Private Kingdom 20
20、
宙を舞った俺の身体は、地上めがけて加速しながらまっさかまさに落ちて行く。
風圧に耐えながら、俺は真下を見つめた。
塔の入り口付近にセキレイとベルの姿が見える。
「アーシュッ!!」
セキレイの悲鳴に近い叫び声が響いた。
俺は落下しながら、セキレイを呼ぶ。
「セキレイ!俺を受け止めて!」
俺の言葉を聞いたセキレイの恐怖に慄いた顔。
それでもセキレイは、両手を広げ、落ちる俺を受け止める覚悟でいる。
ものすごい急降下と風圧を身体に受けながら、俺は嬉しくてたまらない。
とんでもない速さで地面が目の前に近づく。
激突する直前、俺は最大限の魔力を使って、重力と風圧の関係を逆転させた。
にわかに身体が上空に引っ張られ、一瞬浮遊する。
地面の枯葉が舞い上がった。
そして、精一杯広げたセキレイの両手に俺の手が触れる寸前、身体が無重力になった。
「アーシュ!!」
セキレイが叫ぶ。
「セキレイ…」
青ざめたセキレイもかわいいと思った瞬間、力が抜けた。
「「ワーッ!」」
俺の身体はセキレイの腕の中に激突、そのままふたりして地面にコロコロと倒れこんだ。
「アーシュ!ルゥ!大丈夫か!」
傍にいたベルがあわてて俺達ふたりの様子を伺う。
「うん、なんとか…それより君らが予定通りに待っていてくれて良かったよ」
「なにが…予定通りだ!バカアーシュ!塔から落ちてくるなんて言わなかったじゃないか!それにあれだけのテレキネシスを使えたなんて…できるのならちゃんと前もって言っててくれなきゃ…驚くだろうが!」
「いや、俺もまさか落ちた後まで考えていなくてさ」
「な、なんだって!…じゃあ、あのまま落ちてどうするつもりだったんだよ?」
「…なんとかなるだろうって…思ったものだからさあ」
俺は身体中の枯葉を掃いながら、立ち上がった。
セキレイはまだ地面に座ったまま、呆れて俺を見ている。
「…と、にかくアーシュは無謀すぎる。君が塔から落ちてくる姿を見て、マジで心臓が完全に止まった気がしたよ」
ベルの言葉は大げさではなく、顔は真っ青で声も少し震えていた。
「僕は胸が張り裂けそうになって呼吸ができなかった。もう、駄目だと思ったもの」
「それでも君は腕を広げてくれたじゃないか」
「地面にめり込んでも良いから、君を受け止めようと必死だったんだ」
「ありがとう、セキレイ」
素直にお礼を言うと、顔を赤らめたセキレイはプイと横を向いた。
「でもまあ、良かったよ、君が無事で」
さすがの俺も自分のしたことに少し反省し始めた。
「ゴメンね」
「一応、うまくいったみたいだな」
ベルは塔の屋上に舞う鴉の群れを見上げた。
鴉はもう散漫に飛びまわりながら、西の寝床へ帰り支度を始めている。
「うん、鴉たちも上手くまとまってくれたし、まあ、あいつらも飽きるの早いから、大した被害ではないだろうけど、奴らは少しは懲りただろうね」
「…アーシュ」
「ん?」
「ケガをしてるじゃないか」
険しい顔をしたベルが俺の顔を触りながら、様子を見ている。
「うん、ジョシュアに殴られた」
「眼鏡も?」
「うん、踏みつけられたから、もう使えない。トゥエに怒られるのヤダなあ」
「それくらいで済んで良かったよ」
青ざめたベルの顔色がやっと緩んだ。ベルは俺の腫れた頬を両手で包み、そっと目を閉じた。
「…」
ベルの癒しの力が俺に流れる。
どこまでも優しく真摯な感情が、俺を浄化してくれる。
ああ、こんなにも純粋な愛をくれる者たち。
俺を命がけで受け止め、憂い、心を寄せてくれる友達…
俺はこんなにも大事なものに囲まれている。
幸せだと思った。
「これで、大丈夫だと思うけれど…」
「うん、すっかり痛みが引いた。ありがとう、ベル」
「どういたしまして」
「さあ、帰ろうよ。彼らがエレベーターで降りてくる前にさ」
