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天使の楽園、悪魔の詩 2

その二


 この件をきっかけに、アーシュとルゥは俺を友達として認めてくれた。

 それまでは俺の事など視界にも及ばなかったふたりの有様が一変した。

 彼らは一旦心を許してしまうと、新参者の俺にさえ一切の隠し事はしなかった。

 どうやってここで育ったのかを面白おかしく話し続けた。

 俺もまた自分のお家の事情って奴を詳しく話し聞かせてやった。

 彼らは想像もできない別世界だと首を傾げた。

「でも両親がいても愛してくれないのは悲しいね。僕らは初めからいないから仕方ないけどさ。ベルはよく耐えてるよ。えらいぞ」

「えらいよ、ベル」

「そんなことはないけど…」

 こんなことで褒めてもらったことがないから、照れてしまう。

「貴族やブルジョワってちょっと憧れたりもしてたけど、少しぐらい窮屈でもこちらの方がマシってことだね」

「僕にとってはここは楽園さ。それに天使もいるし」

「え?」

「君達のこと」

 俺の言葉にアーシュとルゥは腹をかかえて笑い出した。

 結構本気で言ったつもりだったのだけど…


 勿論彼らは微笑むだけの天使ではなかった。

 規律を潜り抜けては「力」を試し、他愛のないいたずらはしょっちゅうだった。

 中でも校内のあちらこちらを探検することは極めつけの冒険だった。

 古いこの学校のあらゆる隠し扉を開いては、「誰にも内緒だよ」と、人差し指を口に当てて、俺を部屋の中に導く。

 俺にとってまさに「秘密の花園」であり、彼らの言う「秘密基地」の一員に加わった喜びでこの上もなく幸せだった。

 それにふたりを知っていく毎、彼らの屈託のなさに感心した。、

 アーシュもルゥも別段孤立しているわけではなく、誰とでもわけへだてなく交流する。付き合いは俺よりも彼らの方がかなりポジティブだ。

 それまで高慢な貴族の子息、なにかと黒い噂の絶えない「セイヴァリカンパニー」の跡取りと見られていた俺は、表面上は仲良くしていても、心から打ち解けられる友人はいなかった。だが、アーシュとルゥのおかげで、それまで遠巻きに見ているだけだった貴族や資産家の子息達以外の生徒が俺に声をかけてくれるようになった。

 接してみると上流階級の奴らよりも彼らの方が、遥かに賢く、博識であった。

 特にアルトの子は歳若いながらも色々なことを考えている。


 彼らは俺を珍しいと言う。

「貴族で資産家の跡取り息子なんて、まともじゃないと思っていたけど、ベルは良いアルトだ。尊敬するよ」と、あまり付き合いに積極的ではないハイアルトたちも友情の握手を求めた。

 俺は初めて自分の価値を認められた気がして、自分が「ハイアルト」で良かったと、また良い魔法使いになる為に、この学校で懸命に学んでいこうと心に強く願った。



「ベルは良い人すぎるよね」

「まあ、突然変異だね。僕達と似かよっている。ああ、そこの長い板を取ってくれ、セキレイ」

「わかった」

 アーシュはルゥのことを何故か「セキレイ」と呼ぶ。その意味を尋ねたら「僕はアーシュに拾われたの。、その時の記憶がなかった僕を、アーシュは『セキレイ』と呼んだ。だからアーシュにとっては僕は『セキレイ』なんだ」

