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浄夜 7

7、

 それからしばらく、イシュハが寄宿舎に戻るまでは、僕を辱めた三人を警戒し、夜は寝苦しくとも窓を閉め、目立てぬよう朝晩の彼らとの食事時間もずらし、日中は夕刻まで図書館に身を隠すという日々を送った。

 気に病むまいと思っていたけれど、どこかで怯えていたのだろう。

 だが、彼らは寄宿舎で僕と顔を合わせても、顔色ひとつ変えもせず、視線を合わせることもない。それがまた不気味に思えて、僕はますます身体を固くするばかりだった。

 だから、寄宿舎に戻ってきたイシュハの姿を見たときは安堵感で一杯になり、人がいなければ、彼の胸に飛び込みたいぐらいだった。

 

 イシュハはいつもと違う僕にすぐに気づいたが、僕はジョシュア達からレイプされたことを、言わなかった。

 イシュハはジョシュアに夢想の姿を描いている。それは幼い頃から一緒に過ごしてきた時間が形作ったものだ。そしてその形の為したジョシュアも、僕をレイプしたジョシュアも本当の姿なのだろう。

 そのどちらか片方だけの姿を見たいと思うのは間違いじゃない。

 イシュハのジョシュアへの夢想に僕自身が傷をつけることだけはしたくなかった。

 何も言わない僕を、それ以上追及することのないイシュハはただ抱きしめてくれる。

 僕には充分過ぎる優しさだ。

 

 新学期が始まっても、僕はひとりで部屋にいるのが不安になるから、イシュハの部屋へ入り浸りになっていた。

 イシュハがその気になるように誘って、僕の傍から離れなくさせている。

 これってジョシュアに対する面当てなのかな…とも、思うけれど、どこかで彼が苦しめばいいと思うのは仕方のないことだと思う。


 イシュハのベッドでまどろむ僕は、突然頬を抓られ、あわてて目を開けた。

 目前に綺麗なアーシュの顔がある。

 ぼんやりと覚醒しながら、こういう目覚めは悪くないと微笑む。

 しかし、のどかな昼下がりに突然突風が吹き荒れ、夢ごこちの僕を現実へと引き戻すアーシュに、なんとも言えないバツの悪さを感じる。

 アーシュの言うとおり、僕は現実からも、彼らからも逃げているのだ。

 「レイプなんて大した現実ではない」と言い切った後、「俺がジョシュアたちに復讐をしてやる」と、息巻くアーシュに、酷く感動してしまう。

 

 アーシュが魔王アスタロトとしての本性を現したとして、僕にとってそれは恐ろしいものにはならないような気がしていた。 

 アーシュ自身が摂理となるなら…それはそれで美しく正しい世界が構築される気がするのだ。

 だが、彼はまだこの世界に14年間しか生きていない。14年の経験と知識しかないはずだ。

 だから、現実のジョシュアの冷酷さがこの子を傷つけたりするのが、僕には怖かった。

 案の定、ひと月後に僕の懸念が現実になる。


 

 その日も図書館でひとり引きこもっていた僕に、キリハラがこっそり教えてくれたのだ。

 「アーシュがジョシュア達に襲われたらしい」と。

 僕は急いで、寄宿舎へ戻った。

 広間で寛ぐ友人にアーシュの居場所を聞いた。

 幸運にも友人はアーシュの居所を知っていた。僕はイシュハの部屋へ駆け込んだ。


「あ、メル。こんにちは」

 部屋のドアを開けるとイシュハと向かい合わせで、のんびりとお茶を嗜むアーシュの姿があった。 

「何をそんなに息を切らせているの?メルもお茶を飲めば?このお茶ね、イシュハの家の農園で採れた上質のハーブティなんだって。美味しいよ」

「今年は出来が良かったから、母さんが沢山送ってきてね。メルの好きなローズヒップもあるよ。飲むだろ?」

「…あ、アーシュ、君が大変なことになっているって…聞いたからあわてて来てみたんだけど…」

「大変なことって?…別に大したことじゃないよ。ねえ、イシュハ」

「…うん」 

 イシュハは少し困った顔でそ知らぬふりを決め込むアーシュに応えた。


「じゃあ、俺、これでお暇するね。イシュハ、制服をありがとう。大事に着させて頂くよ。ああ、メル、今夜は君の部屋へ行くから、ちゃんとベッドで待ってて。いいね」

 帰り際、念を指され、アーシュは意味深な顔で僕を見た。

 その後、イシュハに事の真相を聞かされ、やっぱりかと気が滅入ってしまった。

 アーシュは一体何をする気なのだろう…

 僕の不安は増すばかりだ。


 

 その日の深夜、約束どおり、アーシュは、椋木を登り、ベランダの戸を開けてやってきた。

「アーシュ…」

 僕は大事な宝物を扱うみたいに、夜露に濡れたアーシュの身体を抱く。

「君に何かあったら…僕は自分を責めるよ。もう、無茶なことはしないと約束して欲しい」

「なにが?昼間の事?あれは彼らの能力を見極める為に仕掛けたんだよ。それでわかったんだ。やっぱりジョシュアのアルトへの強制力は俺には効かないってね。まあ、向こうはどう思ったかは知らないけれどね」

