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天使の楽園・悪魔の詩 25

挿絵(By みてみん)

25、

 ルゥが還ってからのアーシュの焦燥は誰が見ても酷い有様で、彼を抱き、一時の快楽でも紛らわせてやりたいと何度思ったかわかりはしなかった。

 だが、アーシュがルゥを一途に想う姿は、俺にとって苦痛でありながら、一方で神聖な憧憬でもあった。

 苦しみながら胸を焦がす…この奇妙な胸の痛みは俺にも不可解でありながら、アーシュへの執着が大部分を占めている。

 俺はアーシュを愛し続けることで、自分の不幸を賛美しているのかもしれない。


 ひと月後、戻ってこないルゥに痺れを切らしたアーシュは、俺に抱いてくれと泣きついた。

 俺は今までアーシュに対し肉欲が無かったことは一度も無いと、告白した。

 全部さらけ出したとしても、彼が俺を避けることはない。

 今、アーシュに必要なのは俺だと言う事を、俺自身が一番知っていた。

 孤独に耐えかね、弱りきったアーシュを、俺は抱いた。


 泣きながら震える肩を温め、頬を濡らす涙を啜った。身体のひとつひとつに丹念にキスを落とした。

 彼自身を口に含み、啜り泣く声が喘ぎに変わるまで、慈しんだ。

 アーシュの白く滑らかな肌がじっとりと汗を掻き、俺の肌に吸いついたまま離れない。

 ああ、この身体にどれほど恋焦がれていただろう。

 想像を遥かに超えた…官能を味わう。

 どれ程恋焦がれていても、この身体は俺のものではない。

 ならば今だけの快楽に溺れるしかないではないか。

「ああ、ベル…すごく、いい」

 涙を溜めた濃紺の宇宙が俺を縛りつける。

 逃れられないのは俺なのだ。

 俺はアーシュの生贄でしかないのではないのか?

 彼の思惑どおり、俺もルゥも…捧げられているとしか…

 それも「愛」なのだろうか…

 

 「天の王」学園内で、俺とアーシュが公認の仲として知れ渡る頃になると、誰もルゥの事を口にしなくなった。人の記憶というものはこうも曖昧で、目の前にないものを自覚出来ないと知ると簡単に忘れ去るものだろうか。まるでルゥという存在がひと月だけの転校生のように、友人たちは「ああ、そういう奴もいたね」と、話を締めくくるのだ。

 今まで一緒に暮した毎日の軌跡が、俺とアーシュにはこんなにも輝き、今でも二人の会話の中でルゥの話題が出ないことはないというのに。

 

 


 俺達は中等科を卒業し、無事高等科へ進学した。

 夏季休暇は二人揃ってスタンリー家の屋敷へ遊びに行った。

 しかし、以前のように終日エドワードが俺達の相手をしてくれるわけではなかった。

 彼はサマシティでは一端の企業家として認められ、毎日休日さえも返上して仕事に勤しんでいたのだ。


 屋敷内は相変わらず貴族主義で、レトロな調度品に囲まれていたが、今回気になったのは、ホールの中央を仕切る赤絨毯が敷かれた階段の踊り場の壁にあの絵画が飾られていたことだ。

 「レヴィ・アスタロト」と題されたアーシュそっくりのモデルを描いた絵画は、俺の母親が祖母から受け継いだとされる代物で、大切に保管されていた。それを、何故、今頃になって人の目に晒すことにしたのかと、エドワードに聞いた。

「あの絵について色々調べてみるけれどまるっきりわからないんだよ。だから敢えて他人の目に入りやすい場所に置く事にした。今はこの屋敷も人の出入りが多いのでね。何か情報が入るかもしれないだろう?」と、言う。

 なるほど、毎週末、屋敷で行われるお茶会や夜会は昔から催されていたが、来る客人の資質が全く違っている。

 昔は遊興に耽ける没落貴族ばかりだったのに、今は街の政治家や名の知れた企業家が多く、エドワードが本当にマトモになったのだと、こちらも変な感銘を受けてしまう。

 そんな俺たちも、お世話になっているお返しにと、屋敷の滞在中はできるだけ客のホストを買って出た。

 俺もアーシュもまだ子供扱いをされたけれど、学園でもそれなりに礼節は習っていたから、恥を掻く事もなかく、アーシュなどはその容貌から、マダムやその道の紳士らにえらく気に入られていた。


挿絵(By みてみん)


