天使の楽園・悪魔の詩 15
15、
14歳の頃の話だ。
私こと、カルキ・アムルは、サマシティの遥か東南の小さな島に居た…
四季折々の風景を楽しめるサマシティとは違って、一年中、蒸し暑い南国。だが、アグン島を吹く海風は、湿気を和らがせ、人々が生活するには凌ぎやすい土地だった。
また島はマーブルの産地で知られ、剥き出しの白い岩肌が街を囲む山肌に壁のように聳え立っている。
マーブルの産出で成り立つ港街クゥタは至る場所に、大理石の白い建物とオブジェが建てられ、観光客を持て成す。
観光名物はこれと言ってないが、このマーブルで建てられた岬の先にある古いカテドラルは、ちょっとした見物だ。ずっと昔、海の守護神の住まいとして、ひとりの天王が、一晩で山のマーブルを削り、この岬に白く輝く寺院を建て、祀ったと伝えられている。
誰もその天王を見たものはいないが、聖者を讃え、何体もの天王アヴァターラの石像がその寺院に繋がる道端に並び立つ。
おれはこの島の出身ではなく、少し離れた大陸の砂漠の近く、名も無き鄙びた村に生まれた。
一年中乾いた土地にはまともな作物は育たず、わずかに採れる芋やトウモロコシを家族で分け合い、飢えを凌いでいた。
家族は両親と、姉と兄、そして弟とおれの六人。お腹はいつもぺこぺこだったけれど、寂しくは無かった。
両親はサティだった。
サティとは魔力を持つ者で、アルト呼ばれる方が一般的だ。
おれ等兄弟も、皆生まれついてのサティだった。
姉は占い師として、15歳で家を出た。兄はこの家を守る為に、フルに魔力を使って、作物の収穫を増やそうと努力していた。
ふたつ違いの弟、ニヤカは、小さい頃から魔力に長けていて、いずれは高名な魔法使いになれるかもしれない…と、両親を喜ばせていた。
力を持った魔法使いになることは、この貧困から逃れられる確実な未来だったのだ。
おれはといえば…サティに生まれついてはみても、その能力の兆しは一向に見えなかった。
魔力の放出は、教えられるものでもなく、また努力すれば身に付くものでもないらしい。
アムル家のムードメーカーとしては頑張ってはいたが、それで腹が満たされるわけでもなかったから、他の家同様、おれは出稼ぎの為にこの家を出た。
12歳のおれにできる仕事は決まっていた。
身体を売ることだ。
アムル家で他の兄弟より優れていたのはこの容姿だけだと言って良かったので、自分から女衒を呼び、高く買ってもらった。
自身を売った代金を親に渡した時、何となく誇らしい気持ちになった。自分もアムル家の為に役に立つことができた…と、思ったからだ。
「稼いだ金は送るからね。ニヤカにはちゃんとした教育を受けさせてやってね」
両親は涙を浮かべて何度も頷いていた。
アグン島の港町クゥタの男娼館での暮らしは、そう辛いものではなかった。
客の扱いはその日毎に違って、酷くされたり、良かったり悪かったり…天気のようなものだった。
街には同じ頃合の仲間達が沢山いたから、お互いの愚痴を言い合ったり慰めあったり、お客を譲ったり譲られたり…
元締めウルは、毎晩の揚げ代には厳しく、良く泣かされたりするけれど、徹底した監視のおかげで、少年達の縄張り争いはあまりなかった。
面白いことにこの街の男娼たちは、すべてサティだった。
それもおれと同じく、皆同様に強い魔力を持たなかった。彼らは身体を売りながら、魔法を覚え、いっぱしの魔法使いになると、男娼から足を洗い、この街から出て行くのだった。
「早くダンナの力になりたいなあ。オレの魔力も結構役立つって褒められたんだぜ。今度の航海が終わって、この港に帰ってきたら、オレを真っ先に迎えにくるって…約束したんだ」
同い年のアッタが夢見心地で言う。
「良かったね、アッタ」
