天使の楽園・悪魔の詩 21
21、
起きた時、柱の時計は昼を回っていた。
とりあえずおれは血の付いた身体を風呂場で洗った。
ブラッドリーさんが宿の主人に大枚を払ったらしく、寝ているうちにシーツも床もきれいになっていた。血で汚れたおれのシャツとズボンの代わりにと新しい服も用意されていた。
それから、ルームサービスで運ばれたスープとパンを腹に入れ、おれは港へ向かった。
停泊しているスチュワートの船の桟橋へ行くと、見計らったようにブラッドリーさんが船から姿を見せた。
「元気になったようですね、カルキ・アムル」
「はい。あの…色々気を使ってもらって…ありがとうございます。服も…新しくて嬉しいです」
こんなにも親切にされるのは慣れていないから、どうお礼を言っていいのかわからない。
もじもじしていたら、大事な事を思い出した。
「あ、そう、そうだった!スチュワートの具合は?」
「大丈夫ですよ。もう部屋の中を歩き回っています。しかし、下船するのは控えていただきました。正当防衛とは言え、四人もの人間を死なせたんですから、静かにしてませんとね。警察も五月蝿いですしね…」
「あの…どうしてスチュワートは…狙われたんですか?」
「我々の世界では別段珍しくもない日常です…が、こんな田舎の島にまで、わざわざ仕掛けてくるなんて…こちらも迂闊でした。どうもこの島の人間ではなく、外部から雇われたチンピラのようです。大した殺し屋ではないでしょうが…この島の住人がやったように見せかけるためにナイフを使っていたのであれだけで済みました。銃の応戦だったら、もっと酷い事になっていたかもしれない…」
「…こんなのが、日常…なの?」
平然と話すブラッドリーさんの言葉が、おれには恐ろしくて…だめだ。昨晩会ったすべてがおれには恐ろしすぎて、思い出しただけで、震えが止まらない。
「少し、あちらで話しましょうか?」
おれの背中に手を置く、ブラッドリーさんの手は暖かかった。だから少し安心して、ブラッドリーさんの言うとおりにした。港の入り口までくると、ふたり階段に並んで腰掛けた。
ブラッドリーさんは屋台からレモン水を買っておれにくれた。
乾いた喉にレモン水のさっぱりした味が喉を潤してくれた。
「落ち着いたかい?」
「すみません…おれ、血とか人が死ぬのとか…苦手で…」
「誰だって苦手だよ」
「…はい」
「君は…スチュワートの事を、どう思っているの?」
「え?…好きです」
「それで?」
「スチュワートと出会ったのは…二日前です。おれ、スチュワートの事を何も知らない。だけど…どうしてもあの人に惹かれてしまう。スチュワートの事を考えると身体が熱くなる。心臓が高鳴る。胸が苦しくて、スチュワートの事しか考えられなくなる…これって…恋でしょうか?本当にスチュワートを愛してしまったんでしょうか?教えてください。ブラッドリーさん」
「間違いなく、恋の御業…だろうね」
ブラッドリーさんは優しく笑い返してくれた。それだけで泣きたくなってしまう。
「でも…おれはスチュワートには相応しくない。だって男娼でガキだし…力のないパティだし…」
「数時間前、君は君の魔力で、スチュワートを救ったじゃないか」
「あれは…偶然なんです。スチュワートが導いてくれたからやれたんだ。おれはスチュワートの言うとおりにやっただけ…。だって今まで一度だって魔力を使った試しがないんだもの」
「そう、じゃあ、魔法使い見習いってことかな?大丈夫。一度はできたんだからね。魔力は想いの強さに比例する。スチュワートをマスターとして、君が心を捧げる気でいるのなら…本気で彼の為に生きるというのなら、私は君を魔法使いとして認めるけどね」
