天使の楽園・悪魔の詩 12
天使の楽園・悪魔の詩
12、
中等科二年の新学期が始まった。
アーシュもルゥも夏に過ごしたスタンリー家での日々が甚くお気に召したらしく、口々に楽しかったと俺に感謝の言葉を綴る。
それとは別にアーシュは、エドワードから聞いた秘密結社「イルミナティ・バビロン」を洗い出そうとやっきになり、毎日忙しい。
彼の行動はこちらの予測を遥かに超えて、何を仕出かすかわからないものだから、心配が募る。しかも、組織を潰そうと企んでいるらしく、その為にメルとの逢瀬が近頃ますます増えている始末。
打ち明けることもできない恋心をアーシュに募らせている俺としては、全く面白くない。
どころか腹が立つ。
言うに及ばす、恋人のルゥもアーシュの浮気癖に不機嫌極まりない。
張本人は戸惑いもせず「だって、早く『イルミナティ・バビロン』の全貌を知りたいじゃん。そんで俺が徹底的に壊滅して、美しく再生するの。ワクワクするよなあ~」
…呑気なものである。
「イルミナティ・バビロン」の主要メンバーは高等科の三年生であり、俺達からすれば充分大人だ。しかも彼らの中にも力を持ったアルトもいる。
そいつらを相手に、アーシュと言えど、無事でいられる保障なんかない。にも拘らず、アーシュは宝物でも探しに行くように、嬉々をして、毎日高等部の宿舎へ入り浸っている。
たまに夜になっても帰ってこないと、ひとりにされたルゥが俺の部屋へ来る。
勿論愚痴を吐き出すためだ。
ルゥの気持ちは痛いほどわかる。とりあえず俺に出来る事は、泣きじゃくるルゥを抱きしめて慰める他はない。
俺は女子も男子にも何故かモテるし、セックスに関しては誰とでも拘りなく相手をしているのだが、ルゥはそういう対象には全くならないので、肌をくっつきあっても欲情することはない。
アーシュを愛してしまった俺が、その恋人のルゥを慰めるとは、大概アホな図に見えてしまいがちだが、さりとて、アーシュの浮気に悔し泣きでスンスンと鼻をならすルゥが可愛くて、いじらしくて、たまらなく優しくしてあげたい。
だがよくよく考えると、ルゥもまた俺に対して、性的な感情など全く生まれる気配もなく、安心して身体を寄せ合うのだから、これまた、ルゥにとっての俺は、男としての魅力はゼロなのかと苦笑せざるを得ない。
今夜もまた、半べそを掻いたルゥがパジャマ姿でやってきた。
「聞いてよ、ベル」
「何?」
「アーシュったら今度はイシュハと寝たんだって…」
「噂だろ」
メルの恋人のイシュハは三年生だ。ふたりは周知の公認のカップルだ。
このイシュハの友人が現在の「イルミナティ・バビロン」の首謀者のジョシュアなのだ。
だからアーシュはジョシュアを燻りだす為に、イシュハと付き合っているという噂を流させている。
「そういう計画だっただろ?ルゥも了解してたじゃん」
「だって…みんな言ってるんだもん。アーシュはイシュハの愛人になったって。キスしてたって…。イシュハってちらと見たけど大人でかっこ良いし、…アーシュはああいう男が好きなのかもって思ったら…自信なくなっちゃったよ」
「バカだね…君がアーシュを信じてやれなくてどうするんだよ、ルゥ。アーシュと君はそれくらいの絆なの?さあ、そんな恰好じゃ風邪を引くよ。一緒に寝てあげるからベッドに入れよ」
「うん」
いつものようにルゥの身体を抱いてやり、サラサラの髪を撫でる。
「僕、ベルを好きになれば良かった。だったらこんなにムカついたりしなくて済んだのに…」
「ありがたいご好意だがね、その気も無いのに言うなよ。それに…俺、アーシュを咎めたり出来ないよ。だって、セックスに関しては俺の方が節操がない」
「あ、そうだった。でもベルの場合は何というか…優しさだよね。来るもの拒まずなんだよね。貴族のたしなみみたいなものでしょ?」
「褒められたものじゃないけど、なんかさ、お願いしますって頭下げられたら、まあ、いいかって気分にはなるよ」
「ベルはまだ決まった恋人がいないから、嫉妬されることもないもんなあ。どうして恋人を作らないの?エドワードに遠慮しているの?」
「エドワードは大事な人だけれど、あまり関係ないよ。…そうだね、ルゥとアーシュより大事な人。守りたい者が居ないからかな…仮に恋人ができたとしても、アーシュのあぶなっかしい行動が心配で心配でさあ、恋人に尽くす気にはとてもなれないよ」
「確かにね。僕もアーシュが何を仕出かすのか、わかっていてもハラハラしてしまうもの」
「だろ?」
ふたり顔を合わせてクスクスと笑いあう。
可憐な少女のようなルゥの笑顔を見ると、時折胸が締め付けられる想いに駆られてしまう。
アーシュはルゥとの別れを決心している。
ルゥを親元へ返すというアーシュの行動が、正しいかどうかは俺には判断できない。