 得意げにフフンと鼻を鳴らし、アーシュはベッドに身体を投げ出した。


「今夜はメルとしたくてきたんだ。セキレイにもちゃんと許可を取ってね。あいつ、益々焼きもちが酷くてさあ」

「それは…わかるけどね。誰だって恋人を寝取られたら、いい気持ちはしないもの」

 正直、アーシュの恋人であるルゥには、僕も少々罪悪感で胸が痛む。こちらも望んだとは言え、アーシュは僕の愛人だと学園内でも知れ渡っている。

「でも、…君にとって僕は利用価値のあるアルトってことだけで付き合ってくれているんだろ?」

「勿論、メルは『senso』を導くための案内人なんだろうけど、俺はメルが好きだから寝るんだよ。誰でもいいわけないじゃん」

 その言葉に偽りがないとわかるから、胸がキュンと鳴る。

 アーシュに慰められるようじゃ、僕もまだまだ子供だな。と、思ってもやはり心が躍る。

 彼を可愛がりたい。精一杯愛撫して喜ばせてあげたい。

 僕はアーシュの眼鏡を外して、彼の口唇に口づける。

「案内するよ。僕の『senso』に…」

 

  官能の火を呼び起こして、ふたりはひとつになる。

  真っ直ぐ伸びた一本の道を辿って、僕らはあの場所に着いた。


「ここは…」

 そこはキリハラと来た場所ではなかった。いや、ここへワープしたのは初めてかもしれない。

「僕の故郷と言ってもいいのかもしれない。記憶のスタート地点だよ」

 「senso」によってワープする先々の世界は、薄暮のように薄暗い。

 はっきりとした光源もわからぬまま、ぼんやりと光の虹が差し込む霧の中を歩いた。

 どうやら、緑の草木に覆われた森の中らしい。

 暗く生い茂った緑の先に小さなログハウスが見えた。

 僕と両親が一緒に住んでいた場所だ。その傍らに見慣れた緑色のトレーラーハウスがあった。

 アーシュは仄かに発光する白い砂の道を、裸のままそこに向かって歩いていく。

 パジャマを身に付けた僕は、急いでアーシュを追いかけた。

 裸足で踏む砂道は、少しも足を傷つけない。例えるなら、雲の上を歩くように実感が頼りないのだ。 


 アーシュは古ぼけた階段を昇り、ログハウスの玄関を開けようと何回もドアの取っ手を乱暴に動かした。

「家から鍵がかかっているのかな。開かないね。じゃあ、別の入り口を探そう…」

 キョロキョロを忙しく動くアーシュに追いつき、彼の肩にシャツをかけた。「ありがと」と、彼は笑う。眼鏡が無い顔で見つめられると、際立つ美貌にこちらは緊張する。

「あ、こっちは鍵がかかってない。入れそうだよ」

 ガタガタと窓枠を動かし、無理矢理取り外したアーシュは身を縮めて、窓から部屋の中に入り込んだ。

 僕もあわててその後に続いた。


 部屋の中は僕の僅かな記憶とそう変わらないように思えた。

 狭いキッチン。ふたりがけのテーブル。続くもうひとつの部屋にはダブルベッドはひとつだけ。そして、揺りかご式のベビーベッドがすぐ横に並んでいた。

 多分、赤子の僕が寝ていたベッドだろう。

 近づいてその揺りかごを揺らしてみた。

 父と母の僕を覗き込む顔が見えた。


「これがメルのお父さんとお母さんなんだろ?」

 アーシュの声が聞こえた。

 彼は壁に飾られた古いセピア色の一枚の写真を見ていた。

「メルは幸せだったんだね」

 僕は彼の傍に行き、その写真を覗きこんだ。

 一歳にならないくらいの小さい僕が父に抱かれ、その傍らには母がいる。

 三人とも微笑んでいた。

 …ああ、そうだ。僕はこんなにも幸せだったんだ。 

 それなのに、何故、彼らは僕を捨てたりしたのだろう。

 僕らが旅をする種族であるならば、僕だってそれを受け入れたはずだ。どうして一緒に連れて行ってはくれなかったのだろう…


「彼らに会ってみる?」

 傍らで僕を見上げるアーシュの言葉に、僕は首を傾げた。

「会うって?」

 アーシュには僕の両親の居場所がわかるって言うのか?それも彼の「senso」の力なのか?

「彼らもメルに会いたがっているじゃん」

「え?」

「ほら」

 アーシュは身体を捻り、玄関に向かって手を差し伸べた。

 内側の鍵がひとりでにガチャリと音を立て、ゆっくりと扉が開く。

 ふたつの白い影が部屋に入ってきた。


 僕はその姿を覚えている。


「…お父さん、お母さん」

「ツィンカ…」

 

 そう、それは両親が僕に与えてくれた名前だ。








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