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天使の楽園・悪魔の詩 22

挿絵(By みてみん)


22.

 スチュワートの居る甲板までは、飛んでもいかない限り届きそうにもない。常識で考えるなら、当たり前に諦めなきゃならない距離だ。

 だけどその時のおれには、どれだけ離れていようが、おれに捧げられたスチュワートのかいなに飛び込んでやるとしか考えられなかった。

 諦めなきゃならない、いや諦められない…などすら、頭の片隅に思い浮かばなかったのだ。

 おれは桟橋の端ぎりぎりまで突っ走り、そして、自分に出来うる限りの力で思い切り高く飛び上がった。


 いつも見ていた。空を舞う隼のように…

 翼を広げ、風に舞い、天に向かって飛び続ける。

 おれの前に広がるのは、果てしない未来。

 今まで生きた自分の足跡を無駄にしない為にも、おれは未来へと飛ぶ。

 

「スチュワートっ!」

 そして、これからずっと、おれの生きる意味を見つけさせてくれるのは、スチュワート…あなただ。


 広げたスチュワートの腕にもう少しで届く…そう思った瞬間だった。

 スチュワートはさっと身を引いた。

「えええっ!」

 おれはスチュワートを傍をすり抜け…

 甲板に直撃した。

「い、痛った~いっ!」

 厳密に言えば甲板に積んであった浮き輪とロープ置き場に頭から突っ込んだ。

 幸い怪我はなかったけれど…無茶苦茶痛い。

 スチュワートは無様なおれを見て、声をあげて笑っている。


「ひ、どいよ~。受け止めてくれるって思ったのに…」

「バカか。来いとは言ったが受け止めるとはひと言も言ってない。第一、俺は怪我人だ。空から降ってくる奴を受け止められるかよ」

 もっともだ、と、思いなおした。スチュワートは腹を刺されたばかりだったんだ。

 途端に不安になる。

「ス、スチュワート、怪我は?怪我はもういいの?」

「いいからこうしておまえの目の前に立っているんだろ」

 ホッと胸を撫で下ろしたおれに、スチュワートの影が映る。

「カルキ」

 見たことない真剣な顔をしたスチュワートが、おれの名を呼んだ。

「はい…」

 おれの目の前に手が差し伸べられる。

「良く来たな…とは、言わない。おまえは覚悟はしているんだろうな。この手を取ったからは元へは戻れない。俺はおまえを魔術師として酷使することを躊躇わない。その手が身体が血に塗れようと、おれはそれを拭ったりしない…その覚悟があるのなら、この手を取れ」

 おれは迷わずにスチュワートの手をしっかりと掴んだ。



 その後、船は西の大陸へ向かった。

 地中海の国へ降り、そこからすぐに南の端の街に連れられた。スチュワートはすでにおれの傍にはいなかった。何もわからないことに不安がなかったとは言うまい。

 スチュワートが居ないこと事態心細くて仕方なかったのだから。

 けれどおれにはスチュワートを疑う意味すら自分の中に浮かんでこない自信があった。

 おれは連れて行かれたクルゼートという古い街で、魔術師の導師ハサードの指導を三年間受ける事になった。

 スチュワートとは離れ離れの生活が始まる。

 今のおれではスチュワートの助けにはならないことは自覚していた。だから早く一人前の魔術師になり、スチュワートの傍にいられるよう、俺は文字通り毎日を必死に生きた。

 魔術だけじゃない。

 11歳までしか基礎学習をしていないおれには、山ほどの学ぶ課題があった。寝る時間が勿体無いぐらいに一日があっという間に過ぎていく。

 それでもおれは一日の終わりに必ずスチュワートへ、手紙を書くことにしていた。

 なんてことはない。今日一日あったこと、学んだ事を報告するためだ。

 文章の最初に必ず「愛するスチュワートへ。」と、書き始めるのが、何より嬉しかった。

 勿論、スチュワートからは一通も返事は来なかった。

 

 とても変だ。

 スチュワートとは肌も交わしていないし、キスさえしたこともないのに…こんなにはっきりと、スチュワートへの想いがこの胸に感じられる。ここにあると断言できる。

 何度も想いを重ねても天に届く事もなれけば、飽きる事もない。

 ただ自分の中にいつまでも降り続ける。


 愛するスチュワートへ。

 この頃、おれ、おかしいんだ。

 前は夢のなかでスチュワートと出会うことが多かったんだけど、近頃は時折、起きていても、勉強中でも、スチュワートの姿を垣間見ることがある。

 これって、おれがあんまりスチュワートと会いたいって思うから、魔術で作り上げた幻影なのかなあと、思ったりする。導師グルは「カルキの魔力が強くなった所為じゃよ」と、笑いながらおっしゃるだけなんだ。


 愛するスチュワートへ。

 スチュワート、聞いて!今日導師グルに褒められたんだ。何をって。おれ、風を捉えて空を飛んだんだよ。街の中腹の丘の上から走って、地面を蹴るの。そしたら身体がふわって宙に舞ったんだ。半刻ぐらい凧みたいにグルグル飛んでいたよ。導師は「渡り鳥にでもなるつもりかい?」と、お笑いになるけど、そうだね。渡り鳥になってスチュワートに会いにいけば、船賃も列車代もかからなくていいね。

