天使の楽園・悪魔の詩 23
23、
「その日から、わたしはただひたすらに、スチュワート様にお使えする幸福の日々を生きております」
カルキ・アムルの声が耳に届いた。
俺は顔を上げ、目の前の穏やかな微笑みを讃えた魔術師を見つめた。
ああ、この人は本当に幸福を手に入れたのだろう。
でも…なぜそこまで親父を信じれるのだろう。
「あなたが父を信頼する…源って何なのか?教えてくれませんか?」
「え?…そうですね。確かにスチュワートさまは私達アルトへの強制力が生まれついて非常に強いお方です」
カルキ・アムルは冷たくなった俺のカップを引き寄せ、新しく入れた温かい紅茶を差し出した。
「あの方か求めれば、大方のアルトはあの方に平伏すでしょう。でも、あの方は本当に自分を守るためだけに自分の魔術師を求めたのでしょうか。…私はスチュワートさまをお守りする魔術師でありたいと願っています。でも…守られているのは私のような気がするのです。…いつの時も力をくれるのはスチュワートなのです」
「どういう意味?」
「私達は共通の魂…と呼ぶのでしょうか…それを持っている気がします。『愛』とはなんでしょうか?恋、肉欲、求めあうもの、いやもっと普遍なもの…すべてだ。だが、もっと奥深く秘める惹きつける愛の形がある…私達はそれを『senso』と、呼ぶのです。…その愛の形が一体どこから来るものなのか…まだ説明できません。私達魔術師が永遠に探求すべきもののひとつである事は確かです…だけど…そうですね。早々に生きる価値を知ってしまうのはつまらないとも思う。私は一生、探求者であり続けたい」
「むずかしいね」
「クリスさまはまだ14でいらっしゃるから。ですが私の14に比べれば上等ですよ。私は…本当にバカでしたし…」
頭の中に直接見せられた先程の映像を思い出し、思わず微笑んだ。
「ね?バカでしょ?」
「いや…カルは純粋だよ。純粋に親父を愛したからこそ、魔力も親父の愛情も手に入れたのかもしれない。俺は…不純なんだ。恋人がいるのに…アーシュを欲しいと望んでいる。そして俺を信頼している事を良い事に、アーシュをものにしようといつも姑息な手を考えているんだ。…良い魔術師になんて…遠いよ」
「クリスのアーシュへの想いが純粋だから、欲しいと願う。当たり前の『恋』ではありませんか。クリスの想いはきっと魔力になる。相手を欲しがる。…相手を愛おしいと想う。その裏返しの想いは一枚なのですから、間違っていない。すべてがあなたの想いなら、好きな人の幸福を祈るはずだ。それがあなたの幸福となるのだから…ね」
カルキ・アムルの言葉が、心にストンと入り込んだ。
俺のアーシュへの想いが、アーシュを幸福にさせる。
俺に笑いかけるアーシュの顔が浮かんだ。
…ああ、そうだ。アーシュが笑ってくれるだけで、俺は幸福を手に入れることができる。
簡単なからくりだった。俺は自分自身の迷路に入りすぎてしまったのかもしれない。
「大丈夫ですか?クリス」
心配気に覗き込むカルキに、俺は涙を拭いて微笑んだ。
「うん、ありがとう、カル。君は本当に良い魔術師だ」
「ありがとうございます」
「ねえ、聞きたかったんだけどさ」
「はい?」
「親父と誓い合った後、どうなったの?カルが求めるものを親父は与えてくれたの?」
「クリスったら…」
「いいじゃない。それ大事なことでしょ?カルが一番欲しがっていたものじゃない」
真っ赤にした顔を両手で隠しながらも、カルキは口元を緩ませて嬉しそうに喋った。
