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天使の楽園・悪魔の詩 19

19.


 陽の沈む前にスチュワートと港で別れた。

 その後、腹ごしらえにいつもの居酒屋へと足を運んだ。

 ここは地元の若者が集う店で、漁師や船員、娼婦やおれ達男娼が、仕事の前や後に腹を満たす場所だ。テリトリーごとに衝立を立て、別れているから、お互いの話に首を突っ込むこともなく、揉め事や諍いも少ない。

 

 おれは昼間のスチュワートとの会話をひとつひとつ思い出しながら考え込んできた。

 ガラにもなく色んなことを考えなきゃならないって思ったんだ。

 だけど頭の中がまとまんなくて、目の前の煮込みシチューをスプーンでグルグルしていたら、リシュがやってきた

「カル。昼間、ステキな異国の人と歩いていたのを見たよ。ね、あの人、昨日カルが話してくれた…カルを助けてくれた人じゃない?もしかしたらデートでもしてたの?」

 楽しげにリシュが声をかけ、おれの隣りに座る。

「…うん、そうなんだけど」

 自然と口が重くなる。

「どうしたんだよ」

 おれにとってリシュは誰よりも信用できる友人だ。初めておれがこの島に連れられ、何も知らないまま身体を売る仕事を始めた頃、いつも叱られていたおれを励ましたり庇ってくれたのもリシュだった。

 だから、おれは洗いざらい今日、スチュワートとの間にあったことをリシュに話した。


「カル、良かったじゃないか。その人は、すごくお金持ちで、自由になれる分のお金をくれるって言ってくれたんだろ?その好意に甘えればいいじゃないか。何を悩む必要がある」

「だって…スチュワートはおれなんか必要ないって…。セックスだってガキ過ぎて相手にならない。魔法も使えないサティ(アルト)は必要ないってはっきり言われたんだ。おれはスチュワートの為に何ひとつできない。それなのに、暢気にお金をもらって自由になって…それってずるい気がしない?」

「ずるくてもいいんだよ、今は」

「え?」

「そのスチュワートという人の事を本気で好きなんだろ?」

「…うん」

「だったら、時期がくれば魔力の発動は期待できるし、ガキじゃ相手にならないなら、歳を取ればガキじゃなくなるじゃないか。君は愛される恋人になれるんだよ、カル。自信を持って。君は最大のチャンスを手にしているんだ。もっと貪欲にならなくちゃ」

「そうかな…」

「そうだよ」

 だって…自由になったところで、スチュワートの傍に居られなきゃ意味がないじゃないか。それなら、ここで仕事をしていた方が…


「リシュ、カルキ。ここに居たのか」

「ナーヴァ」

 男娼仲間のナーヴァが怒った顔でおれ達のテーブルに着いた。

「どうしたの?不機嫌な顔して」

「アッタの事、聞いた?」

「知らないよ。アッタがどうかした?」

 アッタはおれと同い年の男娼だった。先月良いマスターを得て、この島を出て行ったんだ。

 離れていく船から手を振るアッタの幸せそうな顔は今でも忘れられない。


「死んだって…」

「え?…どうして?病気でもしたの?」

「自殺さ。奴隷船から海に飛び込んだ…らしい。あいつ…騙されたんだよ。アッタを引き取った男はその道では有名な詐欺師だったらしい。意思の強いパティ(イルト)でさ、相手を惚れさせ、夢中にさせて、逆らうことが出来なくなったら…、別の人買いに高く売りつけるそうだ。そんな手馴れた奴に、俺達が逆らえっこない…アッタは運が悪かったんだ…」

 ナーヴァの声が震え、テーブルにいくつもの涙が落ちていった。

「初めから美味すぎる話だと思ったんだ。アッタが嬉しそうに話すから、俺も強く止められなかった。あの時、必死に反対すりゃ良かった。そしたらアッタは…死ななくても…」

「ナーヴァ…」

 ナーヴァはアッタの一番の親友だった。だから、慰めの言葉なんて簡単には言えなかった。


 この島の男娼窟から出て行った少年達が、幸せになる物語はいくつもある。それと同じ数だけ、不幸になる現実もわかっている。

 だけど、夢見ることまで奪わないで欲しい。

 みんな幸せになりたいんだ。


「パティなんてロクなもんじゃねえよ。あいつら俺達を心の底から愛したりはしないんだ。利用するだけ利用して、飽きたら簡単にゴミみたいに捨てる気なんだ。…リシュも注意しろよ。アッタの二の舞にはなるなよ」

「わかってるよ。だけどナーヴァ。自分の愛したマスターを…信じなきゃ、どうやって信頼を勝ち取ることができる。もし、裏切られても、捨てられることになっても僕は最後まで自分のマスターを信じたいよ。アッタもきっと…」

「だから…悔しいんじゃないか。空しいんじゃないか…どうして俺達サティ(アルト)はパティ(イルト)に逆らうことが出来ない?どうしてさ…」

「ナーヴァ」

 泣きじゃくるナーヴァを慰める言葉が見つからないまま、おれとリシュはテーブルを後にした。

 宵闇が深くなっていた。おれ達の仕事の時間が近づいていたんだ。


「アッタには気の毒だったけど…他人ごとじゃないって事だ」

「リシュ…」

「だからってアッタの話とカルの話は別だ。おまえはそのスチュワートという男を愛しているんだろ?」

「…うん」

「だったら、選ぶんだよ。自分の為に、ここから這い上がるんだ、いいね」

「リシュ…君は心配じゃないの?…恋人の事」

「僕はこう見えても運がいいんだ。僕も僕のマスターも多くを望んでいない。そういう理屈で言えば、よき理解者同士なのさ。ハズレは無い。フラッグも立たない…いいかい、僕は先が見える。君はここから向こうへ行くんだ」

