Private Kingdom 21
21、
父と母は優れた魔術師であり、経営コンサルタントとして、高く評価されていた。
魔術師は経営者にとって、大切な戦力となる。
先を見通す力、失敗を避け、経営者に利益になる選択を導く。
事業の成功は、その傍らに存在する魔法使いの能力で決まると言われる程だ。
父と母もその能力を如何なく発揮し、多くの事業家に認められていた。
父と母は婚姻などしなかったが、深く愛し合っていた。
ほどなく母は妊娠し、俺が生まれた。
両親は自分達に見合った優れた魔力を持った赤子を期待した。
しかし、生まれたのはただの普通の人間だった。
一般的な呼称として、魔力を持つ人間をアルト、そうでない人間をイルトと呼ぶ。
俺は典型的なフツーのイルトだった。
期待を裏切った俺の存在は、両親、特に父親には目障りどころか、憎しみの対象になる。
それまでの愛情は霧散し、「誰の子かわかったもんじゃない」と、疑いの目を母に向けた。
母は赤子の俺を抱き、ただ父の誹りを受けた。
間も無くして、父は母と俺を捨て、新しい恋人と仕事を始めた。
母は絶望し、その住み慣れた都会から逃げるように去り、赤子の俺を育てながら、占い師として街を転々とした。
だが、父を愛し続けた母は、絶望から立ち直ることが出来ず、貧困の果て、身体を壊し、路地に倒れた。
死ぬ間際、母は六歳だった俺に言った。
「あなたがアルトであったなら、あの人と幸せに…なれたはずだったのに…」
一度として俺に恨み言を言わぬ母だった。
だが、心の底ではイルトの俺をどれほど憎んだであろう…
辛かった。
生きていく気力も失いかけていた。
母を埋葬した日、母の従姉だという人が俺を迎えに来た。
母とはあまり似ていない褐色の肌と綺麗なゴールデンブロンドの豊かな髪、青い目の女性だった。
「初めまして、ビアン。辛かったわね…でも大丈夫よ。あなたはこれからうちの子になるの」
ニッコリと笑いかけるその顔は、俺の欲しかった平穏だったのかもしれない。
それまで懸命に耐えていた意識が緩んだのだろう。
丸二日、何も食っていなかった。
俺は彼女の腕に抱かれたまま気を失った。
衰弱した俺の身体は、病院での手厚い看護ですぐに回復した。
母の従姉と言うルチアは、俺を彼女の家へ連れて行きたいと申し出た。
「うちにはあなたと同じ年の息子がいるの。ね、ビアン。きっと仲良くなれるわ。お母さんの分も幸せになりましょうね」
どこにも行く当てのない俺にはありがたいどころではない。涙が止まらなかった。
体調を整えて、すぐにルチアの家へ向かった。
そこはサマシティと言う街だった。
街と言うより、ひとつの国と言っていいのかもしれない。
街の中心から外れた田園が新しい住処になった。
ルチアとその良人、ジロット・エルディは広大な敷地の農園を経営していた。
果樹や小麦、とりわけワイン用の葡萄の栽培を中心としていた。
「こんにちは、ビアン。僕、イーシスって言います。君に会えるのを楽しみにしていたの。仲良くしようね」
エルディ家の一人息子イーシスは、母のルチアに似た面差しで俺に笑いかけ、俺を抱きしめた。
…あたたかい温もり。
ああ、この子に信頼される人間になれたら、俺はきっと幸せになれる。
そう思った。
俺とイーシスは兄弟のように育った。
ジロットもルチアも俺達を分け隔てなく、可愛がってくれた。
幼い頃は感じなかったが、それがどんなに感謝すべきことなのか、成長するにつれて理解できるようになった。
この家族を悲しませてはいけない。育ててくれた恩に報いるよう、生きていこう。
何より俺にとって最もありがたかったのは、彼らがアルトではない事だった。
俺は初めて長年付きまとった悪夢から逃れることができ、そして心からリラックスした日々を送ることが出来た。
両親から受け継いだ魔力をもっていない。アルトではないという負い目はそれまでの俺を嫌と言うほど苦しませていたのだから。