 休暇も終わる頃…その夜は俺の父が来客として招待されていると聞いていたから、俺は変に緊張していた。今でも父と会う機会は滅多になく、顔を会わせるのは魔術師カルキ・アムルの話を聞いた二年前以来となる。


 エントランスホールで訪問客を待つ間、隣りに立つエドワードに何気なく聞いてみた。

「母も一緒なの?」

「ナタリーは来ないと思う」

「どうして?」

「…姉は僕とスチュワートが一同する場所は居心地が悪いんだそうだ」

「…そうなんだ」

 母は父を嫌いなのだろうか?俺にはそうは思えなかった。

 確かに父はあの調子だし、ふたりの間に夫婦的愛情があるとは思えないが、別段特別な嫌悪感を抱くこともない。問題は母のエドワードへの想いじゃないのか?

 母の最愛の人がエドワードであれば、両方に対しバツが悪かろうし、何より…彼らが一緒にいる姿など見たくはないだろう。

 自分で蒔いた種だ。俺は彼女が可哀想だとは思わないが、彼女の気持ちはわかる気がする。


 父がカルキ・アムルを伴って、姿を見せた。

 それまで自分で驚くほど緊張していたんだが、カルキの安穏な顔を見て、なんだかホッとした。

 父がエドワードと挨拶をしている間、俺はホールの隅にカルキを呼んで久しぶりに話をする。

「今夜はクリスがいらっしゃると聞いて、スチュワートさまに是非に連れて行ってくださいと頼んだのです。クリスとわずかでも共有できる時間を持ててとても嬉しいです」

「僕もだよ、カルキ・アムル。…そうだ、紹介するよ。前に話したことがあっただろう。こちらが僕の友人のアーシュだ」

 俺は後ろに控えるアーシュを呼んだ。 

 アーシュはすっかり板に付いたホスト顔でカルキに挨拶をする。

「初めまして、カルキ・アムル。クリストファーの友人でアーシュと言います。夏季休暇なのでずうずうしいと思いながらもこちらにお世話になっています。今夜はごゆっくりお寛ぎくださいね」

「…」

 アーシュの丁寧な挨拶にも返事はなく、カルキはただ呆然とアーシュを見ていた。


「…あなたが…アーシュ」

「そうです…何か僕の顔、変ですか?」

「い、いえ、そんなことはないです…ただあんまり、凄すぎて…」

「え?何が?」

「いえ、何もありませんよ。気になさらないでください」

「こいつはなあ、おまえが薄気味悪いって言ってるんだよ」

「お父さん」

 いつの間にかカルキの傍に父が立っていた。

「クリストファーの恋人っておまえか?」

「…はい、そうですよ。お父さん」

 いきなり機嫌を損ねられたアーシュは、すごい形相で父を睨んでいる。

「おまえにお父さんって呼ばれる筋合いはないから、スチュワートでいい」

「じゃあ、スチュワート。なんで俺が薄気味悪いんだよ」

「…おまえ、人間じゃないだろ?片っ端から人間を魅了しまくって魂を奪っていく気満々のツラ構えって事だよ」

「お父さん、アーシュは俺の大切な友達なんだから、讒言はやめてください」

「讒言だと?…おまえ、よく平気でこいつと寝ていられるな。こんな恐ろしい奴と。そっちの方が感服するよ」

「息子さんが誰と寝ようと、あなたには関係ないだろう」

「関係あるね」

「ス、スチュワートさま。おやめください」

「うるせえ、黙ってろ。…いいか、こいつは俺の後を継ぐただひとりの息子だ。クリストファーが誰と付き合おうが、誰と変態的なセックスをしようが俺が知ったことじゃない。けれど、付き合うのがおまえみたいな人外だとしたら別の話だよ。俺も色んな魔法使いと付き合ってきたが、おまえみたいな奴は初めてだ」

「だから?息子さんに近づくなって言うの?」

「…別に。言っただろ。おまえと付き合うクリストファーに感服するって。おまえは人外の力を持っているが、邪悪ではない。人ではないものが『悪』と言う観念が間違っているのだからな。だが、気をつけろと息子に言って何が悪い。息子におまえをただの綺麗でこましゃくれた只のガキと思って付き合うじゃないと言っているんだよ」

「なんだよ。ベルに全然構ってやったこともねえ放任親父のクセに、こんな時だけ親父面するなっ!俺は…人間だよ。この顔は持って生まれた美貌なんだから仕方ねえだろーがっ!このバカ親父っ!」

