This cruel world 7
7、
昇殿から帰ったふたりの話をひととおり聞いたセラノは、ずっと笑いを堪えていたたが、最後にはとうとう声を出して笑ってしまった。
敬愛する教師の様子をふたりの神々は「笑うなんて失礼じゃないか」と、詰った。
「これはすみません。なにも馬鹿にして笑ったわけではありませんよ。私には…ふたりの語られることがお伽話のように聞こえるのです」
「そうなの?」
「ええ。あなた方が会われたという、この世界をお創りになられた『天の皇尊』のお姿を拝見した人間はひとりもおりませんし、その存在を確かめようもありません。でも、あなた方から聞くすべてが、幼い頃憧れた夢の話に似て、憧れやときめきを思い起こさせてしまうのです。おふたりがこの先もそのままの姿であられる事や、不死の話。またアスタロトさまが突っかかった話など…まるで神話を聞いているようだ」
「…突っかかったって…子供の我儘みたいに言わないでくれよ」
「アーシュのは反抗期の言いがかりにも似ているよ。こちらは傍にいてハラハラしどおしだ」
「…ごめん」
しょぼくれるアスタロトの様子に、セラノはまた声をあげて笑う。
「多くの民衆が天の上の御方と崇め奉られるあなた方が、こんなにも無垢な心根を持った少年たちだと知ったら…我欲や争いの種が随分と少なくなることでしょうね」
「そんなに簡単に?」
「そうですよ。あなた方が思うよりも、民衆は祈る象徴を求めています。それがふたりのような美しい造形であるなら、言うに及ばない。完璧だ。おそらく天の皇尊はそれを見越してあなた方の成長を止めたのでしょうね」
「とことん腹黒い嫌な親父だ」
「アーシュ、口が悪いよ。僕は別にこのままで構わないと思うけどな。不死と言われたのだから、見目ぐらいは綺麗なままがいいじゃないか」
イールはアスタロトと違って、この恩寵を当たり前に感謝していた。
セラノはこのふたりの神々の性格の違いを理想の恋人達だと心から祝福していた。
「とにかく私は幸せ者ですよ。神々であるあなた方に仕える者の特権でしょうけれど、普通の人間では味わえない貴重な体験を味わうことが出来る。本当にあり難いと思っていますよ」
「こまっしゃくれた悪ガキの生徒でも?」
「ええ、勿論ですとも。より一層やりがいがありますから。さて、今日はどこから始めましょうか?」
「そうだね。恒星ハーラルの寿命など、知りたいね。いわば待ちに待った自分の終の時でもあるのだろうからねえ~」
真剣に腕組み考え込むアスタロトに、イールは笑いを堪えている。
「はあ…全く持って、困った神様ですね」
大げさな溜息とは裏腹に、セラノの表情は雛を見守る親鳥のように温かい。
天の皇尊に大口を叩いた所為かは知らないが、翌日からアスタロトは今までよりも勝手を振舞うようになってしまった。
まず最初に窮屈な拝謁の時間をすっぽかした。
「ただじっと玉座に座っているなんて、つまらない。民衆の祈りを聴くだけなら本物の僕じゃなくてもいいよね」と、着ていたローブをいつも座っていた玉座に置き、魔法をかけて自分のホログラフを映した。
「じゃあ、イール。後はよろしく」と、もう一方の玉座に座るイールにウィンクをしたアスタロトはセキレイに乗って空へと消える。
良く出来たものだなあ~と、隣りの玉座に座る偽者を見つめながら、イールは右往左往する周りの役人へ一喝する。
「騒ぐことは無い。いつものように粛々と為すべきことをせよ」
自由の権利を得たのだろうか、アスタロトとイールは自分たちにできうる様様な惑星の社会統制に取り掛かった。
勿論、彼等を助ける賢者の意見も取り入れたし、何より他の惑星がどのような社会機構なのかを移民してきた人々から直接聞き、参考にした。
