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天使の楽園・悪魔の詩 18

18、

 岬から離れる途中で、下の海岸を眺めた。

 浜辺で沢山のリゾート客が泳いでいる。

 スチュワートに薦めると「まさか!」と、言うような顔をして嫌がる。

 じゃあ、一体どこを案内していいのか…他にこれと言って薦めるべき名所もないんだが…

 この先の予定を考えていたら、いい匂いがした。

 屋台で売っている揚げパンの匂いだ。

 急に空腹を感じた。

 そういや用意していたパンもスチュワートに取られるし、おれ、朝から何にも食べていなかったんだ。そう思ったら急に腹痛で、動けなくなり、その場にしゃがみ込んでしまった。


 「空腹で動けなくなった奴を初めて見たよ。もっと早く言えよ!バカ、マヌケ」と、スチュワートは怒鳴った。それでも観光客用の肉と野菜がぎっしり入った揚げパンを三個も買ってくれた。

 観光客を相手にする屋台だから、おれたちには滅多なことでは口に入らない。緊張しながら頬張ったら、やっぱり美味しかった。

 あまりに美味しくて泣いて喜んでいたら、また頭を小突かれた。

「こんなもんでいちいち泣くのか?…ったく、おまえはどんな生活してんだよ」

「だって…すごい嬉しいんだもん。スチュワートも食べてごらんよ。めちゃ美味しいんだよ、この揚げパン」

 泣きながら薦めてみたら、スチュワートは訝しげにおれを見て、その揚げパンを口にした。

「ね、美味しいでしょ?」と、言うと、スチュワートは呆れたようにため息を付く。

「さっきのクソ不味いもんよりマシだがな…。こんなものは上手い食い物とは言わない」

「そうなの?」

「…ったく。ここは熱いし、すぐに湿気で身体もだるくなるし、文化も秩序も住民の意識も低いし、貧乏だし、飯も不味い…こんな島、すぐにでも出て行ってやる」

「え?もう、この島から居なくなるの?」

「ああ、明日か…明後日のうちには島を出る。次の仕事もあるしな」

「…」

 …もう、居なくなっちゃうのか…。

 そうだよな、この人はこの島に住んでるわけじゃないし、休暇中のリゾート客でもないし…仕事で立ち寄っただけの人だもの。

 …寂しいな。


「ね、どっか行きたいとこある?」

「そうだな…人の居ない、静かで空気のいいところかな。船旅は潮の匂いばっかりで、俺はあまり好きじゃないんだ」

 この人って、嫌いなものばっかり言ってるな。そんなに気に入らないものに囲まれて生きている風には見えないけど。

 お金持ちであんなに心配してくれる魔術師さんも居るし…何が不満なのか、よくわかんないや。

 不思議に思って、じっとスチュワートを見ていたら、「ジロジロ見るな」と、また頭を小突かれた。

 痛いけど…もう慣れた。

 暴力を振るう客は沢山いる。

 彼らはおれの身体に痛みを与えて、苦しがっているのを見て喜んでいるんだ。

 だけど…この人のくれる痛みって…なんか嬉しい。変だけど、愛嬌があるっていうか…ひとつ拳骨をくれると、その分スチュワートとの距離が縮んでいくみたいに…嬉しくなるんだ。


「こっち、こっちだよ」

 何度も息を吐きながら登山道を登っていく。

 とりあえずおれはスチュワートを観光客も滅多に来ない地元の穴場へと案内した。

 ここは見晴らしのいい砦の奥の草原だ。暑い日差しをしのげる木陰も多いし。

 

 木陰に座り、ちょうど背もたれに良い岩場に座り込んだスチュワートは木漏れ日を仰いだ。

 少し急な登山道を登らなくちゃならなかったから、おれはひとしきり汗を掻いたんだけど、スチュワートは汗も掻かず、息を乱すでもなく平然としていた。

 喉が渇いたから、いつも携帯している小型の水筒に近くの岩清水を注いで飲んだ。それをスチュワートにも薦めると、彼は初めて「美味い」と、言った。おれは嬉しくなり、すぐに水を筒一杯に注いで差し出した。

