This cruel world 4
4、
「ねえ、マサキ。イールの姿が見えないんだけれど、どこに居るのか知らない?」
翌朝、ベッドから起き出したアスタロトは、イールを探したけれど、見つからないままひとりで朝食を取る羽目になった。
「イール様なら、朝早くに神獣に乗って、どこかへ行かれましたよ」
「…そうなの?」
(なんだよ、イールの奴。昨日一緒にどこかに行こうって誘ったクセに、ひとりで行っちゃうなんてさ)
いつもなら様子の違うアスタロトを気遣う世話人のマサキも、今朝の不機嫌なアスタロトを見て見ぬ振りのまま、何も言わずに普段と変わらぬ様子でいる。
その態度がアスタロトにはどうにも居心地悪く、それ以上イールの事を聞きだす気にもなれず、出された料理を急いで腹に入れた。
クナーアンの神の成人を祝う民衆の参拝は、日々神殿に溢れ帰り、謁見さえままならないのに、アスタロトは隣りの空いた玉座を恨めしそうに見つめた。
(このクソ忙しい時に、なんでイールはサボっているんだよ。昨晩だって、勝手に怒って消えちゃったし…イールのバカ…)
夕方、イールはセキレイに乗って戻ってきた。が、アスタロトを見ても微笑すらせず、さっさと夕食を済ませ、自室へこもったきり出てこない。
翌日も、その次の日も、イールは姿をくらました。
さすがに謁見の時間には玉座に姿を現したが、それが済むとすぐにセキレイに乗って、どこかへ消えてしまう。追いかけようにも、空を飛ぶ乗り物はセキレイしかいない。
アスタロトは空に消えるイールとセキレイを見送るしかなかった。
「なんだよっ!イールのばかぁ!」
イールとアスタロトは五つの時からこの神殿で共に過ごしてきた。
これまで目につく諍いもなかったし、誰が見ても兄弟のように、親友のように仲の良いふたりであった。
今までなら多少の口げんかがあっても、翌日には笑いあって仲直りできたはずだった。
イールが機嫌を損ねている原因が、アスタロトにはわからない。
人の足では絶対に登ることのできない、聳え立った崖の屋根にイールは居た。
神殿からはそう遠くもないが、神殿よりも高く、また度々霞に消えるため、人の目からは見えない場所であった。
ここからは山の上に白く聳える神殿が眼下に良く見渡せることができた。
(神殿のあの部屋にアーシュは居るのだろう。少しでも…僕のことを想ってくれているのかしら…)
イールは自分の胸に手を置いた。
(どうして…アーシュを想うだけでこんなにも身体が熱くなるのだろう。どうして、コントロールできないほどに、欲情してしまうのだろう。今の僕は淫らだ。純粋なアーシュの前では、身の置き所がないくらいに…)
イールはアスタロトへの欲望に自身を責めていた。
成人の日を境に、アスタロトへの想いが一気に身体を開かせているのだ。
アスタロトの身体に、オーラに、目線に、吐息に…身体が燃え上がるのを抑えきれなかった。
アスタロトが大人になるまで待つよと、言った手前、自分から欲しがったりできない。
イールには、アスタロトから逃げるしかなかった。
それと同時に、イールはこの崖の屋根に広がる小さな丘をアスタロトと過ごす為の場所にしようとこっそり計画を練っていた。
この丘には清らかなせせらぎも、雨風を凌げる岩屋もあった。香木や植物も僅かながら点在していた。
マナという水蜜桃を実らせる大樹の傍に小さなヴィッラを建てようと設計図を作り、具体的な基礎をイールひとりで始めていた。
もちろん魔力を使い、力仕事はセキレイに手伝ってもらいながらだったが。
(このヴィッラが出来上がったら、アーシュを迎えに行こう。気に入ってもらえると良いけれど…)
そう思いながら、イールは溜息を吐く。
アスタロトを思う気持ちが膨れ上がる一方、現実のアスタロトを思うと、虚しくなるのだ。
自分の想いの半分も、アスタロトは自分を愛してくれているのだろうか。
(きっとアーシュは、僕と恋人になることも、ただの巡り合わせなのだと思っているのだろう。だからあんな言い方をするのだ。まるでセックスが義務みたいに…僕にとってはとても大事な魂を重ねあう儀式なのに…)
そうして十日ほど過ぎた日、イールはひとりで神殿の玉座に居た。
いつもは必ず隣りに座るアスタロトの姿が見えない。
どうしたのだろう、と、思っても、最近のふたりを知る世話人たちにアスタロトの事を聞くのは流石にはばかられた。
ふたりの仲が上手くいっていないことは、神殿に住む者ならば知らぬ者はいない。
ふたりの教師たちもイールの顔を見ては、何も言わないが責めるような顔をした。
ふたり一緒に机を並べない日など、今までは一度もなかったのだ。
「どうしたのですか?セックスのやり方でもお教えしましょうか?」などと毒舌のひとつでも吐いてくれた方がよっぽど救われる。無言の責め苦の居心地の悪いこと。
(上手くいってない原因はアーシュだ。僕じゃなくてアーシュを叱ってやれよ)