 よく判らなかったが、これは独占欲を表しているのではないか…と、後になって思ったものだ。

 アーシュはルゥを自分だけのものとして「セキレイ」と呼び、ルゥは「セキレイ」と呼ばれることで、アーシュのものでいられると安心する。


「ベル、ほら、しっかり板を持っていてくれよ。釘が打てないだろ」

「ああ、悪い」

 俺達は雑木林の奥にあるデカイ楠木の枝の上に小さな「秘密基地」を作っている。

「できた!」

 嵐が吹けばすぐにでも飛んでいきそうな掘っ立て小屋だ。

 俺達三人が腰を屈めてやっと入れる狭い家だ。


「前の基地よりマシだが…三人が入るにはきつそう」

「仕方ないよ、俺達は成長期だしな。三年もてばいいんだよ。どうせ中等科に行けば、校舎も変わるんだしさ」

「三年も持ちやしないさ」

「セキレイ…出来上がったばかりでテンションが下がる事言うなよ。さあ、入ってみようぜ」

 アーシュを先頭にそのクソ狭い「秘密基地」へ膝を折りながら進んでいく。

「なかなかいいじゃん」

「ああ、思ったよりもずっといい」

「でも…背比べはできないね」

「まあ、カードゲームぐらいなら大丈夫」

「それと…夜天を見るときは便利だ」

 三人並んで寝そべりながら 天上を見上げた。隙間の開いた屋根からは青空が覗いている。

 右側にアーシュ、左にルゥがいる。

 他になにも望めないくらい俺は幸せだと感じていた。

「ずっとこのままでいたいね」

 心に浮かんだ言葉を口にしてしまった。口に出した後、ふたりに笑われるかもしれないと恥ずかしくなる。

 だが、ふたりは笑わなかった。

 アーシュの手が俺の右手を繋ぐ。同時に左手にはルゥの手が繋がった。


「ずっと一緒さ。大人になってもずっと仲良し三人組でいよう」

「僕も賛成だ」

 堪えていた涙が流れる。

 ふたりは俺の両頬にキスをした。

 交互に顔を見合わせ「ありがとう」と、言った。

 微笑むふたりはこだまのように「ありがとう」と応えるのだ。

 



 十一歳の夏、四年生を終え五年生になる長い夏季休暇は辛い思いをした。


 毎年、この時期は憂鬱になる。

 学校が休日ならば当たり前に自宅に帰らなきゃならない。

 誰も待っていない家へ帰ってもつまらないだけだった。

 俺を可愛がってくれたエリナも、俺が知らぬ間にこの家から居なくなった。

 理由を聞くと、母の宝石を盗んだと言う。彼女に限って言えばそれはありえないと思った。

 エリナは俺の知る限り物欲に乏しかった。

「騙されてはいけませんよ。坊ちゃま。ああいう移民は帰る家がないので、かかる責任を負わなくていい。何もしても自分が罰せられればそれで終わりです。私どもはそうは参りません。この家やご主人様を守るという崇高な使命があるのです。ここで働く事は自分の身を投じて尽くすということでございます」

 古くから勤めるバトラーの言葉はちっとも俺の心に響かなかった。

 結局何を言っても求めても、俺がこの家で得られるものは無いに等しい。


 その年は休日の大方を母の実家であるスタンリー家で初めて過ごすことになった。

 街の中心から離れた郊外にその大邸宅はある。

 車で三時間ほど走ると、咽かな田園風景が続き、次第に白樺林が見えてくる。

 その木立を過ぎるとに遠くの山々を背景にした瀟洒な屋敷が現れる。

 アラベスク文様の門を通りぬけ、両側に並んだ潅木の間に鮮やかに咲く花壇の花々を眺めながら、車は玄関アーチへと続く。

 重い扉の奥は広いフロアにスタンリー家の紋章をあしらった、百合とアカンサスの葉をデザインされた毛足の長い絨毯が敷き詰められていた。

 大理石の床と黒檀やマホガニーを存分に使った家具や内装も、セイヴァリ家とは違って上品で嫌味がない。

 すべてが行き届き、安らぎさえ感じた。

 さすがに古き歴史を持つ貴族だと、また自分がその血を受け継いでいる事に少し誇りを持った。

 広間から続くコテージガーデンには彫刻や噴水、人工で作られた滝や池など、子供にとっては厭きのこない遊び場で、アーシュやルゥを連れてこれたらと何度も思った。


 広間では昼間はサロン、夜はパーティが幾度と無く開かれ、母の姿もちらりと見えた。

 母は俺を見ては、目を細めた。

「まあ、クリストファーはあの人に似ないで綺麗に育ったのね。恥ずかしくない容貌だわ。これならスタンリー家に恥じない跡目と言うものでしょう」と、俺にキスをくれた。滅多なことじゃなかったから俺は驚いて後ずさってしまった。