 

 愛するスチュワートへ。

 今日の朝はとても冷えて、身震いがするほどでした。住んでいたアグン島は一年中暑かったから、こんなに空気が冷たくなることが不思議です。 

 寒いと外で息を吐いたら白くなるんだね。スチュワートの居る街はもっと北だから、ここよりもずっと寒いんでしょうね。

 どうぞ、風邪等引きませんように。僕、ずっと祈っているからね、スチュワート。


 愛するスチュワートへ。

 今日、初めて雪が降るのを見ました。積もりはしませんでしたが、美しかった。

 僕は我慢できずに、外に行って、空から降ってくる雪を何度も舐めてみました。

 人々は魔法は便利で不思議で素晴らしいと言うけれど、この降る雪の不思議さ、素晴らしさ、そしてこんなにも胸を打つ光景を見せてくれる自然の力に、自分の魔法など微々たるものなのだと、少し自惚れていた自分を諌めました。


 愛するスチュワートへ。

 今日、あなたの波動を感じました。

 言いにくいことですが、何か身近で大変な出来事があったのではと…心配でなりません。

 スチュワートの心の揺れが、僕の胸に響いて切なくなるよ。涙が溢れて止まらなくなるんだ。

 きっとあなたは何も言わないんだろうけれど。

 あなたの傍に居たいよ、スチュワート。



 三年間の修行を急遽二年で終わらせ、おれはスチュワートの第一の魔術師になった。

 まだ勉強するべきことは多かったが、スチュワートもそれは同じだと知った。

 半年前、スチュワートの父上が亡くなられた。事故死だったと言うが、本当のところはわからない。

 乗っていた列車がエンジンブレーキの故障で陸橋から、列車ごと落ちたのだ。

 多くの乗客が亡くなったと聞く。

 そして、父上の後継者として仕事を継いでいたスチュワートは、直ちに会社の代表取締役に就任した。

 

 スチュワートの仕事への執念は凄まじく、まず初めに父を殺した組織を家族もろとも徹底的に潰した。それから各国のトップ、連帯する企業と手を組み、ほとんどの武器商人をあぶりだし、組織を解体させ、二度と蔓延ることがないように監視させ続けた。

 これまでに4年を要した。

 軍事産業を制するスチュワートの企業は揺るがない地位を築く。

 

 25歳になったスチュワート・セイヴァリは、今までの財力と自分の仕事を、信頼する社員達にすべて受け渡し、幾人かの魔術師と共に旅にでた。あの黒船と共に。

 一年後、ようやく辿り着いた街は、次元の狭間にあるサマシティだった。

 彼はこの港に寄航し、この街の不可解さを知り、興味を抱き、この街に住む事にしたのだ。

 だが、その話はまだまだ先のことだし、私が語るものでもない。


 私はスチュワートの傍にいつも居た。

 それを幸福という言葉以外では表せないだろう。


 幸福は自分で得るものだろうか。それとも、天から、誰かから、与えられるものだろうか…

 私は幸福を掴む為に精一杯の努力をしたし、また認められるよう自分を磨いたつもりだった。

 だが、私の幸せはスチュワートから与えられたのだと知っている。

 彼が選ばなければ、私は幸せにはなれなかったのだ。


 スチュワートと生きてきた時間、幸福だけではなかったことも多い。苦しみ、悲しみ、絶望は目の当たりに広がり、自分の力の無さをいつも悔やんでばかりだ。

 だが、私はそこから立ち上がり、スチュワートと歩き続けることを幸福と呼ぶことにしている。

 私に生きる力を与えてくれるのはスチュワートの存在だと知っているからだ。

 

 あの日、あの人がくれた幸福以上のものを、私は一生かけて返していくつもりなのだから。



 その時、重い木製の扉が開いた時、おれの正面にはスチュワートが立っていた。

 彼は仕事中で、大きな机を囲んで何人もの人達と難しい話をしていた。

 おれは開けた扉を静かに閉め、扉の前に立ち、スチュワートの姿を見つめていた。

 二年ぶりにこの眼に見るスチュワートを、まばたきをするのさえ惜しくて、じっと見つめていた。

 部屋に来る前から激しかった鼓動は、スチュワートを見て安心したのだろうか、思ったより落ち着いている。

 こうなると、おれには新たな不安が襲ってきた。

 スチュワートは二年経ったおれの姿に失望してはいないか。魔力はそこそこ身に付いたとはいえ、おれはスチュワートが気に入るように成長しているのだろうか。

 おれは彼に愛されるその対象に適うのだろうか…


 二年前はセックスの対象にさえならないガキだって散々言われて、スチュワートは一切おれに手をつけなかったもの。

 おれもこの二年間、誰とも寝ていないし…でもやっぱりスチュワートとしたいって思ったし、何度も妄想しっぱなしだったし…スチュワートは一度ぐらいおれを欲しいって思ったりしたのかな…相手にしてくれるかな…でもおれどんな事して喜ばせてやれるのか…なんだか全部忘れてしまって自信ないな…