だが、アーシュがそう決めている以上、多分それは近い将来確実に決行されるだろう。その時、ふたりの別れを見守るのは俺だろうし、残されたアーシュを慰め、守る者は俺じゃなきゃならない。
ルゥに譲ることはできても、アーシュをメルには絶対に渡さない。
何も知らずに俺の腕の中にいるルゥは、俺のこんな欲望など知らないだろう。
君の去った後を考えている俺は、君を腕に抱けるほど高潔ではない。
「何?」
「え?」
「ベル、何考えてる?」
「あ、ああ…子猫」
「え?猫?」
「そう、この間、実家に帰ったら、子猫が二匹家に住みついててね。真っ黒と白い奴。その子猫、どこへ行くにもくっついていてね、アーシュとルゥみたいなんだ。すごく可愛かった」
「へえ~。何て名前なの?」
「黒い奴がノアで白いのがミライ。で、この子猫たちは一体どうしたのかって、執事に聞いてみたら、なんとうちの親父が路地で死に掛けていた子猫たちを拾ってきたんだって」
「ベルの?あの冷徹な、黒い孔雀って言われてるお父さん?」
「そうなんだ。マジで驚きだよ。親父には滅多に会うこともないし、たまに実家で会っても、挨拶ひとつしない。今までに愛情なんか欠片も貰ったこともない。そんな人が捨て猫を拾ってくるなんてさ…俺って子猫以下の存在なのか?って鬱っちゃうよなあ~」
「ホントだね。でも想像したらなんかかわいいよね。ベルのお父さんって見たことないけどさ」
「うん、俺もさ…子猫を拾ってきたっていう親父がなんとも愛おしく思えてしまったんだ。今まで嫌ったり憎んだりするほどの関わりもない存在だったのに…その子猫たちを抱いていると、親父にも慈しみの心があるのかもしれない…俺が気がつかなかっただけなのかも…ってね。いつか分かり合えたらなあと、思ったよ」
「…ベルは本当に聖人みたいなんだ。僕は魔王のアーシュよりもベルに救われたいよ」
「ばかルゥ。アーシュと比べるな。あいつは特別だ。それに…アーシュはいつだってルゥのことを考えているよ」
「そうかなあ」
「そうさ。だから、もうおやすみ。きっと明日一番にアーシュは君に謝るに決まっている」
ルゥの寝顔を眺めながら、俺はアーシュの為に何が出来るのかを考えた。
答えはひとつだ。
魔術師としての己の力を、もっと得たい。
それにはどうすればいいのか。早急に方策を捜さなければならないだろう。
「ベルの子猫の写真を撮ってきてよ」
と、ルゥに頼まれたからでもないが、目的があるのと無いのでは、実家に帰る気構えも違っていた。
週末、いつもより早めに学園を後にして、実家へ戻る。
「ただいま」
「お帰りなさいませ」
いつもどおり年老いた執事が出向かうだけのガランとしたホール。思わず溜息が出る。
別に…なんとなくだが、もしかしたら父親に会えるかも…と、期待をしていた自分に笑ってしまった。
気を取り直して「子猫たちは元気?」と、聞いた。
執事はめずらしくうんざりした顔を見せた。
「…ああ、はい。どこをウロついているのか…毎日泥だらけで、掃除係のメイドが不平を零しております」
「へえ~、可愛いじゃない」
「多分今も風呂場に…」
「そう?じゃあ、行ってみる」
俺はカバンと上着を執事に預け、可愛い子猫たちの様子を伺いに、台所の奥の使用人が使う浴室へ向かった。
脱衣所の扉を開けた途端、黒い物体が足元をすりぬけた。
「うあーっ!待て~ノアっ!」
丸い洗い桶に腰を屈めたエプロンをした男がこちらを向き、手を泡だらけにして、叫んだ。
「え?ええ!」
その瞬間、またしても足元を今度は白い物体がすり抜ける。
それが何なのか、すでにわかっていた。
いたずらな子猫たちがトンズラしたのだ。
「早く!つかまえ…ああっ!クリストファーじゃないですか!」
「そ、そうですが…あなたは誰?…だ?…え?もしかしたら…」
その顔には見覚えがあった。
父親スチュワートのパートナーの第一魔術師だ。だが、こんな髪の色をしていたか?俺の知る魔術師はごくありふれたブラウンだった。
なのに目の前の男の長い髪は見事な銀髪だったのだ。
「その髪…」
思わず相手の頭を指差した。
すると、魔術師は「あ、ああ。カツラ…」と、大慌てで辺りを見回す。
「ああ、どこにやったんだろう…おれのカツラ…」
「あの、そんなことより、子猫たちが逃げたんだけど…」
「あ!そうだ。洗ったばかりなのに、また床を汚されては元の木阿弥。急いでメイドを呼んできます」
「俺とあなたがいれば充分でしょう。魔術師のカルキ・アムル」
あわただしく靴を履いた魔術師は、はっとした顔で俺を振り返った。
「…はい、そうですね、クリストファー様」
カルキ・アムルは泡だらけのエプロンを脱ぎながら、歳に似合わぬ童顔でニコリと笑う。