「ビアン!こっちへ来てよ。 僕らが植えたイチゴの苗が実を付けているよ」
遠くからイーシスが懸命に手を振り、俺を呼ぶ。
健康的な褐色の肌と輝く金色の髪は、どこまでも続く農園の土埃の中に居ても、ひと目で彼を探し出すことが出来た。
幾ら陽に焼かれても、一向に焼けない自分の青白い肌が恨めしかった。
父親に似ているという黒くてクセ毛の髪も、気だるい灰色の目も俺は好きではなかった。
だが、イーシスは「ビアンって凄くかっこいいよね。僕、初めてビアンを見た時、君がかっこよすぎて見惚れちゃったんだよ」
「そうかな…俺はイーシスの方がよっぽど綺麗でカッコいいと思うけれど…」
「ホント?うれしいな…ほら、この街って白人が多いでしょ?だから僕やお母さんみたいなサフール系は目立つんだよね。直に差別は受けないけど、貴族の方達との社交場にはお母さんは滅多に行かないよ」
「…そうなの?」
それまで人種差別なんか考えた事がなかった。
「俺、好きだよ。イーシスもルチア小母さんも」
「僕もビアンが好きだよ。ずっと一緒にいようね」
「うん」
ずっとイーシスと一緒に…
俺の夢だった。
13になる年、俺達は揃って街の中心に建つ名門校「天の王学園」の中等科へ入学した。
インデペンデントスクールであるこの学園への出資は、決して安くはなかったが、俺達に高等な学問を受けさせてやりたいとのジロットとルチアの親心だった。
学園は全寮制で、俺達も寄宿舎にひとりずつの部屋をあてがわれ、快適な学生生活に胸を膨らませた。
この学園で一番驚いたのは、新しい名前を与えられたことだった。
なんでもこの学園の中で暮す意味は、あたらしい自分を見つけることらしい。
今までの自分に縛られない、まだ見ぬ自分自身を見つける為に、真の呼び名を与えられる。
イーシスはイシュハ。俺はジョシュアと言う名を貰った。
新しい名前に慣れるまでは、自分の名を呼ばれる度、変な気分になった。
初等部からの生徒は馴染んだ名前に戸惑う事はないだろうが、新入生たちは皆、俺と同じようで、何度も名前を呼ばれるまで返事がない。
イーシスはその容貌や性格の良さからすぐに誰にでも打ち解け、多くの仲間を見つけた。
彼にはカリスマ性があったのだ。
一年の頃から、彼に付き合いを申し込む相手も多かった。
付き合いとは性的な意味合いが大きい。
流石に一年の頃は、イーシスも躊躇っていたが、二年生の秋、彼は恋人を作った。
イシュハ(イーシス)の初めての相手はふたつ年上の亜麻色の巻き毛の似合う女子だった。
恥じらいながら初体験を詳しく俺に語るイシュハに、うらやましいというより、嫉妬に近いものを感じた。
「イーシスは(この頃はふたりの時はお互いの馴染んだ呼び名で呼んでいた)、その子のことが好きなの?」
「え?勿論だよ、ビアン。だってすごい胸なんだよ。うちで育てたスイカみたいだ」
「…それ褒めてないと思う」
「そうかな~。でも優しい子だから好きだよ」
「…」
俺よりも?と、聞き返したくなった。
その子とは半年で別れ、すぐに次の相手が見つかった。
今度は三学年上の男子だ。
「男を相手にするってどうなんだ?って思ったけど、想像より良い気持ちになれたよ。僕、ああいう大人の人好きだな~。そうだ、ビアンも試してみたらいいよ」
「別に俺はいいよ」
「なんで?決まった恋人でもいるの?」
「居ないけど…イーシスは気が多いよ。前の彼女と別れたばかりなのに」
「そうだけど…でも、みんな、僕を好きって言ってくれるし、僕も好きなんだもの」
くったくない笑顔を惜しみなく与える君を誰が嫌うだろう…
イシュハは好きなものに囲まれて生きている。
周りのすべてに感謝し、そして愛される事に躊躇しない。
彼の「好き」は一杯だ。
たぶん俺もそのひとりに過ぎない。
俺はイシュハの一番でいたいのに…