「え?だって港へは逆方向だよ」

「今夜は霧が濃いからね。カルの運命の道はあっちだよ」

 リシュは自信満々に港とは逆方向を指差す。


「後は君次第だ、カルキ・アムル。魔術師のプライドを忘れるな」

 そう言ってリシュは港へ走り去った。

 

 おれはリシュを信じていた。信じられる友人が居ることを誇りに思っていた。

 だからリシュが示した道を急いで歩いた。

 この道がどこに繋がるのか、今のおれには何もわからなかったけれど…




 引き寄せられるように繁華街を抜け、さびれた裏道を抜けていく。

 狭く細い路地が何本も交差する。階段と踊り場が交互に出くわす迷い道。小道の両端の建物はどれも古く汚れ、安酒しか置いていない飲み屋や売春宿が集まる界隈だった。

 少し離れた通りに黒いコートが翻るのが見えた。

 スチュワート?

 おれは急いでその通りに向かった。

 姿は消えていた。

 おれの見間違い?いや、そんなことはない。あの黒いコートはスチュワートの着ていたものだ。

 嗅ぎ分けるようにスチュワートの姿を探し出そうと走りまわった。


 いたっ!

 コートの端が目の前にの壁に消える瞬間を捉えた。息を切らして角を曲がる。

 見つけた!スチュワートだ。

「スチュワートっ!」

 名前を呼ばれたスチュワートは、驚いたように振り返った。


「やっと…見つけた」

 おれは嬉しくて思わずスチュワートのコートにしがみ付いた。

「おい、何でここにいる」

 いつもの不機嫌を通り越して、酷く怒った顔をしたスチュワートは、コートの端を握り締めたおれの手を、邪魔くさそうに払った。

「…あ、の…あ、そうだ。昼間借りてたハンカチ。綺麗に洗って乾かしたよ。ほら」

 会った時にいつでも返せるように、ズボンのポケットに入れておいたハンカチを取り出した。

「あ…」

 せっかく綺麗にたたんでおいたシルクのハンカチはシワだらけになっていた。

「ご、ごめんなさい。ハンカチしわになっちゃってて…」

 差し出したハンカチをスチュワートは、地面に叩き落した。

「そんなもん、やるって言っただろっ!いちいち付きまといやがって、気持ち悪いんだよ。…兎に角、早く俺の前から消えろっ!」

「え?」

「ちっ…おまえのボケた顔を見てるとよけいムカつく。さっさとどっかに消えろって言ってるのがわからねえのかっ!」

「スチュワート…」

 思いもしなかった激しい口調におれはすっかり気落ちした。呆然としたまま足が動かなくなった。

 甘い言葉を期待していたわけではなかった。いつものように罵ったり、からかってくれれば充分だったのに。

スチュワートの吐いた言葉は、おれを拒絶しただけでなく、恐ろしく冷たいものだった。

 スチュワートは立ち尽くすおれには構わず、足早に去っていく。

 

 地面に落ちたスチュワートのハンカチを拾った。

 惨めさで張り裂けそうになる。泣いちゃだめだと何度も言い聞かせた。それでも我慢ができなかった。

「リシュ…やっぱりおれなんかじゃ、ダメなんだ…。おれは愛される資格のないサティなんだ」

 

 重い足を引きずりながら、おれは来た道を戻り始めた。

 

 スチュワートに嫌われた。

 拒絶された。

 …こんなに、好きなのに…

 違う、スチュワートが悪いわけじゃない。おれが勝手にスチュワートを愛してしまっただけなんだ。

 スチュワートには迷惑なだけだった。そんなの、当たり前じゃないか…

「スチュワート…」

 あきらめろよ、カルキ。おまえはこの島で誰からも愛されず、身体を売っていればいいんだ。


 …おれにはわかっていた。

 スチュワートより好きな人に出会うことは、二度とないのだと…

 嘆くことはないさ。

 愛する人と出会えた喜びが残る。

 今日一日スチュワートと過ごせた幸福な時間を一生忘れなければいいんだ。

 だけど…

 歩こうと前に足を出そうとしても動かなかった。

 『ダメだ。戻らなきゃダメだよ、カルキ。スチュワートが…』

 心のどこかで、自分の声が聞こえる。

 逆らえない声だった。

 おれは踵を返して、さっきの道を目指して走り出した。

 

 スチュワート、スチュワート…頭の中がスチュワートで一杯になる。

 途端に身体中を黒い霧が包んでいくように感じた。

 胸のざわめきが押さえきれない。

 重くのしかかるように…身体中が重い。


 その時、誰かの叫び声が何度も聞こえた。恐怖に引き攣った声だった。

 一瞬、おれの足が凍りついた。

 だが、行かなきゃならないことはわかっていた。

 スチュワートの後ろ姿が頭から消え去ることができなかった。

 怯えながも、早く行かなきゃと己を奮い立たせ、おれはその声のする方へ、走った。


 


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