「…スチュワートの魔術師の誓いをした書斎の隣りには休憩室がありました。そこには簡易ベッドがあったのですが…私はスチュワートと朝まで過ごしました。スチュワートは…素敵でした。私は嬉しくて嬉しくて…何度も死ぬかと思ったぐらい。あんまり激しかったので…朝にはベッドが壊れてしまったのです」
「…はあ」
聞くんじゃなかったかも知れない…と、後悔したその時、
ドンと激しい音を立てて談話室の扉が開いた。
振り向いたそこには…
「ス、スチュワートさまっ!」
親父だった。
コートを着たまま、親父はズカズカと大股で歩み寄り、驚いて立ち上がったカルキ・アムルの頭を拳骨で叩いた。凄い音がした…
「い、いたーいっ!」
「バカ者っ!おまえ、何べらべらとしょーもねえこと喋っているんだよっ!このどアホっ!」
「ご、ごめんなさい。なんか嬉しくなっちゃって…」
「嬉しくなっちゃって…じゃねえよっ。おまえの話しているイメージがこっちの頭に見えているんだよ。…ったく、いい年しやがって…貴様、契約を解除してやろうか?」
「嫌です~」
親父の怒りが収まらないのはわかる気がする。けれど、半べそ掻いている魔術師を黙って見捨てるわけにはいかない。だって、無理矢理俺が言わせたんだから。
「あの、お父さん」
「あん?」
親父がこちらを振り向いた。顔を直接というか、目を合わせるのは何年ぶりだろうか?
この状況からしても…かなり恐ろしい。
「今晩は、クリストファーです」
今度は俺に向かってズカズカと歩み寄り、俺より少し高い目線で親父は俺を見下した。
「おまえ、幾つになった?」
「14…です」
「気に入らない。14のクセに背が高すぎる」
「もうすぐお父さんを追いぬくかも知れませんね」
「ふざけるな」
半分冗句のつもりだったのに、親父は俺の頭をカルキと同じように拳固で殴った。
「痛えーっ!」
「父親の背を抜いたら、跡継ぎにさせないからな」
「ス、スチュワートさま。クリストファーさまは…」
「五月蝿い、お前は黙ってろ」
親父は痛がる俺の顔を片手で掴んで、顔を上げさせた。
親父の顔をこんな間近で見たのは、生まれて初めてだった。
「これ程端正な顔に生まれつき、セイヴァリ家の財産とスタンリー家の地位、そしてアルトの力を生まれ持った幸いな奴…この上温かい家庭なんぞ持ったらロクな人間になるものか。なあ、クリストファー。人は愛から生まれる。だが本物の愛を探し出すのは苦しみの中でしか見つからないものさ。おまえが選ばれた者なら、その価値を見出せ」
「…わ、かりました。お父さん」
「おまえは…スタンリー家の血筋だと思ったが…良く見ると、俺の兄貴のネイサンの目元にそっくりだよ。良かったな。兄貴は家族一番のモテ男だったんだぜ」
そう言って、親父は微笑った。
たったそれだけの言葉なのに、心が温かかくなる。拳固の痛みがなんだか嬉しい。
何もわかっていないのは俺の方だったんだな…
「いくぞ、カルキ。俺はもう眠いんだ」
「は、はいっ!」
脱いだコートをカルキ・アムルに投げ捨て、親父は部屋を出て行こうとしている。
「おい、ネコはどこだ?遊んでやるから連れて来い」
「ノアとミライはもう寝てます」
「起せよ」
「そんな無茶な…」
「俺が拾ってきたんだ。俺のネコだ。俺が遊びたい時に遊ぶのは道理だ。いいから連れて来い」
そう言い残して、親父は部屋から出て行った。
カルキは急いで執事を呼び、コートを預け、眠っていた猫を両手に抱え、俺に頭を下げた。
「ではクリストファーさま。お先にお暇させていただきます」
「本当にありがとう、カルキ・アムル。素晴らしい夜だった。心からを感謝します。俺も自分の大事なものを幸せにする為に頑張るよ」
「ええ、いつでもクリスの幸福を祈っています。スチュワートと共に」