「なんだとっ!顔がいいだけのクソガキのくせに。大人に向かって言う言葉かっ!こいつ、ぶん殴ってやる」

「ちょ…待て」

「やめてください、スチュワートっ!」


 今にも取っつかみあいそうなふたりを俺とカルキでなんとか抑えた。

 ふたりともなんて喧嘩早いんだ。

 呆れて言葉も出ない。玄関の方でエドワードの客人との話声がなんとなく大きくなっている。

 きっと呆れていることだろう。

 大体…なんでアーシュの顔が原因で喧嘩になるんだ。


「いい加減にしろよ、二人とも。アーシュ、俺達はホスト役だろ?こんなところで喧嘩してどうする。お父さんも初めて会ったのに俺の友人に失礼はやめていただきたい。今夜はエドワード主催の夜会でしょう」

「…ゴメン」

「俺は仕事以外では本当の事しか言わない。この子が人外の力を持っているのは本当だ。…あの絵を見ろ」

 スチュワートは階段の絵を指差す。

「あれはおまえだろ?」

 そう言い残してスチュワートはカルキに急かされながら、広間へ消えた。

「アーシュ、父が失礼なことを言って、ごめん」

 俺の謝罪も耳に入らぬ風のアーシュは、階段の「レヴィ・アスタロト」を見つめていた。



 その晩、アーシュは俺を求めてきた。

 いつもは喜んで応じる俺も、エドワードや父と同じ屋根の下で交わるのには抵抗があった。それを見越してのアーシュの誘いだったのだろう。

「ベルは叔父さんやお父さんの前では紳士でいたいの?」

「そんなことはない」

「じゃあ、抱いてよ。俺、ベルの親父に酷いこと言われたからね。傷ついているんだ。その責任は息子の君が負うんだよねえ」

「アーシュ…」

 俺はアーシュを恐ろしい程美しいと思っても、アーシュ自体を恐ろしいとは思ったことはなかった。だが父の言葉に揺らいでいる自分が確かにいるのだ。

「ベル、好きだよ…もっと、もっと頂戴よ…」

 この腕の中で悦楽を求めている恋人は…本当に人…なのだろうか…


 エドワードの屋敷から学園に戻った俺たちは、新学期を向えた。

 日も経たずにカルキ・アムルから手紙が来た。

 その文章には、夜会での父の言葉の意味が暗喩を込めて書かれていた。

 「すべては『天の王』学園の学長であるトゥエ・イェタルが知るものと感じています。クリストファーが真実を知る必然性を求めるのなら、彼にお聞きになるのが宜しかろう」と、閉めてあった。

 俺はその手紙を持って、学長に会う為に学長室へ向かった。

 学長は部屋にはおらず、秘書は聖堂かも知れないと教えてくれた。

 俺は学園の中央に座する聖堂へ足を運んだ。

 正門の階段を昇り、重い扉を開ける。

 幾人かの生徒達の礼拝する後ろ姿が見えた。それを横目にしながら、壁に沿って中央の祭壇へ向かう。

 天上の光が集まる場所に金色に輝くサークルがある。

 解読できない魔法陣が描かれたそれは誰がどんな呪文を唱えても反応することは無いと言う。

 だが、アーシュはここから誰かの声を聞いたと、言う。

 俺はその声の主を探したかった。もしかしたらアーシュの本当の姿がわかるかもしれない。

 それを知ったところで、俺に何が出来るのかはわからないけれど…


「ベル?」と、俺を呼ぶ声の方を向いた。学長が立って俺を手招いていた。

 俺はすぐに彼の元へ行き、話したいことがあると言った。

 トゥエは微笑み、そして聖堂の奥の部屋へ俺を案内した。

 

「私に何を尋ねたいのですか?ベル」

「アーシュの事です。彼を最初に見つけたのが学長ならば、彼の正体が何かはご存知でしょう?俺は…ある魔術師からあなたならすべて知っていると告げられた。俺は…アーシュが何者なのか知りたいんです」

「君にそれを知る勇気がありますか?」

「俺は…アーシュを愛している。アーシュは俺にとって生きる根源の大部分を占めている。彼が何者であろうとも俺は受け止める覚悟がある。だから、教えてください。彼は何者なんですか?」

「…アーシュが何者なのか…そうだね、人間ではあるまい。彼は私が召喚した人ではない者…なのだから」

「…」

「昔の話だ。16年前の冬の日、私は私の理想の悲願の為に、力のある者を召喚した。彼の名は『アスタロト』。神であり魔王であり統治する者であり、偉大なる魔術師だと言った。私は彼にこの地上の平和を願った。彼は私の願いを嗤った。そしてそれを叶える為に自分自身を産みなおし、私の願う者に育てろと言ったのだ。魔王にするも神にするも私の手に委ねると…そう言い残して私の目の前でアスタロトは自らを生まれたばかりの赤子にしてしまった…」