「うん、ありがとう。カルキも早く良いご主人にめぐり合うといいね」
「そうだね…」
本当に…そうなれば…と、おれは何度も思った。
良きパティ(イルト)のマスターを見つけ、そのマスターの為に自分の魔力を使いこなせるようになり、マスターに愛される魔法使いになる。
それが、少年達の見る自分の未来像だ。
それがおれ等の幸せだと信じていた。
「待って!お客さんっ!」
いつものように港でお客を誘い、おれ等が頻繁に使う安ホテルで接待したのだ。
見かけが良かったから誘ったお客は、かなりの変態で、流石のおれも何度か気を失ってしまった。それでもお金の為には、我慢しなくちゃならない。一見のお客さまでも大事にしなきゃ…
我慢して朝を迎えても、お客は帰してはくれない。執拗なセックスは昼まで続いて、おれもフラフラ だったけれど、帰り際にはきっちり支払いを求めた。だけど、お客はお金の代わりにおれの頬を打ち、部屋を出て行ったのだ。
おれはすぐに追いかけ、ホテルの裏から出るそいつを捕まえる。
ナイフ類の危ない武器は持っていないのはわかっていたから、暴力さえ凌げればなんとかなると思ったんだ。
「お金、ちゃんと払ってくださいよっ!充分楽しんだでしょ」
「うるせえんだよっ!てめえなんざ時間の無駄だったよ。金を払う価値なんてあるかよっ!」
「何言ってんだっ!あんだけ楽しんじゃないか!鞭打ちだって我慢したじゃないか!酷いことして!金払えっ!バカっ!」
悔しくて泣きながらお客の背中を叩きまくってやったけれど、上背も横幅もある男の腕力に敵うわけもなく、おれは腕を掴まれ、石畳に叩きつけられた。
「股広げるしかねえガキに払う金なんてあるかよ。おまえらは男に抱かれるのか好きでたまらねえんだろ?てめえみたいなガキを抱いてやったんだから、そっちが金払えよ」
「…なに…言ってんだよ!バカーっ!金払えーっ!」
大声を出しても、通りから引き込んだ陽のささない袋小路だ。いつもの些細な諍いだと、周りを囲むホテルの窓も固く閉ざされている。
男はおれの罵倒をあざ笑いながら通りへ出る小道を歩いていく。
「待って…」
俺は痛む身体を引きずって、男の後を追った。
一晩付き合わされた金を支払わないのは珍しいことじゃない。これだけやられて、こちらのこちらのプライドは当にズタズタだ。だからこそ、稼いだ金は絶対に取りこぼしちゃいけないんだ。
「おい、おまえ」
通りに向かうホテルの壁沿いの階段、飾り手摺りに手を置いて立つ人がいた。
明るい通りの光を受けた背の影になって、顔は良く見えなかったが、黒いロングコートを羽織ったその人が、この街の住人でないことはひと目でわかった。
「ガキ、泣かせて何喜んでいる」
静かに低い声。少しクセがあるのは、ここの言葉に慣れていないからだろう。
「…なんだ?てめえ…若造が。おまえ、このガキの仲間か?」
「おまえの目は節穴なのか?俺のどこが、このガキの知り合いだと思われるんだ?全く遺憾だよ。…いいから楽しんだ分、その泣いてるガキに金を払ってやれよ」
「よそ者なら尚更だ。こんなのに関わるな」
「あのなあ、俺さ、今、超機嫌悪いから忍耐力ゼロなんだ…」
ヒュンと風を切る音が響いた。
おれの客の男が「あっ」と叫び、石畳に跪く。
「何?」
「サイレンサー付きの自動拳銃だよ。新機種だが命中精度もなかなかなものだ。次は心臓か、額のど真ん中か…どちらがいい?」」
「何…言ってんだ?」
「ゆっただろ?そのガキにさっさと金払えよ。俺がこいつの引き金引かないうちにさ」
本物の拳銃を見たのは、初めてだったから、彼が何をしているのかわからないが、殺気だっていたのはおれにも充分伝わっていた。
膝をついた男の足元が少し血で塗れている。
男は「ちっ!」と、吐き捨て、おれの顔めがけて何枚かの紙幣を投げ捨てた。