まだ歴史の浅いクナーアンに住む住民の殆どが他の惑星からの移民だった。
彼等の話を聞けば、どの惑星が住みやすく、また住み難いのかが一目瞭然だった。
繁栄する惑星とそうでない惑星の比較はシビアである。
彼等は住む場所が自分達の望んだものではないと知ると、何の未練もなく他の星へと移り住む者たちだ。
だからクナーアンに住む人々が、自分達の努力と比例した対価を与えられることが重要であり、即ちそれは根源の理想郷を創り上げることだったのだ。
そして、この惑星を愛する民衆の意識を育てなければ、星の繁栄はない。
ふたりの神々は誠実であり、真摯であり、勤勉であった。
彼等の惑星への関心や統治する心は、大地の恵みにもなる。
民衆はクナーアンの神々を敬い、この惑星を良い国にしようと働いた。
つまらぬ戦は時折起きるが、イールの法とアスタロトの力がすべてを鎮め、畏れ、自省することを促した。
街を興す産業が盛んになると、生活や福祉や教育が必要になる。
いくつかの小国の長が決まり、彼等は神殿へ奏上する。
イールとアスタロトはそれらをひとつひとつ確かめ、必要な加護を与えた。
長い時を経て、イールとアスタロトの色々な物語が語られるようになった。
これはほんの一部である。
或る時、大海の主である海龍と遊び、浜へ上がってきたアスタロトを待つ老人がいた。
彼はアスタロトの前に平伏し、崇めた。
濡れそぼった粗末な衣服を着たアスタロトを看破しただけでなく、待ち受けていた老人にアスタロトはその意図を聞いた。
彼は言った。
「私の命はもう間も無く終わります。悔いのない一生ではありました。しかし、死んだ後のことを色々考えますと、なかなか心が休まることがござらん。どうか、アスタロトさまの加護を頂きたく存じます」
話を聞くと、老人の財産を巡って息子たちや孫たちまで血なまぐさい争いをしていると言う。
アスタロトはニコリと笑い、平伏する老人の肩を叩いた。
「わかった。おまえの祈りを聞き届けよう。安らかに眠るが良い」
老人は感謝の言葉を言い、涙を流しながら、安らかに息絶えた。
アスタロトは老人の亡骸を抱いて、老人の家へ行った。
老人の家は贅沢ではなかったが、老人の生きた誠実さを物語っていた。家中では老人の家族がお互いを罵りあう声が聞こえていた。
息絶えた老人を抱えた薄汚い恰好をしたアスタロトを見た家族たちは、アスタロトを殺戮者と罵り、物を投げた。
勿論、何物もアスタロトの身体を掠めることすらできなかった。
罵ってはみても家族の誰もが老人の死を心から悼んでいる者はなかった。
アスタロトは老人をベッドへ寝かせると、家を燃やした。
家だけではなく、家具も財産も畑もなにもかもを焼き払った。
家族は驚き、逃げ惑った。
アスタロトを死神とわめき散らした。
「私は老人の願いを叶えただけだよ。お前等が老人の子孫であるならば、また財を成し得よう。その努力に背かないものを、私は与える者だ」
火の中に神々しく立つアスタロトの姿は、老人の家族の者たちを畏れさせた。
残された家族は、アスタロトの言葉と亡くなった老人の遺志を刻み、二度と争わぬことを誓い、懸命に働いたと言う。
また、ひとつ話があった。
街のはずれ、雨の中を歩く濡れたアスタロトは道しるべの石の影に縮こまる少女を見た。
少女は猫を抱きながら唄っていた。
少女は盲人であった。
親にも捨てられ、行くところもなく、濡れ惑い凍えているのだった。
彼女は彼女の心の支えは胸に抱いた猫であった。
猫は食べ物を盗んでは少女に与え、少女はこれまでなんとか生き延びてきたのだった。
抱いた猫は息も絶え絶えに震えていた。
少女は泣きながら猫を弔う詩を唄っていたのだった。