「…でも…おれは自信がない。だって…スチュワートは自分も自分の父親も色んな戦争の一旦を担ってて、その所為で沢山の人達が死んでいく。その罪があるって…それを抱えて生きているって言っていた。おれ、そんな覚悟なんか…持てない」
「彼がそんなことを言ったの?」
「うん、武器を作って売って、それで皆が戦争して死ぬって」
「全くあの人は…プライドが高すぎて、逆に自虐体質になるお方だ」
「え?」
「逆だよ。…スチュワートの父であり、私のマスター、セオドア・セイヴァリはこの世界の均衡を保つ為に、商人として世界を駆け回っている。確かに武器も作るし売りもするけれど、あくまでも戦争を縮小させる為の取引なんだよ。闇取引で高値で売られる武器を、私達はできるだけ多く買い求め、戦地へ赴く人間を減らそうとしている。武器は船や列車に変えて、戦地にレールを敷く。それだけでどれだけの人間の命が助かるかわからない。僻地であればあるほど、子供たちの教育環境は酷い有様だ。君のように身体を売る者や、幼くして戦争へ借り出される者がどれほど悲惨な生活を強いられているか。それをすべて救えると思い上がっているわけではないよ。セイヴァリの企業は決して善行を目的とはしていない。けれど、後ろ暗さはないと言って良い仕事だよ」
「…そうなの?」
「でもね、命の保証はできない。武器商人の旨味を私達が横取りするわけだから、敵も多いんだ。マスターもスチュワートも…大切な家族を失った。スチュワートは自分の家族の話を君にしたかい?」
「いいえ。スチュワートは自分の話はあまりしませんでした」
「そう…彼にはネイサンとヘンリーと言うふたりの兄がいたんだ。ふたりとも末っ子のスチュワートをとてもかわいがり、スチュワートも甘えっ子でね。ご両親は共働きで忙しかったから、尚更だったのだろう。見ているこちらが幸せになるぐらいに、素直で明るくて、いい子達だった」
…あの時、小さいスチュワートが言っていた「ネイト」と「ハリー」って、お兄さんの事だったのか。
「だが、ネイサンは17で殺し屋に射殺され、翌年、ヘンリーも誘拐されそのまま殺された。スチュワートも何度も誘拐され殺されそうになった。12の頃、母親マリアと一緒に誘拐されたことがあった。マリアさまはスチュワートを逃がす為に自分が盾になり…スチュワートの目の前で銃に撃たれ、亡くなった。…それからスチュワートは、変わった」
「どうして…守れなかったの?あなた達魔術師や警備の人もいたんでしょう?」
「私達だって必死で彼らを守ってはいるが、どうしても行き届かないこともある。誘拐犯は強力な魔術師が多い。だが不思議なことが起きるんだ。奴らはスチュワートを誘拐しても、犯人の魔術師同士が相打ちになったり、彼を逃がしてやったり…スチュワートは傷ひとつなく帰ってくる。…いや、傷は負っていないとは言えまいが…セイヴァリ家にとって、スチュワートはたったひとつ、残された希望と言って良かった。彼もその重要性をわかっている。けれど…彼はどこか達観してしまっているところがある。自分の命を他人のように眺めてしまうんだ。感情も豊かで、人当たりも良く、私たちにも親しく接してはくれるけれど…決して本心を見せてはくれない。それでいて自分の運命に抗おうとはしない。父親であるセオドアさまはスチュワートを心配なさり、高位の魔術師を付け、常に彼を守るように命じている。そうでなくても、魔術師にとって、スチュワートはこの上なく魅力的で、知らぬ間に惹きつけられてしまう存在なんだ。彼はアルトを従わせる強い力を持っているんだよ。多くの魔術師がスチュワートにすべてを捧げ、彼だけの魔術師として契約したがっている。だが、スチュワートはマスターになりたがらない。彼は…自我の深いところで自分を守ろうとはしていないのかもしれない…一番の不安はそれなんだ」