 スチュワートは「水ばかりそんなに飲めるか」と、おれを睨みつけた。

「ごめんなさい」

 折角喜んでくれたのに、またスチュワートを怒らせてしまった。…意気消沈してしまう。

 これ以上怒らせないように、おれは岩場のスチュワートから少し離れて座った。すると、スチュワートが手を振る。

 四つんばいになって近づくと、腕を取られた。途端に頭から土に倒れる。

「イタッ!ご、ごめんなさ~い」

「何がゴメンだよ。謝ればなんでも済むっていう根性が気に入らない」

「ご…めん」

「何度も言うな!ばか!大体なんで俺から離れているんだ。おまえは案内人だろうが」

「だって…おれ、スチュワートを怒らせてばかりだし…おれが傍にいたら…機嫌悪くさせるのかな…って」

「おまえがどん臭いからだろう。いいからここへ座れ!」

 恐々と、言われたとおり、スチュワートの隣りに座り込んだ。


「あの…あのさ、なんで…いつも機嫌悪いの?スチュワートは…幸せじゃないの?」

 怒られると思ったけれど、スチュワートをもっと知りたいという好奇心の方が勝った。

 スチュワートはおれの質問にギロリと睨んだだけで、何も言わなかった。

 また怒らせたのかも…と、落ち込んだ頃、スチュワートはやっと口を開いた。


「…おまえは、どうなんだ?男娼なんかやってて楽しいか?」

「え?いや…楽しいというか…食べる為のお仕事だからね。そりゃ嫌な事も沢山あるけどさ…そんなのどんな仕事もそうでしょ?おれには身体を売るしか能が無かった。仕事を選べる歳でもなかったしね。おれね、稼いだお金は毎月少しずつ、故郷の家族に送っているんだ。元気で頑張っているっていう知らせだよ。きっと、両親も喜んでくれてるよ。おれには兄さんも姉さんもいるんだけど、弟はね、魔力に恵まれたサティなんだ。もうすぐ上の学校に行くだろうから、弟の学費の足しになるようにおれも頑張ろうと思ってるの」

「ふ~ん」

「…つまらない?」

「いいや、別になんとも思わない。おまえのやっていることが自己犠牲であり、自己満足であろうと、おまえがそれを選択しているのなら、他者がとやかく言う権限は無い。それに…誰にだって、同じような感覚はあるもんさ。自分を認めさせたい為に、自分が痛みを負う。その事で何かの満足を得られる…歪んではいるが人間の本質なのだろう…」

 スチュワートが何を言おうとしているのか、おれには良くわからなかった。でもおれの仕事を軽蔑していないことだけはなんとなくわかったから、なんだか赦された気がした。


「…スチュワートの言ってること、難しくてわかんないや。だけどね…おれ、多分間違っていたんだと思う」

「何が?」

「家族の為になるならって…自分を買ってもらって、お金を両親に渡して…それで満足していたところあるよ。12歳だったんだ。男娼って何するのか良くわかんなかったし、男の人とセックスするのも…嫌だったけど、お金貰っているんだからって、あまり深く考えた事なかったんだ。でも…少し大きくなって本を読んだ時。…その本ね、幼馴染みの男女ふたりがずっと仲良しで、大きくなって初めてお互いを意識して愛し合うって話なんだけど…『恋』をして初めて相手を欲しいと思う。この人のすべてを知りたいと思う。この人の肌に触れたい。繋がりたい。今までとは違う意識でこの人を愛してみたい…って、お互いを求め愛し合うんだ。結局、男の人が戦争に行って死んじゃうんだけど…悲しみ泣き続ける恋人に亡霊になって会いにいくの。おれ、この本読んだ時、自分が簡単に身体を売ってお金を貰っている仕事がどんなに浅はかなのか、つまらないことなのかって…思った。遅いけど、どんなに後悔してもおれの身体はきれいにはなれないけれど、間違っていたのかもしれないって、思ったんだ。そして、本当に愛し合うってどういうことなのか。『愛』って何なのか…すごく知りたいって思った」