「たったひとりの大事な友達を救う力もない。たったひとつの光が消えてしまうのに…君がだんだんと冷たくなっていくのに、何もできないあたしは、ただ雨に濡れ、君を失う悲しみを詩うしかないのです」
アスタロトは少女の前に立った。
「おまえの願いはなんだ?」
「…あたしの願いは…この小さな私の友人の命を…救って欲しい」
「生まれて死ぬ定めを変えることはできない。そのものの死は避けられぬのだよ」
「…では一度でいい。この友人の姿をこの目で見て、見送ってあげたい」
アスタロトの指が少女の瞼に触れた。
少女はゆっくりと目を開け、腕に抱いた大切な友人を見つめた。
雨に濡れた猫は少女の顔を見て、ニャアと泣き、事切れた。安らかな顔をして。
「ああ、君はこんなにも美しい姿をしていたの?こんな小さな身体で君はあたしの為に、懸命に食べ物を運んでくれたのだね…」
少女は愛おしそうに小さな亡骸を抱きしめた。
「さて、そろそろおまえの友人は天に召される時間だ」
アスタロトは少女の腕から猫を奪い、自分の頭に乗せた。
猫はアスタロトの頭の上でゆっくり立ち上がり、翼を広げ、天に昇っていく。
いつの間にか雨雲は消えていた。
少女の大切な友人が青い空へ吸い込まれていくを、少女は祈りながら見送った。
その様は彼女に天啓を与えた。
喉から発せられた言葉の端々から、彼女の清らかな心が世に伝わった。
周りの人々は少女の声に魅せられた。
少女の目が再び暗闇に閉じられた時、彼女の心には消えない光が灯った。
彼女は奇跡を歌う吟遊詩人になった。
或る裕福な男は、クナーアンの神々を崇拝していた。
特にアスタロトを一心に拝み、そのご加護を頂きたいと常々願っていた。
招きに応じたアスタロトは彼の豪勢な屋敷に向かった。
男はアスタロトを家に招き、自慢の子息を紹介した。
銀色の巻き毛に薄青色の瞳をした少年は、目が覚めるほどに美しかった。
それに笑い方がどことなくイールに似ている…と、アスタロトは思った。
クナーアンの神々が美しい少年を愛すると知っていた男は、アスタロトの好みの少年を生み出すために、イール神に似た女と結婚したのだった。
アスタロトは男の努力を一応は買ってはみたが、この贈り物には苦笑した。
少年は初めは恥じらいを見せてはいたが、そのうちずっと昔からの思い人のように熱いまなざしでアスタロトを見た。
アスタロトは少年の頬を撫で、こう言った。
「確かにおまえは美しいね。私を欲しがらなくても他の誰とでも充分幸せは得られよう。そもそも私には比翼連理の大切な想い人がいるのだよ」
「私はアスタロトさまの為だけにこの世に生まれた者です。どうぞ後生です。私にお情けを賜りたく存じます」
「ふ~ん」
アスタロトはその少年の口唇にひとつキスをして、彼を狂わせた。
さて、アスタロトはイールに男の屋敷での話をした。
「その少年はそんなに魅力的だったの?」
「いや、それほどでもないんだが…そうだね、目と髪の色、それに笑い方が君に似ていた」
「…」
イールは素直に嫉妬した。
その夜、男の屋敷に忍び込み、その少年の姿を確かめた。
(…この少年のどこが私に似ているのだ?見縊られたものだなあ~)
イールは少年の髪の色と瞳を魔法で変えてしまった。また、その母親と父親の遺伝子からイールに似た部分を取り覗いた。
神殿に帰り、アスタロトに今し方してきたことを話すと、アスタロトは声を上げて笑った。
「イールは寛大だね。僕が君の立場だったら、あの趣味の悪い屋敷もろとも焼き払い、皆殺しにしていたよ」
イールとアスタロトの生きる時間はとても長く、彼等の持つ魔力もまた偉大だった為、寛容なる統治だけでは飽き足らぬふたりは感情にまかせた快楽もまた、味わう権利があったのだ。
…神々であるが故に。