「それが…アーシュ…なのですか?」

「そうだよ、ベル。アーシュは『アスタロト』自身なのだ。私は赤子の彼をどうするべきなのか悩んだ。誰も知らない場所で秘密裏に人間の汚さも何も知らぬままに育てようか、それとも聖主として崇め奉り、慈悲深き選ばれし子として育てようか…幾つもの選択の中で、私は彼を一人の人間として育てることを選んだ。特別扱いなどせず、多くの孤児と一緒に保育所で育てた。彼の魔力が心配でもあったが、アーシュの人としての情緒に何ひとつ問題はなかった。…実際のところ、私が望むよりも彼は素晴らしい人間として育っている。私はね、ベル。自分の愚かさを嘆いているんだよ。魔力で美しい世界を創ろうなどと…教育者として魔術師として恥ずかしい限りだ。だからアーシュがどのような人間に育ったとしても、彼にこの世界をどうこうして欲しいとか、願う気は全くない。彼も時期大人になる。彼の人生は彼のものだ。彼が『アスタロト』であることを望めばそれも構うまい。自由なる『アスタロト』もまた興味深いだろうね」

「俺は…どうすればいいのでしょうか。このまま彼を愛し続けて構わない?」

「君の意思でしかない。真の愛ならばこそ、誰も口を挟める資格はない。だけどね、アーシュの養父として私は君に感謝しています。アーシュが人間らしい愛情を覚えたのは、君達が彼を愛してくれたからです。君達がアーシュを支えているんだよ。だから…これからもアーシュをよろしく頼むと…頭を下げてお願いします」

「学長…」

「父親の気分を味わえるのもあの『アスタロト』のおかげかと思うと、彼に感謝せずにはおられませんよ。私は幸せ者です」

「俺も感謝します。アーシュを育ててくれた学長に。ありがとうございます」

「私にできることはそう多くはないでしょう。これからアーシュに何が起こるにしても、彼を見捨てないで欲しい。そして…彼が何を選択するのか…君が見定める者になってくれますか?」

「…わかりました。トゥエ。あなたの期待に応えることを誓います」


 トゥエは左手に嵌めていた指輪を外し、俺に渡した。

「役に立つ時がくるかもしれませんから」

 金の輪に紫水晶アメジストが嵌めこまれた指輪を俺の中指に嵌めた。宝石の奥に紫の炎はちらちらと燃え始めた。

 俺の中の波動がそれに呼応している。何かの使命を帯びている気がした。


 寄宿舎に帰ると、部屋でアーシュが待っていた。

「どこへ行っていたんだよ。学食でずっと待っていたんだぜ」

「悪い。ちょっと野暮用」

 アーシュは俺に近づき、迷いもせず俺の左手を掴んだ。

「魔力の指輪。…トゥエのしていたものだ。彼からもらったんだな」

「…そうだよ。なにか…問題ある?」

「…別に…」

 アーシュは意味深な笑みを浮かべると、俺の顎を人差し指で撫でた。

「君を信じているから、君が何をしても俺は構わない…けどね」

「俺だってアーシュを、信じているよ」

「俺が魔者でも?」

「…」

「君の親父が言ってたろ?俺は人外だって」

「まだ気にしていたのかい?」

「別に…俺が何者でも俺は俺でしかないもの。ただ、ベルに嫌われるのが嫌なだけだよ」

 アーシュはベッドに座る俺の腰に跨り、俺に甘える。


「でもさ…君の親父が言うのはまんざらではないと思うよ。ベルにまで去られたら、俺はきっと堕ちるしかないだろうからねえ…残虐な魔王になってもいいや」

「バカ…おまえを魔王にさせるものか…」

 俺はいつもと同じようにアーシュを抱きしめ、口づけた。アーシュは微笑みながら眼鏡を外した。

 人ならざる深遠の宇宙の目が俺を統べるのだ。

 アーシュが望むままに俺はすべてを差し出す。

「アーシュ、愛している。だから…」

 どこへも行くな。


 君をこの世界に留めておけるのなら、俺は君の奴隷になっても構わない。



「天使の楽園・悪魔の詩」 終


挿絵(By みてみん)

次章からは「This cruel world」が始まります。

アスタロトの生きた世界の物語になります。


「senso」第二部はこちらです。

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