「愛するのは難しいことじゃない。人を好きならそれも『愛』だ。おまえが家族の事を想うのも『愛』なのさ。『愛』と言う形は無限にある。ただ自分のとって特別な『愛』を探すのは…難しい」

「…」

「…おまえの読んだ物語の最後はなあ…こうだ。幽霊になって会いにきた男はこう言う。『いつまでも泣くんじゃない。もし俺の事を想うのなら、その手にしたナイフでひとおもいに喉を貫き、俺と一緒に天国へ行こう。それが出来ないのなら、俺を忘れて…自分の幸せを見つけて幸せになってくれ』と…。女はどっちを選んだと思う?」

「え?」

 あの物語にそんな続きあったかな?…良く覚えていないけれど…

「女は手に持ったナイフを捨て、立ち上がった。『わかりました。私はもう泣きません。あなたのおっしゃるとおりに、あなたを忘れて幸せになります』と、言った。それから女は二度と泣くことはなく、懸命に生きて長生きをして死んだんだ。一生恋人を作ることもなくね」

「…」

「さて、この女は幸せだったのだろうか…誰もわからない。誰にも決められない…人生ってそんなものだろう。おまえが自分を不幸と思うのならそうだろうし、そうじゃないのならいいんじゃないのか。身体を売ってたって、そんな奴は五万と居るだろうしなあ…でもそれが嫌なら、ここから抜け出す方法を考えろ」

「みんな…仲間の男娼たちは好きな人を見つけて、その人に身請けしてもらっているんだ。だから…」

「金持ちの俺にそれを頼むのか?」

「…そうじゃないけど…」

「それが目当てで俺に近づいたんだろ?」

「…」

「金なら出してやってもいい。親父に借りればはした金だろうから、簡単に借りれるだろう。だが言っておくが、親父は武器商人だ。武器を作って、多くの国や軍に売って、儲けて…戦争を煽るような奴だ。その武器で何万との人間が死んでいく。おまえを身請けする金はそういう金だと知って自由になりたいのなら借りてやる。おまえを助けたところで、…人ひとり救えたところで、親父や俺の罪が軽くなるわけでもないしな」

「…」

「が、その後は知らんぞ。俺はセックスの相手には不自由してないし、おまえみたいな役に立たない魔術師はいらない」

「…」

「おまえが何をしたいのか、よく考えることだな。自分を卑下するだけじゃつまらん。プライドとは何かを考えろ。と、言っても…俺もあまり褒められたもんでもないけどなあ…ああ、なんか眠いな…」

 スチュワートはあくびをして、「少し寝る」と、言い、そのまま寝てしまった。

 おれはスチュワートの言葉を頭の中で何度も繰り返した。


 この人は自由になるためのお金をくれると、言った。

 そのお金はこの人の罪で出来ていると、言った。

 おれは…そのお金を手にしていいのだろうか…


 そして、こう思った。

 この人はおれに夢を見せ、それが甘くはないと教えてくれたのだ。

 おれは本当にバカで、無知で、まだまだ沢山考えなきゃならないんだろう。

 この人はおれに考えることの意味を教えてくれたんだ。

 それだけで…充分だ。

 おれはもっと大人になるよ、スチュワート。


 何もお礼ができなかったから、草原に咲くリリカの花で花冠を編んだ。

 リリカは蔓の長い草花で、小さな黄色い花が咲く。花をぎっしり詰め込んで黄色い花冠が出来上がった。

 それを寝ているスチュワートの頭に飾った。

 黄色の花が輝く王冠を頭に嵌めたスチュワートは、本物の王子さまのようだ。

 おれはすい込まれたみたいにスチュワートをずっと眺めていた。


 

 自然と涙が零れ、止まらなくなった。

 おれは今日という日を一生忘れたくない。

 絶対に…


 おれは…

 この人を愛してしまったんだ。


 スチュワートはきっと、王になる。その手がどんなに汚れていようとも、彼の魂は穢れない。

 怯む事無く、天を見定める強い心に、誰彼も平伏すだろう。

 おれにはそれが見える。


 スチュワート、

 あなたの足元に平伏したいんだ。

 それがおれのプライドだと、思う。



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