イールは口唇を尖らせて、彼らを睨み返した。
夕方、やっと勉強から解放され、セキレイに乗って、いつもの崖の上に飛んでいく。
昨日の続きをやろうとマナの木の下で設計図を広げ、イールはひとりで考え込んでいた。
ふいに見つめた設計図にいくつもの木の葉が落ちてくる。
(落ち葉には早いんじゃないのか?)と、不審に思いイールは木を見上げた。
木の枝に影があった。その影がイールを覗き込む。
「…ア、アーシュっ!」
「やあ、イール。こんな良い隠れ家をひとりで楽しむなんてズルいじゃないか」
「どうして、ここに居るんだよ」
「だって…朝起きてセキレイに乗ったら、ここに連れてきてくれたんだよ」
「…」
イールは後方に立つセキレイを睨みつけた。セキレイはすっくと起き上がり、岩屋の影に尻尾を向け寝そべってしまった。
「ずっと朝からねえ~、君を待っていたんだよ」
「もうわかったから、降りて来いよ」
「ねえ、その紙、あそこの建屋の設計図か何かなの?僕にも見せてよ」
アスタロトは枝から身を乗り出して覗き込む。
「あ、アーシュ、そんなに乗り出したら危ないって」
「へーき、へー…わああ!」
バキッと枝の折れる音とアスタロトの叫び声が同時に響きに、影は地上に落ちてきた。
イールはアスタロトの身体を受け止め、そのまま土に寝転がった。
「いた~いっ!」
「バカ、だから言ったろ。危ないって」
「イールが抱きとめてくれるって信じていたから、平気だよ」
「意味が違うよ、アーシュ。…どこか痛くしなかった?」
「うん…足が痛い」と、アスタロトは右足の脛を擦った。
イールはアスタロトの足を触り、癒しの魔法をかける。と、イールはアスタロトを怒った。
「…噓つき。どこも傷めてないじゃないか」
「バレた?」
茶目っ気たっぷりに、アスタロトは舌を出す。
完敗だと、イールは溜息を吐いた。
アスタロトは下着も穿かず、薄い寝間着しか身に付けていなかった。
肌蹴た胸の隙間からばら色の先が見える。イールは慌てて目を逸らした。
「そ、れで、君はなにしにここへ来たの?」
「なんでイールが怒っているのか聞くために来たの」
「…」
「それと…イールが傍にいないと嫌だから。…イールのことを愛しているの」
アスタロトの言う「愛している」はどんな感情なのだろうか…
紺碧に輝くアスタロトの瞳に邪な感情を見出すことはできない。
イールはどうすればいいのかわからなくなる。
「アーシュ、僕は…君を欲しいって思ってしまうんだ。だけど無垢な君を犯すことが怖いんだ。時が来れば君も大人になるし、それを待つって君に約束した。でも…」
「僕とセックスしたいって思う?」
「…そう、ね」
直接的な言葉にイールは困ったように笑うしかなかった。
「僕もイールが欲しいよ。僕にだって性欲はあるよ。でもまだ一度も自慰をしていないんだ。だって…僕の初めてのすべては全部イールに捧げたいんだもの。だからイールが僕を欲しがってくれるのは、僕にはとっても喜ばしい感情なんだよ」
アスタロトの言葉が嬉しくないはずはない。イールはアスタロトの告白に素直に感銘を受けていた。だからこそ益々怯えてしまうのだ。
彼を背負う責任と使命に。
「アーシュ、君は僕が半身だってことを…一度も後悔していない?もっと…別の者だったらとか…思ったりしたことはないの?」
「なんでそんなことを思う必要があるの?僕はイールを見た時から…ううん、生まれた時からずっとイールだけだよ。そんなの当たり前じゃない。だって僕らはイールとアスタロトなんだもの。君を心から愛することは天の皇尊がお決めになったことだし…」
「…」
(それが問題なんじゃないか…)
「でもそんなことは関係なく、僕はイールと愛し合うって決めているの。この世界で一番大切なものはイールだから。マサキより、セキレイより、天の皇尊より…僕の一番はイールなんだ。だからイールと愛し合うのは必然だろ?」
「アーシュ…」
アスタロトの言葉はイールの迷いを消し去った。
「アーシュ、君を抱きたい」
イールの言葉にアスタロトはコクリと頷き、自ら着ていた寝間着を脱いだ。イールはふたりの下じきになってくしゃくしゃの設計図を大事に畳んだ。
イールもまた服を脱ぎ裸になると、脱いだ服を土に広げ、その上にアスタロトと共に横になった。
アスタロトは嬉しそうにイールの身体を抱きしめる。
お互いの体温を感じなから、ひとつひとつの指を絡め、ゆっくりと身体を重ねあわせた。
アスタロトの口唇がイールのそれと重なり合った瞬間、すべてが変わっていく。
それぞれの身体の細胞のひとつひとつが芽吹いていく。
口唇で触れ合った肌が艶やかに色めきだす。
ふたりはお互いのものを確かめ、口づけ、飲み干した。
「愛してる…愛している…」
同じ韻を同じ回だけ重ねていく。
広げたアスタロトの身体の中深く、イールは隙間無く自らを刻んでいく。