魔術師カルキ・アムルの幸福が、父、スチュワートであるのは、必然だろうか…違う。彼らはそう願い、手に入れたのだ。
では、俺の幸福はアーシュと共にあるのだろうか…
アーシュを手に入れたい思いが純粋ならば、俺は…
学園の危険分子「イルミナティ・バビロン」の壊滅の為、近頃のアーシュの日課は森を棲家にする鴉達の餌付けだ。
鴉を使って、一網打尽を狙っている。…らしいといえばらしいけれど、どうもあいつはケンカ相手を見縊る癖があるから心配だ。
実行の日が来た。
アーシュがマリオンって女生徒に森の奥の鉄塔へ連れて行かれるのをルゥとふたり確認した。
アーシュを追って、その塔の門を開け、中へ入ってみたが、エレベーターは停止したままで、動く気配がなかった。
非常階段もないこんな高い塔では、アーシュが助けを呼んでも、行けないじゃないか。
「ルゥ、君、魔法で飛ぶことができる?」
「そんなの無理に決まってるじゃないか」
ふたりとも高位魔術師の「真の名」は戴いていても、飛ぶことすらできない未熟なアルトなのだと、情けなくお互いを笑った。
「アーシュを信じるしかないね」
「うん…」
何も役に立てない…こんなに惨めで辛いものはない。
俺とルゥは真っ直ぐに突き抜ける天に届きそうな鉄塔を、見上げるしかなかった。
陽が沈み始め、空が刻々と色を変え始めた。
アーシュの呼び寄せた鴉の大群が、鉄塔の周りに集まり、ゆっくり回っている。次第に一箇所へ集まり…そして激しく鳴きながら一斉に塔に向かって飛んでいく姿を、俺とルゥは見上げていた。
「アーシュ、大丈夫だろうか…」
そうルゥが呟いた時、塔のてっぺんから落ちてくる影が見えた。
「ああ…あれ、ア、アーシュッ!」
ルゥの悲鳴が響く。
落ちてくる影はアーシュと気づくのに時間はかからなかった。が、その姿を捉え、アーシュだと知った瞬間、あまりの恐怖に、俺は声が出なかった。
「セキレイッ!俺を受け止めてっ!」
この状況を楽しむかのような気楽さで、アーシュがルゥを呼ぶ。
ルゥは真っ青になりながら、アーシュの言葉に従って、両足を踏ん張り、両手を広げた。
自分の意思で塔から飛び降りたアーシュは己の魔力で無事にルゥに抱きとめられ、大地に降りた。
ふざけあっているかのように、枯れ葉の中に転がるふたりを、俺は身の縮む思いで見つめていた。
猛スピードで落下するアーシュを見た時、俺は本当に我を失った。
自分が魔法を使えるとか…どうにかしなきゃとか、そんなことすら思い浮かばなかった。
けれどルゥは、落ちてくるアーシュを、受け止めれるかどうかなど少しも恐れず、ただ己の本能で受け止めることを決めていた。あの細い身体で、本気でアーシュを救おうとしていた。
俺はその姿を見て、適わないかも知れない、と、一瞬思った。
同時にルゥに嫉妬すら沸かない自分が居ることも本当だった。
俺はアーシュの顔を見た。
殴られたのだろうか。頬が腫れ、口唇も切れていた。
「アーシュ、あまり心配させるなよ」
俺はアーシュの頬をそっと手の平で包んだ。
「うん」
少しうつむいた瞳が「ゴメン」と、囁いていた。
愛おしい、ただ、守りたい者。
アーシュ、俺が君にできることは、なんだって…
ねえ、俺は君に幸せを与えることができるだろうか…
アーシュの頬と触れた自分の両手の境界が無くなり、俺の想いがアーシュの細胞に吸収されていく。
形を崩したものを、癒し、再生させる力が溢れてくる。
ああ、これが…俺の魔法なのだ…
「ありがとう、ベル」と、アーシュは言った。
「どういたしまして」と、俺は応えた。
言葉は想いよりも、遥かに心には遠いものかもしれない。
俺の心に「ベル、俺、本当に幸せだよ」と、アーシュの声がはっきりと聞こえたのだから。