 などと、思いにふけっていると、スチュワートがこちらを振り返る。

 「ぎゃっ…」と、心で叫んだ。

「バカか、おまえはっ!」と、怒号が聞こえた。

 スチュワートがおれの方を向いて、怒った顔を見せた。

 瞬間、おれは理解した。おれのくだらない考えをスチュワートは読み、それでそれを詰ったのだ。

 おれは恥ずかしくてその部屋には居られず、扉を開けて出ようとした。

「バカっ!おまえ、どこに行く気だ!」

「ああ…ご、ごめんなさい。お仕事が忙がしそうだし…出直してきます」

 おれはおずおずと扉を閉めようと試みたが、スチュワートはそれを許さなかった。

「そのドアを閉めたら、俺の魔術師失格だぞ、カルキ」

「えええっ?い、嫌です」

 おれは慌てて部屋へ戻った。


「こっちへ来い」と、スチュワートは手招きする。

 バツが悪くてもじもじしながらスチュワートに近づくおれの脇を、今まで部屋に居た方々がクスクスと笑いながら通り過ぎ、部屋から出て行った。

 

 机の端に座ったスチュワートが、不機嫌そうにおれを見つめる。

 何て言っていいのかわからず、一応謝っておこうと「ごめんなさい」と、言うと、スチュワートは吹き出して笑った。

「カルキ、おまえ、二年前から成長してないのか?ガキは嫌いだって言ったはずだが」

「ち、違うよ。おれ…じゃなかった僕はちゃんと大人になりました。魔法も使えるし、スチュワート…さまを充分助けることも出来る魔術師に…なったと…思う、います」

「変な喋り方はやめろ。耳障りだ。自分に見合った喋りでいいし、ふたりの時は『さま』はいらない」

「ほんと?良かった。なんか慣れてなくて…でもちゃんと身に付くように頑張ります」

「当たり前だ。それより…さっさと誓いを立てようぜ。おまえは俺の魔術師になる為にここに来たんだろ?」

「はい」

「俺にはすでに四人の魔術師と契約している。報酬を求めている奴。仕事が生きがいの奴。俺の身体を欲しがっている奴。毛色は違うが、どれも役に立つ魔術師だ。おまえも信頼していい」

「…うん」

 さっきの威圧感のある人達が、スチュワートの魔術師たちなんだろうか…それより、スチュワートの身体目的なんて…なんか、ムカつく。けど…そういう事もひっくるめておれはこの人と歩きたいって願っているのもわかっている。


「おまえがこの二年間、どんな生活をしているのかは、おまえのくれた手紙ですべて知り尽くしている。だからおまえの魔術師としての才能や力を俺は信用しているし、俺を助けてくれるのだと信頼しているが…どうだ?自信はあるか?魔術師カルキ・アムル」

「…はい、あります。己の力と命を捧げ、スチュワートを守る。スチュワートを未来を導く糧になる。僕をスチュワートの魔術師として、使ってください」

「では、誓おう。ほら、これ」

 机の引き出しから小さな箱を取り出したスチュワートは箱を開け、誓いのリングをおれに見せた。

「宝石はトパーズを加工してものだ。まあ、石自体に意味はないのさ。おまえの瞳の色に似ていたから作らせた。この指輪をおまえが俺の指に嵌め、誓えばこの指輪が魔力を得ることになる。誓約文は知っているのか?」

「はい、しっかり覚えました」

「だがそんなもん、俺とおまえの間で必要あるのか?…それこそが無意味だ。おまえが俺に見せた想いを俺は受け止めている。だから、おまえを俺の第一の魔術師に決めた」

 スチュワートは自分の左手の指を差し出した。

 彼の指にはすでに四つの指輪が嵌められていた。

 そして唯一残った指は薬指だった。

 その意味がどういうものか、おれにはわかっていた。

 スチュワートはおれの為に一番心臓に近い薬指を残してくれた。

 第一魔術師としておれを認め、おれと誓うために、今日まで待ってくれたのだ。

 その指輪を取り、その重みを知り、震える手で、スチュワートの薬指に誓いの指輪を嵌めた。そして、魔術師としてスチュワートに従うことを誓いながら、その指輪に口づける。

 嬉しさのあまりずっと泣き通しで、スチュワートは「またか」と、呆れながら、自分のハンカチをくれた。おれも持っていたけど、やっぱりスチュワートのハンカチの方がありがたいと思ってそれをもらい、自分のハンカチで涙を拭いた。

 スチュワートは「なんというか…おまえに俺の仕事が勤まるのか、心配で仕方ないな」と、苦笑した。

「絶対、絶対に失望させません。おれ、頑張るもの」

「…信じてるよ」

 スチュワートはおれの手を取り、おれを抱き寄せた。

「誓約に従い、キスぐらいはしてやる。いいか。目を瞑るなよ、カルキ」


 そして、スチュワートは初めておれの口唇に触れてくれたんだ。





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