取ってやるから」
「まあまあ、こんなに綺麗な神様に末期の水を取っていただくのはもったいのうございますよ。いえね、私には幼い頃に別れた息子がリギニア星におりますので、息子の家族と一緒に暮してみようと思っているんです。息子も喜んでくれていますしね」
「…」
「だから、神子さま。マサキのことはお忘れになられてください。神子さまはこの惑星の未来を背負っていく使命があるのですから、下々のことは気に留めなくてもよろしいのですよ。アスタロトさまとイールさまがここにいられるだけで、この星の民は幸せを与えられているのです。あなた方はそういう存在の御方なのですから」
「マサキ、ありがとう。いつまでも元気でね」
「ありがとうございます。おふたりの常世の御栄えをお祈りしております」
次元の道に消えていくマサキを、ふたりは見送った。
「マサキの家族は彼女を快く受け入れてくれるだろうか…」
「アーシュ、君がマサキを心配する気持ちはわかるけれど、それは僕達が心を痛める事柄ではないよ」
「…」
アスタロトはイールの横顔を見た。
慈愛の神と呼ばれるイールの顔は誰が見ても穏やかで美しい。
「イールは強いね」
「それ皮肉?」
「いや、正直な気持ち。僕は…寂しくてたまらない」
「…僕がいるだろ?僕じゃマサキの代わりにはならない?」
「君は…君でしかないよ、イール。誰の代わりにもなれない」
アスタロトにもわかっていた。
自分達ふたり以外は、すべていなくなってしまうのだと。
二年後、マサキの息子が神殿に拝謁に来た。
マサキの息子はイールとアスタロトにマサキが亡くなったことを報告に来たのだった。
「一昨年、幼い頃に別れた母が私を訪ねてきたとき、心から喜ぶ事はできませんでした。たとえ神様の乳母として仕えたからと言っても、私にとって、母は幼い私を捨てた人としか思えなかったからです。違う惑星に住む私に、あなた方神々を慕う気持ちすら沸かなかった。でも…年老いた母と一緒に暮らし、初めて母という存在を求め続けていた自分を知ったのです。母は豊かな人でした。母の口から聞かされたイールさまとアスタロトさまのお話はまるで…お伽話のようで、聞いているだけで幸せに満ち溢れていくのです。母は最期まで幸せだったと笑っておりました」
「マサキは…笑って死んでいったのだね?」
「はい。この度、家族みんなでこのクナーアンに移り住む事にしました。母の愛したクナーアンで私達も生きていきたいと決めたのです」
イールとアスタロトは、マサキの家族を神殿の近くの田園に住まわせた。
そこは以前、ふたりの神子に新鮮な野菜を食べさせようと、マサキが懸命に耕した土地であった。
「セラノは自分の故郷へ戻らないの?」
アスタロトはいつものように図書室で独り、黙々とペンを走らせている家庭教師に問うた。
「ここに居たら邪魔ですかな?」
「いいえ」と笑う。
セラノも五十は過ぎているだろうか。
この惑星の平均寿命は四十だから、セラノは長命の方だった。
「セラノには家族がいなかったんだよね」
「そうです。気軽な独り身ですよ。今更ですが、家族を持たなくて良かったと思いますね」
「何故?」
「心配する荷物が少なくてすむ」
「喜びもじゃない?」
「そうとも言えるが、私には別の荷物がどっかりと肩に食い込んでいまして、他の荷物を背負う余裕はないのです」
「その荷物って僕とイールのこと?」
「そうですよ。あなた方は偉大な荷物ですからね」
「じゃあ、僕達はセラノに幸せをもたらした?神としての恩恵ではなく、あなたの荷物としての愛に対して」
「勿論ですよ。不遜ながら私はあなた方を神としてよりも、傍に仕える親しい友人、生徒、家族として愛してしまった。教師としては、これが正解とは言えないのですが…本当なら、あなた方に親しく仕えた者と同じように私もふたりの前から遠ざかる方が良い選択だとは思います。他の方々は不死であるおふたりの心情を慮って離れていくのですからね」
「うん」
「私ももう歳です。そう長くはご一緒にはいられないでしょうが、もし、あなた方が私を愛してくださっているのなら、最後の授業として、愛する者の死に直面する痛みを知るべきだと思い、ここに留まる選択をしたのですよ」
「悲しいことを言わないでくれ。それでなくても次々と親しい者たちの別れが続いているんだ。イールとふたりだけ残される現実が僕には辛いばかりで…苦しいよ」
「それでは、アスタロトさまはより強くおなりにならなければなりませんね」
愛おしい我が子を見つめるようなセラノのまなざしが、アスタロトには嬉しくて、悲しかった。
三年後、セラノは流行り病に倒れた。
イールとアスタロトはセラノの寿命を知った。
別れは近かった。
ベッドに寝るセラノの手を取り、アスタロトは泣いていた。
「セラノ。まだ長生きして欲しいと願っているけれど、僕らにでも人の命の期限を変えることはできないんだ。ごめんね」
「…まだ死んでもいないのに、もうお泣きになられるのか?困った神様だ」
「だって、悲しいのだから仕方ないだろう」
アスタロトの頬に零れる涙を掬ったセラノは、嬉しそうに笑った。
「そうですね、泣き虫な神様も人々から愛されよう…しかし、優しさと弱さは似てしまうものです。脆弱な神は人々を混乱に陥れますよ、アスタロト」
「この涙は人々の為のものじゃない。セラノを思って泣いているんだ。神としてではなく、あなたを愛する家族の涙だよ、セラノ」
「…」
アスタロトの言葉にセラノは何も答えられなかった。
「ありがとう、セラノ。あなたはすばらしい指導者だった。あなたの教えを心に刻んでこの星を導いていきます」
「イール。あなたは自分が思っているよりもずっと繊細でおられる。あなたもまた強い神になって欲しいと願っています」
「はい」
「人は時と共に変わり行く生き物です。その心も精神も…。あなた方もまた不死為ればこそ、変わり続けていかなければならないのですよ」
「「わかりました」」
「では、ごきげんよう、クナーアンの神々。お先に失礼いたします…」
最後の挨拶を残し、セラノは自分を見守るふたりの神々を幸せそうに最後まで見つめ続け、そして眠るように逝った。
ふたりはセラノの遺体を骨まで焼き尽くし、その灰を神殿の近くの湖へ蒔いた。
その年の夏、湖には白い睡蓮の花が咲き誇った。
セラノからふたりへの「信頼」の贈り物だった。