 赤く頬を染めた俺を笑い、母は去っていく。

 きつい香水の匂いだった。それでも、母のキスが嬉しかった。



 主である叔父のエドワードは、屋敷の中ではよく見かけ、俺を見ると指を立てウィンクをしてくれた。

 ひとりで寂しくないようにと食事もたまに付き合ってくれた。

 彼は言う。

「クリストファーは私に良く似ているね」

 確かに俺の容貌は母でも父でもなく、このエドワード叔父に酷似していた。

 だから使用人だけではなく、サロンに来るお客たちも俺の顔を見ては、エドワードと母に意味深な視線を投げかけるのだ。

「甥であるのだから似ていてもおかしくあるまいが、これだけ似ていると、私も自分で問いたくなるね。君は私の息子かい?」

 そう言われても俺は笑うしかない。


 ある夕食の晩、他愛のない学校の話をしながらエドワードは俺に尋ねた。

「クリストファーは幾つになる」

「十歳です」

「ふ~ん、それじゃあ、セックスは経験した?」

 俺は思わず口に運んだスープを噴いた。

「な、ないです」

「じゃあ、私が教えてあげようか」

「え?」

「スタンリー家主直々に相手をしてやるよ。どっちにしろ、君は私の後を継ぎ、この家の当主となるのだから」

「僕が何故この家を継ぐの?叔父様が結婚したら、そのご子息が後を継ぐのでしょう?」

 この時、エドワードは母とひとつ違いの27歳だった。この歳の貴族なら大方の結婚している。

「私は結婚などしない。ひとりの女と一生暮すなんて考えるだけでぞっとする。恋愛は自由気ままが一番良い。それに他者にこの家の財産を分け与えようとは思わないのでね。私は好きに遊んで贅沢三昧させてもらい、そして充分に放蕩したら、庭の池にでも頭から飛び込んで死んでやるのさ。そして残された物すべてをクリスに譲ってやろう。どうだい?ステキな人生プランだろう」

「…はあ」

 これでは彼がケチなのか、度量が大きいのか、ただのバカなのか分からない。

 しかし、俺はこういう叔父が嫌いではなかった。


 その夜、エドワードが俺の寝所に忍び込んだ。

 ベッドに寝ていた俺の横にいつのまにか入り込んできたのだ。

 夢心地でいた俺も流石に驚いて、彼の所業を諌めた。

「エドワード、何用ですか?」

「ひとりじゃ寂しいだろうから添い寝をしてやろう」

「いりません」

「じゃあセックスの指導だ。君が本当に初めてかどうかも気になるところだ」

 手を払う俺の意思を無視したエドワードは、俺の身体を抱え込んだ。間も無く寝着のシャツの裾の中に手を滑り込ませてくる。

「ぼ、ぼくはまだ十歳ですよ。セ、ックスなんてまだ早い」

「私は8つの時に叔父から抱かれた」

「…変態ですね」

「そういう血族なら仕方ない。君も慣れろ」

 身体を撫でるエドワードの指先は思ったよりも不快ではなかった。


「…嫌です。僕は…このスタンリー家を継ぐ気はありません」

「じゃあ、あの趣味の悪いカンパニーの社長になるのかい?」

「…」

「君の父親だってあくどい事には事欠かない最低な人間だぜ。クリスはそういう人間になりたいのかい?」

「どっちも…なりたいとは思わない」

「ひとりじゃ生きていけないくせに我儘なんて言うものじゃない。君が優雅に学校生活を楽しんでいられるのはお金と名誉があるからじゃないか」

「…」

「少しくらい私を楽しませろ、クリストファー」

「だって…」

 少し抵抗して身体を押しやる。エドワードは俺の両手を縛り上げた。


「あまり抵抗するなよ」

「だって、怖いよ、エドワード」

「怖くはないさ。まあ、色々なプレイで楽しむ奴も貴族には多いけれど、私はベッドでも紳士だよ」

 思わず涙ぐむ俺を、エドワードは優しく耳元で囁いた。

「泣きなさんな、クリス。出来る限り優しくする。そりゃ少しばかりは痛いだろうが、大人を踏み出す一歩として考えなさい。君がここで覚えることは君にとって損ばかりではないよ…きっとね」


 エドワードの青い瞳には、泣きそうな俺の顔が映っていた。

 それはきっとエドワードの子供の記憶かもしれないと、感じていた。

 だから、俺は彼の求めに応じた。

 抵抗しても逃れられない運命なら、初めから諦める方が、傷は少なくて済む。




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