「うん。そうだね」
「奴ら、どんな顔で来るのか、明日が楽しみだ」
「先生から呼び出しくらわないかな?」
「俺が手を出したんじゃないから、大丈夫だよ。それに、彼らがバカじゃないなら、このことを公けにはしないだろう」
すっかり陽が沈み、森はもう夜が忍び込んでいる。
俺達は急いで塔から離れ、自分達の寄宿舎に戻った。
次の日、セキレイと一緒に起きた俺はいつもどおり身支度を整える。
「アーシュは学校へ行く前に、学長に会いに行った方が良いよ」
「なんで?」
リボンを整えながらセキレイは俺に言う。
「眼鏡をしてないアーシュはみんなに会っちゃあ駄目。誰でも君の虜になってしまう。君はジョシュアの二の舞をしたいの?」
「…そうなの?」
「そうだよ」
魔力を使うつもりもないのに、眼鏡を掛けない俺がそんなに危険な者になってしまうって…いまいちピンとこない。
セキレイの忠告どおり、早めに朝食を取り終え、俺は学長室へ向かった。
早朝でありながら、トゥエは部屋に居た。
俺が来るのをわかっているかのようなにこやかな顔で出迎える。
「トゥエ…あの…ごめんなさい。あの眼鏡、壊してしまったの」
さすがに先月買ってもらった眼鏡を使い物にならなくしてしまったのは気まずい。恐縮してしまった。
だがトゥエは俺を叱るわけでもなく、黙って机の引き出しから新しい眼鏡取り出し、俺に差し出した。
「実はこの間、君の眼鏡を作った時、同じものを余分に作っていたんだ。控え用にね…こういう事もあるかもしれないと思っていたんだが…」
「…なんだ。知っていたの?」
「いや…私はなにも知らないですよ」
このじじい、全部お見通しのクセにすっとぼけやがって。
俺は眼鏡を受け取りながら、なんだか複雑な気がした。
年の功かもしれないが、まだまだ親父に勝てないのかと悔しい気持ちと、こうやっていつまでも俺を見守っていて欲しいという甘え。
この人は本当の親ではないけれど、きっと、本当の親のように、これからも俺を支えてくれるのだろう…
そう、望みたい。
「トゥエ…」
「何ですか?アーシュ」
「俺が間違った道を選びそうな時は…教えてくれますか?」
「人は…間違いながら歩いていくものですよ。間違えた時は引き返せばいい。どんな小さな経験も無駄ではないと、思いたい。それに、買いかぶっては困ります…私だって聖人じゃないからね、アーシュ。すべてにおいて正しい選択とは、いかないものです」
「トゥエでも間違うことがあるの?」
「勿論だよ、アーシュ」
そう言って、トゥエは自分のポケットから薄荷キャンデーを取り出し、俺の手の平に乗せた。
中等部の学園内はいつもどおりの日常風景だった。
昨日の一件も誰も知らないらしく、耳をそばだてても彼らに関しての話題は一切聞こえない。
放課後、ひとりで図書館へ向かう。
例の塔についてキリハラに色々と聞きたいことがあったからだ。
セキレイは鴉への褒美をやりに森へ行き、ベルは高等部の彼女とデート。高等科の様子を伺う為だ。
カウンターでカードの整理をしているキリハラは、俺を見ると珍しく、手を振って招いた。
何事だろうと、俺は急いで近づく。
「昨日は面白い事をやってくれたね、アーシュ」
「…誰から聞いた?」
「聞かなくても、わかるさ。あの場所には結界が張ってある。誰かが魔術を行えば、私達の身体には伝わるものがあるんだよ」
「あの塔がそんなに重要な場所だなんてさ…早く教えてくれりゃ良かったのに」
「生徒達の冒険の楽しみを奪ってしまっては、教育者として失格なのでね」
「おかげで大事な生徒達が、怪我をしていると思うけどね」
「…それは君の所為だろ?アーシュ。まあ、ほとんどの生徒達は一週間程度の傷で済んだらしいという話だよ」
「ふ~ん」
なんだ、大したことなかったんじゃないか。医療スタッフのヒールの力だろうけどさ。