「ガキ、それで足りるのか?」
「あ…はい」おれは急いで紙幣を拾い、枚数を確かめた。
「はい、一応大丈夫です」
「一応だと?このヤロー!」
男はおれを殴ろうと拳固を振り上げる。
またヒュンと音が鳴り、石畳を削る粉が男の足元に舞い上がった。
男は振りかざした右手を下げ、拳銃を構えた人を怯えた顔で見つめた。
「はは…何も…しねえよ」
諸手を挙げた男の声は震えていた。
「…どうせ宿代も支払っていないんだろ?弾は貫通しているから大した傷じゃない。立って歩けるだろ?回れ右で裏口に戻ってフロントにちゃんと金を払えって玄関から堂々と出ろよ。海の男だったら尚の事、金まわりぐらい綺麗にしてろ。船元に恥を掻かすなよ」
男はもう逆らわず、黙って拳銃を持った人の言うとおりに出てきたホテルの裏口へ向かって歩いて行った。
おれはその後ろ姿を確かめた後、階段を昇る人を急いで追いかけて行った。
湾岸通りには、少ないが車も走っている。
バスも観光客が主流だがたまに見る。
街の人達は車よりも圧倒的に自転車を利用している。
おれは車も自転車にも乗ったことはないけれど…
広くて白い舗道はこの街一番の繁華街通りで、海岸と対面する通り沿いには衣料店から、食料品店、食堂など軒を連ねる。
その舗道を歩く黒いロングコートの人は、恰好からして注目の的になりそうな程目立っていた。
足早に歩くその人に追いつく為、おれは身体の痛みになんとか耐えながら走った。
「待って、待ってください」
彼はおれの声に振り返らなかった。
聞こえないのかと思ったけれど、さっきは普通に話していたから、おれを無視したいだけなのだろう。
「待って」
おれは仕方なくロングコートの端を掴んだ。
そのコートの生地は絹のような光沢があり、見たこともない複雑な織柄だった。一見常夏の街には似合わない暑苦しいだけのコートを着た変な奴だと思ったけれど、この薄さと張りのある生地なら暑さも凌げるだろう。触っただけで高級なものとわかったから、おれは慌てて手を離した。
こんないいものを着てる連中は…お金持ちか泥棒だ。
掴んだ手を離したおれを不信に思ったのか、彼は立ち止まり、おれの方を向いた。
彼は…黒い眼鏡…サングラスをかけていた。それでもその容貌が恐ろしく整っているのはわかる。
南国ではあまり見ない透き通るぐらい白い肌に整った鼻梁。金に近い亜麻色の髪。それに…見上げるほど背が高い。
凄く若く感じるけど、妙に貫禄もある。けれど…なんて綺麗な口唇だろう。
その人は女の人がさす様な赤い口唇をしていた。本当の紅をさしているわけではないことは、良く見ればわかる。だけど、その潤んだ口唇が艶かしくて、たまらなく胸がざわつく。
目が離せなくなった。
「何か用?」
「あ…はい、先程は…あ、ありがとうございました…あの…おかげで本当に助かりました。恩に着ます」
「別に恩に着なくていい。じゃあ」
「あの…」
「なに?」
「お、礼がしたいんです」
「…」
「ぼく…カルキと言います。見てのとおり男娼です。お礼はこの身体で払います」
精一杯の気持ちだったが、恥ずかしい気がした。俯いて目に入った彼の靴は、見たこともないほどの艶のある革靴だった。
こんな人は、おれのような場末の男娼なんか、求めたりはしないんだろう。
でも、おれに出来るお礼は身体を売ることしかなかった。
「俺は子供は抱かない。それに、この街には仕事で来ただけだ。セックスをしたいわけじゃない」
「わかります。でも…あの…おれ…ぼく、サービスしますから。口も手も巧いって言われます。お金は要りませんから…」
「何度も言わせるなよ…おまえは俺の趣味じゃない」
その人はおれの額を軽く指先でこづき、そして先を歩き出した。
港へ向かう彼の背中を、おれは消えるまで見つめていた。