ブラッドリーさんの話はおれには半分ぐらいしか理解できない。
何度も誘拐されるスチュワートの環境っていうのが怖すぎて想像できないし、家族を…殺されるって…スチュワートの気持ちを考えただけで涙が込み上げてしまう。おれの家族は遠く離れて一緒には暮らしていないけれど、元気に生きている。そう思うことでおれも、頑張れるって思えるのに…
スチュワートが可哀想でならない。
ひとつだけはっきりとわかったことがある。
スチュワートを誘拐犯や暗殺者から守るためには、ブラッドリーさんのような強い魔術師じゃないとダメだってことだ、おれなんかが傍にいたら足手まといになるのは必定だ。
もっと大人になって強い魔術師にならなくちゃ…スチュワートを守るなんてできっこない。
「ブラッドリーさんは…スチュワートのことが好きなんだね。だって、それだけ理解しているのは愛があるからでしょう?」
「勿論愛していますよ。私のマスターの次に」
「…そ、そうでしたね。お父さんがマスターなんですよね」
バカな事を聞いたと反省した。魔術師が誓い合ったマスターへの愛は一生続くと言われている。
「ともかくスチュワートには強い魔術師が必要です。魔術師に愛されるだけではなく、スチュワートが愛する魔術師が…」
「…」
「だからね、私は君に期待してしまうのだよ、カルキ・アムル」
「え?…む、無理ですよ。スチュワートはおれをからかってはバカにしてるし、…いつも怒らせているし…バカアホまぬけって…頭叩くし…」
「それを惚気と言わずして何と言うのか…教えて欲しいんだが?」
「…ええ?」
「まあ、いいですよ。君も相当な天然みたいですからね、良い組み合わせでしょう」
「ええっ?」
ブラッドリーさんは立ち上がり、ポケットから紙切れをおれに差し出した。
「なんですか?」
「身請けの証文です」
「え?」
「スチュワートさまのご命令で君を雇っている元締めから君を身請けしました」
「スチュワートが?」
「今から君は自由な道を歩いていける。だが自由とは実はやっかいなものです、生きる目標を自分で探す事から始めないと一歩も歩けないしね」
「おれ…」
「スチュワートさまが…あのモノを欲しがらない人が、ここまで執着しているんですよ、君に。しかし…この先からは君の自由です。もちろんこのままこの島に残るのもいいし、国元へ帰るのも結構。いいかい。運命を選択するのはマスターではなく、自分自身であるということ。踏み出すのは君の足であることを常に忘れないように」
「…はい」
おれはその紙切れを受け取った。この紙切れがおれの身請け金の重みなのかと思ったら、何だか変な気持ちになる。
黙ったままその証文を見つめていたら、ブラッドリーさんの大きな溜息が聞こえたから、顔を上げて彼を見つめた。
「君はなんとも、困った子だね」
「え?」
「憎めないって言っているんだよ。…これでもね…相当のジェラシーを抑えてこの役を遂行しているんだ。君は子供だからわからないだろうがね」
「…すいません」
本当にブラッドリーさんの言うことがわからなかったから謝るしかなかった。
「私達は今日の夕暮れには出航しますので、ご注意を。では、ごきげんよう。カルキ・アムル。また会い…ま、いいか」
ブラッドリーさんは一度だけ手を振って、スチュワートの船へ帰った。
自分の部屋へ帰ったおれは、証文を目の前に、本当に彼の言うとおりにした方がいいのかどうか、迷っていた。
仕事を辞めることも島から出るのも嬉しいと思う。けれど本当にスチュワートの役に立てるのだろうか。
おれは自分の手の平を見つめた。