学園の評判を落すことは、重大な損失とばかり、学園内で起きる暴行や虐待などで傷を受けた生徒たちは医療所での治療でほとんどが回復する。
精神を病んだ者も、それ専門の魔術師が癒してくれるそうだ。
女子は卒業まで妊娠は認められず、もし妊娠した場合は退学になる。だから、妊娠できないように女子は細心の注意を払うらしい。魔術を使って…と、言う噂だ。
学園内は一見して至って平和。
その実、魔術と現実が混沌としているのだから、どうしたって俺みたいな奴がじっとしていられるわけでもなかろう。
「…ジョシュアが来ていますよ」
「え?」
キリハラは俺に一冊の本を差し出した。
「地理研究室の本棚に返してきてくれませんか?アーシュ」
キリハラは意味ありげに俺に本を押し付け、そのまま、自分の仕事を再開させた。
俺はキリハラの言葉の意味を知るために、地理研究室へ向かう。
一般の図書は、魔法関係とは違って、陽が差す上階に並ぶ。
階段を何段も昇り、4階の研究室のフロアへ着く。
地理研究室なんぞ、行った事はないが、古いアンティークのドアを開けて、中へ入った。
天上まで続く本棚が整然と並び立つ間を、ジョシュアの姿を探してゆっくりと巡る。
奥のフロアまで行き着いた先に、ジョシュアを見つけた。
ジョシュアは右目に眼帯をして、袖が見える部分の左手は包帯が見えた。
彼は俺を見て、嫌な顔をした。
「何しに来た」
「…本を返しに」
俺は彼の際を通り抜け、キリハラから受け取った本を番号を確かめて、本棚に返した。
「右目どうしたの?鴉に食べられちゃった?」
俺は面白がって聞いてみた。
ジョシュアは黙って眼帯を外した。
少し赤く腫れているが、至って変わりはない。
「なーんだ。普通じゃん。もっと痛めつけてやれば良かったかな」
「クソガキ…本物の疫病神じゃないか」
「なんとでも言ってくれていいよ。でも、俺の方は君たちにお礼を言うよ。あの塔は俺にとって、重要な意味を持つ場所になる。それだけわかっただけでもあんた達に近づいた意義は大きい。でもさ、これに懲りて不良ごっこは静かにやってくれよ。少なくとも『イルミナティバビロン』の名を語るのはやめて欲しい」
「ふん、名前なんてどうもしねえな。俺は…俺である場所が必要なだけだ」
「…イシュハは、なんて言ってた?君の怪我の事、話したんだろ?」
「どうして…俺があいつに話す必要がある。大体…なんでおまえはいつも俺とイシュハに拘る。おまえはイシュハの愛人なんだろ?安心しろ。あいつは俺をなんとも思ってはいない」
「イシュハの愛人なんて嘘だよ」
「!」
「あんた達を痛めつける計画をイシュハにも手伝ってもらっただけ。イシュハは本当のところは不本意だったんだけどね。イシュハはいつだって君の事を本気で心配していた。そうじゃなけりゃ、今回のことだって、首を突っ込んだりするもんか。ジョシュアが心配だから、大好きだから、かっこつけてワルぶるのなんてやめて欲しいんだよ」
「…おまえに、何が、わかる」
「わからないから教えてよ」
俺はジョシュアに近づく。
ジョシュアは身構えて俺を見る。
また殴られて壊されたら困ると思い、俺は眼鏡を外してポケットに入れた。
「俺に関わるな」
「先に手を出したのはそっちのクセに」
ジョシュアの手首を掴んだ。彼の手は少し震えていた。
彼の灰色の目を覗き込む。
驚くことに彼は怯えていた。
何に?
どうして怯える必要がある?
昨日の事が原因?
いや、そんなことを恐れる男ではないはずだ。
じゃあ、彼は何を怖がっている。
俺はジョシュアの真実を知りたくなった。
「ジョシュア、あなたって面白いね。俄然、興味が沸いてきた…」
「…触るな」
「俺が只の魔法使いじゃないって、昨日の一件で知ってるでしょ?ねえ…あんたの心の中を覗かせてよ…」
「!」
俺はジョシュアの首に腕を回し、彼に口づけた。