長期休暇で家に帰り着く度、俺はホッとしていた。
少なくともこの家の中では、イシュハの恋人達は居ず、イーシスは俺だけのものになる。
農園は朝から桃の収穫の手伝いに忙しい。
俺もイシュハも汗を掻きながら、必死に働く。
働いた分だけ、昼飯も昼寝もとっておきのご褒美になる。
ふたりして木陰に寝転んで、遠い雲を眺める。
この世界に、ふたりだけで居るような気持ちになった。
「俺、学校に戻りたくないな。農園でこうやって身体を動かして働いていた方が気持ちいいし…高等科に進学するのは辞めようかな」
「何言ってるんだよ、ビアン!」
「だって、高い学費を出してまで身に付ける教育より、この農園でより良い農作物を作っていた方が、人に喜ばれるだろ?」
「僕達はまだ15歳だよ。勉強しなきゃならないことだって多いはずだよ。辞めるだなんて…言わないでよ、ビアン。僕、ひとりで戻りたくないよ」
「…イーシスには沢山の友達や恋人がいるじゃないか。俺が居なくても学園で楽しく暮せるさ」
「…君の代わりはいないよ」
「…」
涙ぐみながらそんなことを言うイシュハは卑怯だ。
「ごめん。辞めないよ。ちょっと言ってみたかっただけだ」
「ホント?…良かった。ビアンは成績も良いし、きっといい大学へ行けるよ。この間だって優秀賞を取るだろうって期待されていたじゃないか」
「結局は優秀賞はアルトの生徒だったろ?俺たち、イルトはアルトには勝てない仕組みになっているんだよ、あの学園では」
「相変わらずビアンはアルトが嫌いなんだね」
イルトとアルトの良好な共存を目指す学園内は平面上は安寧を維持していたが、水面下では常時、小さな諍いが絶えなかった。
魔力を持たないイルトが、アルトに劣る事実は変わりない。
世間一般ではイルトに従属されるアルトと言う図が成立するが、アルトの生徒数が約半数のこの学園では、イルトである俺達は、大人のイルトのように横柄にはなれなかった。
「イルトに刃向かうアルトなんて、最低だね。アルトは素直にイルトの役に立ってりゃいいのさ」
「僕はイルトとかアルトなんて関係ないと思うよ。だって人間同士じゃないか。友情や愛情は魔力で得られるものじゃないんだろう?ビアン、君はアルトが嫌いと言うけれど…うちの母親だって魔女だったんだよ」
「え?…」
「母さんは天候をピタリと当てる名人だったって。治癒の能力にも優れていた。でも僕を産む時ね、難産で生死を彷徨ったんだ。沢山の魔法使いの祈りでなんとか助かったけれど、それ以来魔力を失ってしまったそうだ…」
「…そうだったの」
ルチアがアルトだなんて、知らなかった。
だからと言って、ルチアに対する信頼は何も変わらないと思うけれど。
「うちの使用人だって、魔法使いは沢山いるだろ?ビアンはみんなが嫌い?」
「そうじゃないけれど…」
「ね、アルトだから嫌いだなんて、最初から決めつけない方がいいよ」
「うん、わかったよ、イーシス」
その夜は、夕食を用意するルチアを複雑な思いで眺めてしまった。
しかし、この直後、そんな思いなど序の口だったと思い知らされる羽目になる。
デザートも半ば、父親のジロットがにこやかにこう話した。
「イーシス、おまえのパートナーが決まったぞ。隣町のミーアって娘だ。ひとつ下でな。器量良しだし、何より魔力の優れたアルトだ。きっといい嫁になってくれるだろう」
「ええ?僕、まだ15だよ。結婚なんて早いよ」
「今すぐだなんて言うものか。ちゃんと大学を出て、この農場で一人前に働ける歳になってからだよ。だが、婚約だけは済ませておこう。良いアルトはすぐに手をつけられるからな」
「おめでとう、イーシス。ミーアはとても良い子だから、きっとあなたも気に入るわよ」
「うん、そうだね」
苦笑いで答えるイシュハが信じられなかった。
さっき俺に言った言葉は嘘だったのか?
親が決めたパートナーと一緒に生きていくことを、君は納得できるのか?