確かに昨晩はスチュワートに導かれ、魔力というものがどんなものか、なんとなく感じた。でもだからって…今までの自分とどこが違うのかと問われたら…なにひとつ変わっていないじゃないか。こんなにも不安でガキで、何もわかっていない。こんな気持ちで魔法使いとして役に立つ事ができるのだろうか。もし、この先なんの力も得ないまま、スチュワートを失望させることになってしまったら…
おれはスチュワートに無視されるのが怖い。昨晩、「俺の前から消えろ」と、詰ったスチュワートの顔が忘れられない。おれを巻き込ませない為にあんな態度を取ったのだと、今ならわかる。でも、あれが本気だったのなら…おれは立ち直れない…
傷つくのがわかっているのなら、選ばない選択だって…
選ばない…スチュワートに…もう、会えない。そんなの嫌だ…嫌に決まっているじゃないか…
涙が溢れて部屋の中がぼやけてしょうがない。いいさ、ここは自分の部屋だもの。スチュワートにも怒られないもの…
「カル…なに泣いてるの?」
テーブルに突っ伏して泣いてるおれの頭を撫でる手が優しかった。見なくてもわかっているからそのまま泣き続けた。
「話は元締めから聞いたよ。やっと…こんなごみ溜めから抜け出せるんじゃないか。何を泣くのさ、カル」
「だって、リシュ…おれは、自分が愛される自信がないよ。もしスチュワートが気まぐれでおれを愛してくれても、飽きてしまったら?捨てられるの?アッタみたいになるの?…どこに居てもおれらはゴミみたいなもんじゃないか。ならこのごみ溜めにいる方が楽じゃないのか?」
「バカだね、カルは…」
リシュはおれを抱きしめ、背中を撫でてくれた。
「思いがけない幸運の前には誰だって、戸惑うしブルーになるんだよ。だけどそんなのおまえに似合わない。明るくて能天気でお人よしで頑張り屋のカルキ・アムルが、幸運を手にするのはわかっていたことなんだから」
「リシュ…」
「あれこれ先の事を気に病むのはわかるけれどね、踏み出さなきゃわからないし、壁があるのなら乗り越える努力をすればいい。天はおまえを見ているからね。きっと懸命なおまえを応援してくれる。勿論僕もカルが前を向いて歩けるように祈っているよ。幸せかどうかは自身の問題ってことは、わかるね?」
「…う、ん」
「さあ、もう泣かないで。日が落ちるまでには出向してしまうんだろ?間に合わなくなるよ。僕はね、君を送り出せることが本当に嬉しいんだよ。…良い魔術師になってね、カル…」
リシュは泣いていた。あの冷静でいつだって静かな微笑みを絶やした事のないリシュがおれの為に泣いてくれたいた。おれ達は抱き合い、なんどもキスを交わした。
「リシュ、ありがとう…ありがとう、リシュ」
「カル…愛しているよ。元気で…」
自分の為だけではない、誰かが自分を見ている。期待を寄せてくれている。それがどんなに生きる支えになるのか、今わかった気がした。
おれは部屋を後にした。何も持たずに、港へ向かった。
夕陽が世界を赤く染めていた。
黒く光るスチュワートの船が…汽笛を鳴らした。
おれは走る。
船の回りには大勢の見送る人々が溢れ、手を振っている。
人々を掻き分け桟橋に着いた時、橋げたは上げられた後だった。
船はゆっくりと桟橋から離れていく。
「待ってっ!お、おれも乗せてって!」
汽笛がおれの声をかき消した。
黒い船体を呆然と眺めた。
間に合わなかった…もう…もうスチュワートに会えない…のか?嫌…いやだよ、そんなの…
後方の甲板の端に、佇んだ影をみつけた。潮風にあおられ黒いコートがはためく。
「スチュワートっ!」
おれはありったけの声を張り上げた。
「スチュワートっ!おれ、スチュワートの魔術師になるっ!絶対、なるからっ!おれも連れてってっ!」
その影がゆっくり両手を広げた。
スチュワートの声が聞こえた。
「ならば、来いっ!」
どんな魔力よりも惹きつける声で、おれを呼んだ。